剣の丘に花は咲く
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第九章 双月の舞踏会
第七話 スレイプニィルの舞踏会
前書き
士郎が『真実の鏡』で変身するとしたら何になるかな?
「スレイプニィルの舞踏会?」
早朝訓練が終わり、涙目で腕に包帯を巻いているマリコルヌに士郎は聞き返す。
「そうだよ。もちろん隊長も参加するんだろ?」
「いや、その前にその『スレイプニィルの舞踏会』というのを知らないんだが?」
泥だらけで痣だらけの身体に包帯を巻き終えたマリコルヌが、よいしょと立ち上がると首を傾げた。
「ああそっか、隊長は知らないよね。スレイプニィルの舞踏会っていうのは、この間入学してきた新入生の歓迎会のことだよ」
「ああ、初めて見る顔が増えたと思っていたら、新入生だったのか」
「そうそう、で、新入生はまだ社交界を経験してない女の子ばかりだからね。ぼくたち先輩がこれを手とり足取り教えてあげるのだよ」
同じように一人で器用に包帯を巻き終えたギーシュが立ち上がると、にやにやといやらしい笑いを浮かべる。
士郎との訓練は厳しく。ギーシュたちが自由に魔法を使える代わりに、士郎が振るわれる木刀は寸止めされることなく容赦なく身体を叩いていた。もちろん士郎なりに手加減はしているが、それは大怪我をしない程度の手加減であり、当たれば青痣が必ずといっていいほど出来てしまう。一度の訓練で、全員もれなくボコボコにされるため、今となっては皆、ある程度までなら一人で治療できるようになっていた。
「あまり派手にやると、またモンモランシーからお仕置きされるぞ」
「うっ、だ、大丈夫だよ。彼女はぼくに惚れているからね。う、浮気も男の甲斐性と言うし」
「この間浮気がバレて治療してもらえなくなったと泣きついていたのは何処の誰だったか」
ギーシュの恋人であるモンモランシーは水の使い手であるため、痣程度なら直ぐに治すことは可能である。事実少し前までなら、ギーシュは訓練を終える毎にモンモランシーの元まで飛んでいき、治療をしてもらっていた。モンモランシーも治療代をもらうわよ等と言いながら、何処か嬉しそうに治療していたところを士郎は何度か見かけたことがある。しかし、最近何時もの如くギーシュの浮気がバレてしまったようで、モンモランシーから治療を拒否られているため、今は一人寂しく自分で治療する羽目になっていた。士郎の記憶では、モンモランシー以外の水の使い手の女の子とも仲が良かった筈だが、ギーシュにその子に治療してもらおうという様子は見えない。そんなギーシュが何処か微笑ましく、士郎は今度それとなくモンモランシーにそのことを伝えようかと考えていたが、
「もう少し様子を見るか」
あまり応えていないようなので、もう少し様子を見ることにした。
「こ、今回は大丈夫さ。スレイプニィルはただの舞踏会じゃないからね」
「ただの舞踏会じゃない? 何だ馬に乗って参加でもするのか?」
「馬? 何を言っているんだいシロウ? 仮装するんだよか・そ・う」
士郎の言葉に訝しげな顔をしたギーシュだったが、直ぐにふふんっと鼻を鳴らすと、得意げに胸を張った。
「仮装パーティーか、珍しいがそこまで言う程のことか?」
「それが『ただの』仮装パーティーじゃないんだよ。魔法を使って仮装する仮装パーティーなんだよ」
「ほう。魔法を使用した仮装パーティーか。それなら確かにただの舞踏会ではないな」
士郎が頷いていると、横からマリコルヌが割り込んでくる。
「ふふふしかもその仮装は、『真実の鏡』と言われるマジックアイテムを使用するんだがね、その人の一番憧れているものに化けることが出来るんだよっ! ああっ一体ぼくは何に変わるのかッ!! 憧れ……ぼくが憧れるのは美しい少女。もしかしてぼくは美少女にかわ―――ふぐ!」
おっほおおおおおッ! と身体を抱きしめながら奇声を上げるマリコルヌを強制的に黙らせた士郎は、地面に転がるソレを無視して腕を組む。
憧れの人か……、俺なら誰になるんだ?
