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真・恋姫無双 矛盾の真実 最強の矛と無敵の盾

作者:遊佐
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崑崙の章
  第7話 「いっただっきまーす!」

 
前書き
えーと……先に言っておきます。
今回ちょっと……はっちゃけ、た? 

 




  ―― 黄忠 side 白帝城 ――




 錦帆賊の捕縛から七日。
 わたくしは白帝城の臨時太守として、この王座の間にて頭をたれ、その前にて跪いている。
 目の前には荊州の刺史にして、新たに州牧となられた劉表様が、その王座の席に鎮座していた。
 王座の間に座る劉表……すでに六十を越える白髪の老人ではあったが、小柄ながらも威厳に満ち、柔和な顔つきながらもその眼光は鋭い。
 
「久しいな……黄忠よ」
「はい。劉表様におかれましては益々のご壮健、この黄忠、喜びに堪えません。遅ればせながら州牧の任に就かれました事、お祝い申し上げます」
「うむ……新しい肩書きとは申せ、今まで私兵だった軍だったが正式に軍事権を得ることが出来た。これで公式に兵を鍛えて、江賊どもを淘汰できる……そう思っておったのだが」

 劉表は言葉を切り、ニヤリと笑った。

「まさか私が帰る前に、その江賊がいなくなるとは思わなんだ。苦労をかけたな……」
「いえ……わたくしの力ではありませぬゆえ」
「カッカッカ……まあいい。それで、だ」

 今まで柔和であった顔が、突然険しくなる。

「何故、我が下を去ったお主が、我が領地で太守となっているか。話を聞かせてもらえるのだろうな?」
「はい……もちろんでございます」

 劉表の言葉に、顔を上げて微笑む。

「まずは……事の起こりはわたくしが白帝城に立ち寄った際、偶然にも巴郡の太守である我が友、こちらにいる厳顔が近くに来ていることを知ったのがはじまりでございました」

 そう言って、隣でわたくしと同じように頭を垂れて跪く桔梗を見る。
 劉表様は、桔梗へと視線を向けた。

「ふむ……厳顔とお主は、確かに旧友であったな。お主の婚儀にも参加していたのを覚えておる」
「はい。わたくしは厳顔に面会するべく、彼女への連絡を待っていた為にこの白帝城に留まっておりました。その折、わたくしが宿泊している宿に傷ついた厳顔が尋ねてまいりました」
「傷ついた……? 見たところ大事無いようだが」

 そう言って訝しげに桔梗を見る劉表様。
 桔梗は、まだ自分が口に出すべきではないと、顔を伏せている。

「はい……その場に偶然居合わせました御仁が彼女の治療を行い、一命を取り留めました。そして次の日に彼が連れてきた医師により、厳顔を見る間に回復させました。劉表様は華佗という人物をご存知でしょうか?」
「いや……知らぬ」
「彼の者はごっど……五斗米道なる医師集団の一人とのことです」
「五斗米道……そういえば放浪している医師の中に死者すら生き返らせるといわれた者がいると聞いたことがある。戯言(たわごと)だと思っていたが……」

 劉表様が首を捻るのも無理はない。
 祈祷占いに頼る漢において、医師の立場はかなり低い。
 また、治療に莫大なお布施を要求されることも少なくないのだから。

「はい。実際、わたくしもその場に居合わせねば信じなかったと思います。彼は鍼で厳顔の無数にある傷を瞬く間に癒しました。正直、妖術かとも思ったほどでした。ですが……我が友厳顔を救ってくれたことには違いありませぬ」
「ふむ……お主の言うことだ。信じてよいとは思うが、な」

 そう言いつつも、どこか信じきれない様子で桔梗を見る劉表様。
 わたくしとて現場を見ていなければ到底信じられない事なので、あえて無視をする。

「ともあれ、厳顔は回復してその原因を話してくれました。それは、こちらの太守が錦帆賊に攫われたという内容です。厳顔自身、その現場に居合わせ、太守を救い出そうとして大怪我を負ったとのこと」
「なんと……真か、厳顔?」
「はっ!」

 劉表様の言葉に、ようやく顔を上げる桔梗。

「わしはかねてからの約定通り、劉表殿の領地からの援軍要請にて兵三千を率いて参りました。しかし、辿り着いて太守に面会すると、江賊との取引に邪魔だということで、その日に追い返されたのです」
「なんと……!?」

