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蒼き夢の果てに

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第5章 契約
  第69話 シャルロット

 
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 第69話を更新します。

 次の更新は、
 8月22日 『ヴァレンタインより一週間』第27話。
 タイトルは、『龍の巫女』です。

 その次の更新は、
 8月27日 『蒼き夢の果てに』第70話。
 タイトルは、『王の墓所』です。
 

 
 ゆっくりと開かれる扉。
 その先に広がって居たのは……。

 暗い室内。部屋のサイズはおそらく十畳以上。一方の壁一面に設えられた巨大な書棚がその部屋の主の嗜好を示し、大きく開け放たれたバルコニーに面した窓から差し込む月の光りが、部屋の中心よりはやや入り口寄りの辺りまでを、蒼い明かりで照らし出す。

 そして……。

 そして、そこから入り込む秋の風が、彼女の寝台の紗のカーテンをそよがせた。

 そう。部屋の中央部よりは、ややバルコニーに近い位置。其の場所に配置された、月の光りに蒼く染め上げられた紗のカーテンに覆われる豪奢な寝台。
 其処には……。

 いや、その紗のカーテンを開く必要など有りませんか。その寝台に眠るこの部屋の主は、俺の良く知って居る少女に間違い有りません。
 何故ならば、薄らとでは有りますが俺からその寝台の上。薄い紗のカーテンの向こう側にまで伸びている、因果の糸が見えて居ますから。



「あなたは、誰?」

 刹那、月の光に支配された蒼い世界に現れた人影。
 逆光に照らされたその人物から、聞き慣れた……妙に記憶の奥深くを刺激する涼やかなる声が発せられる。

 その人物。髪型はかなり短いショートボブ。色は月光のみが支配する世界なので非常に判り難いのですが、おそらく蒼。
 俺が視線を彼女に向けたその時、紅いフレームのメガネが普段通り冷たい月の光を反射する。魔術師の証の黒のマントを五芒星で象ったタイピンで留め、その内側は白のブラウスに黒のミニスカート。
 表情は彼女に相応しい、感情を表す事のない透明な表情。
 蒼い月の光りにより、その姿は普段の彼女よりも数段、儚く、そして美しいものに俺には感じられた。

 ここまでは俺の良く知って居る彼女と同じ部分。

 そして、ここから先が俺の大切な少女との違い。
 見覚えのある右手首を飾る銀の光が、紅い夢の世界で出会った少女が彼女で有る事の証。
 最後に、繊細な印象を受ける両の手が大切そうに抱える人の頭骨が、その少女の存在が異質な存在だと教えていた。

「俺は、この夢の主で有る少女の相棒。そして、眠り姫を叩き起こす為にやって来た、喧しい目覚まし時計代わりの存在かな」

 俺は新たに顕われた少女。おそらく、タバサの双子の妹らしき少女の問いに対してそう答えた。
 その少女が俺を真っ直ぐに見つめる。その視線も、そして表情もタバサと同じ物。まして、その両の手が抱えている不気味な物体が存在しても尚……。

 月下に佇む彼女の姿は、哀しいくらいに美しい物だった。

 ここは夢の世界。更に、俺は見鬼の才に恵まれた人間。
 精神の在り様がそのまま実際の姿として見えるはずのこの夢の世界で、タバサの双子の妹の姿がこの上なく美しい姿に見えて居ると言う事は、その俺の瞳が、彼女の本質を美しい物だと判断していると言う事。

 彼女は微かに首を上下させて、俺の言葉に首肯く。
 そして、

「あなたは、何故、わたしの元に現れてくれなかったの?」

 ……と、更なる問い掛けを行って来る。
 彼女の一途に俺を見つめる瞳からは、当然のようにすべての感情を読み取る事は出来ない。そして、その可憐なくちびるからは感情の伴わない無機質な言葉が紡がれるだけ。
 但し、その言葉が紡がれた瞬間、彼女から大きな陰の気が発生するのが判った。まして、その気の向かう先は俺に向かっているようには思えない。
 彼女と、そして、彼女が抱える不気味な物体から延びる因果の糸が繋がる先。

