ニュルンベルグのマイスタージンガー
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第三幕その十四
第三幕その十四
「こうしたことは内密にしておくに限りますから」
「ええ。ではそういうことで」
「ただしです」
ここでザックスは咎めるような顔になって述べてきた。
「御注意を」
「注意とは?」
「この歌は難しい曲ですぞ」
「ほう、そうなのですか」
だがベックメッサーはそれを聞いても平気な顔であった。
「この歌が」
「ですからよく稽古をされてよい旋律を身に着けて下さい」
「ああ、それなら大丈夫です」
しかしベックメッサーはこう言われても涼しい顔をしていた。
「貴方は確かに素晴らしい歌詞を作られます」
「それは有り難うございます」
「ですが旋律にかけては」
彼は言うのだった。
「私以上の者はいません」
「それは確かにそうですが」
「それは貴方も御存知の筈です」
胸を張って告げるのだった。
「私はマイスタージンガー随一の旋律の作り手ですぞ。ですからこれに関してはです」
「問題ないと」
「その通り。私はマイスタージンガーの歌のあらゆる旋律を知っております」
この辺りの知識と教養には絶対の自信があるのだった。
「これについては誰にも負けませんよ」
「つまりこれまでの旋律ならばということですね」
「その通り。あの無鉄砲な騎士殿」
ヴァルターのことであるのは言うまでもない。
「あのような歌ではいけないのです。ですからまあ見ていて下さい」
「見事歌いきられるというのですね」
「その通り」
また胸を張って宣言さえした。
「綴りも韻も言葉や節も」
「全て問題ないのですね」
「その通り」
気取りは続く。
「私はです。旋律には絶対の自信がありますから」
「まあそこまで仰るのなら」
ザックスも内心ではわかっていたがここではあえて頷くのだった。
「私から言うことは」
「はい。ではこれは有り難く受け取っておきます。そして」
「そして?」
「この御礼は忘れません」
彼はまたザックスに言う。
「決して。今度の記録係の試験には貴方に一票入れますので」
「それはどうも」
「ではそういうことで。それではまた」
恭しく一礼してそのうえで上機嫌でザックスの家を後にする。ザックスはそんな彼を見送ってそのうえで首を傾げつつ言うのだった。
「正直その歌は今までの旋律では歌えないのだが。まあいい」
彼はまた言う。
「これで話はやりやすくなった。おや」
「親方、おはようございます」
ベックメッサーと入れ替わりにエヴァが来た。そうしてザックスに対して頭を垂れてそのうえで一礼するのであった。
「いい朝ですね」
「そうだね。何といい朝なんだろうか」
これまでの考える顔を消してにこやかに笑ってエヴァに挨拶をかえした。
「朝からそんな美人を見るとはね」
「お世辞は止めて」
こうは言っても顔は微笑んでいた。
「私はそんな」
「いやいや、その服も靴も」
普段のとは違っていた。輝くばかりの白衣であり金や銀の装飾や模様がその服のあちこちにある。そして靴もザックスが特別に作った白い可愛らしい靴である。
「見事なものだよ」
「そうなの。そんなに」
「うん。あらためておはよう」
この言葉は忘れてはいなかった。
「そんなに奇麗だと若い者も年寄りも皆目を奪われてしまうよ」
「それはいいけれど」
しかしそれを聞いてもエヴァの顔は今一つ明るくはなかった。
「けれど靴が当たって痛みを感じるのは誰もわかってはくれないわ」
「しまった、それは私の失態だ」
エヴァの今の言葉を聞いて慌てて言うザックスだった。
「その靴は。これはすまない」
「立っていると歩きたくなるけれど歩くと立ち止まりたくなるの」
「どういうことだい、それは」
それを聞いてもわからないふりをしながらまた言うザックスだった。
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