カーボンフェイス
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第一章 バブルキット
これはもう最低の週末だ。-------デイビット・チャーマーズは書類をデスクにたたきつけた。デスクに散らばった書類は一応整理されているのだろうが、その内容から、とても仕事が順調とは言えなかった。キングストンでの保安官勤務といえば、ネコを木から助けるか、せいぜい万引き犯をしょっぴくことだったし本人もそれを望んでここに移動してきた。もちろん、それは表通りの話だ。が、今のこの状況はデイビットが望んでいるものとはほど遠かった。
「どうかしてる!これで4人目だ!!どうなってるんだ!」
いっそ一杯ひっかけたいところだったが、それができない職務中の保安官は5杯目のコーヒーのお替りをしに席を立った。結婚してから4年、幸せ太りというのだろう、デイビットのお腹にも保安官に相応しい貫禄が付き、妻にはよく笑われたものだ。今ではシートベルトを止めるのも難儀するようになり、もっぱらコーラを控えコーヒーや妻に進められた漢方やハーブなんかが入った紅茶を飲んでいる。自分のブースから細い通路をなんとか抜け、コーヒーをくみに行くため、廊下を歩きながら彼はリストに再度目を通した。
「ホームレスが1人、アレン・シーファス、ボブ・キャメロック、サラ・リットウィル」
リストにのっているのはここ一か月で確認された死亡者の名前だったが、本来であれば表通りでは無縁のギャングやゴロツキ共だ。そして、この死亡者全員には共通点があった。もちろん、表通りの人間ではない、それのほかに、被害者には全員「顔」がなかったのだ。
丹念に顔を焼き切られており、服装や所持品がなければ本人の特定は難しかった。それ故に、ホームレスの身元は依然不明、残りの3人も特定ではなく、あくまで現段階での暫定的なところだった。
所持品を物色した形跡もなく同じ手口で殺害をしている以上、犯人は物取りや複数犯である可能性は薄い-----
「ただの愉快犯か・・・?」
彼はつぶやいた。
このキングストン保安官事務所に男が来たのは1か月ほど前だった。なんでも町から町を移動している物売りとかで滞在する間の営業許可の申請に来たのだと言う。だが、もちろんこれは偽りの申請だ。本来の内容はほんの数日の間、裏路地に面した通りの見回りを緩めてほしい、というものだった。
「どこの街でも一定の需要はあるもんでして。へへ、こいつでどうかお願いできませんかねェ?」
派手なジャケットの懐からドル札の束をデイビットに握らせ、自らをバブルキットの名乗る男は言った。赤と青のまだら模様に王室の装飾を思わせる金の留め具、さらにはきついショッキングピンクの革靴を履いている、小柄なアジア系のどこか狡猾な風貌な男だった。デイビットはアジアには行ったことはなかったが、向こうにはこういう男で溢れているのかと思うと改めて、旅行に行こうとは思わなかった。なんでも彼はドラックをとびっきりの安価で裏路地の連中に売りさばいているらしい。
「あまり目立った動きはしないでくれよ、さっさと売ってさっさと出て行く、いいな?ただでさえ、お前のような服のセンスの男はこの街じゃ浮くんだぜ?」
デイビットは札束を受け取るとあたりを見回し短く言った。デイビット自身、この手の取引は初めてではない。むしろこの保安官事務所自体が裏路地やこういった商売とは切っても切れない関係だった。裏路地で起きたトラブルは裏路地で解決させる、そのかわり保安官は金を受け取りそれを黙認する。この関係で街の治安は守られていた。今回の事件で問題なのはそこだった。本来、裏路地で解決すべきところであるこの連続殺人事件の死体は、すべて表通りに晒されていたのだ。そうなると保安官は動かないわけにはいかない、表通りの治安を守るのが保安官の務めだ。
