鋼殻のレギオス IFの物語
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二十話・後編
前書き
夢を抱き日々を生きる少女がいました。
まだ見ぬ未来を描き、見えぬ将来に希望を持っています。
少女はかつて約束をした男の子の事を思います。
彼がどこを歩いているのか。彼は約束を覚えているのか。
いつか互いの夢が叶う事を思い、見つけた光へ手が届くことを願います。
――――――――――
少女はふと声が聞こえたように思いました。
何気なく振り返った彼女に周りの人々は気に留めません。
少女は気の性だとふと微笑みます。
夢を交わした彼がきっと前へ向かってくれているのだと。
何一つ知らぬ少女はそう思いました。
理解及ばぬ相手の悲鳴も怒号も微笑みも、遠い残響の違いなど知れぬというのに。
夕暮れのグレンダンの街中は少しいつもよりざわついていた。
道でも店の中でも人々は話していた。語る人々は様々な表情を浮かべているが一人として楽しげなそれを浮かべていない。
それは大会優勝者の怪我によりズレたとされる天剣の授与式があるからではない。そんな活気に満ちた雰囲気ではなくそこか疑心と不安に駆られた様な澱んだ賑わいだ。
彼らが話すのは凄まじい速さで広まった一つの話題。
此度の天剣が犯罪者だという噂。
本来なら鼻で笑い飛ばすか酒の肴に骨董無形なそれを笑うかだが今回は違う。
確かな証拠と証人が出ているのだ。
「あの写真本物だ」
店に入って来た男が言う。
彼は仲間たちがいる場所に行き自分が調べてきたことを話す。
「合成の可能性も無い。写っていた場所を見つけて建物を見に行った奴もいる。実際に試合を見たっていう奴だって何人も出てる」
「マジか……。でもよ、写真は俺も見たけど仮面付けてたぞ。確証はないんじゃ……」
飲み仲間の一人が言う。だが彼自身取り敢えず言ってみたというつもりなのだろう。その言葉に強さはない。
案の定すぐに否定の言葉が帰ってくる。
「それは無い。聞いた話じゃ闇試合トップの実力だという話だ。あの背丈でそれだけの実力の背格好なんざ他にいねぇよ。何でも数年前は実際に闇試合のチャンプだったそうだ」
「確かその時の写真も出回ってるんだろ……なら、やっぱなぁ」
「ああ。信憑性は怪しいがユートノール家が今回の事を認めたという噂もある。後ろ盾だってほざいて大きく動いてる奴もいるってよ」
「なるほど、ねぇ」
言葉を濁すように男は酒を煽る。
「理由はやっぱ金、か」
「ああ、そういう噂だよ。……かなりがめついらしいぞ。金の為だけに外に行ったって話もある」
「なんだそりゃ?」
「闇試合で数年前チャンプだったのに今は違うってのは変だろ? 負けたわけでもない。勝ちすぎたせいで出禁くらったらしい。暫くほとぼりを冷ませる必要があったらしくその間に他都市で傭兵の真似事して金を荒稼ぎしたらしい。自称事情通からの男が言ってるらしい」
「自称事情通て」
「いや、調べたが確かに一年半ほど公式記録から姿を消してる」
「そういや大会で名前聞かなくなった頃が……金の亡者だな。ガキの癖に傭兵までするとかどんな考えしてんだよ」
傭兵に対して余り好意的な印象はグレンダンの住民にはない。その例に漏れず男は言葉を吐き捨てる。
友人が手を伸ばし男の分の肉を取る。取り敢えず男は内心その友人に恨み言を言いながら酒を煽り、そう言えば、と自分が聞いた話を思い出す。
「なら、俺が聞いた話も本当だろうな」
友人たちが男に目線で先を促す。
「あのガキ、試合で対戦相手を殺すつもりだったとか。対戦相手の……あー」
「ガハルド・バーレーン」
「そうそいつ! 病院でそいつが言ったらしい。事故に見せかけて殺されかけたって。あの試合、最初から手加減されて仕組まれたとかどうとか」
「ホントかよそれ……」
疑心の目を向けてくる友人たちに男は語調を強める。
「ただ言うだけなら嘘かもしれん。だが態々手加減されたって言うか普通? 自分が及ばず遊ばれたって宣言するようなもんだぞ。負けた上でそんなこと俺なら言えねぇよ。嘘ならな」
酒の残りを一気に男は煽る。
「僅かだが一部の武芸者の意見の中には最後の方に感じた剄に違和感があった奴もいるとよ。試合の映像みんなで集まって見て検証してる奴らもいたけど……ウプ、闇試合とか傭兵とかの事聞いてるとマジな気もしてくるな」
「ガハルドって現役トップクラスだろ」
「決勝まで行ったんだ。天剣除けば現役二位じゃね?」
「ああ。もし噂が本当ならレイフォンって奴、ありえないほど強いっていことだろ。二位の奴を相手に遊んで軽く殺せるんだから」
「とんだバケモンだな。金積めば人殺しとか幾らでも引き受けんじゃね?」
「流石にそれは無いだろ……。後ガハルド死んでねぇぞ」
言いながら一層疑心の目を彼らは深める。
正直な話探れば探るほど今回の事件の張本人レイフォン・アルセイフについての後ろめたい噂は出てくる。だというのにそれを否定する証拠や証言の類は未だ一切聞いていない。疑うのもしょうがないと言える。
疑問といえば噂の規模も変だと男は思う。広がる早さが些か早すぎるような気もするのだ。まるであらかじめ準備されていたかのように。
そう思いながらも「まあ、人が人だからな」と男は納得する。天剣という存在はグレンダンの住民にとってそれだけ大きい。
それに、噂が残らず本当だからこそ広まったのかもしれない、とさえ男には思える。
店員に酒を注文して男は周りを見る。
聞こえてくる声からはこの事を話しているのは自分達だけでないことが分かる。もしかしたら正義感の強い過激な者たちによるレイフォン・アルセイフの排斥運動まで起こるかもしれない。自分にそこまでの熱はあまりないが、天剣に焦がれていた若い武芸者や一般市民からの反発は強いだろう事は容易に想像できる。
事実が分からず噂が先行すればいらぬ想像が掻き立てられ存在しない話が入る余地さえ出来る。そうすれば明確な形にはならずともその時間が長いだけ排斥の機運が高まることもある。
憧れを踏みにじられた怒りは強い。それが汚されることを嫌う人もいる。
決して手の届かない一般人や純粋に憧憬の気持ちを持つだろう子供からしたら衝撃はより一層大きいだろう。
感情の落差は、高ければ高いだけ心に衝撃を与える。
「少なくとも天剣就任の話はご破産確実かね」
男はそう呟いた。
グレンダンの中央部にある王宮。
レイフォンはそこにいた。
王宮に来ること自体はレイフォンにとって初めてのことではない。老性体の襲撃時など武芸者が王宮に集められる事もありグレンダンの武芸者にとって王宮に足を踏み入れたことが無いと言う者の方が珍しいと言えるだろう。
だが、彼らが足を踏み入れるのはあくまでも外側。ある種本当の意味で王宮とも言える内部に入ったことがある者は少ない。そこに自由に足を進めることができるのは王家の一員や天剣授受者と言った一部の人間がほとんど。例を挙げれば女王であるアルシェイラ・アルモニスが好んで昼寝をする庭園などがそれに当たるだろう。
そんな王宮の中の一室。関係者以外が許可なく立ち入ることを許されない開けた空間。そこにレイフォンはいた。
奥には装飾のされた椅子。その手前には僅かばかりの段差とそこにまで続く敷物。それを真ん中に部屋の左右に柱。
左右には何度か見たことのある天剣が幾人か思い思いに立っている。こちらに視線を向けている者もいれば煙草を吹かしたり床に座り込んでアクビをしたりする者もいる。レイフォンの視線に気づいたその内の一人、柱に背を預けていたサヴァリスが手を振るがレイフォンはそれを無視し奥を見る。
椅子の横には豪華な刺繍をされた服を纏い目元をヴェールで隠した女性が立っている。式典や行事を取り仕切る女王で、本物ではなく影武者の天剣だろうと皆には知られている。レイフォンも彼女のことは何度か見たことがある。
「……」
特に言うことも思い浮かばない。入ってきた扉から離れるようにレイフォンは数歩部屋の中へと進む。それに合わせる様に腰につけた錬金鋼が小さく音を立てる。
レイフォンがここに居るのは王宮への招集命令があったからだ。一人で来るようにと言われ、案内のままにこの部屋へと来た。招集の要件は聞いていないが広まった噂は知っている。見当がつかないほどレイフォンは馬鹿ではない。
「何故呼ばれたのか理解していますか?」
静寂に澄んだ声が響く。
女王の影武者―――いや、一応断定出来ない以上ここは女王としておこう。微かにヴェールを揺らし女王がレイフォンに問う。彼女の目元は隠されレイフォンにはその真意を推し量ることはできない。
