ソードアート・オンライン ~無刀の冒険者~
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マザーズロザリオ編
episode4 彼女の為にできること
「……」
「……来た、か」
深夜にも関わらずに電気のついた喫茶店のドアを空ける。無言のままの俺の姿を、カウンターに座った褐色の巨漢が見やって無表情に呟いた。そこには、いつものニヤリとした微笑も、バリトンでの「いらっしゃい」もない。
あったのは、見えるか見えないかの微かな、安堵だった。
「……とりあえず、拭け。そんでちょっと座ってろ、コーヒー淹れてやる」
大判なタオルを投げつけられながら言われて、気付く。
なるほど今の姿は体の芯までぐしょぬれで、服からはぽたぽたと水滴が滴り落ちている。店の中をこんな様で動き回られては、店主としてはいい迷惑だろう。入口に一番近いカウンター席に座り、がしがしと頭をタオルで拭う。
ぼんやりと、濁った頭で思う。
いつの間にこんなに濡れたのだろう。
それすらも、俺は覚えていなかった。
「……なにがあった?」
そんな俺に、エギルが問いかける。
彼には、俺はどんなふうに見えていたのか。
「……べつに」
そこまで俺を心配してくれているエギルへ、俺は無感動に告げた。
俺は、そんなことも考えてやれないほどに、愚か者だった。
知った彼女の痛みに、自分自身の無力さに怯んで、考えることを止めてしまっていた。
「……そうか」
エギルだって、そんな俺の腑抜けた様子に十分気づいていただろう。
気づいていた、だろうに。
「……聞きたいことがあった、というのは、調べものだ。お前の情報網を使って、この国の病院で、アミュスフィアの使用が許可されている場所を探してほしい、と。もう少し言えば、使用されている時間は昼三時は絶対に使えており、夜も使えていることが多い。また、ログイン時間はかなり長く、少なくとも一年以上は経過しているところ、と」
エギルは俺の様子を聞き返そうとはしなかった。代わりに告げられたのは、こんな時間に電話をかけてきたその理由。おそらく相当の急ぎだったのだということは分かっていたが、それは。
その理由は。
「……っ、それは、誰からっ!?」
「キリトだ。一秒でも早く、調べて欲しい、と言われてな」
俺のそれと、全く同一のものだった。
(……あいつ……辿り着いたのか……!?)
数少ない『絶剣』の情報から、俺と同じ結論を持ち、その先へと。
あの天才的な直感とゲーム勘をもつ、あの『黒の剣士』が。
そして、あの男は、俺にはない、アドバンテージがある。
あの男の、キリトの隣には当然……『閃光』がいる。
(アスナなら……)
彼女なら。
俺には何も出来なくても、彼女なら。
リュウさんから貰ったユウキの詳細を書かれた紙は、まだ俺の手にしっかりと握られていた。
雨で冷たく濡れた印刷紙が、その時の俺には妙に温かく、脈打つように感じた。
◆
既に八割がた飛びかけていた意識を必死に繋ぎとめながら、俺はエギルと二人でその情報を整理した。どこまでであれば知らせて大丈夫なのか、どうすればアスナとユウキを会わせてやれるかを検討し続けた。
議論は深夜を軽く回る時間まで続いた。
それでも、俺とエギルの間に妥協などはありえなかった。
「分かった。アミュスフィアとは違う、新しい医療用の機械、『メディキュボイド』の使用者、か。これなら確かにユウキの可能性は高いな。場所は……『横浜港北総合病院』、か。臨床試験中の機械なんてそうそう一般には知られないからな……」
「……まあ、場所と、『メディキュボイド』使用者、っていうくらいでユウキのところまでは辿りつけるはずだ。俺の持ってるこの資料は完全に違法な手で入手したもんだから、知られたらマズい。さっきの二つなら、調べれば一般人でも分かるはずだしな」
結論に達したのは、もう夜の三時。
全てを終えて、眠気と疲労のピークが過ぎ去った頃。
店を後にする俺への、最後の会話は。
「全部任せて、お前は裏方だけですむと思うなよ? 人間はな、いつかは主役をやることになるんだよ。たとえ望まなくってもな。お前だって、向かい合わなきゃあなんねえ。アスナともリズベットとも……そして、キリトとも、だ」
「……ああ」
「お前もいい加減に認めろ。お前だって、一人の『勇者』だ、ってな」
予言めいた、重々しい言葉。
その言葉はまさに予言よろしく、この後の展開を言い当てることになったのだが。
◆
ユウキは、再びALOに復帰した。
以前と変わらぬ笑顔で現れた彼女は多くのプレイヤー達に祝福された。それは辻デュエルで六十人以上を斬ってのけた彼女の強さもその要因だろうが、やはりなによりも、そこにあるだけで人を幸せにする様な笑みの力が大きかったのだろう。
集まったメンバーでの突発的な迷宮攻略が成功して第二十八層のボスが討伐されたと聞いた時は流石に驚いたが、よくよく考えればあのメンツは『スリーピング・ナイツ』に加えてアスナやユージーン、そしてなによりあのキリトがいるのだ。ほぼ初見でボスが倒されたとしても、不思議は無いのかもしれない。
その攻略の後で彼女らが「二十九層もワンパーティーで撃破する」と言っていたと聞いた時は、柄にもなく嬉しかった。これが俺が彼女にしてあげられる最後の助けになることが分かったし、まだ俺が彼女にしてあげられることが遺されているということだったからだ。
そして、最後に。
その森の家での大パーティーには当然『シド』も呼ばれた。
しかし今回も、俺はいかなかった。
決めていたから。
あいつに最初に会ったら、何をするか。
だから俺は、あののどかな森の家に行くわけには、いかなかったのだ。
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