エターナルトラベラー
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第九十四話
夜、イリヤは俺を連れると未音川へと来ていた。
イリヤは大きな排水口の先から嫌な魔力を感じたと言う。
それが何となく気になって来て見たのだが、排水口の先に着いたとき、空からバリバリと雷を蹴る音を響かせて二頭の牡牛が引く勇壮なる戦車に乗ったライダーが駆けて来てイリヤの前へと止る。
「おお、昼間の小娘ではないか」
「そう言えば名前を名乗ってなかったわね。あの時はそう言う出会いも良いかもとわたしも教えなかったのだけれど」
「そうであるな。だが二度目とも成れば余も名乗ろう。我が名はイスカンダル。名高き征服王とは余の事よ。それとこれが余のマスターだ」
ひょいと御者台の隅に居た少年を引っつかんで紹介するライダー。
「ちょっ!ライダーっ!何を言ってやがりますかっ。て言うかもしかしてキャスターのサーヴァントっ!?」
なるほど、確かに何も情報がなければ残りのキャスターと勘違いされてもしょうがないかもしれない。
「わたしはイリヤスフィール。そしてこっちがわたしのサーヴァント、チャンピオンよ」
「なっ!?聖杯戦争は全部で七騎のはずだろうっ!?」
と、イリヤの答えにライダーのマスターである少年が吠えるが、ライダーはさして気にした様子は無いようで話を続ける。
「イレギュラークラスと言う奴か。ふむ、どうだ?余の傘下に入らんか?」
「残念ながら俺のマスターは今の所イリヤなんでね」
彼女の望まぬ事は出来ないと断る。
「むう…どいつもこいつも断りよる」
「それで、ライダーは何をしに来たの?」
「余のマスターが此処にキャスターの工房があると突き止めたようだからな、倒しに来たのよ」
「ふーん」
「そうだ、おぬしらも来ぬか。キャスターの討伐におぬしらも来たのだろう?」
「わたしは何となく気になったから来ただけよ。でも、キャスター討伐ってどうするのよ。工房攻めはそう簡単じゃないはずよ」
「それはぶち当たるだけぶち当たってみなければ分からん。意外とどうにかなるかもしれん」
「呆れた…でも、面白そうね。ご一緒させてもらうわ」
「ええっ!?」
「そうか、では余の戦車に乗るがよい」
驚く俺を余所にイリヤの細腕を掴み戦車へと引っ張り乗せるライダー。
「ほれ、貴様も乗るが良いl。まさかマスターを一人で乗せる訳にも行くまい」
あっけに取られつつもイリヤを守るために彼女を抱え込むように俺もライダーの戦車へと乗り込む。
「ららら…ライダーっ!これはあれだろ?おかしい事だろ?いや、おかしいはずだよな?何で八騎目のサーヴァントが居るんだよっ!」
「む、そうであったな。その辺はどうなのだ?」
マスターの少年はテンパリながら叫び、今更気が付いたかのようにライダーは俺達に聞いた。
「俺達は今回の聖杯戦争の参加者では無い。確かにサーヴァントとマスターの関係ではあるが、俺達は特に聖杯を求めていない」
俺はそう答えた。
「参加者じゃないのか?」
「違うわ」
イリヤもきっぱりと否定する。
「ええっ!?サーヴァントとマスターのくせに聖杯戦争とは無関係だって?そんなはずは無いだろうっ」
「本人達がこう言っているのだから良いではないか、坊主。それに余らの前に敵として立ちふさがるのなら蹴散らしてやれば良いだけだ」
「ら・い・だ~っ!」
何だろう、この主従、サーヴァントの方が立場が上じゃないか?
八組目をいぶかしむマスターの方が正しくて、気にしないサーヴァントの方が確かにおかしい。
とは言え、力関係がライダーの方が上なのでライダーのマスターも強くは言えない、と。
そうこうしている間もライダーは手綱を操り、すでに戦車は発車していた。
「~~~~~~っ」
顔を真っ赤にして真剣に令呪を使おうか迷うウェイバーだが、流石にそれは理性が押し止めたようだ。
暗闇の排水溝をライダーの戦車で走破する。途中グロテスクなナニカを蹴散らしながら奥へ。
「それにしても、凄いわね。衝撃も風圧も何も無いなんて。さすが宝具って事なのかしら」
独り言のように呟くイリヤ。しかし、それには俺も同感だ。これは戦車であって戦車ではない。
宝具。その言葉の意味を再確認した瞬間だった。
「それに、ここは本当にキャスターの工房なの?それにしては守りは杜撰だわ」
「それは僕も思っている。魔術師の工房攻めがこんなに簡単なはずはないんだ」
イリヤの声にライダーのマスター…ウェイバーが答えた。
「確かにこんなに簡単なはずは無いだろう。キャスターには陣地作成スキルが与えられる。それこそ堅牢な神殿すら作れるほどのスキルをもつ者が呼ばれる事もあるだろう。…しかし、これは」
「まぁそれも最後まで行ってみれば分かる事よ」
と俺の呟きに返したライダーは手綱を捌き排水溝の更に奥へと戦車を走らせた。
小さめのホールのような所へと出ると、そこがどうやら終着のようだった。
キャスターは不在のようだったが、此処が拠点である事は確かだろう。…俺の眼で見たそこには凄惨なナニカがオブジェのように飾られていたのだから。
やはりこんなに簡単に工房を攻められた事にウェイバーはキャスターが本来の意味での魔術師ではなく、キャスターの伝承に悪魔を呼んだとか魔術書を持っていたとかと言う伝承が一人歩きした結果であり本人は魔術師でもなんでもなかったのではないかと辺りをつけたようだ。
こう言う分析は頭でっかちっぽい彼には向いているのかもしれないが、この暗がりで不鮮明だったそこを魔術で見たその凄惨な光景には耐性が無かったようだ。
ショックで吐露を繰り返している。
「…これは」
イリヤもどうやら見てしまったようだ。
そこに有ったのは人間であったナニカだ。切り刻まれ、血を抜かれ、内臓がはみ出していてもまだ生きているのだからその光景は醜悪すぎた。
この光景にショックを受けるウェイバーやイリヤはまだ人間として好感を持てる。これを何の躊躇も無く作り上げられる事に同意してしまうのなら、それはすでに人間として終わっているのではないか?