 それは……。

「普通に考えたのならば、オマエさん……。シャルロットが本気で呼べば、その声は間違いなく俺に届いたはず」

 タバサへと繋がる、強い絆により結ばれた因果の糸を確認した後に、そう答える俺。
 但し、これは単なる推測。

 ただ、最初に彼女と出会った時に冥府の女神の依頼から推測出来たのは彼女……。俺が、シャルロットと呼び掛けているタバサの妹と、俺の間に某かの縁が存在している事。
 そして、彼女がタバサの夢の世界を破壊しようとしていた。いや、彼女自身が意図してそれを行って居たのか、それとも何モノかによって、そう言う行為を強制的に行わされていたのかは定かでは有りません。……が、しかし、この事実からすると、少なくともタバサに対して、この仮称シャルロットは何らかの負の感情を持って居たのは確実でしょう。

 まして、仮称シャルロットの事を俺の前世と某かの繋がりが有った湖の乙女が、俺と関係の有った相手と固有パターンが似ている、……と表現しました。

 ならば、俺の事を正面から見つめて居る少女が本気で俺の事を呼べば……。タバサの妹で有る以上、かなり高い魔法の才能を持つ可能性の有る彼女が本気で呼べば、俺を召喚する事は、そんなに難しい事では無かったと思います。
 それこそ、星の数ほど存在している平行世界の中、それも輪廻転生とは、過去から未来への一方通行の時間の流れに乗った転生しか行われないような、そんな小さなルールに縛られた事象ではない転生先に、前世の因縁を持った相手が偶然、転生して来たとは考えられません。
 この世界に、タバサの妹として俺と縁の絆を結んだ相手が転生して来て居たのならば、それは必然。何らかの約束事のような物が交わされて居た、と考える方が無難でしょう。

 そして、一度目は確実に、夢の世界とは言え俺と彼女は巡り合えたのですから。

 それでも、現実には……。

「これは何らかの介入が為された。俺と、シャルロットが出会うと都合が悪いヤツに邪魔をされて、出会う事が出来なかったと考える方が妥当やな」

 運命神……出会いの約束を捻じ曲げる程の影響力を持った存在ならば、それも可能でしょう。それに、俺とタバサや湖の乙女との出会いは、このハルケギニア世界に強い影響を与えて居る事は間違い有りません。
 何故ならば、今までに俺とタバサが関わった事件の内で、ひとつでも阻止する事に失敗していたら、この世界に与えた被害や混乱はかなり大きな物で有ったはずですから。

 その例から考えると、もし、俺と眼前の蒼い少女との出会いが創り上げる世界の在り様を都合が悪いと考える存在が居たと仮定したのならば、その出会いに何らかの介入が為される可能性は高いでしょう。

 しかし……。

「それでも、こうやって出会う事が出来た」

 それならば、ここから……この出会いから新しく始めたら良い。たった、それだけの事。
 そう考えて、右手を差し出す俺。

 しかし、ゆっくりと首を左右に振る蒼い少女。その拒絶の仕草には、大きな負の感情が籠められていた。
 そして、

「もう遅い」

 タバサと同じ口調、同じ声で、短くそう伝えて来る蒼い少女。
 その蒼い瞳には俺を映し、同時に深い憂いを浮かべる。

「既に、現実世界でのわたしの心が破壊され、今のわたしは抜け殻に過ぎない。
 もし、わたしがあなたに出会えたとしても、わたしには、あなたが傍に来てくれた事さえ理解する事が出来はしない」

 心が破壊される。彼女は確かにそう言った。ましてその状況ならば、彼女が俺を召喚出来なかったとしても不思議では有りません。
 そう。この世界にはギアスと言う精神を操る魔法が存在し、殺人祭鬼の連中のように薬物を利用した洗脳方法が存在する以上、それも……心を壊す事もおそらく可能。

 更に、タバサの母親も同じような状態に置かれていたのですから……。

「それに……」

 彼女が何か伝えようとした瞬間、蒼い月の光りに照らされていた少女の姿が急に見え辛くなった。
 いや、違う。その瞬間に彼女の手の中に有る頭骨から、何かが溢れ出して来て居たのだ。

 生臭い、気分が悪くなるような強い臭いが鼻を衝く。
 そして、其処から顕われた黒い何か。それは、俺の見ている間に影のようにタバサの寝室全体へと広がって行き――――

「我、陣の理を知り、大地に砦を描く!」

 刹那、口訣と共に導引を結び、タバサの寝台を中心に強力な防御結界を構築する俺。
 ここは夢の世界。故に、持ち物の呪符は当然として、肉体の方に施して有る仙術はすべて効果を発揮しません。

 いや、それドコロか自身が持つ式神使いの能力の行使も不可能。こんな不利な状況で、眠れるタバサを護りながら――――

 かなり悪い状況に軽く舌打ちを行う俺の目の前で、気味の悪い生き物のようにのたくる黒い影が、ゆっくりと……。本当にゆっくりと立ち上がって来る。その様子は昨夜、オルレアン屋敷に顕われた疫鬼たちと同じ。