 劉表様は、文官へと振り返る。
 それを見た文官は、それが真実である、と頷いた。

「わしはすぐに兵を帰陣させようとしましたが、その際に我が友黄忠の伝言を受け、一人この白帝城に残りました。その向かう途中で太守が錦帆賊に連れ去られる現場を見て、取り戻そうとしたのです。結果は……(あた)いませず、不覚にもこの身に深い傷を負うことになりましたが」
「ふむ……お主ほどの剛の者がそれだけの傷を負ったのじゃ。他の誰だったとて、一人で奪い返すことは叶わなかったであろう」
「はっ……」

 再び頭を垂れる桔梗。
 劉表様は、視線をわたくしへと向けて、話を促す。

「厳顔と共に白帝城へと参上した折、錦帆賊からの要求が届いておりました。そちらの文官から話を聞き、その運び手に厳顔が指名されておりました。その事で厳顔は一人でゆくと申したのですが……」
「……たった十人相手にも不覚をとった我が身です。相手は何百人と待ち構えているかもしれませぬ。それゆえ、白帝城の兵を動かす必要がありました。ですが……」
「厳顔の申すとおり、兵は必要。しかし、それを率いる将がおりませぬ。本来、ここを治めていた武官は劉表様と共に出払っておりましたゆえ……」
「うむ……黄巾討伐の為、手が足りなくてな。地方の武官まで連れ出したのは失敗だったか……」

 劉表様が顎に手をやり、髭をもてあそぶ。
 この方が自身の失態を自戒するときによく行う仕草だった。

「それゆえ、兵はおれども将がいない状況では防衛はともかく討伐は難しい。なれば、一時的にわたくしがそのまとめをと申しまして……」
「我々文官を含め、白帝城の官民、全ての信任から黄忠様に一時的に太守をお預けしました」

 わたくしの言葉を遮り、文官が頭を垂れて劉表様へと報告する。

「黄忠様のご高名はかねがね伺っておりました。援軍として来ていただいたにも拘らず、多大な迷惑をかけた厳顔様をお一人で賊の下に送るなど出来ませぬ! とはいえ、我らが兵を率いることも出来ず……責は私にあります。どうか、どうか黄忠様、厳顔様には、なにとぞご容赦を……」
「ふむ……」

 劉表様が顎に手をやったまま、しばらく目を閉じて黙考しています。
 わたくしは、ちらっと背後に目を向けました。
 そこには一切喋らず、頭を下げている北郷さんがいます。
 彼は、わたくしたちと共に劉表様の前に跪いたのですが……どうやって紹介しましょう?

「うむ。仔細、あいわかった!」

 パン、と自身の太ももを打った劉表様が声を上げました。
 わたくしは慌てて顔を前へと戻します。

「先に結論を述べておく。この件について、黄忠、厳顔、文官の処罰はない。逆に儂から褒美をだそう。よくぞこの白帝城を守ってくれた。礼を申すぞ!」

 劉表様の言葉に、文官は「もったいないお言葉です!」と頭を下げました。
 桔梗は「ご温情、感謝いたしまする」と再度頭を下げています。

「劉表様のご温情、この黄忠、心より感謝申し上げます……なれど、わたくしの褒美は辞退いたします」
「む? 何故だ?」
「わたくしは本来劉表様のご温情にてその旗の下を去った身……にもかかわらず、そのご温情を仇で返すように勝手に太守としてこの十数日ほどこの地を支配してしまいました。この行為は義にもとる行為です」
「……しかし、それはやむをえなかったこと。儂はそれを咎めようとは……」
「いえ、それでは悪しき前例が残ります。危急の際には、だれでも太守になって国を奪ってよいという……そんな事になれば、劉表様の風評は他国の嘲りとなるでしょう。それだけはいけませぬ」

 わたくしの言葉に、ううむとうなる劉表様。
 そう……これは罰せられるべきこと。
 こんな無法の前例は残してはいけない。

「確かにその通りではあるが……とはいえ、お主を罰するつもりなぞ、儂にはないぞ」
「それでは周辺諸侯にも、民にも悪影響です。見せしめのためにも、何卒わたくしめに罰をお下しください」
「む……ううむ……」

 劉表様が困惑した表情でわたくしを見る。
 と――

「劉表様、発言をお許し願いたい!」

 わたくしの背後で今まで無言を通していた北郷さんが、声を上げた。




  ―― 盾二 side ――




「む? お主は誰じゃ?」
「私の名は北郷盾二……このたび、西の漢中周辺に(きょ)を持つ事となりました、劉玄徳に仕えておりました」
「劉玄徳の……?」
「今は故あって旅をしております……たまたま知り合った黄忠様、厳顔様に助成させていただいた次第」
「ふむ……お主にも褒美をよこせ、そういうことかな?」

