無明のささやき
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第十四章
遠くで、電話の音が響いている。起きなければと思うのだが、夢うつつをさ迷う心地良さは、何ものにも代え難く、なかなか起き上がる気になれない。現実はあまりに悲惨で残酷だ。夢の中で生き続けられたら良いのに。目覚めつつある意識が、そんなことを呟いた。
電話はベッドの横に置いてある。朦朧としたまま受話器を取ろうとして、それを落とした。灰皿に当たってガチャンという大きな音がして、はたと目覚めた。飯島は受話器を拾い上げた。誰かが叫んでいる。
「飯島さん、聞こえますか。淺川です。飯島さん。淺川です。」
「ああ、聞こえているよ。ご免、ご免。受話器を落としてしまった。ところで、どうだ、うまくいっているか、探偵の方は。」
「ええ、先週土曜から始めてそろそろ一週間ですからプロ並ですよ。ところで、今なら、彼女を捕まえられると思います。六本木のハーベストっていうホストクラブに入っています。ボディガードがいますが、そいつは入り口で見張っています。」
「遊び回っているという噂は本当だったわけだ。しかし、ボディガード付きってことは、相当用心してるってことだ。」
「ええ、全くです。でも、ここでどのくらい居るのか分かりませんよ。早く来ないと。」
「ああ、分かった。そのハーベストの住所と電話番号を頼む。」
鉛筆を取り出し、それを手帳に書いていると淺川が言った。
「いったい、何をしよとしているんです。まさか、奥さんと接触して南に復讐するなんて言うんじゃないでしょうね。そんなことだったら、僕、いやですよ。」
「馬鹿野郎、俺はそんなことする人間じゃない。どうしても聞いておかなければならないことがあるんだ。とにかく、どうも有難う。助かったよ。」
「いえ、いえ、僕も有給休暇に入って暇だったからちょうど良かったですよ。それに実を言うと、以前から探偵やってみたかったんです。」
「そうか、良かった。とにかく有難う。感謝している。すぐに行く。待っててくれ。」
飯島は、今、渋谷のビジネスホテルに投宿している。一週間前、身の回りの物だけを持って家を出た。そして着る物は全て新しく買い揃えた。車も売り飛ばした。車が必要とあらば、借りれば良い。
去年の暮れから、次から次へとショックな事件が続いて、深く考える暇もなかった。しかし、よくよく考えてみれば、石原の事務所に盗聴機が仕掛けられていたということは、飯島の自宅にだってその可能性はある。
自宅で佐久間達の襲撃を待っている間、飯島は酔っ払い、感情が高まって佐久間をぶっ殺してやると、何度も叫んでいた。その声が佐久間に届いていたとしたらどうだろう。佐久間のあの日の態度も納得がゆくのである。
拳銃を入手したのは和子が殺される前だが、もし、和子殺害がそれ以前に計画されていたとすれば、向田とスキンヘッドの目的は、ネガの存在の真偽を確かめることより、飯島に拳銃を渡すことの方が本筋ではなかったか。つまり、向田も佐久間の仲間である可能性が出てきたのである。
あの時、佐久間は、飯島の殺意を喜んで受け入れようとした。殺されることを熱望したのだ。そして、佐久間は飯島がガンマニアであることをしっている唯一の男なのだ。それにもうひとつ、佐久間は飯島のある性格を熟知していた。
もし、あの時、激情に任せ引き金を引いていれば、飯島は、生涯殺人者のレッテルを背負い、悔恨の情に苛まれ、死ぬ以上の苦しみを味わったはずである。佐久間の熟知するある性格とは、激情と悔恨である。これこそ飯島を特徴付ける負の性質なのだ。