ライダーもこの光景を嫌悪するウェイバーを頼りないが、快く思っているだろう。
しかし、ライダーの顔は凄惨な光景に歪められるのではなく、戦闘を前にした武人の顔へとなっている。
それをいぶかしんだウェイバーが突っかかると、アサシンに囲まれていてそれどころでは無いと答えた。
ああ、それには同意だ。俺達はいまアサシンに囲まれている。
俺もそっとイリヤを守る位置に構える。
「アサシンが4体…?分身する能力持ちと言う事ね」
直接的な戦闘能力が低いアサシンも数が多ければ別だ。一人二人を相手にしている内にマスターを狙われては敵わない。
アサシンのクラスは対魔力のスキルを持ち合わせていない。もちろん、生前から持ち合わせていれば別だろうが、魔術師ではない暗殺者にその可能性は低いだろう。
俺はアサシンの一人に万華鏡写輪眼・八意を使う。
思兼よりも使う事の無い能力だが、敵の知識を奪うと言うこの能力はこのような未知の敵には優位な能力だろう。
一瞬で読み取った情報から、比較的に重要度の高いものを整理する。
アサシンは個にして群のサーヴァントであり、分裂して増える宝具・妄想現象を持つ。
最大80人ほどまで分裂でき、今ここに居るアサシンを倒してしまったとしても大勢に影響は無い。
マスターは言峰綺礼。
これには驚いた。綺礼はアーチャーのマスターだと思っていたからだ。
遠坂時臣と綺礼は同盟関係で、諜報活動に使われ、潰されてしまうのではないかと憂慮しているし、どうやらそうなりそうだとは思っているが令呪の縛りには抗えない。
今回の事はこんな暗がりにのこのことやってきたライダーのマスターを殺してしまおうと功を焦った為。
ふむ。とりあえず、ここに居る奴らを倒してしまっても聖杯にサーヴァントの魂が帰る事は無い。なら…
「ここに居るので全部かしら?」
「いや、一部のようだ。奴らはまだまだ分裂するサーヴァントだろう」
イリヤの呟きに答える。
「そう。なら、チャンピオン。残らず殺して構わないわ。やっちゃって、チャンピオン」
「む?そなたが行くのか」
「イリヤを守っててくれよ」
「よかろう」
ライダーの頼もしい答えに満足した俺は戦車を飛び降りる。
「え?速いッ!?」
戦車を飛び降りた俺は地面を蹴って神速を発動。目にもとまらぬと言う俊足でアサシンの一人に近づくとソルでその首を切り落とした。
瞬時に黒い霧となって消滅するアサシン。
「なにっ!?」
驚きつつも手に持った短剣を投げ放つ残り3人のアサシン。その短剣に飛針を飛ばして相殺する。
そのついでに鋼糸を投げ二人目のアサシンを雁字搦めに捕獲してそのまま握り潰す。
「がっ…がはっ…」
これで二人目。再び地面を蹴ると狭い室内にある多くの足場を利用し壁を蹴って次のアサシンの後ろへ回り込み一閃。最後の一人は逃げようと霊体化しようとしていたが、俺の方が一瞬速い。
そのまま首を切り落とし、全てのアサシンを殲滅する。
「ほう。これはなかなかのつわものよ。やはり余の傘下に入らぬか?」
再びのライダーの勧誘。
「イリヤの命令なら仕方ない。サーヴァントは現界するのもマスターの魔力次第なんだからね。彼女の意思なければライダーに組する可能性はないよ」
「ふむ。なら、小娘と相談と言う事だな」
「あら、人の事を小娘と呼ぶ礼儀知らずの男性に組する事はないわ」
「むぅ…そうであるな。それはすまんかった」
「そんな事より、チャンピオン。あなたならこの惨状を何とかできる?」
「何とかって?」
「言い方を変えるわ。あなたならあの子供達を元に戻せる?」
「なっ!?」
「ふむ」
イリヤの物言いにウェイバーは絶句し、ライダーは興味深そうに頷いた。
「別にわたしはあの子供達を救いたいわけじゃないわ。ただ、こんな状態で放置しておくのが気持ち悪いだけ。こんな生きても死んでもいない状態が気持ち悪いの。出来ないなら殺すしかないわね。さすがに魔術師でもこんな状況からの完全蘇生は不可能だもの」
確かに二択だ。殺してやるか、または何とか元通りに戻すしかない。
どちらかしか選べないなら後者の方がまだ気持ちが良い。助ける訳ではなく、ただ自分の気持ちの問題。ある種のエゴだ。
「イリヤがやれと言うならやるけどね。ただ、せめて助けた後に子供達が保護されるまでは責任を持つべきだ」
「面倒だけど、仕方ないわ。ライダー、あなたも手伝いなさいね」
「余か?まぁ確かにこの子らを助けられるならば喜ばしい事ではあるのだが…」
「出来るわよ。チャンピオンは出来ないとは言って無いもの」
「そうなのか?」
「出来なくは無いね」
「出来るのかっ!?」
驚くウェイバーを無視してこの部屋の中心へと移動する。
カートリッジはライダーの前ではまだ使わない方が良いだろう。
俺はイリヤからそこそこ大量の魔力をくみ上げると、それを右手に集めた。
俺は膝を着き、右手を地面に着けると能力を発動する。
『星の懐中時計《クロックマスター》』
俺の魔力がこの部屋に居る全ての者へと伸びて行き、その形を元に戻す。
凄惨たる光景に切り刻まれていた子供達は何事もなかったかのように健康な体へと戻っていく。しかし、俺には失った命を戻す事は出来ない。
体は元に戻る。しかし、魂の篭らない肉体は直ぐに活動を停止するだろう。
「なんだよ、何が起きているんだよっ!」
「坊主、良く見てみろ。あれは蘇生させているのでは無い。元に戻しておるのだ」
「は?それって、時間の逆行?そんな馬鹿なっ!」
「馬鹿なも何も無い。先ずは現実を見んかバカ者め」
さて、そろそろ全ての子供が元に戻るだろう。しかし、その半数以上がすでに帰らない。肉体だけが元に戻っているだけだ。
「余の戦車に乗せて地上へと運ぼう。亡くなった子らも一緒にな」
気を失って倒れ伏す子供達を見てライダーが言う。
まだ暖かい、しかしその生命活動の終わっている子供達と、まだ生きる事が出来る子供を乗せライダーの戦車は来た道を引き返す。
その道中には会話は無く、ただキャスターへの怒りだけが有った。
夜の公園へ子供達を下ろすと交番へと電話し、保護を頼む。これで生きていた子も死んでいる子も親元へと戻れるだろう。
これ以上は俺達には出来ない。
子供達が保護されるのを遠目で眺めた後、ライダーが言った。
「こうも胸糞悪い事の後だと酒が呑みたくなるな。余はこれから酒宴を開こうと思うのだが、小娘とチャンピオンもどうだ?」
「ライダーっ!?」
「そうね、気分転換しないと私も気分が悪いわ」
ライダーの奇行を止めるように叫ぶウェイバーと同意するイリヤ。
「先ずは酒を手に入れねば成らんな」
ライダーはマスターの叫びは無視して戦車を消すと繁華街の方へと向かって歩き出した。
「ライダーっ!ちょっとまてよこのバカは~っ」
「わたしたちも行きましょうか、チャンピオン」
「はいはい」
大またで歩くライダーに小走りで付いていくウェイバーを俺とイリヤも追いかけた。
酒屋でワインの樽を買い付けると言う暴挙に出たライダーはその酒樽を担ぎ一路市街地へと戦車を向けた。
「あ…この先は…」
「なんだ、おぬしらもこの先に何か有るのかは知っていたのか」
イリヤの呟きにライダーが返す。
それは知っているだろう。
結界が施してあるはずのアインツベルンの敷地を強引に割って入り、茂っている森林をその戦車で薙ぎ倒して行く。