憧れ……セイバー? いや、じいさんとか……。いやもしかして……あの人の可能性も。
眉間に皺を寄せ考える士郎であったが、次々と浮かぶ人物の中に自分とよく似た背中が見えた気がした瞬間顔を大きく横に振った。
「別に仮装しなければいけないというわけでもないんだろ?」
「え? あ、ああ。絶対と言うわけではないと聞いているけど。シロウは仮装しないのかい?」
「ああ。ま、参加するかもまだ決めてないしな」
ギーシュの返事に士郎が頷いていると、先程から会話に参加してこないレイナールたちが目に入った。
「何の話をしているんだ?」
既に治療を終えた残りの騎士隊員であるレイナールとギムリが、顔を寄せ合って何やら話していることに気付いた士郎が問いかける。
「え? あ、隊長。いえこの間叔父に会った時に聞いた、最近宮中で噂になっている巨大な『影』について話していたところです」
「巨大な『影』?」
「はい。夜間の哨戒にあたっていた竜騎士の一人が見たそうです。竜が怖がって近づけなかったそうで、その正体は全く分からないようですが、百メイルを超える大きさで、奇妙な音が聞こえたとその竜騎士は証言したそうです」
眼鏡のつるを指先で押し上げながらレイナールが答えると、隣のギムリが指を立てて口を開いた。
「それでその正体について話し合ってたんです」
「で、結論は出たのか?」
「いえ、それが全く。伝説の巨大竜にしては竜種とは羽の形が全く違うそうですし、船にしては翼がある船なんて聞いたこともない。大方雲か何かを見間違えたんじゃないかとぼくは思うんですが」
レイナールとギムリが唸り声を上げながら腕を組み首を傾げる。
士郎はそんな二人を笑いながら見下ろす。
レイナールとギムリとは、士郎が騎士になる前は全くと言っていいほど接点はなかったが、厳しい入隊試験に合格したとこから最近は毎日のように顔を合わせるようになっていた。
眼鏡を掛けた細身の少年であるレイナールは、若いながらもアルビオン戦役の混乱する退却の中、部隊を纏め上げることの出来る冷静沈着なところを持って士郎の入隊試験に挑み。逆に筋肉質な身体と豪快な性格の持ち主であるギムリは、その肉体の頑健さをもってして何とか入隊試験に挑んだ。
最初は全く気乗りしていなかった士郎だったが、最近は我武者羅にかかってくるギーシュたちの相手をすることを悪くないと感じ始めていた。
今も訓練後の痛みを紛らわすように、話している彼らの姿を見ていると、自然と笑みが浮かんでくる。
「授業には遅れるなよ」
ギーシュたちの返事を背に歩き出した士郎の前に、ルイズよりも小さな身体の青い髪を持つ少女が大きな杖を手に立っていた。
「俺に何か用か?」
問いに、タバサは士郎の後ろで何やら笑っているギーシュ達に視線を向けた。
「何時まで騎士ごっこを続けるつもり」
タバサの冷たい声に、士郎は肩を竦めた。
「そう言うな。まともな訓練を初めてまだ間がない。形になるのはまだまだ先のことだ」
「敵は待ってくれない」
返事があったことに士郎は軽く目を見張ったが、後ろで騒いでいるギーシュたちをチラリと肩ごしに見た後、苦笑を浮かべた。
「入隊させた責任は取る。一人前になるまではどんな奴らからでも俺が守るさ」
「無理」
士郎の目が驚きに丸くなる。
今日のタバサはどうやら相当機嫌がいいのか、それとも悪いのか……。士郎は苦笑を浮かべた顔で尋ねる。
「何で無理なんだ?」
「この世界には、決して勝つことの出来ない存在がいるから」
「それでも守るさ」
「それに、彼らもある程度は覚悟して騎士隊に入っている。あなたに守ってもらう必要はないはず」
「ま、確かにそうだろうな」
「分かっているなら何故?」
タバサの顔が上がり、士郎の目を真っ直ぐに見る。
その冷たい凍った湖のような瞳の奥に、揺れ動くものを感じる士郎。
怒り……悲しみ……苛立ち……どれも違うような……。
内心首を傾げながらも士郎は苦笑いを浮かべた顔で首を竦ませ、直ぐにタバサへ返事を返す。
「そういう性分でな」
「……長生きできない」
「よく言われる」
笑って頷く士郎にタバサは背中を向けると、
「……あなたは甘すぎる」
最後にポツリと一言呟くと歩き出した。
パタンと扉が閉まる音を背に、部屋の中に入ったタバサは、直ぐに部屋に侵入している存在に気が付いた。
驚きもなく見つめる先には、机の上に乗って自分をジッと見つめるカラスの姿。部屋の窓は閉まっている。何処から入ってきたのかと首を傾げたタバサの前で、そのカラスは左右に割れた。
だが、二つに割れたと言うにも関わらず、机の上に倒れるカラスからは血の一滴も流れない。
机に近づいたタバサは、その理由を知る。
カラスはカラスでも、それはどうやら精巧に作られた模型であったようだ。二つに分かれたそのカラスの模型の中は空洞であり、タバサはそこに一枚の手紙を見つけた。
送り主は分かっている。
今日のようにガーゴイルというのは初めてだが、ガリア王家からの密書であると。
窓から差し込む朝日で手紙に目を通すうちに、タバサの顔が微かに動く。
手紙に書かれていたのは、呼び出しの文章でもなければ指令でもなく、トリスタニアのとある酒場の名前が書かれていた。
