林檎の恋愛物語。

――ここに足を踏み入れたものは、決して生きては帰れない。 

　暗く湿った、森の奥。林檎たちの楽園がありました。そこにはまるで日の当たらない、暗く、陰湿な林檎の群れでした。
　怪しい黒色の虫や動物たちはいるものの、その目は赤く光っており、とてもこの世のものとは思えない。

――ここに足を踏み入れたものは、決して生きては帰れない。

　クスクス、クスクス――毒林檎たちは囁き合う。
『人間が来たわ。』『とってもおいしそうね。』『たくましい体をしているわ。』
醜い紅色の彼女らは、卑猥に舌なめずりをしながら男たちを狙っている。
　やってきたのは狩人か、山賊か。それとも名のある開拓者か。彼女らにとってそんな事はどうでもいい。十人以上の男たちがやってきた。

　彼女たちは男を誘惑するため、その時だけは体を赤くする。
その体からは香りを放つ。林檎の香が脳を麻痺させ、体の感覚をも奪うのだという。

――ここに足を踏み入れたものは、決して生きては帰れない。

　醜い紅色の彼女たち。一つの実は、一人の男に。その手によって摘み取られる。

　彼女らは気に入った男を見つけて誘惑し、誘惑に載せられた男はその実を血眼になって貪るのだった。まるで砂漠の中で見つけた一滴の雫のようなその実を。実に甘美な最期であったに違いない。しかしそれは偽りの楽。それに気づかないまま体の力は奪われる。

　男の中でただ一人、一際真っ直ぐな目をした男がいた。男は真面目で、偽りの香りに誘われもせず惑わされもしなかった。
　唯一、その心の強さを目の当たりにし、真に男に惚れた果実があった。いくらこの身が醜かろうと、彼女は男の真っ直ぐな目に惹かれていた。甘い香りに惑わされない、真っ直ぐな瞳に。

　彼女は彼を誘惑するのを躊躇した。男に真に惹かれていたため、男の身を案じたのだ。


――わが身はその名も毒林檎。食べればひとたび命を落とす。――どうか、あなただけでも生きていて。
　しかし、自分のことを見て欲しい。甘い香りも偽りの色もない、醜いこの身を見て欲しい。あなたのその手で摘まれるのなら、この身はきっと浮かばれる。毒林檎という、哀れな生を受けたこの体。
　きっと、この身は誰の手にも取られない。この、醜い色のままでは。確かにそれでいいと思っていた。なのに私は本能から、あなたに食べて欲しがってる。他の誰でもなくただあなたの手で、その口で。そうして精霊として羽ばたいてゆきたい。――他の実がそうしたように。
たとえこの身が醜かろうと、腐った紅色をしていようと、心は赤く燃えている。それは初めてで、偽りのない澄んだ心。しかしそれは初めてで、私はおどろき戸惑っている。

　どこからだか声がした。どこからか光が差し込んでいた。これは神のお慈悲なのだろうか。その眩しい声は私だけに囁いた。
「それは恋というものだよ。」
あまりの眩さに眩暈がしそう。声は続いて囁いた。
「今の機会を逃したら、もう二度と彼は現れないよ。彼は他の人のものになってしまう。」
まるで幻覚を見せられてるかのようなその光景は、私の中で黒く渦巻く。それはとても、胸が痛むように悲しかった。――彼が他の人のものに？　そう思うと憎しみの感情しか生まれなかった。


　気づけば男は目の前に。真っ直ぐな目で、本当の彼女の姿を見つめる。男はその実に手を差し伸べる。物珍しさからか、透き通った子供ような目で彼女を見つめる。
　それに対する彼女の行動は――





　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　つづく。