 その新たに顕われたモノたちの姿形は……。

 たくましい男性を彷彿とさせる人型。身長はパッと見二メートル以上。上半身は裸で、衣服と言えば腰に布を巻き付けているだけ。其処に複雑な文様が施された腕輪と足輪。更にじゃらじゃらとした赤や青の細かい石に彩られた首飾りが胸元を彩る。正に豪華な仏像の如き装身具に身を包んだ存在。
 しかし、そんな事は大きな問題ではない。

 もっとも異常なのは、そいつらの頭部を飾る二本の角。双方が優美な弧を描き、天へと突き出していた。

「ミノタウロス。いや、ミノタウロスが青龍戟を持って居たなどと言う記述を目にした事はない。……と言う事は」

 まるで黒檀により削り出された彫刻の如き力強さと、そして優美さを持ち合わせる牛頭の異形のモノが、手にした青龍戟を無造作に振り上げ――――

牛頭鬼(ごずき)か!」

 振り下ろされる青龍戟の月牙と呼ばれる三日月状の刃を、一瞬の内に右手内に顕われた蒼銀(ぎん)の光で撥ね上げた俺が叫ぶ。
 蒼銀の軌跡が闇に直線を引き、巻き起こす旋風が……。しかし、薄い紗のカーテンをそよとも揺らす事はない。
 そう。これは先ほど描いた結界が効果を現したと言う事。

 しかし、牛頭鬼の月牙を撥ね上げたものの、その瞬間に俺は、そこに籠められた一撃の破壊力に恐怖を感じたのだった。

「あなたは、この夢の世界から現実世界へと帰還して欲しい。
 わたしと、そして彼女の事は諦めて」

 黒いヴェールの向こう側から、彼女の声のみが響く。

 しかし!

 右後方に跳びながら口訣を唱え、導引を結ぶ。
 その瞬間、轟然と振り抜かれる青龍戟。そして、それは一瞬前まで俺が存在していた場所を切り裂き、その凄まじいばかりの衝撃波が、しかし、タバサの寝台を取り囲む結界により再び阻まれた。

 刹那、眩いばかりの白き光が室内に閃き、轟音がオルレアン屋敷、いや、夢の世界を震わせる。

 そう。俺を示す行が支配する雷撃が周囲を無秩序に荒れ狂い、周囲を取り囲みつつ有った牛頭鬼が一撃で粉砕して行ったのだ。

「俺の事を心配してくれるのは有り難いんやけどなっ!」

 俺が叫んだ瞬間、先頭に立って接近して来た牛頭鬼は黒い塵のように成って消えて行く。

 そうだ。先頭の一体が青龍戟を構えた刹那、ヤツの眼前に閃いた蒼銀光。その一瞬の後に青龍戟を両断し、脳天から右脇に抜ける光の断線。
 但し、今の俺に、そんな一個の勝利に酔って居る余裕など存在してはいない。

「俺はタバサを連れて帰る。そして、オマエさんの事もどうにかする!」

 すり足で右に移動した俺が存在した場所を、その刹那の後に青龍戟が空を貫き、僅かに俺の側頭部の髪の毛を揺らすに止めた。
 その瞬間、強烈に輝く蒼銀の光が牛頭鬼の左から右に引かれ、次の瞬間には首が跳ね飛ばされ、その黒き身体が塵へと変ず。

 しかし……。

「彼の存在が顕われる前に、あなたにはここから去って欲しい」

 黒き闇の向こう側から、再び彼女の特徴の有る、やや低音の聞き取り辛い声が響く。
 その口調も、そして声音も普段のタバサのまま。

 但し、何故か、その言葉の中に懇願するかのような心の動きを感じる。
 間違いない。夢の世界の彼女は、何モノかは判りませんが、この事件を起こしている存在に心まで完全に操られている訳ではない、と言う事。

 それにしても……。
 それにしても、彼の存在か……。

 その台詞を心の中で反芻するかのように呟いた瞬間、俺の表情は皮肉な笑みの形で歪んで居たのは間違いない。
 そう、今宵。いや、おそらく、今の時間帯は、そいつが顕われるに相応しい時間帯と成って居るはずです。