その日の夜。
タバサは自身の使い魔であるシルフィードの背に乗ってトリスタニアまで向かった。
夜の闇に対抗するように明かりが灯る場所の上空からシルフィードから降りたタバサは、ゆっくりとレビテーションで地上に降り立つ。夜に明かりが灯る場所は少ない。夜番をする王宮の兵士以外では、いまタバサがいる歓楽街ぐらいだろう。タバサが降り立った場所は、トリスタニアにいくつかある歓楽街の一つであった。
素面であれば、一目で貴族と分かる者に声をかける者はいないだろうが、酒の勢いとタバサの小柄な体つきに、通りを歩く酔っぱらいが口々にからかいの声を上げる。
タバサは酔っぱらいの声が聞こえないかのように通りを歩き、指定された酒場に向かう。
指定された酒場は、通りの中で見た中では、小奇麗な印象を受ける店であった。店に入ろうとする者の中には、下級だろう貴族や騎士と思われる者たちの姿も見える。そんな中に混ざるように店に入ったタバサは、ジロジロと不躾な視線を受けながら黙ってカウンターに向かう。
「貴族の子供が来るような場所じゃありませんぜ。大事になる前に帰っちゃ如何ですかい」
カウンターに座ると、店の主人と思われる男が脅すようにギロリとタバサを睨みつける。しかし、タバサは軽く首を横に振るだけで席を離れようとはしない。
「魔法にいくら自信があったとしても、ここいらにゃあ魔法が使えるゴロツキもすくなくねえ。怪我しないうちに帰んな」
忠告とも脅しともつかない言葉を、睨みつけながら店主が口にした時、
「ご忠告ありがとうございます。でもこの子は心配されなくても大丈夫ですわ」
ローブを深く被った女が何時の間にかタバサの背後に立っていた。
店主はまるで湧いて出てきたかのような女の姿にビクリと背を震わせると、長年の勘から危険だと判断し黙ってその場から離れていく。
「お待たせしました。北花壇騎士タバサ殿」
フードの奥に見える口を笑みの形にした女は、タバサの隣に座ると小さく頭を下げた。
タバサも返事として小さく頷くと、ポツリと口を開く。
「何故」
たった一言であるが、フードを被る女はその質問の意味を正確に受け取った。
「ここが任務の舞台ですから、手間を省いたのよ」
スッとタバサの目が細まる。
タバサの警戒を感じたのか、女は楽しげに口元に浮かべた笑みを深めると、深く被ったフードを微かにずらした。
ずれたフードの中に見える顔を、もしこの場にルイズがいれば驚愕の声を上げていただろう。店内の明かりに照らされ光る黒髪の間には、ルーン文字が走っていた。
神の頭脳ミョズニルトン。
士郎と同じ虚無の使い魔の一人がここにいた。
「あなたとわたしの主である御方はね、今あるゲームをしようとしているの。この世界にたった四匹しかいない竜。その竜同士を戦わせるというゲーム。だけどね、その内の一匹にはとても手強い騎士がいて、主さまはそれを何とかしたい。だから、あなたにはその騎士をやっつけてもらいたいの。あなたが相手をしているうちに、わたしはその騎士の弱点でもある竜を手に入れる」
「騎士を倒せばいいだけ?」
「そう、あなたも知っているんじゃないかしら? 最近随分と有名になっているようだしね」
ミョズニルトンが取り出した一枚の紙をタバサの見せた。
その紙に描かれた人物と名前を見たタバサの身体が揺れる。
ガタンっ! と椅子が大きな音を響かせた。
「騎士は手強いから、この任務を成功させれば、主さまはあなたに特別な報酬を与えると言っていたわ」
動揺が隠せないタバサを、ニヤニヤとした笑みが浮かべた口で見下ろすミョズニルトン。
「あなたの母親、あなたを守るため毒をあおって今、心を病んでいるそうね……その心を取り戻す薬よ」
その言葉による反応は劇的であった。雪風と呼ばれる少女の瞳から、凍てついた氷の矢のような視線がミョズニルトンに向かって飛ぶ。あまりの怒りと憎しみのため、震えさえ収まっていた。
「母親の心を取り戻したければ―――」
ミョズニルトンはその赤い唇をぺろりと舌で舐め濡らすと、笑みの形に歪ませた。
「―――エミヤシロウを殺しなさい」
時は流れ、スレイプニィルの舞踏会が開かれる虚無の曜日。
魔法学院の生徒たちは、間もなく始まる舞踏会に期待を胸に膨らませていた。朝食の席で、生徒たちは近くの者と誰に仮装するかという話で笑い合っている。
そんな周りの声を聞きながら、士郎が朝食を取っていると、
「シロウ、食事が終わったらわたしの部屋に来て」
「ん? どうかしたか?」
テーブルを挟んだ向かいに座るルイズが話しかけてきた。
「今日のスレイプニィルの舞踏会のことで少し話があるのよ」
「わかった」
「じゃ、わたし先に行っているから、直ぐに来てね」
士郎の返事を聞いたルイズは、椅子から立ち上がり自分の部屋に向かって歩き出した。
「ルイズ、待たせたか」
「ううん。丁度みんな来たところよ」
「は? みんな?」
士郎が部屋の中に入ると、そこには部屋の主であるルイズを含めた四人の女性の姿があった。
「…………」
「何帰ろうとしてるのよ!」
「いや、つい」