 劉表は少しさげすむような目でこちらを見てくる。
 褒美欲しさに声を上げたと思われたのだろう。
 まあ、どうでもいいんだけどさ。

「いえ、そういうのはまったく必要ありません。そうではなく……黄忠様のことです」
「む?」
「黄忠様ご自身は、ひとたび劉表様の元を離れたにも拘らず、この白帝城の太守として、いわば国を奪った、そういうことになっております」
「…………」
「しかし、それは劉表様が黄忠様に命じていた策なのだとしたらどうなるでしょうか?」
「なに?」

 俺の言葉に劉表は眉を顰め、黄忠さんは驚いた顔で俺を見る。

「劉表様はかねてより案じておられました……自身の部下に、獅子身中の虫がいるのではないか。それを憂いた劉表様は、信頼しておられる黄忠様に密かに命じます。『我が(もと)よりしばし離れて慮外者を燻り出せ』と」
「……ふむ」
「そしてこうも伝えました。『万が一においては、太守より実権が必要になることもあろう。必要なときにはこれを提示して我が代理として事を成せ』、そうして渡されたものが……」

 俺は文官へと目配せをする。
 文官は、少し迷った後に懐から一通の書状を取り出す。

「劉表様……」
「む……?」

 渡された書状を広げた劉表は、その文面を見て目を見開く。

「これは……全権代理書か」
「はい。それを以って黄忠様は、不正を行う太守の行動を見抜いて錦帆賊共々捕縛したのです……」

 俺はそう言って頭を下げる。
 劉表は、手の内にある『偽造された』書状をじっと見ている。
 そう……あれは、俺が頼んで文官に作らせたもの。
 俺は文官に三つの書状を頼んだ。
 一つは、周辺の漁邑への命令書。
 一つは、黄忠さんが以前治めていた夷陵への援軍要請書。(黄忠さん直筆の依頼書付)
 そして、最後の一つがこの偽造証書だった。

「…………」

 劉表の目は冷徹に光りながら黙考している。
 これを怒りのままに破るべきか、これを利用するか。
 若い人間ならばこれを破り捨てるだろう。
 だが、年配で寛容であり、思慮深いとされる劉表の性格。
 それゆえの、いわば賭けだった。

「………………」

 劉表はしばらく経っても目線を上げずに黙考している。
 ここでもう一押しするべきだろうか……?

「……劉表様。その書状ですが」

 俺の言葉に、目だけがギラッと俺を睨む。
 一瞬、肝が冷えたが、ぐっと堪えて平静を保ち、微笑む。

「実は、少々不備がありまして……最後のところに落款が押されていません」

 そう。
 本来ならば、刺史などの公文書には必ず押されなければならない落款(らっかん)
 これがない文章は、あからさまな偽造である。
 だが、この書状にはその落款を『あえて』押さないようにした。

 もちろん、ここは城の内部。
 落款は、この白帝城にもちゃんと保管されている。
 そしてそれは目の前にいる文官の立場であれば、いくらでも利用できる。

 にもかかわらず、俺はそれを押させなかった。
 その理由は……

「ですので最初、それが偽造ではと疑われもしました。ですが……」

 俺が黄忠さんを見る。

「この城にいる全ての官と兵は、黄忠様をお信じになり、それを劉表様の直筆である、とお認めになりました。そして、黄忠様は錦帆賊を捕らえたのです」
「………………」
「全ては劉表様のご慧眼の通りになりました……ただ、その書状には落款が未だ押されておりません」
「………………」
「………………」

 劉表は、書状と俺の顔をその冷徹な目で交互に見やる。
 俺は、張り付いたような微笑でそれに応えた。

 正直、自分でも分が悪い賭けだと思う。
 だが全部が全部、だれの被害もなく場を納める手はこれしかないと思ったんだ。
 だから……あとは結果のみ。

「……確かに、これでは偽物よな」

 劉表がそう呟く。
 ……だめか。

「儂としたことがうっかりしたわい……おい、落款をもってこい」

 !!
 劉表の言葉に黄忠さんも厳顔さんも顔を上げた。
 目の前の劉表は、ニヤリと笑う。

「全ては儂があらかじめ仕組んでいたこと……厳顔を呼んで助勢させることも黄忠の助力をさせるために、儂が仕組んだこと。つまり、このたびの功績は全て儂の思惑通り。そうじゃな?」
「は……は! 劉表様のご慧眼と深慮遠謀! この北郷、感服いたしました!」

 うし!
 賭けに勝った!
 