道があるのではなく、もはや彼が走破した所が道となっている感じだ。行き先がアインツベルンと城と言う事は、待ち構えているのはイリヤの母親だ。それに気が付いたイリヤだが、流石に今この戦車を降りるわけにも行かない。
「到着だ」
地面を抉りながらアインツベルンの居城の前へと舞い降りるとライダーは大声でセイバーを呼びつけた。
根城に奇襲をかけられてすっ飛んでくるセイバーとアイリスフィール。
ライダーとセイバーが一触即発なその横で、こちらはこちらで微妙な雰囲気だ。
「アリア?あなたはなんでそんな所に居るのっ!?」
「…お母様」
イリヤの囁きはしかし小さく、どうにかアイリスフィールに聞かれずに済んだ様だ。
「止ってくださいアイリスフィール。彼女が連れているのはサーヴァントだ」
駆け寄ろうとしたアイリスフィールを制止する声が響く。
「え?」
そこでようやくイリヤを守るように立つ俺の存在を思い出したようだ。
しかし、サーヴァントかどうかはマスターならば判別付くだろうに、それが出来ないと言うのは出来ないほどテンパっていたのか、本当に出来ないのかだ。
後者ならやはりセイバーのマスターはアイリスフィールでは無いのだろう。
「制止させずとも大丈夫だぞ、セイバー。今日は戦いに来たのではない。それは余が保障しよう。此処で彼らが争うと言うのなら、余自らが誅殺するであろう」
「それを信じろと言うのかっ!」
「それはまぁ、信じてもらわねばならぬのぅ」
「大体聖杯戦争で呼ばれるサーヴァントは7騎のはず。だったらなぜ8騎目のサーヴァントが居るのだ」
「さて、それは余にも分からぬが、大した問題でもなかろうて」
「ライダーっ!」
「ライダーにも言ったけれど、わたし達は今回の聖杯戦争の参加者ではないわ。それに、わたしのサーヴァント、チャンピオンは英霊じゃない。ただの人間霊をサーヴァントシステムに当てはめただけ。英霊の方々が気にするような存在じゃないのよ」
イリヤが本日二度目の説明。
「英霊じゃ、無い?」
「英霊になった覚えはないね。その英霊の座と言うものにすら招かれた覚えも無い」
問うセイバーに正直に答える。
本当に俺は英霊になった覚えは無いのだから嘘は言っていない。そこらの人間霊を連れてきたという説明も間違いじゃない。大体究極的には英霊も似たような物なんじゃないか?分からないけれど。
それを聞いたセイバーは再びライダーとの問答に入り、何やら聖杯をかけての問答。名付けて聖杯問答が開催されるようだ。
なんでも王としての格を見せ付けた上でなら誰が聖杯に相応しいか戦わなくても分かるだろうというライダーの持論ゆえだ。
王様と言えばもう一人、ギルガメッシュが居るのだが、いつの間にかライダーが声を掛けていたようだ。遅れて現れたギルガメッシュは俺をひと睨みしたあと、興味も無いとライダーの問答に加わった。
アインツベルンの城の中庭で、なんとなく自然と王様組みとそれ以外とで分かれて座る。
向こうはワイン樽を開け、なぜか柄杓で飲むと言うトンチンカンな事に成っているが、それは半端にこの日本の知識を得たが故の行動だろう。
それに突っ込めるのは此処では俺だけのようだが、真面目にやっている彼らに突っ込んでは羞恥で殺されかねない。黙っていた方が良さそうだ。
それに、ギルガメッシュは酒にも柄杓にも満足しないのか、虚空から酒と酒盃を取り出してセイバーとライダーに与えていた。
「こちらも始めましょう。チャンピオン、何か無いの?」
「おーい、そこで俺任せですか。まぁマスターの命令なら何とかしますけどね」
勇者の道具袋を取り出し、その中からテーブルと椅子を取り出すと設置する。椅子を引いてイリヤとアイリスフィールを座らせるとウェイバーもついでに同席させた。
何やらこちらを見ていたギルガメッシュが地べたに座る事を良しとしなくなったようで、あちらには豪奢なテーブルと煌びやかな椅子が用意されていた。
酒と酒盃以外にもギルガメッシュは色々と持っているようだ。
勇者の道具袋の中からシュークリームを取り出すとテーブルの真ん中の置きグラスを取り出し皆に配った。
さらに取り出したのは虹の実ジュース。まぁシュークリームにお酒を合わせるのも趣味が悪い。
背後からワインソムリエのようにボトルから虹の実ジュースを注ぐと、途端に香る芳醇な香り。どうしても飲みたいと言う欲望を誘う匂いだ。
「チャンピオン、これは?」
先ずはイリヤのグラスに注ぎ、アイリスフィールのグラスへ注いでいた時、イリヤからの質問。
「ただのジュースだ」
アイリスフィールのグラスへ注ぎ終わり、ウェイバーのグラスへと注いでいた時、アイリスフィールから否定の声が上がる。
「そんなはずは無いわ。英雄の持ち物がただのジュースだなんて…」
ウェイバーのグラスに注ぎ終わるとイリヤの背後へと控える。
乾杯の合図は必要なかった。
はしたないとか毒が盛られている可能性すらその時の彼らは頭から抜けていたに違いない。
手前のグラスを持ち上げ、その中身をただ口に含み、嚥下たい。その衝動だけだ。
口をつけ、飲み下す。
ただ一口、口にしただけで彼らはこの世のどの飲み物にも勝る味わいを堪能した事だろう。
言葉は無い、しかしその顔がそのおいしさを物語っていた。
「もう一度聞くわ。チャンピオン、このジュースは何?」
問い掛けるイリヤだが、それは三人の総意であるようだ。アイリスフィールもウェイバーも何も言わないが、その目が回答を訴えていた。
「虹の実と言う果物の果汁を深層水に一滴混ぜ込んだ物だ」
「たった一滴?」
「ああ」
「虹の実なんて果実、伝説にも聞いた事ない」
「私もよ…」
ウェイバーの呟きにアイリスフィールも若干放心しながら同意した。
「くぉら、チャンピオン。そっちだけで美味しいものを食うでない。此方にもよこさぬか」
ライダーがその匂いに釣られてやってきて俺の肩に手を置いてジュース瓶を奪い取ろうとする。
「こら、このテーブルからドリンクを奪っていくな」
「だが、おいしそうな匂いを漂わせておいてその瓶の中身をお主らだけで飲み干すのはあまりにも酷い仕打ちではないか?セイバーもアーチャーもそう思うだろう?」
同意を求めるように振り返るライダー。
しかし、返答は無い。二人とも王であり、自ら請い願うを良しとしなかったからだ。
とは言え、その表情が寄越せと訴えてはいたが。
「そっちは酒宴だろう。適当なものを出すから勝手にやってくれ」
俺はため息を吐きながら勇者の道具袋から虹の実ワインを取り出すとライダーに渡す。
「これは?」
「同じ実で出来たワインだ。度数は高めだから飲むときは注意…聞いちゃいない…」
その瓶を俺から奪うように引っ手繰るとライダーは飛んで戻り、ギルガメッシュに新たに酒盃を用意させると栓を開けた。
どぼどぼと酒盃に注ぎ、堪らずと口に含むライダー、セイバー、ギルガメッシュの三人。
「これはっ!」
「ほう、これはまことにうまいワインだ。いや、これはワインの範疇に入れることすら憚られるな」
「くっ…確かに我が財にもこれほどの逸品は珍しい…」
何かもう聖杯問答そっちのけで酒盃を煽っているが、それかなり度数高いからね。…まぁサーヴァントなら問題ないのか?