「僕が闇試合に出ていたという噂なら」
レイフォンが答える。
レイフォンの表情は薄く自分でも驚く程心が落ち着いている。まるで戦場で剣を握った時のように思考は静かだ。
だからこそ敢えてもう一つの噂は口に出さない。
「否定はしませんか? では全て真実として認めると」
「はい」
ガハルド・バレーンを斬った。けれどレイフォンの闇試合の件は表に出てしまった。
凄まじい速さで広まった噂は瞬く間に都市中に伝播し、共に回った写真がそれは真実なのだと人々に知らしめた。
それだけでなく生き残ったガハルドの証言によりその日の内にもう一つの噂―――レイフォン・アルセイフがガハルド・バレーンを事故に見せかけ殺そうとしたという噂まで巡った。
あの時殺しておくべきだったと再度レイフォンは悔やむ。傷を負っている左腕を掴む力が意識せず強くなる。
レイフォンの左腕はあの試合で受けた損傷によって骨が折れている。簡単にだが今この時も固定されている。腕の傷を除いても数箇所包帯が巻かれている。それらの傷自体はある種演出の為にわざと負った怪我であり問題はない。
だがこの傷の為に天剣授受の式典は試合の日、その日の内には行わないという通達が降りた。そして一日が経った頃には既に噂が周り式典は行われず今日に至っている。
「そうですか……」
女王がレイフォンの答えに小さく頷き言葉を述べ始める。
「武芸者、殊に天剣授受者は民の希望を背負う存在。命を預けるにたる存在だと思われなければならず、庇護者としてそれに沿う品性の伴った振る舞いが求められます」
それは武芸者として生きてきたものならば一度は聞かされたことのあるはずの言葉。
「剄という恩恵。それを得た武芸者は剄を持たぬ一般の民からすれば超常の力を持つ存在です。その力にモノを言わせれば持たぬ者は抗う事能わずその意思を踏み躙ることも出来るでしょう。力を持つ者としての権利も他者と違い与えられています。けれど権利には同時に義務が生じます。力を持つものならば尚の事。その力を振るう意味を考えねばなりません」
剄は天からの恩恵。振るう場所を選び使い道を考えるべし。力持つ者として他者の力に。武芸者としての権利と義務を。
「汚染獣という大地の覇者に対する希望が私たちです。いくら超常の力を持ち振るうとも、それを行う者の意思が伴わねばそれは汚れます。民を導くことなど出来ません。いずれ振るうはずの力に振るわれ意思は堕落し民への圧政を導くでしょう。武芸者が超常の存在とは言え一人では生きられません。不毛な大地に投げ出されれば汚染物質に体を焼かれ、孤立すれば飢えるでしょう」
都市に生きる皆のために力を振るえと。人々の規範になる様に生きろと。そしてそれはレイフォンにとって―――――――
「錬金鋼一つとっても武芸者でない人の手が入っています。腹を満たし、寒暖を遮り、安らぎを得、日々を生きる。それら全て一般の人々との協力があって初めてなされます。どちらが上でなく下でなく。けれど力を持つ私たちはそれに従った規律を持って。受け入れられ共に歩むため、人々の模範としての行いが求められます。荒れ果てたこの大地の上で助け合い、共に生きる為に」
―――――かつて自分たちを助けて(救って)などくれなかった言葉。
正しいのだろう。どうしようもなくその言葉は正しいのだろう。守らねば法は体を成さず治安は荒れる。けれど家族を生かしてなどくれなかった。救ってくれなかったではないか。
食糧危機が起きたあの時、全ての人を救うなんて無理だったことぐらいわかる。犠牲が出てしまうのがしょうがなかったことも。
けれど弟が死んだ。親切にしてくれた近所のおじさんも死んだ。妹は憎しみの目でずっと見続けていた。
気づかぬ内に奥歯を噛み締め、心がどうしようもなく冷たくなっていくのをレイフォンは感じる。
誇りが気高いものだと知っている。遵守すべき物だと理解している。
けれどそんなものを抱いても腹は膨れない。食糧危機を通しそれをレイフォンは学んだ。
死んでしまったら終わりじゃないか。死者に誇りなんて意味はない。
死んでまでそれを貫き通して何になるというのだ。
誰かを助けるために力(それ)があるというのなら、守りたい人の為に、救いたい人の為にそれを振るう何が悪いのだろう。
レイフォンにはそれが理解出来ない。
だがそんなレイフォンの思いなど知らぬように抉る言葉は続く。
「あなたはそれを破りました。子供とは言え罰を与えぬわけにはいかないでしょう。殊に武芸者よりも一層の品位を求められる天剣授受者の――――」
「あー、めんどくさ! 話長いって」
突如別の声が女王の言葉を遮った。
軽快なその声の先を探りレイフォンは驚愕する。
女王の横、先程まで誰もいなかったはずの豪華な椅子の前。そこに一人の女性がいた。
勝気な瞳。長身で妖艶な肢体。煌びやかな服を着た黒髪の美女は場の空気を気にせず自由に振舞う。
「カナリス、あんた話長い。聞いてて眠たくなってくるわ。どうせそこらで言われてる様な教訓並べてるだけなんだろうからもっと短くしなさい。かたっくるしったらないわよ」
「いえ、あの、陛下?」
一転困惑した声が上がる。
今の会話から彼女が、そして今まで喋っていたのが誰なのか分かる。それでなくともこの場に現れたということ。意識が僅かにそれていたといえ、声を聞くその瞬間まで存在に気付けなかったこと。驚きに揺れるヴェールから覗いた顔とほぼ同じ顔。これだけあればレイフォンにも推測出来る。
さっきまで静謐に喋りカナリスと呼ばれた女王は――――否、女王の影武者。天剣の一人。名をカナリス・エアリフォス・リヴィン。
「あんたは形式重んじて儀礼的にやろうとしてるのかもしれないけどさ、その性格の性でお堅いのよね。一般大衆が居る場なら「あー、ホント有難いお言葉」ってなるかもしれないけどここは私たちしかいないの。意味ないわよ。――――ああ、そうそう」
そしてそんなカナリスを叱ってシュンと項垂れさせ、レイフォンの方を向く彼女こそ――――
「シノーラ……さん……?」
ここに居るはずのない人物。暫く前に一度会ったリーリンの友人の名前が意識せずレイフォンの口から声として漏れる。
それを受け彼女が――――影ではない本物がその名を告げる。
「二度目ね。シノーラ・アレイスラ改め、私が――――」
――――女王アルシェイラ・アルモニスよ
「あんた、あの時対戦相手のこと殺そうとしたでしょ?」
唐突にアルシェイラがレイフォンへと問う。
シノーラがアルシェイラだったことへの驚きもありレイフォンは言うべき言葉が思いつかない。
「あ、別に答えなくていいわよ。聞く気ないしもう全部知ってるから。まあそれはさておき、言うことはさっきカナリスが言ったから処罰を告げるわ」
相手を気にしない自由な立ち振る舞いに強気な口調のふざけたような言い方。前に会った時と同じように軽い口調でアルシェイラが言う。
「あんたの天剣就任は白紙。まあ正式には保留ってとこだけど」
告げられた処罰にレイフォンは項垂れる。だが当然の処置(それ)に言うべきことも思いつかない。
「後あれ、あんたんとこに孤児院の諸々の保護。あれ無しだから」
告げられた言葉にレイフォンは思わず女王を見る。
「何変な顔してるのよ。天剣に就任したらって条件だったんだから当然でしょ」
確かにあの時クラリーベルはそう言っていた。けれどそれは……! とレイフォンには思わずにいられない。
そんな心境のレイフォンの事など意に介さないようにアルシェイラは尚も続ける。
「あとそうね~……闇試合の事これだけ広まっちゃたし、あんたがあそこで稼いだお金、没収しちゃおっか」
「―――――ッ!!!」
アルシェイラが軽く告げた言葉にレイフォンは声にならない叫びを上げかける。
家族を守るための金。レイフォンにとってそれを奪われるわけにはいかない。
だからこそレイフォンはその言葉を耳にし、抑えきれずアルシェイラを睨む視線に一瞬殺意が―――
(―――え?)
視界が開けていた。
いや違う。いつの間にかレイフォンの視線が天井を向いていたのだ。
理解する間もなく鈍い大きな音と共にレイフォンの体に激痛が走る。
「あ゛がっ!?」
突き抜ける衝撃と痛みにレイフォンの意識が一瞬ブラックアウトしかける。
背中に感じる硬い感触。見上げる天井。そしてこちらを覗き込むようにすぐ傍に立つアルシェイラの姿。
一瞬遅れて彼女に殴られたのだと理解する。
(っいつの間に?!)
