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その男ゼロ ~my hometown is Roanapur~

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3rd bullet 《the last days of Roanapur Ⅱ》
chapter 01 : myself
  #52 "Hänsel und Gretel "

 
前書き
連絡会の様子を知りたい?

フフ。また随分な要求だね。

で?

ちゃんと代価は用意してるんだろうね。

ほう?

情報の代価は情報で払うって。

面白いじゃないか。

まあ、入んな。

紅茶の一杯くらいご馳走してあげるよ。





 

 
【11月3日 PM 4:03】



Side ゼロ

「チャウシェスクの落とし子。それが今回の一連の事件の犯人だ」

俺がそう告げてもヨランダは特に感想は洩らさなかった。
ただ黙ってソファに座ったまま、静かに紅茶のカップを傾ける。
俺達二人だけしかいない教会の応接室は神の家たる静謐さを保ち続けていた………













Side チャウシェスクの落とし子

ねえさま?
………なあに にいさま?

今 何を考えてたの?
………特に大したことは考えてないわ にいさまは?

ぼくは………
ん?

昔の事を思い出していたよ あの頃の事を
………そう

暗かったね あそこは
そうね

狭かったね あそこは
そうね

臭かったね あそこは
そうね

塀が高かったね あそこは
そうね

何も見えなかったね あそこは
そうね

灰色の壁ばかりだったね いつも
そうね

曇ってばかりだったね いつも
そうね

みんな泣いてたね いつも
そうね

何で僕達がこんな目に遇うんだろうって話したよね いつも
そうね

お腹を空かしてたね いつも
そうね

痛くて痛くて眠れなかったね いつも
そうね

真っ赤なオシッコが止まらない夜もあったね
そうね

みんなみんな いなくなっていったね
そうね

もう顔も名前も思い出せないけどね
そうね

………
………

………………
………………

………………………
………………………

ねえさま?
なあに にいさま?

ぼくらはあと どれくらいこの街に居られるかな
………どうかしらね

あの日本人のお兄さんにまた逢えるかな
………どうかしらね

あの銀色の髪をしたお兄さんにも遭えるかな
………どうかしらね

"ゼロ" あの人にもまた会えるかな
………あえるわ きっと

………
………

………………
………………

………………………
………………………

ねえさま?
なあに にいさま?

ぼくらはずっと一緒だよね
当然よ

永遠に一緒だよね
当然よ

ぼくらは死なないよね
………たくさん命を奪ってきた私達は死なないわ

そうだよね
そうよ

そうなんだよね
そうよ

そういうことなんだよね
そうよ

ねえさま
なあに にいさま

愛しているよ
愛しているわ

永遠に生き続けよう
永遠に生き続けましょう

永遠に殺し続けよう
永遠に殺し続けましょう

永遠に奪い続けよう
永遠に奪い続けましょう

永遠に
永遠に

二人で
二人で

一緒に
一緒に

ぼくとねえさまで
私とにいさまで

………
………

………………
………………

………………………
………………………

























「ん?聞き終わったようだね。
それで感想はどうだい?
街中のマフィア共から狙われることになった今の心境ってやつはさ」

先程行われたばかりの連絡会の様子を録音したテープ。
それを聞き終わった俺に、ヨランダが声を掛けてくる。
さて、心境と言われてもな………

「ふふ。まあアンタも中々の大物に成長したじゃないか。育ててやったアタシとしても鼻が高いよ。
まさか、あの泣き虫だったおチビさん(タイニートット)がこれ程の男になるたあね。
いや、長生きもしてみるもんだ」

育ててやった、ね。
反論の台詞が三十ほど即座に涌き出て来たが、実際に俺の口から出てきたのは極めて簡潔な挨拶の言葉。
我ながら愛想がないとも思うが女相手に口で挑もうなど、かのドン・キホーテ卿でも尻込みする勝負だろう。
それが育ての親(・・・・・・)とくれば尚更だ。
まして半世紀以上も世界の裏側を見続けてきた隻眼の老シスターが相手ときては、即時全面降伏以外に採りうる選択肢はない。

