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後宮からの逃走

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第一幕その四


第一幕その四

「ここの太守様は紳士です」
「トルコ人達が紳士なのか」
 当時の欧州の人間に共通する偏見であった。彼等はムスリムを完全に野蛮人とみなしていたのである。これは十字軍の頃から同じであった。その実際のこともまた。
「それは嘘ではないのか?」
「何にでも例外はあるようで」
 ペドリロもまたトルコ人にはベルモンテと同じ考えだがある程度柔軟に考えてはいた。
「どうやらそれで」
「そうなのか。それは運がよかった」
「ですからまだコンスタンツェ様は御無事ですよ」
「それは何よりだ」
 それを聞いてとりあえずは安心した、
「だが。それでもだ」
「はい、わかっていますよ」
 すぐに主に対して答える。
「四人でここを脱出しましょう」
「その為に僕はここに来た」
 ベルモンテは今このことを言った。
「船も用意してある。港の外から少し離れた場所にね」
「それはいいことです。ですが」
「どうしたんだい?」
「今は隠れましょう」
 怪訝な顔で主に告げるのだった。
「ほら、あちらを」
「んっ!?」
 ペドリロが指差したのは港の方だった。見れば今そこに豪奢な遊覧船が泊まった。また随分と大きく立派な船である。彼が指差したのはその船だったのだ。
「太守様の船です。コンスタンツェ様も御一緒です」
「コンスタンツェがか。では」
 それを聞いてベルモンテは胸の鼓動を高くさせる。思わず言うのだった。
「また君に会えるのか。喜びの再会の前には別離の悲しみなぞどうということはない」
 こう言葉を続ける。
「喜びで身体が震え気もそぞろになってしまう。胸は膨らみその声も吐息も僕を殺してしまいそうだ」
 もうコンスタンツェのことしか考えられなくなっていた。
「この胸の高鳴り。これが今僕を」
「ですが今は」
「うん」
 そっと囁くペドリロに対して頷く。
「隠れましょう」
「わかったよ」
 こうして二人は門の陰に隠れた。その船から豪奢なトルコの服にターバンを着た見事な男が出て来た。端整な口髭を生やし彫のある浅黒い顔は痩せていて引き締まっている。壮年だがさらに若々しく見える。身体は長身でこれまた痩せ鞭を思わせる見事な容姿だ。だが決して厳しいものはなく寛容で気品に満ちたものを見せている。
 その彼を見て。周りの者達が言うのだった。
「ようこそ戻られました」
「セリム様、船はどうでしたか」
「まずは御苦労だった」
 彼は船遊びの感想よりもまずは周囲の者を労うのだった。
「この船遊びを用意してくれて」
「いえ、それはお構いなく」
「全てはセリム様の為ですから」
「私の為か」
「左様です」
「ですから」
「では私もまた皆の為に行うことがある」
 ここで彼はこう彼等に返すのだった。
「屋敷に果物と黄金を用意しておこう」
「何と」
「黄金をですか!?」
「些細なものだ」
 彼にとってはどうということないらしい。素っ気無くすらある声だった。
「皆に金貨十枚ずつだ」
「金貨を」
「十枚も」
「果物は好きなだけ食べるがいい」
 こちらはこう告げた。
 
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