 長兄の太陽神の支配する時間帯でもなく、
 次兄の月神が支配する夜でもない。

 どちらが支配する事もない、偽りの月が支配する今宵(スヴェルの夜)こそ、彼の神。日本神話史上最大の荒魂(あらみたま)
 ――須佐之男命(すさのうのみこと)が顕現するに相応しい。

 更に濃くなる闇。
 俺の右腕が蒼銀に閃く度に。
 生来の能力が発動され、閃光と轟音。そして、衝撃波が発生する度に。

 最早、この場所はタバサの寝室を模した場所ですら無くなって居る。
 そう。何処とも知れぬ暗い空間。上も下も。右も左も曖昧な空間に、結界に覆われた彼女の眠る寝台のみが茫と浮かぶ世界と成っていた。

 牛頭鬼が上げる苦悶の響きが、威嚇の咆哮が、そして、消滅させられる怨嗟の響きがヤツを呼び寄せる。

「ええい!」

 大きな声で悪態に近い声を上げる俺。

 右から突き掛かる青龍戟を、表皮一枚犠牲にして後方へと流した瞬間に、自らを中心とした周囲に雷公の腕を召喚。
 次の刹那には、右手に顕われた七星の宝刀により発生した剣圧が、接近中で有った牛頭鬼の分厚い表皮を切り裂き、世界を更なる暗黒に染め上げる。

 このままでは。
 このままでは、何時か俺が突破され、タバサの眠る寝台に施された結界が無効化される。

 更に――――

「術に因りて飛霊を生ず、顕われよ!」

 表皮を切り裂かれた事により発生した血液……。いや、ここは夢の世界で有る以上、これは俺を構成する霊気の塊。その霊気を媒介にして、俺自身の現身(うつしみ)、飛霊を呼び出す。
 但し、これは危険な賭け。剪紙鬼兵などのデッド・コピーならば、俺に返って来る返やりの風も軽度の裂傷程度に抑えられます。しかし、飛霊のような高位の分身の場合、その能力に比例する形で返やりの風自体お大きな物と成り、場合に因っては、俺自身が死亡する可能性もゼロでは有りませんから。

 刹那、顕われ出でる俺の現身。その右手には、俺からコピーした如意宝珠『護』製の七星の宝刀を携える、俺の完璧なコピーの飛霊二体。

 一際高く上げられる咆哮。しかし、その声に応えるのは蒼銀の閃きと、周囲を眩く照らし出す雷光。
 そして、威嚇の咆哮が、怨嗟の叫びと変わる。

 タバサの寝台に施した結界は未だ健在。
 但し、同時に澱に沈んだかのような暗闇の先から繋がる因果の糸が健在で有る以上、この糸を伝って、疫鬼が、牛頭鬼が、更にそれ以上に厄介な存在が顕われるのは間違いない。

 刹那、俺が一番聞きたくない少女の悲鳴が聞こえた。
 どちらの少女の声かは判らない。しかし、これは間違いなく絶望の悲鳴。
 更に、その後に続く……。

 何か、巨大な物体が闇の奥深くに蠢く気配。
 そして感じる猛烈な威圧感。今回顕われたそれと比べたら、前回、ブレストの街に顕われた水の邪神が、飽くまでも主神に対しての眷属神に過ぎない事や、魔眼の邪神が小神に過ぎない事は簡単に理解出来る。

 どの相で顕われたのか。須佐之男命としての相か、もしくは、今回の事件……疫病を流行らせる疫病神、牛頭天王(ごずてんのう)としての相か、
 それとも、それ以外のもっと厄介な暗黒神を体現した姿か……。

 俺の思考が闇の奥に持って行かれるその刹那、因果の糸を辿るかのように叩き付けられる巨大な黒き腕。
 その腕が産み出す絶望的な破壊力がタバサの寝台に施された結界を、たった一度の攻撃で粉砕。

 但し、流石に一度の攻撃では其処まで。次の攻撃までの間に、僅かなタイムラグが発生する。

「疾!」

 その一瞬のタイムラグに、自らに防御用仙術を施しながら寝台に眠るはずの少女の元に駆け寄る俺。

 三歩進んだ段階で遙か眼下から巨大な何かが動く気配を察し、更に肉体強化のレベルを上げる。
 其処から更に二歩進んだ瞬間、自らの背後に忍び寄る(高速で接近する)何モノかを感知。
 一歩で寝台に眠る蒼き美少女を抱え上げ、次なる一歩で彼女を自らの背中で完全に隠す。