俺は勇者の道具袋から更に一品取り出す。
取り出したそれはシュワシュワと透けて見える内部から気泡が立つ一つの果実だ。
それを切り分けてイリヤ達へと振舞う。
「これは?」
「スプナッシュと言う…梨の一種…だと思う」
「だと思うって…」
問いかけたイリヤの代わりにウェイバーが呆れていた。
しかし、だされたその果実を頬張りたいと言う欲望には素直なようで、手づかみであると言うのも忘れてかぶりついた。
その瞬間シュワシュワと口の中で気泡が弾け飛ぶ。
口から漏れたその気泡が清涼剤も格や言う匂いを辺り一面にばら撒いた。
「うまーいっ!」
「これはもうこれ以降果物を食べられなくなってしまいそうね…」
「激しく同意だ…」
「おい、そこの雑種ども。同席を許す。そこの小間使いも我らに給仕する事を許そう」
ギルガメッシュが堪らずと立ち上がると、相変わらず上から目線でそう言った。
うーむ、プレッシャーがバシバシと飛んでくるそれはもはや殺気のレベル。事を構えるのは面倒だからどうするか、とイリヤに視線で問う。
「いいわ、同席に預かりましょう。わたし達が向こうに行かないとただの酒宴が戦争の引き金になりかねないわ」
と言うイリヤの了承を得て、俺達はテーブルを移動する。
「この食器を好きに使うが良い。見ていれば器が食材に負けている。その食器はそなたに下肢してやろう」
それが報酬だと言っているのだろう。ギルガメッシュの唯我独尊ぶりも、付き合い方が分かれば何となく許せるかもしれない。
ただ、あんなに偉そうにしていると友達なんて出来なかっただろうな。
…
…
…
さて、この集まりはただの酒宴で有ったはずだ。友達同士が集まって自宅の開く飲み会程度のものであるはずであった。
な・の・にっ!なぜ俺は今料理を作っているのでしょう?
見た事も無い食材を勇者の道具袋から取り出す俺を見て金ぴかの王様が自慢の宝物庫から格式高い食器から宝具の域にあるような料理器具、果ては宝具式のキッチンまで取り出して俺に押し付け、調理せよと命令しやがった。
マスターでも無い奴の命令は本来なら聞く必要は無いのだが、周りの視線が期待に満ちていた。…イリヤまで期待の視線を送り、最後は命令。断れば令呪を使用するのもいとわないと言われればやるしかあるまい…
いくつかは簡単に済ませられるようにあらかじめ作ってあったものと、クロックマスターで調理時間を短縮させたりと、割と短時間で用意して料理を運んでいく。
オードブル(前菜)に始まり、ポタージュ(スープ)、ポアソン(魚料理)、アントレ(第一の肉料理)と続き、ソルベ(冷菓)は作り置きのスプナッシュのシャーベットで時間を稼ぎ、ロティー(第二の肉料理)をこなせばようやくゴールが見えてくる。サラダ(生野菜)を出し終えると『アントルメ』はこの前作ったマカロンをだし、虹の実を取り出しフルュイ(果物)を終える。最後のカフェはサーヴァント組み以外の人たちに出し、サーヴァント達は残しておいた虹の実ワインを開けている。
流石に疲れた…今さらだけど、料理に給仕に俺一人でよく回したものだよ。まぁ、包丁やキッチンが優秀なのも理由だけど。うん、このキッチンや包丁欲しいなぁ。流石に宝具だけ有って使い心地抜群だった。
「ふむ、中々の料理であった。一流程度の技術であろうが、これほどの手並みには報酬をやらねばな。食器だけではなく、調理器具の全てを下賜してやろう。ゆめ精進に励むようにな」
「お口に合って何よりです」
ギルガメッシュがえらそうな口ぶりで労うが、まあ反論する気力も無い。一流程度とは侮蔑の意味も含められているのだろうが、寧ろそれに気がついたギルガメッシュは油断がならない。所詮俺は一流を越えられないのだから。
それに包丁やらキッチンやらをくれると言うのなら貰っておこう。良いものを貰った。
「うむ。まこと美味であった」
「美味しかったです。チャンピオン」
ライダー、セイバーも喜んでくれたようだ。
「チャンピオンって本当に多芸よね。お菓子作りは上手だと思ってたけど、フランス料理のフルコースを簡単に作っちゃうなんて」
「時間だけはいっぱい有ったからね。なんとなく覚えた」
「それにしてもこの料理に使われた食材、一つとして分かる物が無かったのだけど…」
「まぁこの世界で言う幻想種に当たるような動植物をふんだんに使っているからね。この世界では中々食べれる物では無いよ」
アイリスフィールの呟きにそう返した。
「げっ幻想種…なの?」
「ドラゴンや恐竜が現代に存在するなら別だけどね」
今回使用した物は昔カジノで手に入れた食材をふんだんに使ってある。俺の腕が一流止まりでも材料はこの世界では敵う物が無いのは紛れも無い事実だろう。
「僕、明日からジャンクフードなんて食べられないよ…」
ウェイバーが何処か遠くへ旅立っているが、スルーしよう。
料理で気を良くしたところで再び聖杯問答が始まった。
ライダー、ギルガメッシュと二人は自分の王道と聖杯に賭ける望みを言っていく。
ライダーは受肉を求めギルガメッシュは聖杯は自分の物であり勝手に盗んでいこうとしていると者を誅殺するために聖杯戦争の呼びかけに答えたらしい。ギルガメッシュはその過程が問題であって、聖杯自体はどうでも良いらしい。
さて、最後のセイバーはと言えば…知っていると思うが、ブリテンの救済と王の選定のやり直し。もっと相応しき人物が王ならば、ブリテンは滅びなかったのではないかと故国の救済を願う。
これにはライダーは憤然としギルガメッシュは笑い出してしまった。
何を否定する事が有るとセイバーは激昂する。自国の救済を願って何処が悪い、と。
「そう言えば、チャンピオンってセイバーに似ているわ」
イリヤが洩らした言葉で矛先が此方に向いた。
「チャンピオンがセイバーに似ている?ほう、チャンピオン。お主も王だったのか?」
「なんだ?ただの小間使いでは無かったのか?」
