ファルスタッフ
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第二幕その五
第二幕その五
「これで私は救われるのね」
「そうよ。さて」
その間に二人の召使い達が洗濯物がたっぷりと詰まった籠を持って来た。アリーチェはそちらに顔をやる。
「それはそこに。それで私が呼んだらその籠をお堀にね」
「落とすのね」
「静かに」
娘の言葉に右目を瞑って微笑んでみせて述べる。
「いいわね」
「わかったわ」
「そういうこと。下がって」
また召使い達に指示を出す。
「あとは舞台の準備は」
「大体できているわ。私のリュートはそこだし」
見ればテーブルの上にはさりげなくリュートも置かれている。
「衝立も広げて。よし」
「ここですわね」
「ここで」
「ええ、そこで」
メグとクイックリーに対して答える。衝立は暖炉と洗濯籠の間に拡げて置かれた。ここまでやったうえでアリーチェは満足した顔で微笑むのだった。
「さてさて、いよいよ開幕よ」
「お芝居がはじまるのね」
「そうよ、最高のお芝居よ」
娘に対してにこやかに笑い軽やかに回って話す。もう喜劇役者になっている。
「陽気な女房達の仕返し。辺りに響き渡るような大笑いの時間、笑い声が巻き起こり戯れ合って矢と鞭で身を固めて煌き広がっていくのよ。喜びと笑いが辺りで、心の中で火事の時の火の粉みたいに煌くの、私達の為に」
「けれどちょっと危ない仕事でありますわ」
メグが笑ってそのアリーチェに述べる。
「あのとんでもない太っちょとの」
「私が見張りますので」
「御願いね、クリックリーさん」
クイックリーに笑顔で声をかける。
「具合が悪くなったら合図をするから」
「私は出入り口を見張るわ」
「貴女はそっちを御願いね」
「ええ」
娘に対しても言う。そのうえでまた言ってみせる。
「あの男に見せてやるわ。身持ちの正しい貞淑な女の悪戯の怖さ、女の中で最も罪深い女とは」
「その女とは?」
「猫を被った女よ」
娘に笑って教える。
「陽気な女房達が見せてあげるわ」
「来ましたわ」
クイックリーが窓の方を見て一同に告げる。
「来たのね」
「ええ。ではクイックリーさんは二階に」
「はい」
「メグさんはあっちの扉に」
「わかりましたわ」
「ナンネッタは出口にね」
「わかったわ」
それぞれ見張りに行かせる。人の配置も整った。そのうえで自分はさりげなくテーブルの側に腰を下ろしてリュートを弾くのだった。優雅に、それでいて朗らかに。その朗らかな場面に主役が来た。
「遂に私はそなたを得たり、輝く花のそなたを得たり」
イタリア人の様に詩を出して口説きだす。家に入っていきなりだった。
「私は幸せで息が詰まりそうだ。この祝福された愛の時の後も生きていけるだろうか」
「まあ」
リュートを弾くのを止めて立ち上がったアリーチェの腰にそっと手を回そうとするがそれはするりと避けられる。アリーチェの身のこなしも若い。
「ようこそ」
「愛しい花よ」
太っちょの騎士は心にもないことを言う。あっても下心に満ちている。
「私はお世辞も花の様な言葉も気取ったことも言えない」
「またそんな」
一発でわかる嘘だった。当然アリーチェにも。
「だが罪の意識がある」
「といいますと」
これも当然嘘だ。そんな殊勝な男ではない。これも有名な話だ。
「フォード氏には申し訳ない」
「主人がですか」
「左様、貴女は騎士の妻になり私は貴女の主人になる。だから」
もうそんなつもりだ。流石にここまで図々しい男はそうはいない。アリーチェもそれを心の中で思いその心の中で舌を出していた。
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