その負の性質を抑制する術を教えてくれたのも、また押さえ難い激情を鷹揚に受けとめてくれたのも佐久間だったのだ。もし、すべてが計画されたものだとするなら、正に彼ならでわのシナリオと言わざるを得ない。
恐らく、家は盗聴されている。反撃に出るために家を出た。飯島は一人で、相手は複数、しかもヤクザも絡んでいる。伸び放題の髪と髭が人相を変え、サングラスをかければ飯島と分かる者はいない。ジーンズに濃いグレーの革のハーフコートを買い入れた。
六本木は若い頃、随分と通ったものだが、今はかなり様変わりしている。ふと昔の記憶が蘇り、淺川の言っていた場所を心の中にイメージすることが出来た。考えてみれば、そこは章子と最初に待ち合わせた場所からさほど離れていない。
飯島は六本木の夜の街を散策しながら、徐々に目的の場所に近付いていった。若者が集まる場所から遠ざかり、クラブやバーがひしめくネオン街に、そのビルディングはある。時計をみると既に9時を少し回っている。
行き交う人々は、それぞれの社会に属し、その中で苦悩し足掻いている。そこから逃げ出すわけにもいかず、そこで生じるストレスを、酒、異性、ギャンブルに発散させている。それは今も昔も少しも変わりはしない。
勤め人風の若い男女のグループと擦れ違った。二次会に向かうのだろうか、笑ったり、叫んだり、騒ぎながら飯島を追いぬいていった。ふと、若者達を憮然と眺める自分に気付き苦笑いした。自分にもそんな時代があったことを思い出したのだ。
その時、一人の若い女が笑いながら振り向いた。飯島は女に章子の面影を重ねた。苦い思いが蘇る。南の腕にすがりながら、章子は振り向き、はにかむような笑顔を作る。見詰め合うその一瞬の淡い思いが心を焦がす。盛り上がった後の空しさ、二人がホテルに向かう後姿を見送るやるせなさ。飯島は溜息をついた。
トレンチコートの襟を立て、暗がりで目を光らせる淺川を見つけて、飯島は思わず吹き出した。まさに探偵を絵に描いたようだいでたちだ。でも目立ちすぎる。向かいのビル入り口に立つヤクザを見張っているのだ。まさに探偵になりきっている。
後ろに回ってそっと近づいて、背中を押した。淺川は悲鳴をあげて30センチほど飛び上がった。ヤクザがその声に気付いて、ゆっくりと近づいてくる。淺川はそれを見て、脱兎のごとく駆け出した。背中を押したのが飯島だと気付かずに逃げ出したのだ。
男は近くまで来て飯島に気付いた。
「今、声をあげたのはお前か?」
飯島は後ろを振り向き、指差して言った。
「いや、この道を全速力で走っている男がいるだろう。あいつが悲鳴をあげたんだ。俺じゃない。」
「お前はここで何をしている。」
「南香織さんがハーベストから出てくるのを待っている。」
男の顔に緊張が走った。手がすばやく胸に滑り込む。すかさず、飯島が言った。
「怪しい者ではない。ニシノコーポレーションの飯島と言う。これが名刺。」
名刺を差し出すと、男は左手でむしりとるようにして、目の前にかざした。
「資材物流センター長だって。なんでそのセンター長さんが、常務の奥さんを、こんな所で待ち伏せしている。まして、どうして奥さんがここにいると分かった。」
右手は胸に差し込んだままだ。
「さっき逃げて行った男が奥さんとあんたの後をつけて来た。そしてこの場所を俺に知らせてくれたんだ。奥さんは、俺の名前を言えば必ず会ってくれる。もし、ここで俺を追い返せば、あんたは奥さんにこっぴどく怒られることになると思う。」
「俺が、お前が来たことを黙っていれば分からない。」
「ここで会えなければ、家に電話するまでだ。」
男は、むっとした表情を浮かべたが、しかたなさそうに携帯をとりだし、ボタンを押した。
「奥さん、村尾です。飯島って野郎が、奥さんに会いたいと言って、入り口に来ています。追い返しますか。」