そのことで、デイビットは頭を痛めていた。少なくとも、こういう形で死体を晒す以上裏路地のルールに従う者、スザナの傘下ではないことになる。彼女の傘下であればこのようにスザナに弓を射るようなことをするはずがない、できるはずがない。彼女はイカれてる。敵に回すとどんな目に合うかわからない、そして、それはデイビットや他の保安官にとっても同じだった。
「デイブ!ちょっと来てくれ!」
コーヒーに丹念にガムシロップ垂らしていたデイビットは声の方を振り返った。
息を切らせ彼を呼びかけたのはすっかり馴染みの同じ保安官、ケビン・コーファックだ。
すらっとした中年の保安官助手は今まさにデイビットが口に運ぼうとしていたコーヒーを一瞥し顔をしかめた。
「おいおいデイブ、お前、かみさんに言われてダイエット始めたんじゃなかったのか?こんなもん飲んでるくらいだったらまだダイエットコーク飲んでる方がましだぜ。」
「ダイエットコークはもう試したよ、そのあと体重が5ポンド増えた。」
「なに、本当か?隣のベティがダイエットコークは糖分が入ってないから手を洗ってもサラサラだ、って言ってたぞ。」
もちろん、彼女もお世辞にも痩せてるとは言えんがな、と彼はつけたしデイビットの腹をまじまじと見るのだった。ケビン・コーファックはデイビットとは対照的な男でいわゆるエリート組と呼ばれる男だった。州の警察署に所属し上の腐った体質に意見をしてこの保安官事務所にとばされるまでは。彼は極端に真面目な男だった、もちろんユーモアはあるしかたくなに頑固というわけでもない。ただ、彼は極端に悪を憎み、不正を決して許さなかった。
「デイビット、5人目の被害者だ。手口は同じ、顔を焼き切られてる。ここからそんなに遠くない場所だ、行って現場付近を確認しよう。」
さっぱりとした短髪に聡明な顔つき、おまけにパリッとした制服。すべてが彼の性格を物語っていた。ここ件に関してはあまり操作に乗り気ではないデイビットだがケビンにこう言われては行かないわけにはいかない。
「火に油を注がなきゃいいんだけどな。」
デイビットはポケットをまさぐり車のキーを探しながら意味ありげにウィンクした。
保安官事務所から3マイルほどしたグヴェン雑貨屋の前が今回の現場だった。大柄の警官が立ち入り禁止の黄色いテープをあたりに張り巡らせている。5度目ということもあり近隣の住民たちもざわざわといろんな噂話をしているのだろう、野次馬はどんどん増えていった。
「通してくれ!保安官だぞ、道を開けて!」
横をふと見ると応援の警察官が雑貨屋の店主に話を聞いているところだった。そうとう困惑してるのだろう、視点が定まっていない。デイビットはこの店主とも面識があった。なんどかドラッグの所持を金と引き換えに見逃している。念のため数日間、隣の州の警察署で保護されるという話の様だが、普段目立たないように暮らしていた店主もこのような形で警察の厄介になるとは思いもしなかっただろう。
「あぁ、デイビット。見てくれこれ、酷い臭いだ。」
先にテープをくぐり現場に入っていたケビンが言った。
たしかに酷い臭いだ。どの現場でもそうなのだが人を焼く臭いというのはどうにも受け付けないものがある、しばらくバーベキューはできないな、デイビットは思った。
テープを跨いですぐのところに被害者はいた。雑貨屋のドアのすぐ隣で上半身を起こし、壁にもたれかかるような姿勢で置かれていたようだった。ぐったりとしたその死体は前の4人と同じで顔が丹念に焼き切られている。
デイビットは青ざめた。その顔のありさまを見たからではない、この被害者を俺は知っている。その男の言葉が何度も頭にこだました。
「こいつでどうかお願いできませんかねェ?こいつでどうかお願いできませんかねェ?」
血と焦げで黒ずんではいたが赤と青のまだら模様のジャケットに王室の金の留め具が皮肉のように煌めいてた。もう、この男に狡猾さはない。細くいけ好かない目があった場所にはぽっかり二つの穴が開いている。この焼け焦げた顔の無残な死体は1か月前にデイビットと取引した男、あのバブルキットだった。
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