近寄られたことはおろか殴られたことさえ痛みを感じるまで気づけなかった。気付いたら空間転移したかの如く傍にいたというその事実にレイフォンは理解が及ばない。
「あ? あんた何しようとしたわけ。ま、足掻きたいなら好きにしていいわよ」
アルシェイラがレイフォンを見下ろしながら言う。
「それよりあんたの家族も大変よね」
アルシェイラが哂う。
「家族から犯罪者が出て責められるんじゃないかしら。同類だって見られるかもねぇ。あんた子供だし責任は養父の……あー何て言ったっけ……デルクだっけ? そいつの教えが悪かったって武芸者の恥晒しだって――――」
「っそれ以上―――!!?」
叫びかけるが不可視の圧力がレイフォンにかかる。
自分は何を言われてもいい。けれど養父が馬鹿にされるのはレイフォンには見過ごせない。
何も関わっていない養父をそれ以上言うのは許せない。
その思い。そして殴られた衝撃に冷静な思考が出来ず、そこへ更にかかった圧力にレイフォンの体は反射的に動く。
右手が腰元の錬金鋼に伸び、掴む。
「レス――――」
キィン、という硬質で短い音が響く。
その音に一瞬遅れ、復元されかけた錬金鋼が手から消えているのにレイフォンは気づく。
何が起こったのか分からない。
そう思った瞬間レイフォンの手に激痛が走る。
「ッあ゛!?」
熱を持った様に熱く、幾千もの小さな針が内側で蠢いているかの様な痺れを伴った痛みにレイフォンは悲鳴を上げる。
今のも先ほどと同じだとレイフォンは気付く。視認出来ない程の速さでアルシェイラが手を蹴り飛ばしたのだ。
それも先ほどとは違い、万全ではなくとも剄で強化してあった目でさえ追えぬ速さで。
アルシェイラがレイフォンを足で小突き転がす。
「ほら、好きに足掻きなさい。許可するわ。もし私を倒せたらご褒美に今回のこと全部目を瞑って上げる」
痛む手を抑えレイフォンが一息で立ち上がる。この手では剣を持てない。
そのまま渾身の衝剄をアルシェイラに向けて放つ。
アルシェイラはそれに対し手を腰に当てたまま何もしない。
「え?」
レイフォンの声が上がる。
衝剄はアルシェイラにそのまま衝突した。けれどアルシェイラの体に傷一つ付かない。衝突した瞬間風が流れその髪を揺らしただけだ。服にさえ傷一つない。
その結果にレイフォンは唖然とする。今のは直撃して無傷で済むようなものではない。けれど実際にアルシェイラは無傷。何かしたのかもしれないがレイフォンには何も見えなかった。不意にレイフォンの全身に衝撃が走り床に叩きつけられる。
何をされたのか理解出来ない。出来ぬまま凄まじい衝撃が全身に加わりレイフォンの体から力が抜ける。
倒れ伏したままロクに動けないレイフォンにアルシェイラが近づく。そして首元を捕まれ持ち上げられる。
「――――っあ………」
「さっきのは嘘よ。お金没収なんてしないから安心しなさい。あんた以外の悪評も抑えるわよ」
呻くレイフォンにアルシェイラが言う。
「カナリスが言ったような言葉だけ聞いたってあんた聞かないでしょ。こっからの話の為にも体で教えたのよ。あんたさ、自分がやったことの何が悪かったか自分でわかってる?」
体はロクに動かないが口を動かすくらいなら出来る。けれどレイフォンはアルシェイラの問いへの答えが思い浮かばない。
それが分かっていたのだろう。そんなレイフォンを見てアルシェイラは言う。
「一般人を怯えさせちゃ駄目なのよ。そこらの奴ならまだしも、あんたくらい強い奴は色々問題なの」
物分りの悪い相手に優しく教えるようにアルシェイラは言葉を続ける。
「あんたがお金に執着してる原因って昔あった食糧危機でしょ? 家族を救いたいってのは分かる。けどさ、後ろめたいことしてバレたらそこでアウトなの。しちゃ駄目なのよ。武芸者へのイメージの失墜になったりするからね。誇りってやつ。あんたはその辺の認識が昔のことで変わっちゃってるだろうから法とか抜きでもっと分かりやすく教えてあげるわ」
んー、と少し悩んでアルシェイラが口を開く。
「あんたにとって誇りよりお金が大事。お金があれば家族を守れるから。その為に法を犯した。それであってるわよね?」
「……はい」
「けどね、それって私たちにとっても同じなのよ。あんたが法を犯すことで武芸者というものへの印象が落ちる。特にあんたは天剣っていう称号まで手を伸ばせる奴だから影響は大きいの。そこらの雑魚が同じことするよりもずっとよ。武芸者への印象低下はそのまま私たちの生活にも害を及ぼす。あんたの行動によって私たちが害される。あんたが自分や自分の家族の利益のために行動したように、私たちは私たちの利益のために行動する。あんた一人の行動のために武芸者全体への不利益なんて見過ごせないのよ。あんたが自分の行動を「何が悪い」って思うならこっちだってあんたを罰して「何が悪い」」
個人と大衆の利益の判断。それを律し社会を守るための法。それを行うは政治というもの。
そもそも法はアルシェイラ側。悪はレイフォンの側。
家族を守るために何でもやるとレイフォンは思ってきた。相手は自分たちを守るためにレイフォンを罰す。法という観点を抜いて見ても、相手がしているのもレイフォンがやっていることと同じ様なもの。利益の邪魔になるものを排除するという行為。文句を言えるものではない。
「まあ、今のは結構暴論だけどね。けど武芸者っていうのは一般人からの尊敬とかその辺の、むず痒い感じの相手じゃなきゃいけない。何せ恐怖を感じるから。常に凶器持ってる相手と仲良く出来ないでしょ。だから信頼させなきゃいけないの。実際―――」
アルシェイラが視線を周囲の天剣に向ける。
「―――ここにいる連中はカナリスが言ったような言葉なんてロクに気にしてない。ご大層な精神論語っても歯牙にもかけず無視する奴らばかり。サヴァリスなんかその類のことあんたも知ってるでしょ。けどそいつらだって最低限のことは理解してるから無力な民衆に向かって暴れたりしない。老性体の撃退や弟子の育成、都市警への協力などの実績で信頼を形成してる。凶器はそっちに向かないって」
アルシェイラの指がレイフォンの体をなぞる。
「そもそも一般人と武芸者は凶器とかそれどころの差じゃない。それは武芸者と天剣、天剣と私も同じ。さっきあんた私に歯が立たなかったでしょ。それと同じ位の差が一般人と武芸者にはあるの」
指がレイフォンの体をつつく。
「ぁッが!?」
ツン、と一件優しく突っついているだけ。だが指が触れるたびにまるで稲妻に穿たれたかのような衝撃がレイフォンの全身に広がる。アルシェイラは何度となくレイフォンを突き、その度に走る全身が砕かれるような痛みに苦悶の声が上げる。
動きが見えず、攻撃の一切は効かず、気づいた瞬間には攻撃を受けている。
それだけの差があるのだとアルシェイラは言う。
レイフォンは今まで戦いで圧倒されたことはない。武芸を始めたばかり、まだ幼い頃養父に負けたことはある。けれど圧倒はされなかった。鍛錬を積んで成長してからは敵と言える相手はいなかった。
天剣であるサヴァリスには現時点では及んでいないと理解しているがその動きはちゃんと見えている。そこまで大きな差があるとは思っていなく、そもそも天剣はグレンダン最高戦力と言われている相手。
敵わなかった相手ならジルドレイドもいる。あれは圧倒といってもいいかもしれないが、何をされたかは理解できた。
つまりはっきりとどうしようもなく「敵わない」と、立ち向かうことさえ無理だと思えるだけの相手に会ったことはなかった。
けれど今日、レイフォンは女王の力を見た。何一つ対抗出来ず、遊ぶように圧倒された。
だからこそ、言わんとすることが実感として理解できる。
「カナリスが言ってたように私たちの生活には武芸者以外の存在が不可欠。私だっていくら強くとも飲食しなければ一週間も持たない。試したことはないけど、全力で活剄を使ったとしても一月ちょっとかしら。そもそも防護服無しでレギオスの外に出されたら直ぐに死ぬ」
日々の生活の中、一般人の手があるところは多い。そもそも武芸者のほとんどは武芸に身を置いていることが多い。飲食物や医療、衣服などにおいては一般人がその大半を占める。
汚染獣を始めとする様々な脅威から身を守るために武芸者は必要とされ、日々の生活のために一般人は必要とされる。
相互の協力が絶たれるわけにはいかないとアルシェイラはレイフォンに説く。
「ま、流石に今回のこと程度じゃそこまで心配する必要はないわ。けれどあんたが対戦相手を殺そうとした事。あれは不味かった。まだあんたが本当に殺そうとしたのか知られていないし、確定的なものは相手の証言しかないから大丈夫だけど」
そうなる様にレイフォンが仕組んだ。もっともアルシェイラにはバレたようだが。
「事故に見せかけようとしたからまだ良かったものの、最初の一撃で殺すような、傍から見て丸分かりの行為をされでもしたら暴動が起こる可能性があった。最悪の事態は、より強いあんたの悪意で避けられた。その事だけは褒めてあげるわ」
それが褒められるような事ではないことくらいレイフォンには分かる。
「けれど変に噂が巡っちゃったし、闇試合のこともあるから「もしかしたら」って雰囲気が流れてる。あんたを天剣に出来ない一番の理由はそれよ。既に天剣に成っていたのなら謹慎や罰金とか下げる罰でも良い」
アルシェイラの纏う空気が変わる。
首にかかる手に一層の力が加わり気道を圧迫する。
「―――――けれど天剣就任は、「上げる」事だけはするわけには行かない。犯罪を容認するのだと公言するわけには行かないんだよレイフォン」
「――――ぁ」
優しさを持たないどこまでも深く澄んだ「女王」としての瞳がレイフォンを貫く。
「この都市の武芸者の長たる私が、女王である私が公に犯罪を容認するわけには行かない。それは庇護者たる存在である武芸者のイメージを揺るがす。常に傍にある凶器が自分に向けられるかもしれないと、それが容認されると民に思わせるわけにいかないんだ」
首元を掴む力が緩まりレイフォンの体が床に崩れ落ちる。
それと同時、アルシェイラの纏う空気が元に戻る。
「ま、そんなとこよ。公への発表だけど、あんたの事で公に確定してるのは闇試合だけ。“事故”の方はあくまでも事故とこっちの方では発表させて貰うわ」
軽い口調でアルシェイラが言う。