はい、はい、と短く答え、受話器を手で覆い、
「どちらの飯島さんですか?」
と聞いた。丁寧語になっている。
「ニシノコーポレーションの飯島だと言ったはずだ。南常務の元友人だと言えば分かる。」
間もなく香織が出てきた。まさにあの写真の女だ。恍惚とした女の顔が脳裏に浮かんだ。コケティッシュな雰囲気はそのままだが、35歳のわりには化粧が濃い。香織はふてくされたような顔で、飯島を睨み付けいてる。ふっと息を吐いた。
「私に何の用なの。」
「どうしても話がしたかった。」
「飯島さん、例のものをもっているって、嘘を言ったそうね。」
「ああ、売り言葉に買い言葉だ。」
「その嘘で痛い目にあったんでしょう。もし、ここで変なことをすれば、今度は容赦しないわよ。」
男が飯島の斜め前に一歩進み出た。飯島は男を無視して、香織に話しかけた。
「香織さん、実は、女房が殺された。」
これを聞いて、両目を見開き、「嘘」と言って口を大きく開いた。遅れて両手がその口を覆う。飯島が続けた。
「女房は、二ヶ月前、ホテルで二人の男に襲われた。幸いにも未遂に終わったが、まさか今になって殺されるとは思いもしなかった。」
香織の顔は固まったままだ。次の瞬間、はっとして、もじもじとしている。そして消え入るような声で言った。
「何と言って、お悔やみ申し上げればよいのか。何て・・・」
「ですから、どうしても香織さんの話が聞きたいのです。」
「分かりました。静かな所で話しましょう。」
香織は先に立って歩き出した。
5分も歩いただろうか。その間、二人とも無言だった。ボディーガードが二人の後に続く。南の女房は、小料理屋の前で立ち止まり、飯島に一瞥を与え、暖簾をくぐった。ボディーガードは店の入り口で待機した。
店はそれほど広くない。カウンターと四つのテーブル、奥にこじんまりとした座敷が二つあるだけである。香織は迷うことなく、座敷に向かった。店主と思われる老人が、一礼して迎えた。
二人は真正面で向いあうことになった。少し間違えればどんぐり眼になりそうな大きな眼が愛くるしい。西野会長が40歳の時の子ということになる。よほど可愛がられて育ったのだろう、人を疑うことのない育ちの良さが表情に表れている。
飯島は、ふとあの扇情的なシーンが思い出し下半身が疼くのを感じた。しかし、和子のことを思い出し、改めて神妙な顔を作った。香織も神妙な表情を浮かべながら口を開いた。
「結婚式でお二人を拝見しただけなのに、何故か、その時の、飯島さんも、奥さんも、よく覚えています。お幸せそうな、お二人が、未だに心に焼き付いております。」
飯島はあの結婚式のシーンを思いだし涙ぐみそうになった。結婚前、章子との嵐のような恋愛が終焉を迎え、和子しかいないことに気付いた。章子との浮気はばれていた。営業で何度も使った土下座をくり返し、飯島はようやく結婚式に漕ぎ着けたのだ。
その和子が誰かに殺された。和子の無念の思いが飯島の心の中で渦巻いていた。ようやく子供を授かったのだ。その和子の悔しさを思うと胸が張り裂けそうになる。目をしばたかせ、涙を絞った。飯島が静かにこれまでの出来事を話し始めた。
和子の妊娠、離婚、そして、思わぬ悲劇に触れた途端、深い溜息がついて出た。飯島は言葉を飲み込み、押し黙った。脳裏に和子の屈託のない笑顔が浮かび、それが一瞬にして涙顔に変わる。飯島が漸く言葉を発した。
「その子供もろとも命を奪われました。何としても、彼女と子供のために真実が知りたい。さきほども言いましたが、未遂に終わったが、和子もホテルで襲われた。貴方と同じようにね。」
香織は、ぴくりと体を動かしたが、うつむいたまま飯島の話を待った。