ライダーの問い掛けとギルガメッシュが俺に向ける表情が少し厳しいものが混ざる。
「チャンピオン、あなたはどう言った王だったのです?私と似ていると言うのなら教えてもらいたい」
セイバーまで此方を向くんじゃない。
ここに居る人たちの全ての視線が俺へと集まり、逃げ道をふさがれてしまった俺は観念する。
「俺は王様と言う仕事をしていただけで、王と言うものの矜持が有る訳じゃないんだけど」
「ほう、仕事とな」
どういう事だとライダーは問う。
「そう、仕事。この身一つで国を興し、支配していたわけじゃなくて、後年の王国がそうであるように王の子であると言う立場に生まれたからの王だった。王子であった俺は税金と言う平民達が自分達の未来を託す投資で育ててもらった。だから俺は投資された分を国民に返していたに過ぎない。だから俺は会社の社長のようではあったが、ライダーやアーチャーのような王ではなかったな」
強烈な我でもって国民を引っ張ってゆく輝きは俺には無かったものだろう。
「それでもあなたは戦争に勝ち続け、国民を守ったわ。そう言う意味ではあなたはちゃんと英雄よ」
イリヤが盗み見た俺の過去から肯定する。
「あなたは最後まで国を守ったのですね…」
セイバーが呟く。
「いや、俺の場合最後は土地を捨てて国民全てを連れて逃げたからな。国を守ったかと言われればNOと言わざるを得ない。だけど国民を守ったかと言われれば守れたと信じたい。逃げた先の土地を開拓し、落ち着いたら最後は大統領制に変更させてトンズラしたけど」
「は?王としての責務を投げ出したと言うのですかっ!あなたはっ」
「戦争に勝ち続け、国民を連れて逃げはしたが国民の生活基盤を作り直したんだ。彼らの投資分は全て返し終えたと思っている」
「最後まで自分の手で守ろうとは思わなかったのですか?」
「王が居なくても国が動くシステムを作ったのだから、後は国民に任せただけだ」
「それを無責任と言っているのです」
「よせセイバーよ。あやつ自身も王とは言って無いのだ。あれはただの小間使いよ」
「なるほど、確かにチャンピオンは王と言うより社長だのう。会社を運営する社長と言う立場が王だったという特殊なタイプよな。まぁ余に言わせるなら王としちゃなっとらんと言えるが」
なんかギルガメッシュとライダーに散々な事を言われたような気がするのだが…しかし合ってるけど小間使いは酷くない?
人の事を肴に更に問答が進もうかと言う時、この中庭を囲むように黒いサーヴァントが取り囲んだ。
「あら、アサシンね」
「ちょっと、何をそんなに悠然としているのよっ!何この数は…十や二十と言う数じゃないわ」
「ひぃ…」
イリヤは悠然と構え、アイリスフィールは驚いている。ウェイバーは机の下に隠れるように身を縮ませた。
ライダーは自身が買ってきた酒樽に柄杓を突っ込みワインをくみ上げると高々と持ち上げて歓迎すると宣言したが、それへの返答は一本の短剣だった。
短剣は柄杓の柄を切り飛ばし、柄杓の中身をこぼしてしまった。
酒宴を汚されたライダーは怒り、一瞬で鎧を着込むとセイバーに最後の問答をする。
王とは孤高なるか否か。
その答えを見せ付けるかのように発動されたライダーの真の宝具。
固有結界、アイオニオン・ヘタイロイ《王の軍勢》。
突然俺達を飲み込んで展開されたそれは、気がついたら平原にぽつんと立っていた。
固有結界とは心象風景の具象化。となればこれがライダーの心の形なのだろう。
どうやったのかは分からないが、ライダーは固有結界を展開したときにアサシンと俺達を距離を置いて集めるように取り込んだようで、囲んでいたはずのアサシンは今は百メートルほど遠くに集められている。
固有結界、心象風景の具現化と言うだけでも驚きを隠せないものだが、この固有結界の能力はさらに驚かされた。
背後から数百、数千の兵隊が現れた。それらは皆長槍を持ち、地面を踏み鳴らしながら行進し、王の合図を待っている。
現れた彼ら一騎一騎が皆サーヴァントであり、宝具こそ持っていないが、皆が一騎当千の兵士だった。
死後も生前も臣下をその絆によって呼び出されるその規格外の能力に皆驚き、セイバーは一層驚愕していた。
王とは孤独ではなく、何処までも臣下を惹きつけるものであると言う一つの答を見せられたからだ。
ライダーの号令で突撃を開始した彼らは数十は居たであろうアサシンを10倍以上の数でもって蹂躙し、アサシンの反撃なぞ振り払われる羽虫の如く、ヘタイロイが通り抜ける頃にはその全てを殺されていた。
「ねぇ、チャンピオン。あなたならこの固有結界を使われてもライダーを倒せる?」
「生前の俺だったら宝具の持たないサーヴァントがどれほど集まろうが勝てただろうね」
スサノオ完成体で怪獣映画に出てくる逃げ惑う人間の如く踏み潰し、山をも斬り飛ばす刀で吹き飛ばせるだろう。しかし…魔力量に不安のある今じゃ難しい。
「そうなんだ…」
「でも、この場所で戦ってやる必要は有るまい。展開されたら逃げるのみ。たとえ取り込まれたとしても出られるよ」
シルバーアーム・ザ・リッパーならこの空間も切裂けると思うし。
…なんだろう、やはりこの能力はチートだね。ドニが弱くなると言っていた意味が何となく分かるよ。便利すぎてすぐに頼っちゃうんだ。
「………ほんと、チャンピオンって」
それ以上はイリヤは言わなかったが、ほんと、何?何て言おうとしたのだろうか。
ライダーが結界を解くとそこは一歩も動いていないアインツベルンの中庭だった。
アサシンの襲撃と言う望まぬ来訪者の訪れで、何となく解散ムードへと以降した。セイバーはライダーにまだ言いたい事がある様だが、ライダーは請合わず、ウェイバーを連れて戦車で帰っていってしまった。
ギルガメッシュも折角の余興が興醒めしたと踵を返すと、残されたのは俺とイリヤ、セイバーとアイリスフィールの四人だ。
と言うか、ライダー!もしかして俺達の事忘れて無いか?