開けた扉を黙って閉じようと士郎だったが、ルイズの怒声に止められる。
「ついって……まあ、気持ちは分からないでもないけど、別に獲って食いやしないよ」
「いや、こう勢揃いされると流石にな」
士郎が部屋に入り頭を掻くと、カトレアが頬を手を添えて笑い声を上げた
「あら? とっても楽しいですわよ」
「「「「…………」」」」
シンっと一瞬静まり返った部屋の中で、カトレアの小首かこてりと傾げる。
「あ~……まあ、いい。で、話って一体何だ?」
「ちょっとスレイプニィルの舞踏会についてね」
ルイズのベッドに腰を下ろしたキュルケが、その長い足を組みながら士郎に笑い掛けた。
「シロウはスレイプニィルの舞踏会についてどれくらい知っているんだい?」
「マジックアイテムで変身した理想の人物の姿で参加する舞踏会ってぐらいだな」
ロングビルの問いに、士郎は扉の隣の壁に寄りかかった姿で返す。扉のすぐ隣にいるのは、決して直ぐに逃げられるようにするためではない……筈だ。
「まあ、その通りだね。『真実の鏡』で理想の姿で参加する仮面舞踏会、それがスレイプニィルの舞踏会。でだ、顔だけでなく姿形まで全く変わるわけだけど。それでちょっとしたゲームでもしようかと思ってね」
「ゲーム?」
嫌な予感に士郎の身体がずりっと扉に近づく。
「そう、シロウが変身したわたしたちを見つけ出すというゲームよ」
「……ほ、ほう。それは、それは……」
「何逃げようとしているんだい」
ずりずりと背中に壁をつけながら扉向かって進んでいた士郎だったが、先回りしたロングビルが扉の前に立つ。
「……そのゲーム、俺は―――」
「もちろん強制参加よ。っていうか、士郎が主役のゲームだし。士郎がいなかったら意味がないわよ」
「何で俺がそんなゲームに参加しなくちゃいけないのか、その理由を聞いてもいいか?」
諦めたように溜め息を吐いた士郎が、部屋にいるルイズたちを見回す。
最後に士郎の目に止まったルイズが、一歩前に出ると胸を張り口を開いた。
「特に理由はないわ」
「……おい」
士郎の攻めるような視線を受けたルイズは、うっと押し黙る。
ルイズの様子に軽く首を横に振った士郎は、じろりと部屋にいる全員をじろりと睨みつけた。
「で、誰が言い出したんだこれは」
「言い出したのはわたしよ。せっかくあの有名な『真実の鏡』を使って別人になるんだもの。この機会を使って何か面白いことでも出来ないかなって思ったのよ。どう? 面白そうでしょ」
ベッドの上に座るキュルケが、胸を強調するように身体を前に倒しニヤニヤとした笑みを士郎に向けた。
「お前たちだけはな……全くお前という奴は……で、もし俺が見つけられなかった場合はどうなるんだ?」
「うふふ……もちろん、お・し・お・き」
強調して出来た深い谷間から取り出した杖を左右に振りながら、キュルケがにっこりと笑みを浮かべた。目は笑っていなかったが。
「はぁ……了解。つまり別人に変装したお前たちを見つけ出せばいいんだろ。シエスタとジェシカが舞踏会の準備をしているようだから俺はちょっと手伝いに行ってくるよ」
「ちょ、ちょっとシロウ。いいの? 『真実の鏡』での変装は、変身した理想の人の姿と寸分変わらないのよ。そんな安請け合いして?」
ロングビルが避けた扉を開いた士郎の背中に、ルイズの戸惑った声がかけられる。扉の向こうに身体を半分以上隠したまま、士郎は肩ごしに振り返る。
「ま、何も難しいことじゃないからな。ルイズたちのことは良く見てるし、例えどんな姿になったとしても、直ぐに見つけ出せるさ」
何でもないことのように軽く笑うと、士郎はそのまま扉の向こうに消えていった。
士郎がいなくなった部屋の中で、最初に声を上げたのはロングビルであった。
壁に背中を預けたロングビルが、顔を隠した両手の指の隙間から苦しげな声を上げる。
「くっ……あれが意図したものじゃないから本当に困るんだよ」
真っ赤になった顔を両手で隠したロングビルが、ずるずると背中を壁につけたまま床に腰を下ろす。
「あ~……もう。あの程度で動揺するなんてわたしもまだまだね」
同じように苦々しい声を上げるキュルケは、赤く染まった顔を両手で隠しながらそのままベッドに向かって倒れる。
「ふふ……本当にシロウさんは困った人ですね。あなたも大変ねルイズ」
赤く頬を染めたカトレアが、隣で身体を細かく震わせるルイズを見下ろす。
ルイズは全身を震わせながら、真っ赤な顔で震える声を漏らした。
「っ……し、シロウの……バカ」
日が地平線と交わる頃、宝物庫から『真実の鏡』が、二階のダンスホールの入口に運び込まれた。『魔法の鏡』の周囲には、人の視線を遮るように黒いカーテンが引かれている。誰がどんな人に変わったか分からなくするためだ。
引かれたカーテンの入口には、シュヴルーズ先生が案内役として立っている。何を考えているのか、その顔には蝶の形をしたマスクを被っていた。殆んどギャグである。
「オホホ。夜の貴婦人たるわたくしが、あなたたちに一時の魔法をかけてあげましょう」
いや、ギャグにしても随分と酷い。
シュヴルーズ先生の案内にしたがって、列となった生徒たちが次々とカーテンの向こうに消えていく。ズラリと並んだ列の中には、ルイズやキュルケの姿もある。