 その瞬間、背中に猛烈な神の気の放射を感じた。

 しかし!
 その猛烈な神の気を感じたのも一瞬。次の瞬間には、後方に向かって吹き飛ばされるその何か。
 そう。例え濃密な呪いを纏って居ようとも、放たれた拳が纏う破壊力は物理的な物。
 更に、俺が自らに施したのは――――

 すべての物理攻撃を一度、たった一度だけ反射する魔術回路が何もない中空。俺と、タバサを狙って放たれた黒き拳の丁度中間点に現れ、
 そして――――

 まるで、すべてを破壊し尽くすかのような嵐が俺の背後。丁度、魔術回路に阻まれた地点から後方に向かって発生した。
 そう。何モノにも制御出来ない巨大な暴風にも似た破壊力が、それを放った何モノかにそのまま返され、自らの黒き巨大な腕を吹き飛ばし――――

 現在、この夢の世界を支配している暗黒物質を震わせ、轟音が響き渡った。

 これは、怒り。神話上でヤツに滅ぼされる定めを持つ()が、ヤツに取っては無意味な反撃を行った事に対する怒り。
 しかし……。

 しかし、その咆哮により、俺の腕の中で僅かな身じろぎを感じる。
 これは、間違いなく覚醒のサイン。
 いや、もしかすると、俺の霊体が彼女(タバサ)の霊体に直接触れたから彼女の霊力が活性化した、……の可能性も有りますが。

「おはようさん」

 彼女が覚醒した事を確信した俺が、そう話し掛ける。
 彼女を胸に抱き、遙か上空へと退避を行いながら。

「おはよう」

 普段通り、寝起きで有ろうとも変わりない落ち着いた状態の我が相棒の答え。

 上空の有る一点に到達した瞬間、遙か下方から迫る旋風。
 そう。須佐之男命とは本来旋風を統べる神。更に、現在、何故かタバサと須佐之男命は因果の糸で繋がっている状態。
 この状態で、更に言うと夢の世界では、ヤツから逃げ切る事はほぼ不可能。

 しかし――――

「我、世の理を知り、術を返す」

 しかし、一瞬の空白さえあればタバサには十分。
 短い目覚めの挨拶の後、一瞬の隙間に状況を理解し、術を構成するタバサ。

 その瞬間、俺たちの周囲に浮かぶ対魔法防御用の魔術回路。その一瞬の膠着状態の後、すべて放った存在に返されて仕舞う。

「状況の説明は必要ないな?」

 周囲に漂う牛頭天王の放って来た暴風と、タバサの講じた魔法反射の起こした霊力の残滓を感じ取りながら、腕の中の蒼き吸血姫に問い掛ける俺。
 但し、これも所詮は確認作業。状況が理解出来ずに、行き成り的確に魔法反射の防御用魔法陣を構築出来たと考えるよりは、咄嗟に状況を把握した後に防御用の魔術結界を構築したと考える方が妥当でしょう。

「問題ない」

 案の定、タバサは普段通りの冷静な答えを返して来る。

 成るほど。ならば、もう大丈夫。彼女が完全に目覚めたのなら、後は、夢の世界にのみ顕現した疫神を、そのまま意識と無意識の狭間の世界に封じるだけで事が済みます。
 そう。この状況で事を納めて置けば、タバサやその他の犠牲者たちを踏み台にして、其処から先に更に多くの犠牲者を疫病で失う可能性は少なくなる、と言う事ですから。

 それならば!

【シャルロット、その頭骨を捨てられないのなら、出来るだけ身体から離せ!】

 暗黒のヴェールの向こう側に、未だ彼女の意志が存在して居る事を信じて【念話】を送る俺。
 その視線の先には、タバサと闇の奥深くへと延びる因果の糸を昇り来る牛頭鬼と、それを阻止する俺の飛霊二体の攻防が繰り広げられる。

 しかし……。

【あなたには、彼女が居る】

 タバサの妹から、信じられないほど冷静な答えが返された。
 これは、あの時と同じ。ショゴスに捕らえられ、最早、すべてに絶望したかのような、諦めた者の答え。

 そして、

【ヤツを呼び出して仕舞ったわたしに、救われる値打ちなどない】

 すべてを奪われ、現実世界では精神さえも操られた、絶望を知る者の言葉が続けられる。

 但し――

【アホぬかせ。オマエが忘れているようやから、何度でも言ってやる】

 そもそも、気にしなくて良いと言われて、はいそうですか、と引き下がる訳がないでしょうが。
 何故ならば、この場から俺とタバサが逃げ出したとしても、ここがタバサの夢の世界で有り、おそらく彼女以外の人々の夢……精神の世界に繋がる空間でも有るはずです。