「闇試合のことに関しても極力あんたの家族に悪評が立たないようにしてあげる。公の発表内容はこっちに任せなさい。事情ありってことで情状酌量にしてあげる。家族のことに関しても悪いようにはしないわ。あんたは闇試合のことは認めて、“事故”に関しては事故だったってする様に。相手の方だって馬鹿な事したんだからどっちもどっちよ」
ガハルドの事も知っていたのだと理解する。
レイフォンは倒れた体に力を入れる。全身に痛みが走るが、何とか膝立ちの姿勢に体を起こす。
「じゃあ、今回のことについての処罰を改めて告げるわ。天剣就任は白紙。今あった私からの肉体的折檻。後あんたは暫く留学」
「分かり……はい?」
頷きかけ、言われた言葉につい疑問の言葉が出る。
「何かおかしかった?」
「いえ、その……聞き間違いでなければ最後に留学って……」
少なくともレイフォンはそう聞こえた。
「ええ、言ったわよ」
そしてアルシェイラは大きく頷いて肯定する。
「あんたがバカしたのはここの環境のこともあるからね。体動かすばかりじゃなく少しは外で頭動かしてきなさい馬鹿なんだから。常識学んできなさい」
この脳筋、と詰られる。
「それに形式的には追い出すのに近いから罰としての見栄えがいいのよ。あんたが外にいた方が噂や今回の事を沈静化させやすいしね。邪魔だから何年か外行って来なさい。留学費用ならいくらか出してあげるわよ。式典とか天剣就任用のお金浮いたし」
邪魔だと言われレイフォンは項垂れる。だがそれだけの事をした。むしろ費用まで出して留学させてくれる事を感謝するべきなのだろうか。
「細かいことに関してはまた後で伝えるわ。とりあえず今日はこれで終わりだけどレイフォン、今日の事忘れちゃダメよ」
椅子にまで戻り、そこに座ったアルシェイラが言う。
最後だと。忘れるなと再度女王としてアルシェイラが言う。
「武芸者は一般人の力なくしては生きられない。凶器が向くと認識させてはならない。そして私は人と武芸者、武芸者と天剣、天剣と私。そう三通り言ったな」
静かな目がレイフォンを捉え続ける。
「一般人と武芸者でさえ力の差が甚大だ。ならばこそ一般人と天剣、そして私とはどれだけかけ離れているか。一般人を蹂躙できる彼らでさえ袖にもせず踏みにじれるのが私たちなんだ。それを意識させては駄目だ。いっそのこと私たちは自分を人間ではない「化物」とさえ思わなければならない。その自覚を忘れるなレイフォン」
その言葉と同時、背後の扉が開き人が入ってくる。
「医者だ。まだそんなに動けないだろう。動けるまで休んでいくといい。武芸者でない彼らの力を理解出来るだろう」
数人に支えられレイフォンは歩き始める。
最後、出る間際で女王でないアルシェイラの声がその背中にかかる。
「あの子には私のこと秘密にしておいてね。これは命令よ」
扉が閉まった。
「あー、めんどくさかったわね」
執務室の椅子に座りながらアルシェイラが言う。
普段はカナリスが座って執務をしているが、今日は珍しくアルシェイラだ。
「必要なことです。それに、そう思うなら出てこなくともよかったでは?」
「あんたに任せたらかたっ苦しいだけでしょ。あいつも「お前に何がわかる」って心の中で恨み言呟くだけで終わるわよ。少し位は体で教えないと理解しないわ」
「はあ……」
「かたっ苦しいってのも一般大衆に向けての場なら美点でもあるんだけどね。そこはアンタの良いところでもあるわ。まあでも、あそこにいたのは道徳語っても鼻で笑うような奴らばっかだからねえ」
アルシェイラは軽くため息をつく。
「報道の方はどうなってる?」
「すぐに公式見解としての報道をします。レイフォン・アルセイフと闇試合との関係を全面的に肯定。此度の大会決勝における“事故”に関しては試合中の不慮の事故とし受動的な殺意を否定。全面否定はしませんが、あくまでもれっきとした試合中の事故でしかないことを強調します。賭博の件に関しても実情のある程度の報道を。既に準備は出来ています」
「ガハルド側の恐喝、闇試合との関与に関しては?」
「そちらに関しては触れず、ルッケンス側に内々での処罰をクォルラフィン卿を通して通達します。都市内で有力な二人が共に不正に関与していたとなれば一層不安は広まりますので」
「脅された、ってのがバレれば明確な殺意の動機として捉えられちゃうわよね」
天剣を除き(一応だが)都市内トップの二人が共に悪人、というのではマズイ。
既に晒されているレイフォンは無理だがガハルドに関しては秘密裏に処理出来る。
仮に関与がバレても否定してはいないのだ、その時に改めて公式にガハルドへ処罰を下せばいい。
頷き、アルシェイラがカナリスに言う。
「発表の際、レイフォンの動機として食糧危機の事に触れておくように。レイフォンの近くでの被害、また都市でどれくらいの死者が出たのか。概算でいいから加えといて」
「既にデータは集めてあります。同情を惹くためですね」
「そ。子供ってことも相まって多少は援護の芽が出るでしょ」
了解しました、とカナリスが言う。
「闇試合の件についてはどの程度まで言う予定?」
「概算ですが観戦者の規模、行われていた内容についてです。関係者として幾人か幹部級と下っ端を捕まえ、アルセイフの発表の少し後に公表します。参加者が多ければアルセイフ個人に対する叩きを幾分か避けられます。被武芸者の参加も強調し武芸者に対しての印象低下を相対的に抑えられるでしょう」
「賭け試合、ほっとき過ぎたのが駄目だったのかしらねえ」
「あの時点での判断には少し、材料が足りませんでした。仕方ない面もあります」
アルシェイラ達は賭け試合のことをしっていた。だがあえて潰さずにいた。
息抜きというのは大切だ。たとえそれが非合法でも他人に直接的な害がないのなら使いようもある。
犯罪にしても漫然と多発的に起こるより、一箇所にまとめてコントロール下におけるならそれに越したことはない。
態々力任せに潰すよりも、調子に乗り過ぎない内で見張っていた方が闇試合には利がある。その思いから放置してあった。
だが、今回の件で流石にそのままというわけにも行かない。ある程度強く叩かなくてはならない。場合によれば潰す必要もある。
元締め幾人かの逮捕。それくらいは必要だ。捕まえすぎて騒ぎが荒れたり、裏の事で何が起きるか先が見えなくなっても困る。
「下っ端じゃなくて元締めクラス晒しなさいよ。こないだのリストの奴」
「はい。身元も割れているので大丈夫です。ただこの内の一名、賭け試合や出稼ぎなどアルセイフの事を吹聴して周り、こちらのリストにない分までの内情や関係者の情報を流し“善意の密告者”を装っている者がいますが……」
「めんどくさい事するわね……リストから外しときなさい。ただあまりに五月蝿いようなら捕まえなさい」
んっ、とアルシェイラが伸びをし近くを漂う端子に向く。
「そんなわけでデルボネ。ここまでの事での公式見解発表よろしく。レイフォンへの処罰内容もつけてね。後でカナリスにも言わせるけど、少しでも早いほうがいいし」
『はいはい。了解しましたよ陛下』
デルボネが了解の意を伝える。他の端子を使い、直ぐにも発表は行われるだろう。早ければ早いだけ話も大きくならない。
アルシェイラが机に突っ伏す。
「噂の方はどんな風になっているわけ?」
「かなり廻るのが早いです。知らない者はいない程に。そもそもからして広まる速さは異常でした」
“噂”の広まり方の大半は記事や人の口を介したモノがほとんど。そして今回のそれは後者に当たる。
媒体によってその広まる速さには違いが出る。人の口より広報誌などの方が幾段も優れている。そしてそれは伝達内容に関してもそうだ。人の口を介し、幾多の意思を仲介する事で話の内容が変異することがある。
知る情報に明らかな違いがあるという事はそれだけ「信頼性」にかけ、「猜疑心」が生まれる。
だが、今回のこれは違う。
噂としては異常なまでの速さで広がり内容に関してもボヤカしたところはなく「変異」の余地が少なかった。そしてそれでも生まれる誤差が入る前に証拠が流出。
噂は何箇所からも流され、口を合わせたようにその中身に違いはない。
指揮をされたように、まるで準備されていたかの如く統率の取れた流れで噂は広まっていった。
「勝ちを譲らせてその上で晒して叩く。最初っからそのつもりとかアレよね」
「恐らく数週間前から仕組んでいたのでしょう」
「潰すだけなら手は取れたけどねえ」
潰しても規模が小さくなるだけでどうせ噂は流される。ならば流された後の対処として闇試合のことに焦点を当てレイフォンのことから意識をずらそうとアルシェイラは決めた。
そもそもレイフォンはガハルドの提案を受けた。レイフォンが負けることを想定していた。ガハルドが勝っても天剣にしなければいいだけ。脅迫のことを表に出し糾弾、そっちに焦点を当てレイフォンは食糧危機のことを出し被害者としての面を強め印象を小さくする、などの方法もあった。
どちらにせよ色々と考えてあった。
だがレイフォンがガハルドを殺しに行った上で更に暴露話が流れた事で色々と少し予定が狂ってしまった。
式典がその日の内に行われなかったのも怪我のせいではない。噂などの流れがどうなるのか見極めるためだ。
「「負ける」っていったのに演技して全力で殺しに行く十四歳とか想定していなかったなー。前はそんな演技できるイメージなかったし。あの歳で殺す気で人に剣向けて躊躇わず実行するとかねえ。外で何してきたんもかしらねあの子。
……ねえカナリス。自分の意思一つ、やろうと思えば絶対に殺せるって相手にその気で全力出せるもん?」
「私はそういった教育を受けた面もありますので必要なら出来ます」
「私もできるけどさ。まあ、一応女王として色々することとか学んできたことあるし。けど普通の生活してた奴らって違うんじゃないの? サヴァリスとかその辺は別として」
アルシェイラは暇つぶしに読んだことのあるミステリーの犯人を思い出す。
その犯人は殺人が初めてで、いざ殺す、というところで躊躇してしまい無意識に手元が狂い急所を外してしまっていた。
ちなみにそのせいで犯人は犯行がバレ、逃走を図ったところで探偵役に何故かラリアットをくらっていた。
「そういうこともあります。ですからそういった場合は経験が物を言うのでは? 心の中にある躊躇いを消す、というように人に向けて振るう事への躊躇をなくさせれば可能かと。自制の壁を一度でも超え、殺す覚悟で振るったことがあれば恐らくは」