それを確認した士郎は、先に行くとルイズたちに離れた位置からジェスチャーで伝えた後、ホールに向かって歩き出した。
「ほう。これは確かに凄いな」
ホールには、様々な人物で溢れていた。この世界の有名人なのだろうか、同じ姿をした人物を何人も見かける。それに見た目の年齢層が高い。親や兄弟なのだろうか。
中には顔見知りの姿もあったが、確実に本人ではないだろう。自分の姿をその中に見つけた時には、流石に何か気恥ずかしくなったが、士郎は飲み物を片手にホールの中を見て回る。
暫らくホールの中を散策していると、生徒たちが全員集まったのか、壇上の上にオスマン氏が登り始めた。
「ふむ。どうやら皆そろったようじゃな。では皆の者。改めて挨拶じゃ」
壇上の上でオスマン氏が開催の前の挨拶を語っている。内容は普段のおちゃらけを感じさせないしっかりとしたもので、含蓄のあるものばかりであった。事実、オスマン氏の言葉に顔を頷かせていたり関心の声を上げる生徒たちの姿も見かけられる。真剣に話に聞き入っていた生徒たちであったが、オスマン氏があることを口にした瞬間から周囲を見渡しそわそわと身体を動かし始めた。
それは、女王陛下であるアンリエッタがこのスレイプニィルの舞踏会に出席しているといったものだ。
ざわつく生徒たちをにこやかに見下ろしていたオスマン氏は、こほんと一つ咳をすると、両手を広げてスレイプニィルの舞踏会の開催を宣言する。
万雷の拍手を受けたオスマン氏は、真面目な顔のまま壇上から降りると、そのまま出入り口に向かって歩き出した。
拍手の音がまばらになる頃、オスマン氏が出て行った出入り口から殆んど紐としか言いようのない服? を着た女性が現れる。女性はホールに集まる者の呆然とした視線を受けたまま、そのまま壇上に上がると、胸の下で腕を組み、両腕を持ち上げるようにして胸を強調するポーズをとった。
「オスマ―――っごはっ!!」
瞬間、オスマン氏が変身した女性の額に、何処からか飛んできた竹刀が突き刺さった。
壇上から吹き飛び床を転がるオスマン氏の足を掴んだ教師の一人が、無言でホールの外まで引きずっていく。
「わ、わしの、じんせいに、いっぺん、のく、いなし」
引きずらえながらも片手を上げ親指を立てるオスマン氏に、生徒たちは氷のような冷たい視線を投げかける。
パタンっと扉が閉まる音がホールに響き渡り、それを合図にしたよにホール全体がざわつき始めた。
そんな奇妙な開催の合図で、スレイプニィルの舞踏会は始まった。
さて、スレイプニィルの舞踏会と言うが、士郎にとってまずしなければいけないことがある。
この仮装集団の中から四人の人物を見つけ出すというものだ。
魔法により全くの別人に変わっているため、一件不可能に見える話だが、士郎にとってはそう難しい問題ではなかった。例えどんな姿に変わったとしても、その人物がもつ独特の気配や歩き方、仕草まで完全に別人になるわけではないため、普通の人には分からない微妙な違いを見抜く士郎にとって、その正体を看破することは難しくはない。
その証拠に、士郎は僅かな時間でキュルケ、カトレア、ロングビルを見つけ出していた。
参考に、それぞれが変身した姿は、キュルケはアンリエッタで、ロングビルは士郎が見たことのない金髪の線の細い美女の姿であった。金髪の美女に変身したロングビルは、帽子を深く被っており、また、その顔立ちに何処か見覚えがある気がした士郎が、薄々その正体に気が付きながらも聞いてみると、予想通りその正体はティファニアの母親の姿であった。
見つかったキュルケたちは一瞬驚いた顔を見せた後、みんな嬉しそうに笑い一曲踊ると直ぐに離れていく。どうやら全員が見つかるまでは一緒にいられないとのことだ。
宣言した通り比較的容易に士郎は別人に変身したキュルケたちを見つけたが、その中で最も簡単に見つかったのはカトレアであった。何故ならば、カトレアは変身することなくそのままの姿でパーティーに参加していたからだ。話を聞いてみると、どうやら真実の鏡を使用しても変身できなかったということらしい。
別段ナルシストというわけでもないカトレアが変身出来なかった理由については、士郎は何となく察していた。
多分、と言うか間違いなく『大典太光世』によるものだろう。士郎の忠告通り、カトレアは常に渡された『大典太光世』を所持している。そのため、一級品の守刀である『大典太光世』の力が、『真実の鏡』の魔法の力を寄せ付けなかったのだろう。
とは言え、そのことを説明してしまうと、カトレアにかぎってはないとは思うが、『魔法の鏡』で変身するために『大典太光世』を一時手放すかもしれない可能性があったからだ。士郎はその可能性があることから、残念がるカトレアに事情を説明することが出来なかった。
ここ最近、カトレアと話をすることが多く、触れる機会が多くなったことから、彼女の身体の不調の原因がただの強弱体質ではないようだと分かってきたことからも、なおさら事情を説明することが出来ない。この原因を完全に解明するには、魔術師でない自分では荷が重いと士郎は理解していた。この世界に、凛がいれば別だったのかもしれないが……。