 そんな空間に、日本の神話史上最大の破壊神にして疫神、などと呼ばれる存在を野放しに出来る訳は有りません。

 まして、簡単に見捨てられる程度の関係の相手なら、ショゴスに完全に取り込まれた魂を掴み取る事が出来る訳は有りません。つまり、タバサの妹と言う以外に、彼女と俺の縁は、それだけ深い絆が有ったと言う事。

 そんな相手を見捨てられるほど、俺は強くは有りませんから。

【俺に命令出来るのはこの世でたった一人。それは俺自身だけ】
「タバサ、同期(シンクロ)、頼めるか?」

 分割思考で、タバサには実際の言葉にして、
 そして、タバサの妹。本当の名前は判らないけど、俺がシャルロットと呼び掛けると反応してくれる少女に対しては、【念話】で話し掛ける俺。

 そうして返される、異口同音の答え。

 タバサから繋がる因果の糸は、遙か地上に繋がる。
 その糸を伝わり昇り来る牛頭鬼たちは、俺の飛霊が対処して居るからしばらくは大丈夫。

 ならば!

 俺は、自らの腕の中に居る少女と視線を合した。
 俺の紅と黒。ふたつの瞳を自らの蒼きそれに映し、静かに首肯くタバサ。
 普段よりも澄んだ瞳で。ただ涼やかに、普段よりも濃い蒼の瞳で俺を見つめながら。

 そして、

「龍の巫女たるわたしが、あなたを導きます」

 勝利の託宣を告げる巫女のように静かに告げられるは、誓約の言葉。
 そして、その瞬間、再び眠れる美少女と化すタバサ。
 いや、今回は眠った訳では無い。完全に魂と魄を切り離し、今俺の腕の中に有るのは彼女の魄。そして、俺の分割された思考の中に確かに存在しているのが彼女の魂の部分。

 刹那、遙か闇の底から見上げる視線。
 形は人の瞳と変わらぬ形。
 しかし、その瞳が浮かべる色が、放つ光が、そして、周囲に与える威圧感が違う。

 対するは、

 右手を高く掲げる(タバサ)
 その先に現れる聖なる槍。

 そう。この槍こそ、神を屠る槍。

 その瞬間。瘴気すら放ちながら、巨大な右腕が振るわれた!

 そうだ。もし、俺が単体でここに存在していたのなら、間違いなく意識を持って行かれ、二度と目覚める事が出来なくなるで有ろう歪みを発し、タバサへと繋がる因果の糸を辿り、自らが支配下に置く牛頭鬼を巻き込みながら、遙かな高みに存在する(タバサ)を目指し、昇り来る黒き右腕。
 但し、此度のそれは、先ほどのそれとは違う。
 今回は、明らかに手を開いた状態。自らの手で目標を掴み取り、完全に拘束する事を意図した手の動き。

 自らの丹田に集中して行く霊気……俺の場合は龍気を普段よりも明確に感じる。
 これは、湖の乙女と同期した時にも感じた解放感。
 人としての枷が外れ、無限にも等しい龍の気を自在に扱える高揚が俺を満たす。

 丹田に集められた俺のすべての龍気が、螺旋を通り抜け、肩から腕。腕の神経と更に其処から真っ直ぐに伸ばされた指の先へと一気に流れ込む。
 そして、最早臨界点にまで達した聖槍から放たれる蒼き光が、昏き物質に支配された世界を真昼に変えた。

 遙か地上を見下ろす(タバサ)
 其処には……。

 巨大な牛角の魔神の頭部に身体の半ばまでを埋めながらも、俺の【言葉】を信じて、手にする人間の頭骨を掲げる少女の姿。
 その右腕に反射する強い銀の光。

 渦巻く力をタバサが誘導し、同時に神に等しい万能感に酔いしれようとする俺の意識を現実に繋ぎ留める。
 そう。すべての龍気を螺旋の行き先へと間違いなく導いて行くのだ。

「――――神を屠れ」

 自然と口から発せられる言葉(禍言)
 そう。既に俺の全身には異常な力が満ち溢れていた。
 その爆発寸前の龍気が、自らの肉を噛み千切り、骨をすり潰し、敵を屠る前に自らの身体を喰い尽くす方が先のような状態と成って居る。

 その爆発寸前の龍気。神殺しの属性を与えられた者の霊気が、神の敵と称される吸血鬼の少女に因り、神殺しの槍へと集められる。
 そう。俺の右手の先に顕われたのは魔槍(ゲイボルグ)に非ず。