ライダーに置いて行かれた俺はとりあえず、ギルガメッシュから貰った食器やら調理器具を勇者の道具袋に突っ込むとイリヤの側まで寄る。
「色々あって聞くのが後回しになっちゃたけれど、アリアはマスターなの?それにチャンピオンって?八騎目のサーヴァントの存在なんておかしいわ」
ようやく聖杯戦争参加者としての最低限の思考を取り戻したようで、イレギュラーである俺達の情報を今更ながらに得ようとアイリスフィールはイリヤに問い詰めた。
「それは教えられない事もあるけど、少しは答えて上げられるわ。とりあえずチャンピオン、コーヒーをもう一杯お願い」
ライダーの突飛の行動の所為ではあったが、母親との邂逅は別れがたいのか、イリヤはもうしばらく此処に居るようだ。
ギルガメッシュが居なくなった事により、テーブルと椅子は宝物庫に収納されたのか光の粒子となって消えてしまったので、俺が出したテーブルへと移動し、ポットからコーヒーを注ぐ。ついでにアイリスフィールのカップにも注いだ。
セイバーはまだ悶々としているのでスルー。
テーブルと椅子は消えてしまったが、使っていた食器は地面に置いて有ったので、先に言った様に食器の関係は俺にくれると言う事なのだろう。何ともしっかり王様なやつである。そこの所を少し見直した。もっと下を顧みない奴なのだと思っていたのだが、そうでも無いようだ。
二人とも一口コーヒーを啜った後、アイリスフィールが口を開いた。
「それじゃ確認なのだけど、あなたはアインツベルンのホムンクルスよね?」
「うん。わたしは確かにアインツベルンのホムンクルスよ」
アイリスフィールの質問に答えるイリヤ。
「それじゃそこに居るチャンピオンはあなたのサーヴァントなの?」
「うん。チャンピオンって凄いでしょう。何でも出来ちゃうの」
「ええ、凄いわね。まさかあれほどの料理を食べれるとは思って無かったわ」
「でしょう」
自分の事のように喜ぶイリヤ。まぁ悪い気はしないけど。
「あなたはどうやってサーヴァントを召喚したの?サーヴァントは全部で七騎のはずよ。それにイレギュラークラスのようだし…」
「うーん…それには答えられないわ。ただ、今回の聖杯戦争で呼ばれたサーヴァントじゃないと言う事だけは確かね」
そりゃそうだ。俺達は第五次聖杯戦争で召喚されたサーヴァントだからね。
「そう、アハトのお爺様が何かしたのね。サーヴァントの召喚なんて聖杯の力が無ければ無理だと言うのに。いえ、その維持すら普通なら不可能のはず…」
アインツベルンのホムンクルス=当主の手駒と解釈したのだろう。それは俺達の世界も間違いではなかったが、イレギュラーすぎて期待もされていなかったはずだ。
「それで、当主はなんてあなたに命令しているのかしら?私達を援護しろとでもおっしゃられたのかしら?」
「?わたしは誰の指図も受けて無いわ」
「え?じゃあ、なんであなたは聖杯戦争に参加しようとしたの」
「え?わたしは聖杯戦争に参加なんてして無いわ」
「は?サーヴァントを従えてこの冬木市に居るとなればあなたも聖杯を求めてやってきたのよね?」
「わたし達がここに居るのはただの事故よ。聖杯なんて要らないわ」
「え?」
イリヤの言っている事にまったくの嘘は無い。しかし無いからこそ相手には意味が通じないのだろう。
「そんな事はどうでもいいでしょう。それよりもわたしはあなたのお話が聞きたいの。ねぇ何かお話を聞かせて」
「え?私の?あの、でも、ホムンクルスである私にそんなに面白い話は…」
「それじゃこの冬木に来てからの事で良いの。何か面白い事は無かった?」
「そうね…私は生まれて始めて外に出たのだけど…」
と前置きをしてから語られたアイリスフィールの話はこんな人が大勢居る所に来た事は初めてで酔いそうになった、とか。潮の匂いに潮騒の音、海の水は冷たかったけれど気持ちよかったとか、些細な物だった。しかし、それはイリヤの知らないアイリスフィールの物語だった。
時間にすれば30分。それだけあれば彼女の物語は尽きてしまう。それはきっと悲しい事なのだろう。少し前のイリヤもそうであったのだが、彼女は少し前のイリヤそのものだろうか。
そろそろ時刻も良い頃合だ。イリヤがあくびをかみ殺している。
「名残惜しいけれど、そろそろわたしは帰るわ」
「そう。ねぇ本当に貴方は聖杯戦争の参加者では無いの?」
「うん。それじゃ、またね…お母様…」
最後の言葉は口から漏れる事は無いほどに小さく虚空に消え、イリヤは踵を返す。
俺は彼女を抱きかかえると夜の空へと飛び去り、ライダーが始めた突拍子も無いこの宴会は今度こそ終了した。
衛宮邸へと戻り凛と合流すると、何やら手伝って欲しい事があるとの事。
詳しく内容を聞くと間桐家に引き取られた妹の桜を助け出すのを手伝って欲しいらしい。
と言うか、桜って凛の妹だったのか…
そして凛の口から話される桜の現実は確かに憐憫をさそう。が、しかし…
対価を何にするかとか、魔術師的なあれやこれやを話す凛。しかしそれははどうでもいい。
そう、どうでもいいのだ。
「俺は今はサーヴァントで、マスターであるイリヤの盾であり剣であり、純粋な力だ。だからイリヤが許可したのなら凛に手を貸すのも良いだろう」
「うん?だったら何が問題なの?チャンピオン」
「俺はね、使い方を間違わなければ確かに多くの命を救う力を持っているだろう」
「うん」
「だけど、生前、俺が助けた人間は片手の指で数えられるほどしかいない」
「え?」
「何でよっ?」
俺の言葉に耳を疑うイリヤと凛。
いや、国を守ると言う役割で多くの命を救った事も有るかもしれないが…そう言う事ではなく。
「全てを平等に救うなんて不可能だとか、救った分だけ救われなかった人たちに恨まれるとかそう言う面倒も有るけれど…俺はね、助けた人の人生に責任が持てない場合は助けない事にしているんだよ」
俺の言葉に意味が分からないとでも言いたげなイリヤ。
「そうだな…凛、桜を助けると言う事はどういう事だと思う?」
「そりゃ、桜を間桐の家から連れ出して、それで…」