何も出来ない自分を不甲斐なく思いながら、士郎はせめて楽しませようと努力したかいもあって、離れる頃にはカトレアは満面の笑みを浮かべていた。
……後が色々と怖いが……。
そして今、色々あった士郎の胸の中には一人の女性の姿があった。
「そう、みんな見つかったの」
「ああ。ルイズで最後だ」
同じ桃色の髪を持つ、しかし背が高く優しげな空気を身にまとった姿は、ルイズとは違う。ルイズが変身したのは姉のカトレアであった。
「ふ~ん……わたしが最後……か。でも、本当にそうなのかな?」
曲が終わり士郎の胸から離れたカトレアの姿のルイズは、背中に両手を組んだ姿でくるりとホールを見渡す。
「あと一人残っているんじゃない?」
パチリとウインクしたルイズが、士郎に背中を向け歩き出していく。
一人残された士郎が、顎に手を当てルイズと同じようにぐるりとホールを見回した。
「ふむ、どうやらルイズの言う通りのようだな」
ある一点でピタリと視線が止まると、士郎はゆっくりと目的に向かって歩き出した。
「お嬢さま。お一つ如何でしょうか」
「えっ?」
聞き覚えがある声に、アンリエッタは顔を上げる。
視線の先には、アンリエッタの予想通りの人物の姿あった。グラスを両手に持った士郎の姿をした人物が、右手に持ったグラスを差し出してきている。一瞬顔に喜色が浮かびそうになったが、直ぐに、それを打ち消してアンリエッタは小さく笑うと差し出されたグラスを受け取った。
「ありがとうございます。ところであなたは?」
「ふむ。そんなに俺の顔は見ないうちに変わったかなアン?」
「ッ!! シロウさ―――んむ!?」
顔を撫でて笑いながら士郎が口にした最後の部分を耳にしたアンリエッタが、咄嗟に大声を上げそうになったが、咄嗟に口を抑えられ大事には至ることはなかった。
「し、シロウさんですか? 『真実の鏡』を利用していないのですか?」
「ああ。アンリエッタはルイズに変わったのか」
「ええ。見ての通りです」
口を抑える士郎の手をゆっくりと外したアンリエッタは、赤くなった顔で自分の身体を見下ろす。その身体は何時もの自分の体ではなく、一番の友人のものであった。
「ここは騒がしいな。ベランダに行かないか?」
「え? あ、はい」
「こっちだ」
士郎はアンリエッタの手を取ると、すいすいと人の隙間を縫うように歩きベランダへと向かう。
どうやら運がいいことにベランダを利用するものはおらず、貸切状態であった。
士郎はアンリエッタの手を放すと身体を回し向かい合う。
「少しは気晴らしになっているか?」
「え?」
向かい合ったまま、暫くの間じっと黙り込んでいた二人だったが、最初に口火を切ったのは士郎だった。恥ずかしげに顔を伏せたルイズの姿のアンリエッタに士郎は笑いながら話しかける。
「そう、ですね。楽しませていただいています」
「ふむ、だがそう言う割には、あまり元気がないな。この前から調子が良くなさそうだったが、本当に大丈夫か?」
ルイズに変身したアンリエッタの身長に合わせるように、士郎が膝を曲げる。
「……心配していただいてありがとうございます。でも、本当に大丈夫ですよ。わたくしは―――」
「ほれ」
「だいふょ、ってなにひゅるんへすか?」
士郎の視線を真っ直ぐに受け止めアンリエッタは優しく微笑む。しかし、士郎はそんなアンリエッタの頬を両手で左右にうにょんと引っ張り、浮かんだ笑みを崩した。
突然の士郎の行動に、アンリエッタは顔を白黒させながら、微かに赤くなった頬を両手で押さえ戸惑った声を上げる。
「何処が大丈夫だ。分からないとでも思っているのか」
「……すみません」
士郎は何処か非難するような視線をアンリエッタに向ける。士郎の視線を受けたアンリエッタは一瞬目を見開いた後、目を伏せた。
「あ、と、その、責めているわけじゃないんだ。だから、そんなに落ち込むな」
「え、あ、はい」
顔を伏せたアンリエッタの様子に慌てた士郎が、慌てて肩を掴み声を上げる。アンリエッタは士郎の慌てた様子に一瞬目を丸くすると、今度はくすっと小さな笑みを浮かべた。
「シロウさんには、分かってしまうんですね」
「まあ、無理しているのは分かるな」
士郎の声を聞きながら、身体をくるりと回しアンリエッタは空を見上げる。空には二つの月と無数の星が眩く輝いていた。あまりの輝きに眩んだかのように、星を見上げる目を細めたアンリエッタは、士郎に背を向けた格好で独り言を呟くように口を開らく。
「確かに、最近仕事が忙しくて休む暇がなくて疲れが溜まっているようです……と言って信じてくれますか?」
「疲れが溜まっているのは確かなようだが……それだけじゃないだろ」
士郎の言葉を受け、ゆっくりと振り向くアンリエッタ。
ルイズに変身したアンリエッタのはしばみ色の瞳が、星の輝きを受けきらきらと光っている。しかし、その輝きの奥、瞳の奥に、士郎は粘りつくような疲労を見た。
それは身体のではなく、心の疲労。
理由は……予想はつく。
「なあ……アンはルイズが羨ましいのか?」