「そうか、そうじゃったな……黄忠。大義であった。厳顔よ、苦労をかけたの。おぬし達の功には存分に報いよう」
「「もったいなきお言葉です!」」

 黄忠さんも厳顔さんも、頭を下げて礼を述べる。
 ふう……
 なんとかなったか。

「ふむ……そちは北郷とか言ったの。お主にも褒美をとらす。ちこうよれ」
「は……いえ、私はなにも……」
「よいよい、ちこうよれ。褒美に盃をとらす。それぐらいならばよかろう?」

 盃……酒を飲めと?
 まだ昼間なんだが……まあ、一杯ぐらいならいいか。
 俺は劉表の前で跪き、盃を受け取る。
 そして劉表が酒を注ぎつつ……俺へと耳打ちした。

「下手な理屈じゃが……まあ乗ってやろう。次はもう少しマシな理由を作っておくんじゃぞ」
「……は」

 そう言って、カッカッカと笑う劉表。
 俺は苦笑しながら、ぐいっと盃を煽る。

「!! カハッぁ!? げほっげほげほっ!」
「カッカッカッカ!」

 このクソじじい……
 その酒は、めちゃくちゃ強かった。




  ―― 黄忠 side ――




 劉表様との面会の夜。
 詳しい状況をまとめる為、明日の昼過ぎに再度、劉表様に拝謁することになったわたくしたち。
 ともあれ大きな問題は解決したとして、わたくしと桔梗、そして北郷さんの三人で祝杯をあげることになりました。

「いやあ、正直助かりました……お二人にも無理を言ってすいませんでした」
「まあ、わしも少々肝が冷えたぞ。劉表殿の寛容さがなければ成功しなかったのではないか?」

 北郷さんは、頬を掻きつつ頭を下げる。
 桔梗はそれに口を挟みながらぐいっと盃を煽った。

「分の悪い賭けだとは思いました。けど、黄忠さんの話から決して暗愚ではないと思いましたし。ならば利を提示しつつ、その寛容さに甘えた方がうまくいくのではないか、そう思ったんです」
「じ、実は危ない橋だったのですか!?」

 あれだけ自信たっぷりだったので、もう少し勝算があると思っていたのですが……

「成功する可能性は十分にある、そうは思っていましたよ? 黄忠さんの話では寛容であり、内政を考えて部下も兵も大事にする。あと、太守の処遇でも恩給与えて放逐という考えを、黄忠さんがすぐに答えられるほどならば、いっそ相手に処遇を預ける方が安全じゃないかとも思いました」
「ふむ……」
「それと猜疑心が強いとも仰っていました。ならば言葉の裏も読もうとするでしょうから、利を示すことができれば、部下への寛容さを示す為にも最悪でも放逐ぐらいで済むだろうと思っていましたよ」
「……そうですか」
「ただ、それでも激昂してあの偽造書を破られたらどうしようか、という不安がありましたけど……」
「……わしなら破ったかもしれんの」
「……厳顔さんじゃなくてよかったですよ」

 確かに偽造した公文書など、打ち首にあってもおかしくはないほどの大罪。
 あの場で三人とも打ち首にされても文句は言えなかった。

「でも、劉表様は破らなかった。それは黄忠さんを兵も文官も認めていたこと。実際に錦帆賊を捕らえたこと。裏切り者は、自分が任命した太守であり、しかもその太守が他領の太守である厳顔さんを殺そうとしていたこと……劉表様にとって俺達を殺す、ということは自身の風評にも大きなダメージ……弊害がありました。下手をしたら白帝城の人心が離れた上に、黄忠さんがもと治めていた夷陵、そして厳顔さんの巴郡との戦争の火種になったかもしれませんからね」
「つまり……劉表様にとっては、その手に乗らざるを得なかった、そういうことですか?」
「まあ、そういうことです。そんな自領の不始末、州牧になったばかりの劉表様には致命的ですよ。洛陽から首切られかねません」
「なるほどの……」
「で、あれば、俺の下手な話にも十分乗るだろう、と思ったんです。そうすれば逆に内外に自分を喧伝できますからね」

 内外に?