「それで?彼女は理由が有って間桐に養子に出されたのだろう?確かに凛の父親の選択は間違っていたかもしれない。しかし、連れ出した桜を遠坂の家に帰せるのか?帰せば全てうまくいくのか?たぶん不可能だと思う。桜を連れ出した事が間桐と遠坂の確執となって両家を苛むだろうし、それで桜が救われるかどうかも分からない」
「あっ…」
「確かに救ったと、自分の心は満たされる。しかし、それは余りにも無責任だ。桜を救い出すと言う事はその後に待ち受ける面倒ごと全てを請け負うと言う事。それが出来ないのなら…いや、何でもない。口が過ぎたな。これは君達が選択して選ぶものだった」
しまった…説教はしないが俺の信条だったのに…
「チャンピオンの言う事ももっともだわ。表面上救ってもらっても、それは救いじゃない。いいえ、救いではあるのでしょうけれど、それによって生じた不利益を人任せにしてしまっているもの。…少し考えてみる。考えて、あなたの納得がいく答が出たのなら、手伝ってもらえないかしら?」
「俺はイリヤのサーヴァントだ。イリヤの了承があれば手伝うくらいはするよ」
そう言うと凛は少し距離を取った。一人で考えたいのだろう。
「結局チャンピオンは何が言いたかったわけ?」
「俺はイリヤの力だ。だけど、その力を使うのはイリヤの意思であるべきだ。ならば、行動に伴った結果の責任はおのずとイリヤにやってくるよって言う事」
「そんな事当たり前でしょう」
「そう、当たり前のことだけど、それは凄く難しい」
さて、しばらく凛は一人で考え、ようやく結論が出たらしい。
一時間ほどで戻ってきた彼女は迸るほどに鮮烈な雰囲気を纏っていた。
「桜は助け出す。これは絶対。そして私は私の意志で桜を辱めた臓硯を殺すわ。そして、桜が生きていけるように私が出来る事は全てする。この世界のあの子はまだ助けられる。なら助けるのが姉と言うものだもの」
凛は力強く宣言した。
「あの世界の桜はどうするんだ?」
「…それはあの世界にいる人でどうにかして貰う他無いわね。万が一帰れたのなら、その時考えるわ。でもそれはこの世界の桜に出来る事を全て終わってからね。そうでしょう、チャンピオン」
あらら、逆に釘を刺されちゃった。
「だから、力を貸してください。桜を助け出すにはやはり私では力不足なの…サーヴァントの力が必要不可欠なのよ」
「イリヤ?」
どうする?と、問う。
「いいわ。凛の頼みを聞いてあげて。その代わり、凛も私の頼みを一回聞く事。それが今回の対価って事にしておいてあげるわ」
「…ありがとう」
深夜の間桐邸。
「魔術師の工房を攻めるのって難しいのだろう?」
「ええ、そうね」
「何か作戦が有るのか?」
思い立ったら即行動と凛はその日の内に俺達と連れ立って間桐邸へとやってきていた。
「まさか凛ってばノープランだったの?」
イリヤが呆れていた。
「うるさいっ!ちゃんと考えているわよ。こっちには対魔力Aのチャンピオンが居るのだもの、ガーっと行ってバッと助けちゃえばいいのよ」
「つまりは全部チャンピオンに任せるってことね。リンって本当に役立たずなのね」
「う、うるさいわね。イリヤスフィールなら何か出来るって言うの?」
「わたしにはチャンピオンが居るもの。障害は全てチャンピオンが粉砕するわ」
「変わらないじゃないのっ!」
「違うわ、チャンピオンを現界させているのはわたしの魔力だもの。わたしはしっかりと働いているわ」
「コントはいいよ。魔術結界が張られているようだけれど、まぁ何とかなるだろう」
右手にソルを握り締め、シルバーアーム・ザ・リッパーを行使する。
一瞬で銀色に染まる腕。振り上げたソルを振り下ろすと、パキンと音を立てて間桐邸の結界が破壊された。
「古い家系の結界がただの一撃とはね…さすがにチャンピオンは桁が違うか…」
凛がなんか納得がいかないような表情をしているけれど、今はいいか。
「後はアテナに任せる。彼女が一番適任だから、変わるよ」
「アテナ?それもあなたの分霊のひとりね」
「まあね」
凛の呟きに答えた俺の体は縮み、銀色の髪の少女へと変じた。
◇
チャンピオンがこの間みせた銀の腕…彼が言うにはヌアダの光り輝く腕だが、その何ものをも切裂く能力で間桐の屋敷に施されていた結界は一刀の元いとも簡単に断ち切られた。
幾らサーヴァントとは言え、これだけ便利な能力を持っているサーヴァントは居まい。いや、そもそもこのチャンピオンはサーヴァントの括りを越えている。
そもそもサーヴァントは劣化した英霊の分身なのだ。特性に応じた役割を与える事で本来なら呼ぶ事も難しい英霊を降臨させ、使役する。いくらマスターが桁違いだとしてもこれはおかしい。
まぁ、元が英霊じゃなく、人間霊を平行世界から引っ張ってきたみたいだから私達の理屈は通じ無いのかもしれないけれど。
アテナに代わる。そう言ったチャンピオンの背は縮み、銀髪の少女が現れた。彼女は猫耳のような帽子を被り、服装は普通の一般の現代人の少女のそれと変わらない。
「アオの頼みゆえ、そなたらの願いを聞いてやろうよな」
「アテナね。あなたとは二回目だったかしら」
「以前は確かメドゥーサを相手にした時に出てきたのであったな」
「ええ」
ライダーとも一戦交えていたのか、イリヤスフィール達は。
「では面白い物を見せてやろう。妾の後ろに着くが良い。決して前に出るでないぞ」
何をやらかすのか、興味はあるが言われたとおりにアテナと呼ばれた少女の後ろへと移動した。
「では…」
と呟いた彼女の眼が宝石に光ったような気がした。
そして強力な魔力の迸りを肌で感じる。次の瞬間、間桐邸が一瞬で石化してしまった。
「え?」
石化の魔眼。宝石にランクされる上位の魔眼はキュベレイとも言われ、ライダーが所持していた一級の魔眼だ。
「石化の魔眼…?」
ほんのひと睨みで地面も全て石化した間桐邸をアテナは進んでいく。
いつの間にか手には大きな漆黒の鎌が握られていた。
「……あなたは何者なの…」
答を求めたわけではないが、自然と呟いてしまっていた。
「妾はアテナであると同時にメドゥーサでもある三位一体の女神である故、神格を切り替えればこの程度は容易い」
アテナと言う名前が伊達や酔狂でなく本物の神霊であったと言うのに驚きを隠せない。いや、平行世界での法則上の事で、おそらくこの世界の神霊とは定義が違うのであろうが、それで到底信じられるものではなかった。