「ふぅん」
そんなものか、とアルシェイラは思う。
「噂への対処はどう?」
「過度に大きくならず、抑えるために人員入れましたが……やはりミンス様が」
「……ねちっこい嫌がらせするわよねホント。表立ってやらない分さかしいのよね」
噂が広がりすぎじ、また活動的な者たちの過ぎた行いを抑制するためにそれとなく噂を抑えるための人員を入れた。だが、ミンス・ユートノールの手がそれを拒んだ。
彼は自分の手の者を使い、噂の流布の邪魔になるものの邪魔を行った。それだけでなく、明言は決してしないがそれとなく背後にいるのがユートノールだと仄めかした。
噂を流す者たちが“お墨付きを貰った。これは真実なのだ”と思いその行動の後押しになるような場を作った。
ミンスが明からさまに表立って行動を起するなら公に注意できるがそれも出来ない。それとなく注意してもはぐらかされるのだ。
「昔のままだったらどうせ最前線で糾弾でもしてバカ丸出しだったのになー。あたしねちっこい奴嫌いだわー、多分」
『陛下は頭を使うより真正面からの勝負の方が得意ですものね』
「殴り合いの方が好きですよね陛下。頭脳労働より」
「あれ、私馬鹿にする流れ無かったハズなんだけどなー?」
デコピンしてカナリスに可愛い悲鳴を上げさせる。ついでに連発して涙目にさせる。
「あー決めた。レイフォンの留学費用あいつに全額出させてやる」
「お金が浮いたって言ってましたけど、そもそもミンス様に出させるつもりだった分ですから何も変わりませんよね」
「いいのよー別に。それと監視どうしよっか」
『追放ではありませんものね』
「留学であり常識を学ぶ為ですからね。一種の外部謹慎。それを見張るものがいなくては」
んー、と二秒ほど悩みアルシェイラは決める。
「クラリーベルでいっか。実力もそこそこあるし歳的にも」
「いざという時の抑止力の面もあります。天剣を出すわけにもいきませんし良いと思います」
『あの子のことです、きっと喜ぶでしょうねぇ』
「最初っから決めてたんだけどね。どっか学園都市送るつもりだし、王家と全くの無関係の相手送るわけにもいかない。天剣どもじゃ歳違うし。カナリスとかじゃ無理あるわよね」
「ええ、私は陛下と外見含めほぼ同じ体型になるよう日々努力を……」
「表出ろオイ」
縦縦横横、丸描いてもっかい丸描いてループ。更にループ。
カナリスの頬を思う存分つねりもう一回涙目にさせる。
「私は学校通ってるシノーラちゃんだから。十代余裕だから舐めた口聞かないの」
「ふ、ひゅひまへんふぇいは……」
整形までして同じ顔にしてある影武者にアルシェイラは文句を言う。
「ま、そんなとこかしらね。特に後決めることないわよね。クラリーベルに承諾とって、ティグ爺にも言わなきゃ。レイフォンへの詳細連絡は二三日後ってところかしら。……そういやレイフォン今どうしてるの?」
『医務室で治療を受けていますよ。数時間ほど横になっていくそうです』
「ちょっとやりすぎちゃったかしら。ま、いっか」
あれにはお灸を吸える意味もある。
そして一つ思う。
「数時間後、帰ったら家族たちからどんな反応されるのかしらね……」
憧れは強い。アルシェイラ自身はその感情をよく理解出来ない。けれど人が大事にし、心の中で神聖な場を築くものであることは知っている。そして神聖であるが故に汚されることを毛嫌いすることも。
数時間後ともなれば王宮からの公式報告が出回るにも足る時間だ。そして彼らは知る。その心を土足で踏みにじったのが、ほかならぬ憧れの張本人だということを。だからこそ憧れはより強く地へと落ちる。
そして子供には成長していくにつれ、社会を知るに連れなくしていく純粋さがある。
だからこそどうなるかアルシェイラは少し心配だった。
レイフォンが王宮を出たのは既に空が暗くなり始めた時間だった。
痛む体を抑えレイフォンは家に向かい街の中を歩いていく。
夕暮れの街の中その歩みは重い。
体が痛むから、ではない。心の有り様を映すかの如く覇気がない。
知った通りなのにまるで場違いな、自分が異物であるかのように感じてしまう。
店の人が、通る人がふとこちらを見ているのが分かる。
――――なあ、おいあれアイツって……
――――うわっ、レイフォン・アルセイフだよオイ
――――賭け試合出てたって処罰されたんだろ。当然だよな
――――武芸者のくせに金金金……面汚しが
――――おい、声かけてこいよほら、おいほらほら
――――マジやめろって。殺されたらどうすんだよ。腕と足切られちまうって
――――金渡せば大丈夫だろ。「これでどうか~」って財布出してさ。あっひゃっひゃ
――――食糧危機、か。だからといって同じ境遇の人など大勢いる
――――子供ってことかしら。可哀想なところもあるわよねぇ。大人がしっかりしないと
――――早くどっか消えろよ
――――そういや養父は武門開いていたが一体どんな教育を――――
(―――っ)
心が軋む。
忌避する人。馬鹿にする人。怒りを持つ人。冷めた目の人。同情の目の人。そして養父を馬鹿にする人。
様々な人の声が耳に入ってくる。その声が染み込み、心を刻む。
自分を馬鹿にするなら好きにすれば言えばいい。けれど養父が自分のせいで馬鹿にされるのを聞くと心が痛む。胃に泥を抱えたような鈍痛が、腹のそこからジクジクと体に広がる。
医務室で横になっていた数時間の間に公式発表は行われた。
天剣就任の白紙化、そして“常識を学ぶ”という名目の他都市への一時追放の報。既に都市の人殆どは知っているだろう。
この街道にいる皆が自分を見ているわけではない。一瞥するだけの人やそもそも関心を示さない人、気づかない人もいる。
けれど自分に向かう視線が、声が、まるでここにいる皆が自分を見つめ話題にしている。そんな感覚に陥ってしまう。
“異物”なのだと思わせてしまう。
視線から逃れようと足取りをいかがせるべく心は急く。けれど歩調は重く変わらない。自分でもわかっているからだ。
戻った先でも、今の自分が帰れる、帰る、安寧を得られるはずの家でも視線は変わらないのでは、と。
自分は家の“異物”なのでは、と。
足は止まらない。道を進み最後の角を曲がる。そして進む。
「……っ!」
―――面汚し。依頼したいんですけどいくらですか?。金の亡者が。人■し。
壁に書き殴られている文字にレイフォンは息を呑む。愉快犯が書いたものだろう。数もほんの数個だけ。けれどこの現状にどうしようもなく胸が痛く、悲しい。
孤児院の敷地。遊具などがある広い敷地。夕焼けに照らされ影が伸びるそこで遊んでいる弟たち。
ふと、視線がこちらを向く。
その表情が、強ばった。
幼い弟たちだ。どう反応していいのかわからないのだろう。そもそも今回の事について余り理解出来ていないのだ。それでもレイフォンが原因なのだとはぼんやりと分かっているのだろう。不安な表情を浮かべている。
歩く進行上、近くにいた妹が俯いて言う。
「あ……。お、おかえり……なさ………い」
「ありがとう。……ただいま」
最後の方などロクに聞こえない、消えるような小さな声。けれどそれの一言がどうしようもなく嬉しい。
返す言葉に言い表せないほどの感情が篭ってしまう。
つい頭を撫でようと手が伸びる。いつも自分が帰り、走ってくる弟たちによくしていたこと。大きいトビエたちにはしないが小さな弟たちにはしてしまう癖だ。
「ひっ……」
小さな悲鳴が上がる。
怯えた表情の妹が後ずさる。
レイフォンは行き場を失った手を少し見つめ、元に戻す。
「ごめん……」
心臓が、痛い。妹の伺うような視線がどよりと心に泥を積もらせる。
そのまま孤児院へ向かう。
歩くレイフォンに声がかかる。
「レイフォン兄!!」
トビエだ。レイフォンが帰ってきたことに気づいたのだろう。家の中から飛び出してきたトビエの視線がレイフォンを貫く。
「なあ、本当なのかよ。本当に……金の為にずっとやってきてたのかよ?! なおオイ!?」
悲痛な叫び声がレイフォンに届く。
答えることなど、一つしかない。
「そうだよ」
「……っ!!? ずっと闇試合に出て、天剣になっても出ようとしてたって!!! その名前を使って!!? 今まで、ずっと全部、金儲けの為に!!?」
ああ、それもバレているのか。
それを知っていたはずの人が思い浮かぶが、何かを言える資格は自分にはない。
「そうだよ。売り物にしようと思ってた」
「――――ッ!!」
レイフォンを見るトビエの目に憎悪が宿る。
その目が直視できなくて、レイフォンは俯く。
トビエがレイフォンを殴る。
「裏切り者!!」
肩を震わせ、怒りの声のままにトビエがレイフォンを殴る。
レイフォンはそれをそのまま受ける。活剄など使おうとも思えない。怒声が心を貫く。体に刺さる拳が痛い。どうしようもなく心臓と体が痛む。
呼吸が上手く出来ない。足元がふらつきたたらを踏んでレイフォンの体が後ろへ下がる。トビエと距離が開く。
「裏切り者!! ずっと騙して、金の為に天剣目指して!! ずっと、俺はずっと……ッお前は!! 武芸者なのに!?」
トビエの大声に小さな弟たちが泣き出す。
子供だからこそ感情に敏感だ。トビエの怒りに、不安な自分たちの気持ちが揺さぶられ抑えきれなくなったのだ。
それがどうしようもなくレイフォンに突き刺さる。どうやっても拭いきれないほどの泥がつもる。心が重く、ジクジクと痛み悲鳴を上げる。
憎しみの目で見るトビエ、そして自分。空いてしまったその間の距離が、二人の距離を示しているように思える。
何か言おうとし口を開け、けれど言葉にならずトビエは何も言わず歯を食いしばる。何も言わないまま憎しみの目をレイフォンにトビエは向け家の中へと走っていく。トビエの後ろにいたアンリたちがそれに付いていく。
心臓が痛い。レイフォンは胸に手を当てる。乱れた呼吸を直そうと息を吸い、吐く。吸い、吐く。
今にも倒れてしまいそうだ。
「レイフォン……」
声の方を見ればリーリンがいた。悲しそうな顔でドアの横に立ち、中へ入るよう促す。
リーリンは周りを見て何も言わず顔を伏せる。泣いている弟たちばかり。彼らのレイフォンを見る目には恐怖が宿っている。
少なくとも、彼らの前から自分がいなくなれば泣き止ませられるだろう。そう思いレイフォンは家へと向かい止めていた足を動かす。
レイフォンの頭に、何か当たった。
「……?」
コツン。
また当たる。