 これは――――。

運命の槍(スピア・オブ・ディスティニー)

 神の子を刺し貫き、奇跡を生み出す聖なる槍。その槍を持つ者は世界を制するとも、運命を制するとも言われる。

 右腕が無造作に振り降ろされた刹那、世界が白光に支配された。
 そう。世界のすべて。牛頭の魔神も。因果の糸を昇り来る牛頭鬼も。人間の頭骨を掲げた少女も。
 そして、俺と、俺の腕の中の蒼い少女も。

 すべて、溢れる光の中へ溶けて行った。


☆★☆★☆


 完全に破壊されて仕舞った夢の世界のオルレアン家の邸宅。
 完全にクレーター状となって仕舞ったむき出しの大地から顔を上げると、其処には蒼穹に顔を出す蒼き偽りの女神が花の(かんばせ)を覗かせて居る。
 そして、秋の夜長に相応しい風が、ラグドリアン湖の方角から吹き寄せて来た。

 俺の右隣には意識を俺から切り離した蒼き吸血姫(タバサ)が。
 正面にはタバサの妹らしき少女。但し、最早、出会いの時に抱えていた人間の頭骨は聖槍に因り、その形を構成していた物すべてが光の粒子として散じている。

「二人とも、身体は何ともないか?」

 俺の問い掛けに、無言で俺と、鏡に映るが如きお互いの姿を見つめた後、まったく同じタイミングで微かに首を上下させる二人。
 髪の毛。瞳の色。白磁の如き肌。少し低い目の身長。もしかして、俺の好みなのかも知れない体型。夢の世界に現れる際の衣装。

 凛とした立ち姿の中に、清楚な雰囲気と、そして硝子のように透明な儚さが存在している。
 その姿は正に双子。この世界が夢の世界で有る以上、この双子は、心の在り様まで似ていると言う事なのかも知れない。

 この二人の違いは、正面に立つ少女の右腕を飾る銀製の複雑な意匠を施された腕輪。そして、俺の傍らに立つ少女には、腕輪以外に、指輪、ネックレス、そして、ブローチなどの俺が贈った装身具がその身を飾る。

 安堵と、それに、まるで同期したかのような二人の動きに苦笑に似た笑みを浮かべる俺。
 但し、現状はそんな笑みで終わらせられるような甘い状況ではない。

「シャルロットは、もう現実の世界では正気に戻る事はないのか?」

 俺の問い掛けに、正面に立つ少女の方が微かに首肯く。そして、俺の右隣に立つ、本当のシャルロットの方は、何故かその呼び掛けに反応する事は一切なかった。
 どうやら、本当にタバサは、俺からシャルロットと呼ばれる事を想定して居ない上に、その名前を呼ばれる事を望んでもいない、と言う事なのでしょう。

 何故、其処まで拘るのか、その辺りの理由は判らないのですが。

「今のわたしは、自分が何処に居るのか。季節が何時なのかさえ判らない状態」

 俺の顔を見つめながら、そう話すシャルロット。その表情は真摯で有り、欺瞞が含まれて居る様子を感じる事はない。
 成るほど。それではどうしようもないですか。

「それなら、あの抱えていた人間の頭骨に関しては……」

 一応、そう聞いてみるのですが……。
 しかし、矢張り首を横に振るシャルロット。

 確かに、現実世界の彼女が正気を失って居て、その現実世界の彼女が手にした物が夢の世界に影響を与えた可能性が有る以上、あの頭骨に関しては、夢の世界の住人である彼女が知らなくても仕方がない事ですか。

 そう納得した瞬間、夢の世界に揺らめきが発生した。

 そう。今回はかなり穏やかな目覚めに成るのは間違いない雰囲気。
 ただ……。

 シャルロット……。タバサの妹が、自らの姉を見つめる。
 そして、まったく同じ容貌と、雰囲気を持つ姉の方もまた、自らの妹を見つめ返した。

 そうして、短い空白の後、双方が同じタイミングで微かに首肯いて見せる。

 この空白の意味は、おそらく何らかの【会話】を交わした空白。
 タバサが【念話】を扱えるのは当たり前ですが、何故かシャルロットも【念話】が使用可能でした。
 夢の世界で出会った最初から。
 もっとも、【念話】自体は因果の糸が繋がっている相手にならば繋ぎやすい物で、ある程度の魔法の才能が有る存在ならば使用可能なのですが……。