呆然としている私を置いてアテナは大鎌を振るい入り口を破壊して中へと進む。
「置いていくぞ」
「リン、遅いわよ」
イリヤもすでにアテナの横に居た。私は置いていかれまいと駆け寄る。
「あ、待ちなさいよ」
間桐邸の中の調度品まで全て石化されているそれを横目に硬い床を踏みしめて進む。
魔術師の工房にあるトラップは全て石化し、その役目を失っていた。
しかし、間桐邸の中に淀む嫌悪感溢れる魔力の匂いは未だに濃厚に漂っていて気持ち悪い。
「ここだな」
アテナは大鎌を振るい、一見何も無いように見える壁を切裂くと、地下へと続く石段が現れた。
「うっ…」
「これは…」
そこから漏れてくる魔力の残滓は一等醜悪で、吐き気をもよおすほどだった。
全身に魔力を通し、その魔力の残滓に抗いながら石段を降りていく。
するとそこには地獄があった。
数多くの蟲がひしめくその地下室の真ん中に、蟲に嬲られている全裸の少女の姿が彫像のように石化していた。
なるほど、アテナがひと睨みでこの屋敷全ての物体を命ごと石化させたのだろう。おそらくだけど、彼女には石化を解く事も容易いからこのような凶行にも踏み切れると言う事だろう。
確かに相手を無力化することには向いていたし、敵は私達を見る前にすでに石化しているのだろう。
「…趣味の悪い。人間は此処まで醜悪になれるものなのか」
唾棄するようにアテナが言う。それは人間と言う種を侮蔑しているかのような言い方であった。
イリヤスフィールもこの光景には自然と表情が険しくなる。
「わたしも幸せじゃな方じゃないと思っていたけれど、彼女よりは幾分もましだったわ。ホムンクルスのわたしだけれど、人間のような扱いをしてくれたもの。でも彼女は逆ね。人間なのに扱いが家畜と変わらない」
私は石化した蟲の上を歩き、彫像と化した桜へと歩み寄る。
その蟲に嬲られている余りにも凄惨な桜の姿に私の体は震え、そして嗚咽が漏れる。
「ゴメンね、桜。ダメなおねえちゃんで…気付いて上げられなくてごめんなさい…」
「そこを退くがよい。その少女だけ石化を解こう」
私が退けるとアテナは桜の周りだけ石化を解いた。
「桜っ!」
私は桜を引きずり出すと群がる蟲を振り払いう。
私を犯そうと食らいつくその蟲はアテナが次々と石化させていく。
「………おねえちゃんは…だれ?」
蟲から引きずり出した桜は抑揚の無い声でそう言った。
「桜…っ!」
「後はアオの方がうまくやるだろう」
そう言ったアテナはその形を一瞬で男の姿へと変える。いつものチャンピオンの姿だ。
「ねぇ、チャンピオン。その子の事どうにか出来る?助けて上げられる?」
イリヤが彼に聞いた。
「どうにかって言われてもな。俺は医者じゃないし、精神を治す事は出来ないよ」
「そっか…」
ただ、と前置きしてからチャンピオンはとんでもない事を言う。
「無かった事には出来る」
「え?」
無かった事に出来るとはどういう意味か。
「どういう事?」
「言った通りの意味。彼女の時間を巻き戻せば、経験も思い出も消えていく。犯された体も元に戻るだろう。思い出や記憶は魂にも刻まれているから、完全とはいかないかも知れないが、まぁその大部分は覚えていないはずだ」
なるほど、確かにそれならば無かった事に出来るだろう。
桜のこの一年を無かった事にする。だが、それは桜のこの一年を否定する事だ。だが…
「お願いするわ、チャンピオン。責任は全て私が負う。…だから、桜を助けてっ」
嗚咽交じりの懇願。桜は此方を不思議そうに見つめているが、その表情はのっぺりとしていて生気を感じられない。
本当はもっと快活なはずの少女だったのだ。それを大人の勝手な思惑で失わされた。だから今回も私の勝手で彼女は変わるのだ。
チャンピオンは最後まで渋っていたが、涙を流す私に終に折れたようだ。
チャンピオンが桜の瞳を除き見ると、桜の意識が遠ざかっていった。催眠暗示系の魔術か何かだろうか。桜にかまっていた私には良く分からなかったが、チャンピオンならそれくらい簡単にやるだろう。
「ここは空気が悪い。用事も済んだのなら帰ろう」
そう言ったチャンピオンは何かの魔法陣を展開したかと思うと、一瞬で私達は衛宮邸へと転移していた。
「うそっ!」
「転移魔術…」
そう言えば以前も衛宮くんを転移させていたっけ。現代魔術師では不可能に近いそれもチャンピオンにしてみれば児戯に等しいようだ。
何ていうか、魔術師たちが持っている尊厳と言うか、プライドと言うか、いや一般人とは違うと言う優越感と言うべきかもしれない。それらがチャンピオンを前にすると全てボロボロに打ち砕かれる。
普通のサーヴァントは良い。なんだかんだでこの世界の法則で説明が付く存在だ。時間を掛ければ宝具と同じ効果を得る事は可能なのかもしれない。しかし、同じ魔力を使っているはずのチャンピオンの技術を理解しようとすればおそらく魔術の概念を捨てなければならない、そう感じてしまう。
なんと言うか、魔法っぽいけれど、SFXっぽい技術なのだ。彼らの魔法も、その武器も。…だって、彼らの武器って弾倉ついているし…放たれる魔法はビームよね。
と、脱線しそうになった思考を元に戻し、チャンピオンを見る。
チャンピオンは私から桜を抱き上げると、いつの間に持っていたのかバスタオルで彼女を包み、その右手を桜の体へと押し当てる。
すると一瞬で桜の体に変化が訪れた。
青み掛かった髪は綺麗な黒髪へと変化し、彼女の体が一回り幼くなった。おそらくチャンピオンが桜の時間を撒き戻したのだろう。
「しばらくすれば目も覚めるだろう」
そう言ったチャンピオンは私に桜を返すと用事は終わったとイリヤの所へと戻っていった。
「ありがとう、チャンピオンっ!」
「俺が出来るのはここまでだよ」
うん。後は私がやらないといけない事だ。助けると決めた。だったら最後まで助けて見せろとチャンピオンは言っているのだ。
絶対最後まで桜を助けてみせる。そう心に誓うのだった。
後書き
凛はアオの影響で勝手に暴走しているだけです。
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