落ちたものを見てレイフォンはそれが何か理解する。
石、だ。
振り返れば最初に泣かせてしまった妹。泣く彼女に寄り添うように、守るように傍にいる一人の弟が石を投げる。
「嘘つき……」
彼自身泣きながら石を投げてくる。
「嘘つき! ずっと嘘ついてたんだ!! 武芸者なのに騙してたんだ!! 兄ちゃんのせいだ!!」
泣きながら石を、スコップを、土を投げてくる。それがレイフォンに当たる。
リーリンは慌ててその弟の元に行き手を抑える。けれど声は止まらない。その子に触発されかのように、他の子達も物を投げてくる。
落書き帳、鉛筆、石、おもちゃ。
泣きながら投げてくる。
「兄ちゃんが、兄ちゃんのせいで!! 嘘ついて、ずっと武芸者なのに!! なのに!!! 兄ちゃんのせいで!!」
弟自身何を言っているのか分からないのだろう。それでも言う。お前が悪いのだと、お前のせいなのだと。
周りも口々にレイフォンを責め始める。
「天剣だってトビー兄喜んでたのに!! 試合で腕が、足が切れて、転がって、血が出て!! 全部兄ちゃんのせいだ!!! 嘘ついて、騙してたんだ!!!」
怒鳴り声と泣き声。それしか聞こえないような、世界の音がそれだけのような錯覚に包まれる。
耳が痛い。心臓が痛い。泥が積もったように重く心がジクジクと痛み侵される。
家族から怒鳴られ物を投げられる中それを感じる。
分かっていたことだ。これは全部わかっていたことじゃないか。レイフォンは何度となく自分に言う。
ああ、けれど確かに、
「兄ちゃんのなんかどっか行っちゃえ!!! 死んじゃえ!!」
レイフォンは自分の中の何かが折れるのを感じた。
夜の帳も落ちた深夜。僅かな街灯に散らされた闇の中にクラリーベルはいた。
明かりは僅かな月明かりと少し離れたところから届く街頭の光だけ。そこにいると知らなければ闇の中にいるクラリーベルの姿に気づくものなどいないだろう。
樹の枝に腰掛け、見下ろす視線の先には一つの孤児院がある。風に揺れ、下を向くその顔にサラリと髪がかかる。それを手でかきあげながら、どうしたものか、とクラリーベルは足をぶらつかせる。
何を言うべきか。それが大事なのだ。
「どうしましょうか……」
自分らしくないということは分かっている。
実のところ伝えることは既に決まっている。簡単な連絡事項でしかない。普段なら何も気にせず言いに行く。
それに本当ならもっと早く、少なくとも日が落ちきる前に伝えられていたはずの事なのだ。
だが伝えられず、こんな時間になるまでクラリーベルはブラブラとしてしまった。
口出ししていいのか。まず何と言えばいいのか。それが思い浮かばない。
「言っちゃなんですが、部外者ですしね私は」
自分で言いながら少し、胸が痛む。思い浮かぶのは数時間前のこと。
夕刻、クラリーベルは孤児院のそばにいた。自分が監視役に決まったことを伝えに来たのだ。
女王からその旨を伝えられた時クラリーベルの心中は嬉しさで一杯だった。祖父であるティグリスからの許可も受け、、直ぐさま家に戻ったというレイフォンを追った。
表すなら「うへへ、いくらでも勝負できる。シノーラちゃんまじシノーラちゃん」とでもいう感じなウキウキ気分で街を歩き、
そして、見た。
孤児院近くの稚拙な中傷の落書き。そしてレイフォンが家族から糾弾されるのを。
「裏切り者!! ずっと騙して、金の為に天剣目指して!! ずっと、俺はずっと……ッお前は!! 武芸者なのに!?」
トビエの悲痛な叫び声にウキウキ気分が一気に霧散し、胸が痛くなった。
クラリーベルはトビエがレイフォンに憧れていたことを知っている。トビエは直接的には言ってはいない。けれど孤児院に遊びに行ったとき何度となく嬉しそうに話していた。
言いよどんだ言葉の後には何と続けるつもりだったのか。
それが容易に想像できた。
レイフォンが殴られるのを止めることはできた。
けれど自分も仲良くしていたトビエが、孤児院の子供たちがレイフォンに恨み言を言う。その光景の中に出て行く、その一歩が何故か踏み出せなかった。
家族の問題に口を挟むのは場違いだと思ったのもある。
それにきっと、仲のいい彼らのそんな姿が、仲の良かった彼らが争う姿が、衝撃的だったのかもしれない。
自分が部外者だということもある。そして彼らが子供だということも。
いい大人が糾弾するなら何か言うこともできる。「知るかそんなこと」と力づくで止めることも。けれど幼い子供にはそれができない。
彼らは理屈よりも感情の面が大きい。言葉で言い聞かせる。そんな事の意味などどれほどのものなのか。
社会の理など、小さな子供からしたら理解できないものだ。
「兄ちゃんが、兄ちゃんのせいで!! 嘘ついて、ずっと武芸者なのに!! なのに!!! 兄ちゃんのせいで!!」
レイフォンの小さな弟が叫ぶ。
レイフォンの行いが全て家族のためなのをクラリーベルは知っている。だからその言葉にそれは違うと思った。責める彼らに憤慨の念を抱きさえしかけた。けれど、子供の抱く純粋な憧れからの言葉に何を言うべきか。それをクラリーベルは知らない。理屈を浮かべることはできる。けれど面と向かっていう言葉は出てこない。
レイフォンが石を投げられるのを、罵倒されるのを、ずっとクラリーベルは気配を殺して見ていた。
夕方の事を思い返しながらクラリーベルは足をぶらつかせ続ける。
結局あの後、あの中に入って伝える気にもなれずブラブラとし、けれど帰る気にもなれずこうして今ここにいる。
視線を動かし孤児院近くの壁を見る。悪趣味な落書きはまだ残っている。誰が付けたしのか知らないが、かなり小さくだが血の様なペイントまで増えている。夕刻にはなかったはずのものだ。
あー、とクラリーベルは小さく声を漏らす。
本当にどうしたものか。
正直、数時間前の衝撃は既に自分の中で小さい。伝える分には気にするほどではない。
けれど一度戸惑ってしまった手前、何となく踏ん切りが付きづらいのだ。
ふと動かした手が腰元の錬金鋼に当たる。
「私らしくないですね。……考えるのもめんどくさいですし、いつも通りにしますか」
変に考えるのが悪い。そう結論づける。
よっ、と一息で体を起こしクラリーベルは枝の上に立つ。そしてそのまま足元を蹴りレイフォンの部屋の前まで跳ぶ。
レイフォンが起きているのは気配で分かる。
トントン、と小さく窓を叩く。
中で小さく動く音がした後ゆっくりと窓が開く。
「こんばんは。夜分にすみません」
「クラリーベル様? ……どうしたんですかこんな夜に」
顔を出したレイフォンが言う。生気のない疲れた顔に訝しげな表情を浮かべている。
「少し伝えることがありましたので。……他の子達は大丈夫ですか?」
小さな子供たちは既に寝ている時間だ。もっとも……
心配し告げた言葉に、レイフォンは小さく首を振る。
「今日は大丈夫です。……皆、他の部屋で寝てますので」
その言葉につい、クラリーベルは中を覗き込んでしまう。
お世辞にもそこまで広いとは言えない寝室。ロンスマイヤの家と比べるべきではないがつい自分の家と比べてしまい、より一層小さく感じてしまう。
ベッドとテーブル、それと本が入った棚が一つ置かれただけの部屋。部屋の数が子供たちの数に足らない為置かれているベッドは二段ベッド。それも二つ。他にある寝室も似たようなものだ。
本来ならこの部屋にはレイフォンの他に一緒に寝ているハズの子供がいたはず。だが今はそこに誰もいない。主のいないベッドが寂しそうにその空間を空けている。
(やっぱりそうですか……)
心の中で思う。外で見ていた際、レイフォン以外の気配をクラリーベルは感じられなかった。
今回のことが原因だろう。それは簡単に推測できる。
夕刻の光景を見るにリーリン辺りなら気にしないように動いてくれるだろう。だが、リーリンは別の部屋だ。
「そうですか。ですが念のため外で話してもいいですか?」
「……分かりました」
余りそのことに触れても意味はない。だからそれ以上聞かずレイフォンを外に誘う。
頷いたレイフォンは窓から外に出る。
月明かりの下、二人は向かい合う。
「連絡です。私が監視役になりました」
「監視役……ですか?」
訝しげな顔でレイフォンが問う。
「陛下から留学の件は聞いたと思います。それについて一人、監視役が同行することになりました。その役に私が」
「ああ、そういうことですか」
「ええ。ある程度王家に関わりのある人間、いざという時に抑止力になり、そして歳の近い存在ということで選ばれました」
「抑止力、ですか……確かに必要ですよね」
自らを嘲るようにレイフォンが言う。
「周りから見たら僕は金の為に力を振るった犯罪者ですからね。放っておいたら何するか分からなくて不安ですよね」
「お目付け役というだけです。そこまで悲観するものではありません」
だがレイフォンは疲れたような笑みの表情を崩さない。
クラリーベルは何か言おうと思うが、とりあえず言うべきことを先に言おうと決める。
「年相応の教育、ということなので恐らくどこかの学園都市だと思います。私自身縛るつもりはありませんし、陛下も強く何かいうつもりは無いでしょう。それと、一般に出された王宮からの公式発表については聞きましたか?」
「はい」
「なら、直接言われたこととは所々違うとこがあったのは分かりますね」
「はい。留学、ではなく「常識を学ぶ」という名目の一時追放でした」
クラリーベルは頷く。
「その通りです。罰を与えるという印象を強めるためです。それと留学の費用についても触れられていなかったはずです。実際には支給されますが反発が出る可能性がありますので公にしていません。余り口外しないようにお願いします」
「確かに悪いですよね……」
「ああいえ、気にしないで結構です。これは別の者に対してお仕置きの面も兼ねていますので好きに使ってくれて結構です。私も使います」
「お仕置き、ですか?」
レイフォンが不思議そうな顔をする。ミンスのことを知らない以上無理もないだろう。だが別段教えることでもない。
「ちょっと悪さをした人がいましてね。その人が出すんです、罰として。レイフォンは気にしないで下さい」
それでも合点がいかないようでレイフォンは不思議そうな顔だ。
「まあ、連絡はそんなところです。細かいことは後日、王宮にて陛下が伝えるそうなのでその時に」
「分かりました。わざわざありがとうございます。僕なんかのために……」