「……そう、ですね。わたくしは、あの子が羨ましい……何にも縛られず、自由に、思うがまま振る舞う……わたくしとは全く違う……あの子が……」
ぽつりぽつりと呟くように話しながら、アンリエッタは夜空に手を伸ばす。空の果て、決して届かない遥か天空に輝く星を掴むかのように。
「あの子は……わたくしとは全く違う……わたくしと違って……自分を信じ、それに従う力と意思がある……もし、わたくしに彼女の十分の一でも勇気があれば―――」
「―――あの戦争は起きなかった、と」
アンリエッタの言葉を受け継ぐように、士郎が言葉を紡ぐ。アンリエッタは空に伸ばしていた手を握り締めると、それを胸元に引き寄せる。手のひらを広げ、そこに何もないのを確かめると、ゆっくりと士郎に顔を向けた。
その笑っているような、泣いているような顔を……。
「ねえ、シロウさん……復讐に目が眩み、戦争を起こし……わたくしは一体何人殺したのでしょうか……一体どれだけの涙を流させたのでしょうか……」
「…………」
「……いったい……どれだけのかなしみを……にくしみを……うんだのでしょうか……」
アンリエッタの瞳が潤み、星の輝きを反射させ、まるで星空がそこに生まれたかのようだ。だが生まれた星空は、頬を伝い、あご先で珠となり、どんどんと溢れ落ちていく。
流れる涙は止まることがなく、まるで無限に湧き出るかのようで……。
泣きながら笑うアンリエッタの士郎を見つめる瞳は、空に輝く満天の星空にも負けない輝きを放ちながらも、何処か空虚な闇をたたえている。
まるで、とめどなく流れる涙とともに、大切な何かを流しているかのようだった。
だから、士郎は―――
「……わたくしは……いったい……どうすれば―――」
―――ふわりと……抱きしめる。
「―――まったく」
鋼の如き強靭な両腕をもって、まるでガラス細工の芸術品を抱くように。
「お前は背負いすぎだ」
小さな華奢な身体を包み込むように、守るように胸に抱き寄せる。
「見えないふりも出来るだろうに……あれもこれもと……確かにそれは立派なことで、大切なことだ……だけどな、そればかりに気を取られすぎるな」
胸元に引き寄せた頭を優しく撫でながら、士郎は幼い子供に言い聞かせるように優しく語りかける。
「他にも……あるだろう。アンに出来ることが……アンにしか出来ないことが……」
自分の胸元でアンリエッタの涙を受け止めながら、士郎は夜空を見上げる。
視線の先、夜空に浮かぶ無数の星が光を放つ中、特に強い輝きを放つ二つの大きな月が世界を照らしていた。
「皆の前に立ち、道を示すことが……この世界の月のように……夜を、皆が歩む先を照らすことが、な」
胸元で、びくりとアンリエッタの身体が弾み。
「……むり……ですよ」
声が……溢れる。
「わたくし、なんかが―――」
弱々しい、今にも消え入りそうな声。
「なんか、何て言うな」
ギュッと、抱きしめる。
続く言葉を言わせないように。
「急がなくてもいい。まだ、始まったばかりだろ」
胸元に抱き寄せた頭を撫でる。
優しく……優しく……。
「出来ないことが多くても当たり前だ、結果が出なくても仕方がない、それに、アンは綺麗だからな、やっかみもしょうがない」
ギュッと、胸を掴む手に力が入ったのを感じた。
応えるように、ポンッと、頭を軽く叩く。
「それでも不安なら、周りに助けを求めたらいい」
ゆっくりと、優しくアンリエッタを胸元から離す。肩に置いた手をゆっくりと伸ばし終えると、俯いたアンリエッタの頬に微かに残る涙の後を指先で拭う。
「言っただろ。この世界の月のようにってな。夜を照らしているのは、月だけじゃない。小さな星の一つ一つが夜の闇を照らし出している」
顎に当てた指をそっと持ち上げ、アンリエッタの顔を上げる。
「そんな星に覚えはないか?」
士郎の視線とアンリエッタの視線が交わるが、直ぐに顔を逸らされてしまう。
「……なくは……ない……です」
士郎の言葉を受け、アンリエッタの頭を過ぎったのは、自分を王と認め支え、助けてくれる人たちのこと。
枢機卿のマザリーニや銃士隊のアニエスの他にも……最近力を貸してくれる人が増えてきた。流石に、純粋な好意で自分を助けてくれているとは考えてはいないが、それでも……わたくしのために力を貸してくれている。
だけど……
「……では……あなたは……なん、ですか?」
士郎の胸元を握り締め、アンリエッタは潤んだ瞳で見つめてくる。
「シロウさんは……この夜空に輝く星の……一つ……なのですか」
縋るように切ない声を上げるアンリエッタは、士郎の身体に回した腕に力を込める。
まるで万力で締め付けるかのような力強さは、アンリエッタの不安を表しているようであった。
「それは……俺が決めることではないな」
身体に回されたアンリエッタの腕の力は、息苦しさを感じる程だが、士郎は全くそんな様子を見せずに優しい笑みを浮かべたまま。
「あの……それは……」
どういうことですか? と続く言葉を、
「アンは忘れたのか? 俺の誓いを……」
士郎は口を開くことで止めた。
「ちか……い……?」
その言葉の意味が一瞬分からずアンリエッタの顔に疑問が過ぎるが、次の瞬間。
「ッッ!!」
