銀河英雄伝説~その海賊は銀河を駆け抜ける
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外伝その1 薔薇園にて
統一暦 01年 1月 15日 オーディン 新無憂宮 カルステン・キア
「親っさん、凄いですね、この薔薇園。俺、こんな凄いの見たことが有りませんよ」
俺が言うとウルマンとルーデルが頷いた。ヴァイトリングとヴェーネルトはまだ目の前に広がる薔薇園の花に見惚れている。大丈夫かな、こいつら。まあ金髪に特別許可を貰って見せて貰っているだけの事は有るな、間違いなく眼福だよ、これは。
「この薔薇園の薔薇は先々帝フリードリヒ四世陛下が丹精して育てたものです。先々帝陛下の唯一の趣味でしたからね」
「へえ、酒飲むのと女遊びしか興味が無いのかと思ってましたけど」
親っさんが笑い出した。
「キア、今だから許されますがゴールデンバウム王朝が続いていたら不敬罪で捕まっていますよ、その発言は」
「いや、俺だって馬鹿じゃありません。旧王朝が続いていたらそんな事は言いませんよ」
言うはずが無い、社会秩序維持局に捕まるのは御免だ。
「いや、分からんね。そうだろう、ルーデル」
「同感だ、キアは口が軽い。皇帝陛下を金髪と呼ぶくらいだからな」
ルーデルとウルマンが笑っている、酷い奴だ。ヴァイトリングとヴェーネルトは必死に笑うのを堪えていた。酷い奴、予備軍だな。お前らだって陰じゃ金髪って呼んでるじゃないか。
今日は金髪、いや新帝ラインハルト・フォン・ローエングラム陛下の戴冠式が黒真珠の間で行われた。俺達は控室で式典を見ていたけど親っさんがスクリーンに映った時にはウォーって叫んだぜ。戴冠式の最前列でエル・ファシル公爵ヤン・ウェンリーと親っさんが並んでいたんだ。凄いや、並み居る貴族、文武の重臣を押さえて海賊黒姫の頭領が最前列に並んだんだからな!
そして戴冠式の終了間際、親っさんが前に出て片膝を着くと金髪に祝辞を述べた後、ヴァンフリート星系を祝いの品として献上したいと言ったんだ。あの時は式の参加者がどよめいたぜ。俺達は知っていたけど皆は知らなかったんだな。金髪は満足そうだった、周囲を見渡してから“黒姫一家からの祝いの品、有難く頂こう。ヴァンフリート星系は今帝国領になった”と宣言した。
一瞬の沈黙の後、黒真珠の間で“ジーク・カイザー・ラインハルト、ジーク・ライヒ”って声が上がったよ、凄い騒ぎだったぜ。スクリーンからも黒真珠の間の熱気が伝わって来る感じだった。少ししてから金髪が手を振って騒ぎを鎮めた。
そして“黒姫の頭領、卿がこれまで予に示してくれた厚意に対する感謝は言葉では表せぬ。予からの感謝を受け取って欲しい、ヴァンフリート星域を黒姫一家に改めて与える”って言ったんだ。また黒真珠の間がどよめいたぜ。俺達も控室で大騒ぎだった、分かっていたけどな。
親っさんが“新帝陛下に我らの忠誠を。黒姫一家はこれからも陛下に忠誠を尽くす事を誓います”って言うと黒真珠の間はシンと静まった。金髪は満足そうだったな、“うむ、頭領の言葉、嬉しく思う”なんて言ってたから。まあ戴冠式の最大の見せ場だろう。
俺が戴冠式を思い出していると
「不幸な方でしたね、フリードリヒ四世陛下は」
と親っさんが呟いた。ちょっと驚いた、そんなこと考えた事は無かったからな。親っさんは薔薇の花を見ている。
「不幸、なのですか、皇帝が?」
ルーデルが問い掛けると親っさんが頷いた。
「不幸だと思いますよ、酒に溺れる事も出来ず女に溺れる事も出来なかった。行きつくところはこの薔薇園だったのですから、どんな想いで薔薇を育てていたのか……」
親っさんの表情は寂しげだった。同情しているのかな、フリードリヒ四世に。俺なんてフリードリヒ四世には反発しか感じないけど……。ウルマン達に視線を向けたけど皆困ったような表情をしている。多分皆俺と同じ想いだろう。
「親っさん、戴冠式でグリューネワルト伯爵夫人を見ましたけど凄く綺麗な人ですね。俺、あんな綺麗な人見たことないですよ」
「ホント、あんな綺麗な人見た事有りませんや。キルヒアイス提督は婚約したんでしょう、羨ましいですよ」
「親っさんが伯爵夫人を説得したからな」
俺が話を変えるとウルマン、ルーデルがそれに続いた。ホント、羨ましいぜ。