レイフォンは自嘲して小さく嗤う。
「そんなこと言わないでいいですよ」
それが少し、クラリーベルには気に食わなかった。
「私はレイフォンのお目付け役と知らされたとき嬉しかった。ウキウキして胸が踊りだしそうでしたよ。目標であるあなたと一緒にいられると知ったのですから」
レイフォンが自身のことを悪く言うのは分かる。家族に罵倒され拒絶されたのだ。時間が解決するかもしれないが、それでも少なくとも今日は心が傷だらけでのはずだ。
けれど、クラリーベルはそんな姿が少し、気に食わない。自分が目標とした相手が、いつか越えてみせると決めた相手が崩れたままなど、そんな彼を目指した自分自身をまで馬鹿にされているような気がしてならない。
そんな彼が自身を卑下する姿など、何故かイライラする。
いつもの様に戻って欲しいと、そう、願ってしまう。
「一年半、あなたが外に行っていた時もどかしかった。いなかったからです。知らない場所にいるあなたが、知らない誰かの教導をしているあなたが。でも、今度は傍に居られる。だから嬉しかった」
ニーナという少女。その相手を知っていると知った時のムカつきは覚えている。越えたいと思って何度となく向かって行っても、はたして本気で相手をしてくれたことなどロクにない。だからレイフォンの教導を受けている彼女が羨ましかった。
「出て行く前のあの時、言ったはずです。いつか越えてみせると。修練してあなたを討ち果たすと。その時は相手をして欲しいと。あなたは頷いたはずですよ。――――その約束を果たしていないのに折れるのは許しません」
レイフォンがいない間もどかしいけれど別に良かった。帰って来た時により腕を上げた自分を見せられると思った。
なのに何なのだこの様は。そうクラリーベルは吠える。
クラリーベルの言葉にレイフォンはバツが悪そうに目を逸らす。
「レイフォン、そもそも私はあなたがしたことなど特にどうとも思っていません」
「え?」
驚いたようにレイフォンがクラリーベルを見る。
「あなたの行為は褒められたものではありません。けれど私はそれについて罰だなんだと責めるつもりはありません。どうでもいいんですよ」
別にいいか、とクラリーベルは自分の思いを言う。
それに一人くらい、味方というのも違うが敵ではない人間がいるのだと知らせたい気持ちもある。
レイフォンは困惑した目でクラリーベルに問う。
「僕は武芸者の持つべき倫理を……」
「そもそも天剣には道徳観念がおかしい人が多いので私は気になりません。サヴァリス様何ていい例です」
「それは……」
否定出来ないのかレイフォンは押し黙る。
「でも、僕は闇試合に出たんですよ? 罰を受けるのが普通なんじゃ……」
「ですからそれがどうでもいいんですよ。そもそも、私は罰をどうこう言う立場ではありません。あなたに罰を下す義務があるのは女王陛下であり、私ではない。罰を与えるだの何だの、そんなのは私の自由です。あなたに対する執政権が無い以上、個人の考えで動きます。それにあなたは既に陛下から罰を与えられている。ならそこで終わりです。そして私の意見としては、あなたがしたことを責めるつもりなんてない。どうだっていいんです」
罪には罰を与えるのが道理。そこは通さねばならない。けれどそれは自分の役割ではない。
あくまでもそれを行うのは女王であり、自分は関係ない。そして既に罰は与えられている。
そもそも従兄には反逆罪をかました奴もいる。だからこそ三王家など関係なくクラリーベル個人としての意見を告げる。
これはきっと、
「確かに褒められる行為ではありません。もう罰は受けた。折れたままじゃなく、立ち直ってください、レイフォン」
憧れ、なのだろう。それに――――
けれどレイフォンは硬い表情を崩さない。
「駄目、ですか」
「……受け入れてくれるのは嬉しいです。凄く。でも僕は―――」
「剣を握る理由にはなりませんか?」
小さくレイフォンが頷く。
レイフォンはずっと家族のために剣を握ってきた。だからこそ、今日、その理由を見失ってしまったのだろう。
なら、とクラリーベルは思う。
「なら、理由をあげます」
レイフォンの瞳が、クラリーベルを捉える。
ザリ、と言葉への強さを思わせるようにクラリーベルの足が地を擦る。
クラリーベルは剣を抜き、その鋒をレイフォンへと向ける。
「あの時の約束を果たしてください。その為に剣を握って下さい。そんなあなたを見るために私は腕を磨いたわけじゃない」
愛剣、胡蝶炎翅剣。何度となくレイフォンへ向けてきたクラリーベルの刃。
月光を反射させその刀身が小さく煌めく。
その光に貫かれレイフォンの瞳が小さく揺れる。
「あなたに伝えたいことがあります。それは私が、あなたを越えた時に伝えると決めた思いです。あなたが私と約束をしてくれたとき誓ったことです。あなたは、私からその機会を奪おうというのですか」
レイフォンの瞳が一層揺れる。けれど、何かをこらえるように眉に線を刻んだだけで無言のまま。
これでもダメなのか。そう思いクラリーベルは少し胸が痛む。
なら、と続ける。
「それが駄目なら女王陛下の為でもいい。陛下の命令なら、歴とした理由にはなるはずです」
「それは、そうです。でも、陛下は……」
グレンダンの住人にとって女王は絶対の存在。その命ならば歴とした理由になる。
「陛下はあなたに剣を捨てろとは言っていない。そもそもそれなら私をつけて外に出す意味がない。追放すればいいだけです。今のところ大事な戦力を手放すつもりはありませんよ。新しい理由が見つかるまででいいです。陛下を理由に剣を振るって下さい」
「……分かりました」
レイフォンが答える。
レイフォンにどこか感じられた危うさは既に消えている。それにどこかホッとしているようにさえ感じる。
良かった、とクラリーベルは安堵する。折れられて貰っては困る。
「では、私はこれで。完全な味方というわけではありませんが、あなたの周りは敵だけではないという事を覚えておいて下さい」
「はい。ありがとうございます」
レイフォンが小さく笑う。
それを見てクラリーベルは剣をしまう。そして背を向け帰ろうとし、ふと思う。
「そう言えば彼女、アイシャさんは今日何かあったんですか?」
夕刻のことを思い出しながら聞く。あそこに彼女がいたならああなってはいなかった気がしてならない。
「アイシャですか? ええと、眼の検診とかで午後に病院に行っていました」
「そうですか」
つまりあの時はいなかった、ということだろう。なら納得できる。
「では、さようなら」
納得し、今度こそクラリーベルは帰宅の途についた。
クラリーベルとの会話を終えレイフォンは部屋に戻った。
ベッドに腰掛けながら、思う。
(強い人だな)
真っ直ぐな人だった。
こんな自分を助けてくれようとする思いがあった。たとえそれが剣を突きつけられてのものでもレイフォンは嬉しい。
今日一日嘲笑され、見下され、叫ばれ、殴られ、罵倒された。そんな一日だった。
悪いことをしたということは理解している。それが当然の反応だろうということも。
けれど、だからといって傷つかないわけではない。自分が頑張ってきた理由まで折られ、レイフォンは剣を理由さえ、自分が唯一出来るだろうことさえその芯が揺らいでいた。
だからこそ、たとえ完全に味方だと言い切ることは出来なくとも自分の行いを責めず奮起させてくれたクラリーベルの存在は嬉しかった。クラリーベルとの約束、それに女王の命令というここグレンダンにおいての至上の命。剣を持たなければならない、少なくとも剣を捨てずともいいだけの理由がレイフォンにはできた。
自分の一部となっていた武芸。それを続けるだけの理由。剣を握り続けられるというそれがレイフォンにとっては嬉しい。
剣を突きつけてクラリーベルを思い出す。
彼女は真っ直ぐだった。こんな自分とは違う。きっと自分のように揺らいだりはしないのだろう。自分の意思を貫こうとする強さを感じられた。突きつけられた刃に乱れなど感じられなかった。
きっと何があっても彼女は前へ進み続けるのだろう。そう、思えた。
ふと窓から空を見上げる。
(あの人もそうだったな)
月を見上げながら不意にニーナのことを思い出す。
籠の中から飛びたいと外へ出た少女。ニーナは迷っていたがそれでも立ち止まらなかった。
夢を語り、ニーナが去っていったあの時をレイフォンは思い出す。
ああなりたい。あの時自分はそう思った。そう在ってみたいと思ったはずだ。
二人に感じるこの思い。これはきっとそう在りたいという憧れなのだろう。少なくとも今の自分には到底無理だ。
だが、まだ剣を握る理由は無くしていない。仮初で、少しでも強く押されれば壊れそうな伽藍堂だけれど握ることは出来る。
(そう言えばニーナさんとも約束したな)
次に会えたら自分の力を見て欲しい。相手をして欲しい。
あの時ニーナにそう言われ頷いた事をレイフォンは思い出す。
この世界でまた会うことなどそうそう無いだろう。けれどいつかあるかもしれない。
剣を握る理由は辛うじてある。なら、それを失う日まででもその約束を果たすべきなのかもしれない。
レイフォンは目を閉じる。真っ直ぐなニーナの瞳を思い出す。
そうだ。まだ、自分は剣を捨てるべきではないのだ。
「少し元気が出たな」
レイフォンは小さく笑う。その顔から影は小さくなっている。
レイフォンは寝ようと布団を掴む。
「寝てるレイフォン?」
ふと、声がかかる。
そちらを向くとアイシャが部屋に入ってくる。
「起きてるよ。何か用?」
「うん。ちょっと言いたいことがあって。夕方私はいなかったから」
「病院だっけ?」
言って更に疑問に思う。そう言えば今この時までレイフォンはアイシャの姿を見た覚えがない。
「夜もいなかったけど、そんなに時間かかったの? 何か問題があったとか……」
「ううん、途中で一回帰ってきた。でも、少し、探し物があった」
「それを見つけに行ったんだ。見つかったの?」
「うん。後一つあるけど、きっと見つかる、すぐ。見つける」
近くで立つアイシャを見てレイフォンはそれに気づく。
「手、怪我したの?」
アイシャの右手に巻かれた包帯見てレイフォンが言う。怪我をしたのは拳の部分なのかそこが少し厚く巻かれている。
少し全体を見てみるが怪我は手だけのようだ。
「転んで少し血が出ただけ。レイフォンは気にしなくていい」
(結構血が出たような気がするんだけどな……?)