まあ、俺もそれなりには成長したという事なのだろう。
目の前に座る婆さんのそれに比べれば三分の一程度の人生しか過ごしてはいないし、経験値で言えば三十分の一にも届いてはいないだろうが。

「テープは聞かせてもらった。
色々やらなきゃならない事も出来たようだ。これで失礼する」

そう告げて応接室に置かれたテーブルの上にテープが入ったままの録音機を置く。
そして、そのまま振り向いて出ていこうとしたのだが、

「まあ、そう焦る事もないだろ。たまにはゆっくりしていきなよ。
第一呑気に街をぶらつけるような状況じゃなくなってきたようじゃないか。
少しここで紅茶でも飲んで考えを纏めていったらどうだい?
どうせラグーン商会の方だって仕事なんてありゃしないんだろ。
ダッチ坊やだって怒りゃしないさ」

「………」

ダッチの名前を出されたから、という訳ではないが俺は黙ってソファに腰を落とした。
紅茶を淹れるヨランダの手元を見ながら、膝の上で両手を組む。

………正直少し焦っていたのかもしれない。
ヨランダの言う通り、俺が今街を歩くのは些か問題があるだろう。
いかんな。こういう時こそ冷静にならねば………

「まあ、こんな時こそ冷静にならなきゃいけないよ。
昔教えてやっただろ?
人間どんな時でもお茶の一杯を楽しめるくらいの心の余裕は持ってなきゃいけないって。
なに、心配する事たあ無い。
バラライカのあれは十中八九ハッタリ(ブラフ)さ。
なんせ今度の一件がそんな子供に引き起こされてたなんて、アタシですら知らなかったんだからね。
マフィアの真似事も満足に出来ない不器用な軍人くずれ共じゃ、真相になんて至れるはずはないさ」

「………」

俺は特に感想は洩らさず、黙ったまま紅茶のカップを傾ける。
事務所じゃ専らコーヒーしか飲んでいなかったせいか、中々新鮮ではあった。

「フフ。まあ、でもあの中で一人は解ってる訳だよね。今度の一連の事件の真相が。
なにしろソイツ自身が連れて来たんだろ?その"ヘンゼル"と"グレーテル"をさ」

「………」

まあ、そうなんだろうな。
だからこそあれほど動揺していたんだろう。テープ越しでもハッキリと分かる程にな。

「"ヘンゼル"と"グレーテル"
確かに聞き覚えがあるよ。そっちの世界(・・・・・・・)じゃ結構な有名人らしいね」

「………」

ローワンに調べてもらった結果は全くの俺の予想通り。

そう。

全く俺の予想通りだった。

スナッフ(殺人)ビデオってやつの市場は意外と狭いんだよね。キッズ・ポルノに比べりゃ遥かにさ。
それで出演者が双子の子供で中々の名優ときちゃあ、まあ名前も売れるってもんだよね。
だからスカウトしてきたんだろうけど、さ。
さすがにスター様は我が儘でおありのようだ。
下品なマフィア風情の言う事なんざ聞きゃしないか」

「………」

ヨランダの言葉に捕捉するならスナッフ・フィルムの需要自体は決して低くない。
が、供給する側としてはそれほど旨味のある商売ではない、らしい。

ここに来る前、『ジャックポット』でローワンの奴から雑談混じりに聞いた話では(レヴィも今回は大人しく聞いていた。意外と好奇心は旺盛なようだ)スナッフ・フィルム製作、販売には様々な問題があるのだそうだ。

一つは単純だが、"出演者"が一回限りしか出られないという点。
つまり作品の度に"俳優"を探し出して来なくてはならない訳だ。
しかも当然ながら"主演俳優"にはそれなりの華が求められる。
(まあ、双子の出演作品では彼等こそが主役なのだが)

人気があるのはやはり若く美しい女か、可愛らしい子供だとか。
いかにもホームレスといった老年男性では盛り上がりに欠けるのだそうだ。

ただ、若い女や子供では他にいくらでも使い(みち)がある。
一回限りの使い捨てにするのは躊躇われる、という場合もあるだろう。

また別の問題点として販売価格も考慮しなくてはいけない、らしい。
スナッフ・フィルムの需要は低くないとは言え、それはあくまで恐いもの見たさ故だ。
大金を投じてでも見たい、買いたいという輩はそう多いはずもない。