伯爵夫人は最初は赤毛と結婚するのは嫌がったらしい。正確に言うと赤毛の事は嫌いじゃなかったらしいが結婚する気は無かったそうだ。皇帝の寵姫だったからな、遠慮が有ったんだろう。そいつを金髪に頼まれて親っさんが説得したってわけだ。金髪も伯爵夫人の事が気になっていたようだな、親っさんが説得したと報告した時は随分と喜んでいた。
「親っさん、この薔薇園ですけどどうなるんでしょう、フェザーンに遷都したら」
ヴァイトリングが尋ねると親っさんはちょっと首を傾げた。
「多分このままでしょうね、持って行くわけにもいかないでしょうから。誰かが管理する事になると思いますが……」
そうか……、このままか……。遷都したら人も少なくなる、誰も鑑賞しないなんて勿体ないな。せっかく綺麗に咲いているのに……。
「辺境にも欲しいですね、こういう美しい場所が。薔薇園とは限りませんが人の心を癒す、或いは感動させる場所が欲しいと思います」
親っさんが薔薇の花を見詰めながら呟いた。親っさん、俺と似たような事を考えていたんだ。ちょっと嬉しくなった。
「作りましょうか」
親っさんの言葉に“えっ”と思った。俺だけじゃない、皆親っさんを見ている。
「辺境も少しずつですが豊かになりました。仕事以外にも人々が目を向ける場所が有って良い。植物園、動物園、遊園地、体育館、競技場、映画館、美術館、博物館……。皆の生活を豊かにするだけではなく周辺宙域からの観光客を集められれば……」
本気かな、親っさん。
「経済での交流だけじゃなく人の交流も図れるかもしれない。平和が来たと実感できるかも……」
「ですが、人が来るでしょうか?」
ヴァイトリングが恐る恐る問い掛けた。そうだよな、そんな簡単に人が来るのかな?
「そうですね、……新婚旅行の場所として宣伝しましょうか」
「新婚旅行?」
皆で声に出してしまったよ。でも親っさんは全然気にする様子も無い。楽しそうに笑みを浮かべている。
「立派なリゾートホテルを建てれば結構来るでしょう、女性は宿泊場所には煩いですからね。そしてホテルを起点に色んな場所を観光してもらう。イゼルローン回廊まで船を出して観光させても良い。我々の艦の残骸の整理作業を見て貰いそれからイゼルローン要塞を外から見て貰う。肉眼で要塞を見られるんです、結構人気が出ると思いますよ。イゼルローン要塞をバックに記念写真を取るのも良いでしょう。それに我々の仕事を知ってもらう事にもなる。うん、観光ビジネスか、平和になったのだから悪くないですね」
はあ、なるほどなあ。案外って言ったら失礼だけど上手く行くかもしれないな。俺もアンナに黒姫一家の仕事の現場を見て貰えたら嬉しい。イゼルローン要塞か、あれを奪回したのも黒姫一家だ、俺は参加していないが作戦の説明ぐらいは出来るな。うん、良いかもしれない。皆も楽しそうな顔をしている、上手く行くと思ってるんだろう。
そのまま皆で薔薇を見ながらホテルはどんなホテルが良いかとか遊園地だったら乗り物は何が欲しいかとかで盛り上がっているとヴェーネルトが訝しげな声を上げた。
「親っさん、こっちに人が来ます。四人、いや五人かな、敵意は無いようですが」
俺達も入口の方を見た。確かに人が来る。ゆっくりと無造作に歩いてくるからヴェーネルトの言う通り敵意は無さそうだ。新無憂宮の中だし問題は無いと思うが油断は出来ない、じっと眼を凝らして近付いてくる連中を見た。
「心配は要りません、あれはエル・ファシル公爵とその取り巻きでしょう」
答えを出したのは親っさんだった。なるほど、確かに先頭に居る若い黒髪の男はエル・ファシル公爵、ヤン・ウェンリーだ。軍人としては有名な男だけど意外に優男だな。ちょっと親っさんに似ているところが有る。近づいてきたエル・ファシル公爵に親っさんが声をかけた。
「美しい薔薇園ですね、公爵閣下」
「……」
おいおい、なんで親っさんを睨んでるんだよ、公爵閣下。親っさんは知らぬ振りで薔薇の花を見ている。
「君は私を騙したな」
公爵が低い声で話しかけた。拙い、こいつは怒っているぜ。それにしても騙した? 親っさん、何したんだろう。皆も困惑した様な表情をしている。親っさんが薔薇の花から公爵へと視線を移した。拙いよ、親っさん、ニコニコしている。
「騙したと言いますと?」
「私にエル・ファシルに行ってレベロ議長の選挙の応援をしろと嘘を吐いた。本当は最初から私をエル・ファシル公爵にするつもりだったんだろう」
あらら、そういう事? そうだったの?