包帯の血の滲みを見て思う。もう止まっているようだが何かにぶつけでもしたのだろうか。
だが気にするなと言われた以上気にするのもアレだろう。
「私は、気にしていない」
「……何を?」
唐突に言われた言葉にレイフォンは返す。
「今回のこと。レイフォンは責められるべきじゃない」
「……でも、悪いことやったのは事実だよ」
「レイフォンは皆のためにやったんでしょ? 武芸を貶めるのがたとえ悪くても、間違ったことだとは思ってないよね。皆の為に頑張ったよね」
確かにその意識がないといえば嘘になる。
武芸を貶めることが悪いということは知っている。だけどそれを金稼ぎの手段にしたことが間違いだとは思い切れないところがある。人を守るためにあるというのなら、それを飢えを満たすために使って何が間違っているのか。
知識としての悪と実感としての悪。
そこが今一レイフォンの中で繋がっていなのは事実だ。
黙るレイフォンの態度を肯定と見たのかアイシャは小さく微笑む。
「うん、やっぱり」
アイシャが言う。
「皆の為に頑張ったんだよね。間違ってないよ。私はレイフォンの味方だから。責めるつもりなんか一つもありえない。絶対的な味方だから。それを言いたかった。夕方、いなかったから」
「……ありがとう」
レイフォンは優しく言う。
クラリーベルだけではない。すぐ傍にも味方が一人はいた。その事実がレイフォンには嬉しい。
「ここから出るのなら私も付いていく。お金ならシンラさんから貰ってる」
レイフォンへの依頼金とは別にアイシャ自身も金銭を貰っている。ベリツェンで手に入れた貴金属、データ情報から得た利益だ。
「そこまではいいよ。ここにいたほうが色々と……」
「私はレイフォンに助けられた。許してくれるなら付いて行きたい」
「まあ、好きにしていいよ」
アイシャは小さく頷く。
小さな沈黙が流れる。もう特に用はないのだろう。
「お休みレイフォン」
「お休み。それとありがとう。もう夜も遅いから早く寝たほうがいいよ」
「まだ、することがあるんだ、少し。それが終えたら寝る」
ふと、戻ろうとした足を止めアイシャが周りを見渡す。
「空いてる……この部屋で寝ていい?」
「ダメ」
一人は寂しいが同年代の異性はさすがにNG。妹やリーリン達ならまだしも付き合いの短いアイシャは色々と困る。
無言で見てくるが無言で見返す。目をそらしたら負けだと直感が悟る。
少ししてアイシャは部屋から出ていった。
はあ、とレイフォンは小さくため息をこぼす。最後にもう一度空を見上げる。
「寝よう……」
ベッドに潜り込みレイフォンは目をつむった。
精神的にも肉体的にも疲れていたのだろう。直ぐに微睡みが襲ってきて意識は薄くなっていった。
数日後レイフォンは王宮にいた。今度はクラリーベルも同伴している。
「じゃ、これから細かいとこ連絡しまーす」
執務室の中、目の前で椅子に座ったアルシェイラが言う。
今日は留学についての細かい取り決めごとについてが通達されるのだ。
部屋にいるのはレイフォン、クラリーベル、アルシェイラ、カナリスだ。
「行く場所は学園都市ね。年相応の常識を学ぶには同年代がいるとこが一番。場所は特に指定しないわ。試験受けて受かった所から好きに選びなさい。半年後だっけ? 忘れた。ま、日付については後で聞いてね」
「はい」
「……はい」
「……あー、まあどっかに受かるとは思うけど、まさかまさか一つも受からないなんてことないと思うけど、ねぇ? そしたら外行けないわよね。大丈夫だと思うけど一つも引っかからなかったら殺すから」
「はい!」
レイフォンは元気に答える。
アルシェイラがレイフォンに指を向け「BAN!」と冗談でやるが正直レイフォンは冷や汗ものだ。
(大丈夫、大丈夫だ落ち着け……。武芸科なら簡単に……)
「よろしい。で、もう一つ。武芸科への入学は認めません。それ以外のとこに入る事」
「……うぇ?!」
心の中を読まれたかの如くのその言葉にレイフォンは声を上げてしまう。
アルシェイラが呆れた顔で見てくる。
「あんた、ずっと武芸一直線で頑張った脳筋だからこんなことになったんでしょうが。そもそも一般常識学ぶためなのよ? 離れさせるわよ」
「まあ、妥当ですよね」
クラリーベルも同意する。
「」
「何か魂抜けてるわね……。まあいいわ。そもそも学園都市なんてとこ行って力見せびらかしたら重宝されてしょうがないわ。卵しかいないとこ行けば間違いなくトップ。祭り上げられて目的が達せられない。知らない人間にバレないようにしなさい」
「分かりました。ですが陛下、つまりずっと力を使うなということですか?」
クラリーベルが不満そうに言う。レイフォンといられるのに戦えないかもしれないことが不満なのだろう。
「そこまでは言わないわ。何年もずっと動かさずに錆びさせる何て馬鹿らしいわよ。あんたら二人で適当にちょくちょく手合わせしたり自主トレーニングでもしなさい。あんた相手ならレイフォンも大丈夫でしょ。「技を錆びさせない」ように、これも命令よ」
「はい!」
クラリーベルが嬉しそうに了解する。
「それとやむを得ず力の行使が必要なら使っていいわ。学業に明確な支障が出るとか、そういう時ね。その判断は任せるわ」
「了解しました」
「あんたら二人の資金はミンスを脅して出させるから安心して使いなさい。お金あってもバイトとかしなさいよ良い経験になるから」
「……陛下したことあるんですか?」
「陛下は前に王宮の厨房で皿を十五枚枚割りその日の内に首になったことが……」
「うりゃ!」
叫び声とともにアルシェイラがカナリスのスネを蹴る。
「あれはシノーラちゃんだから私とは違うの。私そんなミスしたことないわよ失礼ね」
「カナリスさんが足抑えて無言で蹲ったままなんですけど……」
「軟弱よねぇ」
ハァ、とアルシェイラは嘆かわしそうに溜息を吐く。
「まあそんなところね。で、クラリーベル。あんたはレイフォンの監視役と同時に監督役。それに対してあんたに権限をあげるわ」
「権限ですか?」
「そ。留学中に関し、あなたにレイフォンに対しては女王と等しい権限を付与します。必要だと思ったときそれを使いなさい」
「―――了解しました。謹んで拝命させて頂きます」
クラリーベルが小さく頭を下げる。
「何かあったときも一々判断仰ぐの面倒だし時間かかるからね。自分で考えなさい。あんたなら乱用は……あー、うん。多分しないわよ……ね」
「しませんよ。……多分。くふ、ふふふふふふふふふふ……」
少し沈黙が流れる。
「ああ、うん。まあそういうことだから。適当でもいいから定期連絡もする様に。大体こんなとこね。何か質問ある?」
「……仮に、ですが、実力がバレてしまった場合などはどうすれば」
「その時その時で自分で判断していいわ。目的に関して邪魔にならないなら放置してもいい。多少なら力を振るってもいい。ただ、余りに障害になるようなら自己判断で他の都市に編入しても構わないわ。その際実力を隠して武芸科で入り、ずっと無難に過ごす、というのも手としてはあるわ。少々下策だけど。後、勿論だけど身の安全の為なら力を振るうことは一切禁止しない。ま、あんたらなら大丈夫だろうけどね」
ふむ、とクラリーベルは頷く。
「色々と自己判断で構わないということですね。……ではあと一つ。そう言えば私とレイフォンは何年くらい学生をしていればいいのでしょうか? いえまあ、ずっとと言われればそれはそれでですね……」
「あー、特に連絡もなければ卒業するまでいてもいいわ。何かあれば連絡するから。あれよ、帰ってきたとき一人増えてたらティグ爺喜ぶわよ。多分盛大に」
「そうですね。いや全く。おじい様には世話になってるから孝行するべきですよね。ふふふふふふふふふふふ」
「あー、あんたポジティブで凄いわー」
とても面白そうな笑顔を二人共浮かべる。
「ま、そんなところだから。今日はもういいわ。―――レイフォン!」
「―――はい!」
魂が飛んでいたレイフォンが元気に返事をして意識を戻す。
「え、あれ?」
「簡単に言うと、あんたは向こうではクラリーベルの言うことに従うこと。いいわね?」
「え? あ、はい。分かりました」
「じゃあ今日はもう帰っていいわ。その頭ちっとは揉みほぐして勉強頑張りなさい」
その言葉にレイフォンは絶望的な心境になる。
だが頑張らなくては女王から「BAN」されるのだ。死に物狂いで頑張らなくてはならない。
重い心でレイフォンは背中を向ける。
「クラリーベルには一応委任状後でティグ爺のところに送っとくわ」
「分かりました」
「それといくつか、追加の連絡もそこでするから」
「? 了解です」
不思議そうにクラリーベルが言う。
「じゃ、二人共勉強頑張ってねー」
アルシェイラの声を背中にレイフォンとクラリーベルは王宮を後にした。
試験まで後ほんの数ヶ月。レイフォンは試験に合格できるのだろうか。
少しずつ、少しずつ物語は「始まり」へと終わっていく。
後書き
目を覚ますと少年は穴から抜けていました。
ここがどこだかわかりません。最初にいた場所のようにも見えます。
全身が痛みます。きっと傷だらけなのでしょう。血も流しているでしょう。
どうしようもなく汚れているのでしょう。
ふと少年は気づき、大急ぎで探し回ります。
人形です。ずっと話してきた、人形たちです。
その人形を取り出し少年は絶望します。
汚れていました。腕が取れていました。お腹が裂けていました。
今にも千切そうな人形が叫びます。
嘘つき。嘘つき。裏切り者……
何故騙した。何故約束を破った。何故かってに歩いた。ずっと嘘をついていたのか。
口々に叫び少年を糾弾します。
今にも千切そうな人形から悲痛な叫びが少年を貫きます。
どれだけ時間が経ったでしょう。少年は項垂れています。
心がすり減り、自力で立つ気力もありません。
誰かの為に、皆の為に、としてきた全てが少年に牙を向きました。
守ろうとした全てが少年を否定しました。
もう人形から声は聞こえません。いや、聞こえないと思い込んでいるだけかもしれません。
動かず、声を出さず、心が磨り減った少年の様なもの。
そこには一つの糸繰り人形がありました。
カラ、カラ、カラ……
……
…
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