「何処に居たとしても、どんなになって居たとしても必ず見つける」

 遠ざかって行く彼女にそう声を掛ける俺。
 ただ、その瞬間に右手をそっと握る俺の相棒。

 微かに首肯く彼女の姿が薄れて行く。
 夢の世界の終り。儚い邂逅の終わりに相応しい雰囲気。

「必ず」

 何処か……。
 ……まるで、何処か遠い世界から響いて来るような彼女の声。

「迎えに来て欲しい」

 何処かで聞いた事の有る懐かしい声の響き。
 奇妙な既視感。ずっと以前……。何処か遠くで出会った事が有るような非常に曖昧な記憶。そしてその瞬間、俺の瞳を覗き込むようにした少女と重なる彼女に良く似た少女の面影。
 蒼銀の髪の毛。白磁の肌。湖の乙女や崇拝される者と同じセーラー服姿に黒のハイソックス。

 最後に、俺を一途に見つめる紅き瞳。

 その瞬間、思わず伸ばした左手が空を掴み――――
 そして……。

 そして、彼女の答えも聞こえない内に、俺の意識も淡い色合いの光に包まれて行った。
 ただ、この部分だけは現実の、柔らかな右手の感触のみを残して……。


☆★☆★☆


 緩やかな微睡の中に、瞑った目蓋の裏に穏やかな光が透けて見える。
 右手を軽く握ると、同じように握り返して来る柔らかな感触。

 ゆっくりと瞳を開ける俺。
 窓から差し込んで来る朝の陽光が、薄い紗のカーテンの影を床と、そして彼女の寝台に作り上げ、
 柔らかい風が、そのカーテンを揺らした。

 ぼんやりとした、未だ半分眠ったままの頭と瞳で、繋がれた右手に視線を移す俺。
 細く繊細な……。まるで、ガラスか水晶の如き繊細さで、強く握り締めると、そのまま壊して仕舞い兼ねない彼女の左手。
 そう。指と指を絡めるように。手の平と手の平を合わせるように繋がれたその手が、何となく彼女自身の今の感情を表現しているかのようで有った。

 そして……。
 そして、しっかりと繋がれた手をそっと離そうとして、目覚めた時から座ったままに成って居る椅子より立ち上がる俺。

 その瞬間。

 微かに洩れる吐息と、瞑られたままの瞳に僅かな変化。
 そう。規則正しく上下動を繰り返すだけで有った薄い上掛け布団に、それまでと違う動きが。
 それに、閉じられたままに成っていたまつ毛に微かな動きを感じる。

 これは、明らかな目覚めの兆候。

 立ち上がった椅子を、一歩分だけ余計に彼女に近付け、其処に再び腰を下ろす俺。
 当然、繋いだままの右手を離す事もなく。

 そしてその瞬間、俺の後ろに存在する彼女(タバサ)の寝室の扉がゆっくりと開いた気配を感じた後、
 音もなく閉じられた。

 ちょうどその瞬間。

 部屋を出て行って仕舞った彼女と入れ替わるように、ゆっくりと瞳を開く蒼い少女。
 繋がれたままの右手に、何故か安堵のような雰囲気を発した後、その先に存在している俺に視線を向けた。

「おはようさん」

 手と手が繋がり、視線が絡まった後、先に朝の挨拶を行う俺。
 この春の出会いから続けられて来た、何時もと変わらぬ朝の風景。

「おはよう」

 そして、この一カ月の間交わされる事の無かった家族の朝の挨拶が交わされた。
 本当に穏やかな朝の始まり。

 そうして……。

「お帰りなさい」

 本当は俺が口にすべき言葉を、タバサの方が口にした。
 いや、彼女が今この瞬間に、この台詞を口にした理由は判ります。

 俺はこの一カ月ほど、仕事で出掛けていましたから。
 彼女の元から。

 それならば、答えはただひとつ。

「ただいま、タバサ」

 
 

 
後書き
 今回のあとがきは、ネタバレを含む物と成って居ります。
 原作のジョゼットと、本作のジョゼット(今回登場したタバサの妹)とはまったくの別人です。
 いや、むしろ最初は異世界同位体だったのですが、とある連中が彼女の精神を崩壊させたが故に、有り得ない記憶(人格)が復活した、と言うべきですか。
 もっとも、夢の世界の住人と成って仕舞ったので、現実の彼女が自発的に何かが出来るような状況ではないのですけどね。

 それと、『運命の槍』については……。
 後日、つぶやきを作製して、そちらの方で説明します。

 それでは次回タイトルは、『王の墓所』です。 
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