「どういうことじゃ?」
「内……つまり、部下には『寛容だけではない、裏切るのであれば容赦はしない!』という引き締め。外には『いくら部下を調略しようとも、見破っているぞ!』と警告して、自身の存在を大きく見せることができます。俺がここに来るまでの劉表様の評価は、内政は優秀だが戦は苦手、です。周辺諸侯は、この件が公になれば実は侮りがたし、となるかもしれません」
「そこまで見越して……ですか」
「いやはや……」

 わたくしと桔梗がお互いを見つめて溜息をつく。
 そこまで見据えての行動なんて、武人の私など考えもよらなかった。

「……もしかして今回の話、わざと穴のあるように話したのではあるまいな。わしにはお主ならばもう少しやりようがあったと思うのじゃが……」
「………………まあ、ご想像にお任せしておきます」
「あら……まあ……」

 つまり、完璧に理路整然というより、わざと下手な言い訳っぽく言ったと?
 …………
 確かに全てが彼の言いなりになれば、猜疑心の強い劉表様のこと。逆に反発心を生みかねない。
 だけれども、北郷さんが隙を見せていれば、劉表様は北郷さんを見下してわざとその手に乗ることで、逆に情けをかけようとするかも……いえ、実際にした。
 その温情を引き出すことも計算されていたと?
 ……なんて人でしょう。

「いやいや……俺にはあれで精一杯でしたよ。あんまり買いかぶらないでください」
「このっ! おぬしがそれを言うか!?」

 そう。
 彼は偶然居合わせたというだけで、桔梗の命を救い、その回復に方々を駆け回ってその代償すら受け取らなかった。
 そして一つの国の危機に、簡単に策を出して無傷で賊を捕らえ、尚且つわたくしと桔梗の立場をも救った。
 この人こそ……天の御遣いなのでしょう。

「北郷さん……本当にありがとうございますわ」
「いや……そんな大したことしてないですって」

 そう言って、ほんのりと赤くなった顔で微笑む。
 その顔がまた可愛らしい……

「賊を捕らえることができたのも、黄忠さんと厳顔さんのおかげですよ。俺は別に……」
紫苑(しおん)ですわ」
「は?」

 北郷さんがきょとん、とした顔をする。
 くす……

「わたくしの真名。紫苑です。そう呼んで下さいまし」
「あ、ああ……じゃあありがたく。俺は真名がないので……盾二(じゅんじ)でいいですよ」
「おう! それならばわしの真名も預かれぃ。わしは桔梗(ききょう)じゃ!」
「あ、はい。盾二です……よろしくお願いします。紫苑さん、桔梗さん」
「たわけ! 呼び捨てんかい! ですますもいらん! よいな、盾二!」
「そうですよ。盾二様」
「え? いや、様って……いいんですか?」

 くすくすくす。
 盾二様が顔を真っ赤にしながらうろたえる姿が可愛い。

「何ならご主人様とでも呼びま――」
「い、いえ! 盾二様で結構です!」
「あら?」
「ふぁっはっはっは! わしは呼び捨てにするからの! お主もわしを呼び捨てよ、わかったな、盾二よ!」
「は、はあ……じゃあ、桔梗、紫苑。今後ともよろしく!」
「うむ!」
「はい」

 わたくしは笑顔で応えて盾二様の盃にお酒を注ごうとする。
 と……

「盾二! そんな小さい盃でちまちま飲むでない! これを一気で飲め、いっきで!」

 そう言って桔梗がどん、と瓶を置く。
 って、桔梗!
 それ白酒(パイチュウ)じゃないの。

「ええ!? いや、俺はそんなに酒強くないし……普通に飲む分はいいけど、飲みすぎると記憶なくすんですよ!」
「よいではないか! 明日は劉表殿に面会するのも日が天頂から傾く頃じゃ! 十分寝ていられるぞ!」
「いや、だから、深酒は――」
「ええい、やかましぃ! 飲め、飲んでしまえっ!」
「ゴボッ!? ごぼごぶごぼぼ……」

 あああ……
 止める間もなく無理やり瓶を盾二様の口に押し込んで……
 白酒は、特に強いお酒なのに……

「ごくごくごくごく……げふっぅ…………」

 バタン!

 白酒の瓶を殆ど(から)にして、口から離した盾二様。
 そのまま倒れるように台に突っ伏してしまいました。

「ふむ……飲ませすぎたかの?」
「桔梗……貴方やりすぎよ? このお酒強いのだから、無理したらダメじゃないの!」

 わたくしは、水を入れつつ盾二様を抱き起こす。
 顔から火が出るのではないかというほど真っ赤になった盾二様は、呂律(ろれつ)が回らないことを呟きながら唸る。

「大丈夫です? しっかりなさってください。お水を――」

 わたくしが、盾二様にお水を少し口に含ませる。
 すると、少し口がもごもご動いた瞬間。

「う……ふひひ」
「え?」
「お?」

 突然、にへらっと笑い出す。

「へへへへ……ひっく……かわいいにゃあ……」
「え? え? ええ?」
「お、おおう……」

 だらしなく真っ赤になった顔を垂れさせた盾二様。
 さっきまでのどこかきりっと整っていた顔が、見事に崩れている。

「あ、あの、盾二様? お水を……」
「うん、飲む。飲ませて!」

 ……もしかして、幼児退行なされてます?