ボンッ! と音を立ててアンリエッタの顔が真っ赤に染まった。
「あ、あのっ! そのっ! そ、それはっ! ッ! ッッ」
脳裏に蘇るのは、雨が降る中、トリスタニアの安宿で士郎と過ごしたあの夜のこと。
まるで獣のように唇を求めあった時間を……。
「……何か別の事を思い出していないか……」
真っ赤に染まった顔でわたわたと口を開けたり閉じたりするアンリエッタに、士郎がぼそりと呟く。
「ッッ! ち、ちがっ! っぅう……その……すみません」
怯えたように赤く染まった顔を伏せて震えるアンリエッタに、士郎はジト目を悪戯っぽいものに変え、肩を竦めてみせた。
「で、結局アンは覚えているのか」
「ッッ! は、ハイッ!! も、もちろん覚えていますッ!! …………忘れるはずが……ありません。しかし、今のわたくしにあの誓いを受ける資か―――」
士郎の言葉に勢いよく顔を上げたアンリエッタだが、直ぐに肩を落として顔を下げ、悲しげに震える声を口にしたが、
「だったら、いい。誓いは守る」
士郎の真剣な声がそれを遮り、
「お願いはちゃんと聞いてやっただろ。なら、今度はちゃんと信じてくれるよな」
ふっと、優しく微笑んだ。
士郎とアンリエッタがベランダに移動したころ、ホールの入口に立つ衛士の一人が、ローブを深く被った女性を目に止めた。
女性の背格好からして生徒には見えず、女性の教師にしても、ローブから覗く黒髪を持った者はいない。衛士は手に持った槍を握り直すと、近づいてくる女性に声をかけた。
「すみませんが、何か御用でしょうか?」
「あら失礼。こちらで開かれている舞踏会に用がありまして」
「用? 出席者でしょうか? 招待状か御名をいただけれ―――」
衛士は油断なく女性を見つめる。衛士の視線を受けながら、女性は懐から小さな鐘を取り出すと目の前に掲げた。
「ん? 鐘? いや、まて、それはまさかっ!?」
女性が掲げた鐘を、よく見ようと細めた目で見つめていた衛士の目が見開かられる。
衛士には女性が掲げた鐘に覚えがあった。以前宝物庫の警備をしていた際、偶然目にしたそれは―――。
「眠りのか……ね……」
槍を女性に向けようとしたところで、衛士は力尽きたように前のめりに倒れた。
辺りに透き通った音が響く中、女性は鐘を振る手を止めると、倒れ伏し寝息を立てる衛士に近付いていく。衛士が完全に眠りに落ちていることを確かめた女は、歩を進ませカーテンをくぐる。カーテンをくぐった先には、魔法の明かりに照らし出された大きな鏡の姿があった。
女は大きな鏡―――『真実の鏡』の前に立つと、目を閉じそっとそれに触れる。
魔法の明かりに満ちた中に、女性が被るフードの奥から新たな光が漏れ出すとともに、目の前の『真実の鏡』も光りだす。
女性は口元を釣り上げると、ゆっくりと目を開き、
「さあ、わたし達の舞踏会を始めましょうか」
ぼそりと呟いた。
「あれ? おかしいわね。まだ舞踏会は終わっていない筈なんだけど」
目の前で一斉に人が姿を変えるのを見て、ルイズは戸惑った声を上げる。全体的に身長が低くなったことから、元の姿に戻ったのだろうと思い、ルイズは自分の身体を見下ろすと、やはり同じように元の姿に戻っていた。
教師も戸惑った声を上げていることから、どうやら原因は分かっていないようだ。
混乱した声が辺りで上がる中、ルイズはホールを見渡してみるが、何処にもアンリエッタの姿はない。魔法の効果が切れた今、アンリエッタがいれば直ぐに分かりそうだが、そう言った様子がないということは、ホールにいないということだ。
キョロキョロとルイズがホールを見渡していると、
「あの、すみません」
「え?」
後ろから声をかけられた。
振り返ると、そこにはマントの色からして一年生だろうか、地味な風貌の少女が立っていた。
「その、女王陛下がお呼びです」
「え、陛下が? どういうこと?」
「実はさきほど女王陛下にお会いしまして、ミス・ヴァリエールを呼んできてくれと頼まれたのです。本塔の外でお待ちです」
「外? ……わかったわ。ありがとう」
「いいえ。どういたしまして」
少女に礼を言うと、ルイズは外へ向かうため走り出した。
外で、と言うことは何か周りに聞かれたら困ることでも話すのだろうかと考えながら、ルイズはホールを飛び出す。
アンリエッタが自分に話をしたい……このタイミングで話をするとなれば、その内容は限られている。
「やっぱり……シロウのことかな」
胸に過ぎる小さな痛みに顔を微かに歪め、ルイズは足の動きをほんの少し鈍らせた。
ルイズが開いたホールの扉が閉まる寸前、扉は内側から伸びた小さな手によってその動きを止めた。
先程ルイズに声をかけた一年生の少女だ。
少女は、扉の隙間に身体をすべり込ませると、手を離す。
支えを失った扉は静かに閉じる。
内と外を完全に遮る間際、扉に出来た隙間に覗いた姿は、何時の間にか少女ではなく―――ローブを纏った女性の姿に変わっていた。
後書き
感想ご指摘お願いします。
第九章は後2話で終わりの予定です。(エピローグを含めず)
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