そこまで執着するような奴はフィルムでは満足出来ずに、自分で獲物を調達しに行くのだろうし。
或いは金に不自由してない連中ならホームパーティ(・・・・・・・・・・)でも開けばいいだけの話だ。
(映像作品と生舞台のどちらがより優れた芸術かについても、ローワンは熱く語りたがっていた。
残念ながら今回は拝聴する時間が無かったが)

こう考えてくるとスナッフ・フィルムなんてもんが良く商売として成り立つものだ。
もしくは作っている側も見ている側も、商売目的ではなく単に同好の士として趣味を共有しているだけなのだろうか。
あまり、いや全く覗き込もうとうは思わない世界だが。

「しかし成る程ねえ………
ルーマニアからやってきた子供たちだったのかい。
良くもまあ生き延びてきたもんだね。いくら一人でなかったといってもさ」

生き延びてきた。
本当に良く生き延びてこれていったものだ。

灰色の孤児院。
埃立つ薄暗いストリート。
欲と脂にまみれた豚共の屋敷。

ほんの少し。
ほんの少しだけ何かが変わっていればあの二人はこうはならなかった筈なんだ。
他の大勢の子どもたちと同じように、永遠たる天上へと招かれていた事だったろう。
そんなものがあれば。そんな場所を彼等が望んでいたとすればだが。

だがあの二人は生き延びた。生き延びてしまった。

「どうして、あの二人がそう(・・・)なってしまったか。想像する事は出来るけどね。
最初は余興のつもりだったんだろうよ。
『死にたくなかったら、お前達自身の手でコイツらを殺せ』とでも言ったんだろうさ。
ゲラゲラ笑いながらね。

子供らは必死だったろう。ただ必死で生き延びようとしたんだろう。
そうして夜を一つ、また一つと越えていったんだろう。
腐った変態共に喜ばれるように。嫌われないように。

大人は物覚えのいい子供は好きだからね。
芸を仕込むように色んな事を教えていったんだろう。
色んな殺し方を教えていったんだろう。
さぞ楽しかった事だろうさ」

「………」

俺にはあの双子に同情する資格はない。
いや、この世界に同情する資格を持つ者なんて居やしない。
なぜなら、

「同情は人を傷付ける。だから自分は彼らに同情しない。そんな風に考えてるかい?
それともこう考えているのかい?
同情なんて、単に自分の優越感を満たす為の偽善だと。
相手がとても可哀想な人間だったら自分はまだ"マシ"だと思えるから」

「………」

「アンタが今度の件でどう動くつもりかは知らないよ。
その"ヘンゼル"と"グレーテル"の二人にどんな感情を持って、どうしようとしているかも知らない。
救おうというのか。
殺そうというのか。
逃がそうというのか。
捕らえようというのか。
アタシはアンタの考えなんて知らない。
別に知ろうとも思わないね」

そこで一旦言葉を切り、カップを持ち上げるヨランダ。
俺は既に飲み干してしまい、空になったカップの底から視線を外せなかった。
ヨランダの、俺の過去の全てを知る女性の、顔を見る事がどうしても出来なかった。
これではチビ助(タイニートット)などと呼ばれてもしょうがないか………

「何だって好きにやりゃいいのさ。自分のやりたいようにね。

子供に同情した? いいじゃないか。
子供だから同情した? いいじゃないか。
悲惨な過去を持っているから同情した? いいじゃないか。

人を殺したから殺す? いいじゃないか。
街を護る為に殺す? いいじゃないか。
もう救えないから殺す? いいじゃないか。

自分の過去を想って逃がす? いいじゃないか。
バラライカの為に殺す? いいじゃないか。
"あの娘"を思い出すから逃がす? いいじゃないか。
金の為に殺す? いいじゃないか。

アンタは自由なんだ。
何をしたっていい。何もしなくたっていい。
銃振りかざして街中に飛び込んで行ったっていい。
頭抱えて布団被ってガタガタ部屋の隅で震えてたっていい。
双子の味方をしてバラライカ相手に喧嘩売ったっていい。
今すぐ張のとこまで走って、自分は犯人じゃないなんて主張したっていい。