「嘘じゃ有りません、本当に最初はレベロ議長を公爵にするつもりだったんです。そうでしょう、レベロ補佐官」
「まあ、そうだな」
親っさんが声をかけるとエル・ファシル公爵の取り巻きの一人が曖昧に頷いた。なるほど、公爵に気を取られて気付かなかったけれど良く見ればレベロ議長だぜ。
「しかし上手く行かないと分かったので公爵閣下にお願いしようという事になったのです。ただ公爵になってくれと言っても嫌がるのは分かっていましたからね、説明を分担したのですよ」
「……分担?」
公爵は喰い付きそうな目で見ている。
「私が前半を説明してレベロ補佐官が後半を説明するという事です。嘘は吐いていませんよ」
公爵がレベロ補佐官に視線を向けると補佐官が肩を竦めた。公爵が腹立たしそうにまた親っさんを睨んだ。
「結局は私を嵌めたんだろう、君は」
まあ、そうだろうな。ルーデルやウルマンも困った顔をしている。
「人聞きの悪い事を……」
親っさんが苦笑を浮かべた。
「事実だろう」
エル・ファシル公爵が言い募ると親っさんの苦笑が更に大きくなった。
「どうやら公爵閣下は私の所為で公爵になってしまったと非難しておいでですがエル・ファシル公爵に立候補したのは閣下御自身ですし閣下を公爵に選んだのはエル・ファシルの住人です。私を非難するのは聊か八つ当たりと言うものでその御身分に相応しい行為とは思えません」
公爵閣下がぐっと言葉に詰まった。公爵の取り巻きが必死で笑いを堪えている。忌々しそうに公爵が連中を睨んだ。親っさんってほんと良い性格してるよ。
「私は親切な人間なんです。レベロ補佐官からはこれで安心して公爵を辞められると喜ばれましたしエル・ファシル住民からも良い公爵を選ぶ事が出来たと喜ばれました。陛下も閣下を臣下に持つ事が出来て大喜びですよ。閣下をエル・ファシルへ行くようにと勧めた事は本当に良い仕事でした」
親っさん、そんな火に油注がなくても……。親っさんは嬉しそうに笑みを浮かべている。もう完全に遊び始めたな。公爵の取り巻きも呆れ顔だ。
「私を犠牲にしてかね」
「犠牲? 冗談はやめてください、一番恩恵を受けているのは公爵閣下ですよ」
「何を、馬鹿な!」
エル・ファシル公爵が吐き捨てた。駄目だよ、そんな事しちゃ。親っさんが喜んじゃうじゃないか。
「実入りの良いお仕事に就く事が出来たではありませんか。年金だって増えますから豊かな老後が保証されますよ。それに仕事なんてみんな下に押し付けているんでしょう? 閣下御自身は好きな時に紅茶を飲んで昼寝を楽しんで本を読む、まさに優雅な貴族生活ですよ」
堪えられないように笑い出したのはエル・ファシル公爵の取り巻き達だった。レベロ補佐官は腹を押さえている。公爵が顔を顰めた。驚いたな、どうやら図星かよ……。
「私が思うに閣下は生まれる場所を間違えたんです。同盟などに生れず帝国貴族の家に生まれるべきでした」
「何を馬鹿な」
公爵が抗議したけれど親っさんはまるで気に留めなかった。
「閣下は本質的に怠け者ですから家臣に殆どお任せでしょう、でも人を見る目が有るから領内統治はまずまずだったでしょうね。金のかかる趣味も無いから浪費も無いですし女癖も悪くないから後継者問題で悩む事も無い。家臣からも領民からも敬愛されたと思いますよ。それを同盟なんかに生まれるから軍人になって戦争する事になったんです」
「……」
“なるほど、確かにそうだ” 取り巻きの一人が呟くと公爵が睨んだ。でも恐れ入る様子も無い、血色の好い三十代後半の男はしきりに頷いている。
「ようやく本来の有るべき姿に戻ったんです。今はまだ慣れないので反発していますがそのうち感謝して頂けると私は思っていますよ」
「誰が君に感謝などするものか、私は君が大嫌いなんだ」
嫌いだと貶された親っさんが嬉しそうに笑い声を上げた。
「有難うございます。何とお優しいお言葉か……」
「……」
皆目が点だった。エル・ファシル公爵でさえあっけにとられる中、親っさんが言葉を続けた。
「私と閣下が仲良くすると帝国には心配する人が居るのですよ、二人で悪い事をするのではないかと。でも閣下は私を嫌いだと言ってくれましたからね、これで私達も安全です。皆、公爵閣下に御礼を言いましょう」
え? 御礼? 皆顔を見合わせたけど親っさんが“有難うございます”って言うから俺達も“有難うございます”って続けたよ。公爵の取り巻きも“有難うございます”って言った。嫌がらせかな、公爵は顔が引き攣っていた。
「よっく分かった。君がどうしようもない根性悪でロクデナシだという事が。危険視されるのも当然だろう」
だから親っさんに喧嘩売っちゃ駄目だって。ほら嬉しそうにしてるだろう。
「少し違いますね、宇宙一の根性悪でロクデナシですよ。それに危険視される要因の半分は公爵閣下、閣下の所為なんです。私は被害者ですよ」
親っさんが澄まして言うと彼方此方から笑い声が起きた。
「私は君が大っ嫌いだ! 顔も見たくない!」
笑い声が益々大きくなった。俺達も公爵閣下の取り巻きも皆が笑っている。あーあ、薔薇の花が綺麗だ、宇宙は平和だなあ……。
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