「は、はい、おみ――」
「いっただっきまーす!」
「ず――んむっ!?」

 ずちゅるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるっ!

「うお!?」
「!? !? っ!?」
「んーむ、あーむ、んく、ちゅく、うむ、うにゅ、ちゅるる……ぷはぁあ!」

 な、なななななななななななななななな!?

「お、おおう……す、すごい接吻じゃった……」

 桔梗の唖然とした声が聞こえる。
 しかし、わたくしはそれどころではなかった。
 し、舌が、舌が口の中でうねうねと……

「んー……まだ足りない……もっと、もっとお水ぅ……」
「え? あ、え? ちょ、じゅ、盾二!? 水はそこに……」

 真っ赤な顔でじりじりと桔梗ににじり寄る盾二様。
 冷や汗を垂らした桔梗が逃げようとするが……すぐにその腕をつかまれて引き寄せられ――

「いただきまーす……」
「ひぃ、やめっ、やめんーーーっ!?」

 ずちゅるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるっ!
 ずちゅずちゃずちゅるじゅちゃずちゅじゅじゅるずちゃるずちゅちゅじゅるるるるっ!

 ……うわ。

「んーっ……ぷはぁ……ひっく」
「ぶはっ! んはぁーっ! はぁーっ、はぁぁぁ……」

 盾二様が口を離すと……その。
 桔梗との口元からものすごい量の糸が垂れて……
 桔梗は、くたっと椅子に倒れこんだ。

「き、桔梗!? だ、大丈夫!?」
「ひっ、ひっ、ひっ……し、しお、しおん……わし、わし……」

 ちょ、ちょっと!
 桔梗が、桔梗が!
 乙女のような顔になっていらっしゃる!?

「わし……もうお嫁にいけん……ぬ、濡れてもうた……」
「…………わかるわ」

 思わず同意するわたくし。
 ちらっと盾二様を見ると……

「んー……? 口がねばねばする……みず、水は……」

 そう言って口に指をいれてぴちゃぴちゃと……うう、ちょっと卑猥だわ。
 って、そんな場合じゃないわ。

「き、桔梗……動ける?」
「か、かろう……じて」
「なら、盾二様を(きぜつ)とせるかしら? このままじゃ、本当に(かんらく)とされるわよ?」
「……それもいいかもしれん」
「桔梗!?」
「だが、まだ小僧に操をやるのもな……わかった。紫苑、注意を引けるかの?」
「まかせて……お願いね」
「承知した」

 わたくしと桔梗ががばっと起き上がり、盾二様を見る。
 とろーんとした顔でこちらを見る盾二様。

「あー……おみずぅ……」
「うう……ご、ごめんなさい、盾二様!」

 盾二様が、こちらを掴もうと出してきた手を絡めて腕を極める。
 そこにすかさず桔梗が首に手刀を打ち込む――はずだった。

 ぐにゃり。

 そんな音がするかのように力が抜けたと思った矢先、極めていた腕がすり抜ける。
 身体を捻った盾二様が、肩の骨をはずして抜け出したのだと気付く間もなく、わたくしが地面に倒れる。
 そして――

 ずちゅるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるっ!

 わたくしの背後で、そんな音が聞こえた後。
 ドサッと倒れる音が聞こえた。

 ………………
 わたくしは、怖くて体が起こせない。
 だが――それは許されなかった。

 ぽん、と肩に手が置かれる。

「ヒィッ!?」

 私が振り返ると、ゴキッと音がして肩をはめ込む盾二様。
 そして、その足元でピクピクと身体をひくつかせる桔梗の姿が。

 その日わたくしが見た、最後の光景だった。
 
 

 
後書き
ちなみに白酒、今はアルコール濃度は38度前後ですが、20世紀まで50度以上でした。
酒屋に話を聞いたら60度以上のが古代中国は普通だったそうです。
現代人のやわい肝臓じゃ死ぬって……

8/15 誤字修正 一部文章の改定 
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