正直アンタが羨ましいよ。
この年齢(とし)になっちゃあ、やりたくてもやれない事ってのが増えてくる。
単純に身体の問題だったり、立場だったり、商売上の事だったり………

その点アンタは良いね。"ゼロ"」

わざわざ人の名前にアクセントを付けて呼んで下さるシスターに、俺は感謝の言葉も告げられず、ただ俯き続けていた。
やはりここには来るべきではなかったか………

「"ゼロ"。
どうしてバラライカや張の奴がアンタの事を気にすると思う?
いや、あの二人だけじゃないね。
ダッチやレヴィの嬢ちゃん。あの日本人の坊やにベニー。
ラグーンの人間だけじゃない。
ロアナプラ(この街)に住んでる連中は多かれ少なかれアンタに興味を持ってる。
アンタの事を気にしてる。
それは一体何故だと思う?」

何故?
そんな事は知らない。
俺に分かる筈もない。
俺は、

「それはね………」

ドカドカと教会の床を踏み鳴らす音が応接室に響き渡ったのはその時だった。
徐々に近付いてくるその音に加え、とっくに聞き慣れてしまった女の声が俺の耳に届いたのは会話が途切れてから数瞬の後だったろうか。

「ババア!ババア!ゼロの奴は此処に来てんのか!答えろ!」

………あの様子じゃ、すぐここまでたどり着きそうだな。
室内に響き渡る相棒の声を聞きながら俺は背筋を伸ばした。
彼女の前でみっともない姿は見せたくない。
虚勢だと自覚してはいても、しないよりはマシというものだ。
婆さんの呆れ混じりの視線を頬に感じながら、俺はレヴィが部屋のドアを開けるのを待っていた………












 
 

 
後書き
ニコラエ・チャウシェク(NicolaeCeaușescu、1918年1月26日-1989年12月25日)
ルーマニア社会主義共和国国家評議会議長(1967年〜1974年)、初代大統領(1974年〜1989年)、ルーマニア共産党書記長(1965年〜1989 年)

1960年代~80年代にかけての24年間にわたり、ルーマニア共産党政権の頂点に立つ独裁的権力者として君臨した。

1966年、チャウシェスク政権は国の人口を増やすため、人工妊娠中絶を法律で禁止した。
妊娠中絶は42歳以上の女性、もしくはすでに4人(のちに5人に変更)以上子どもを持つ母親のみ例外的に許された。
ルーマニアでは5人以上子どもを産んだ女性は公的に優遇され、10人以上の子持ちともなると「英雄の母」 の称号を与えられたが、殆どの女性は興味を示さず、せいぜい子ども2〜3人程度がルーマニアの平均的な家庭であった。
さらに、秘密裏に妊娠中絶を行って不具となってしまったり、死亡する女性も少なくなかった。

チャウシェスクは上昇傾向にあった離婚率にも目を付け、離婚に大きな制約を設け、一部の例外を除いて離婚を禁止した。
1960年代後半までにルーマニアの人口は増加に転じたが、今度は育児放棄によって孤児院に引き取られる子供が増えるという新たな問題が生じた。
これらの子供は十分な栄養も与えられず病気がちとなり、さらに子供を死なせた場合にはその孤児院の職員の給与が減らされるため、無理な病気治療のひとつとして大人の血液を輸血され、エイズに感染する子どもが激増した。
また革命後、多くの孤児院は閉鎖されチャウシェスクの落とし子と呼ばれるストリート・チルドレンを生み出すこととなった。


1980年代に入ると、強権的な統治や個人崇拝 、国民生活の窮乏に対する内外の批判が高まった。
1989年、この年の東ヨーロッパ諸国の変動、いわゆる「東欧革命 」の最後を飾る流血の政変(ルーマニア革命)によって権力の座を追われ、処刑された。
その劇的な末路もふくめて、ルーマニア現代史のみならず、20世紀の代表的な独裁者の一人として記憶されている。
 
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