「女房をホテルで襲った犯人は二人だが、佐久間は加わっていない。しかし、警察の調べでは、一人は50歳前後、身長175センチ、所謂スポーツマンタイプでがっしりとした体格。もう一人は、年齢は少し上で、身長はそう大きくはない。そう165センチ弱、中肉中背だ。」
飯島は女の反応を待った。女は、何度か口を動かそうとするが、押し黙ったままだ。しかたなく飯島が質問した。
「あなたを襲ったのは、佐久間ともう一人の男だ。そいつはどんな男だったんですか。」
ようやく女が口を開いた。
「その男は、私より少し背が高いくらいで、年の頃は50才くらいだったと思います。とある飲み屋で知り合ったのですが、とっても話がうまくて、笑わされっぱなしでした。でも、お店を出る時から記憶がないのです。何か薬を飲まされたのだと思います。」
「ええ、写真でもそんな様子で映ってました。心ここにあらず、そんな感じでした。そうですか、お気の毒に。」
一呼吸置いて、飯島が聞いた。
「つまり、あなたを襲ったのは二人で、佐久間ともう一人の男。そのもう一人の男の方は和子を襲った男と背格好が似ている。他に何か特徴はありませんか。」
「そうですね、年の割りに黒髪がしっかり生えてた。剛毛って感じ。それにポマード臭かった。」
「なるほど。そして、顔も油を塗ったように光っていて、金縁の眼鏡をかけている。そうじゃないですか。」
「ええ、そうです。でも、な、何で知っているの。その男のことを。」
思った通り竹内である。飯島は女の質問には答えず、深い溜息をついた。ある程度覚悟はしていたが、蛇のように執念深い人間を敵に回したことになる。
飯島は、確信に触れようと口を開きかけたが、途中で止めた。襖が開いて、店主が顔を出したからだ。お盆にお銚子とお通しを載せて、テーブルに置いた。物静かに、
「他に何か、」
と言って返事を待っている。女が答えた。
「お酒、一本じゃあ足りないわ、二合徳利を2本持ってきて。飲まずにはいられないの。」
その瞬間、それまでの神妙な態度をかなぐり捨てるような、そんな雰囲気を感じさせた。 飯島は酒を注ぎながら嫌な予感に捕らわれた。杯を合わせ、乾杯すると女は一気に飲み干し、今度はビールを飲んでいたコップを突き出した。
「飯島さん、私、飲まずにはいられない体になってしまったの。あれ以来、浴びるようにお酒を飲むようになったわ。」
「ええ、分かります。そうとうにショックだった。分かります。」
「ショックなんてもんじゃないわ。プライドをずたずたにされたのよ。女のプライドよ。」
飯島は何と言っていいのか分からなかった。
「お父様に、お願いしたわ。佐久間を殺してって。飯島さん、殺しても許されるんじゃありません?神様は許してくださるんじゃありません?」
香織は日本酒をあおるように飲み続けた。まるで早めに酔って理性を失いたいかのようだ。そして飯島の予感は当たった。香織は飲み続け、酔いにまかせて飯島ににじり寄り、しなだれかかるようになった。女体の芯が疼いている。そんな印象を受けた。
しかし、飯島は香織を受け入れることなど出来ない。南と兄弟になるなどまっぴらだった。飯島には香織が完全に酔っ払う前に、どうしても話さなければならないことがあった。酒を注ぎながら、飯島が聞いた。
「何故、佐久間の脅迫のことを警察に訴えないんです?」
「とんでもございませんわ。だって、その脅迫はまだ続いていますもの。」
「ああ、そうだろうと思った。しかし、いつまでも脅迫に屈しているわけにはいかんでしょう。一生金を払い続ける気かですか。」
「お金の要求は、私の知る限り最初の一回だけだったわ。その後はないって聞いている。」
「しかし、南の旦那は、あんたを襲った男と名古屋で酒を飲んで、お酌までしていた。」
「何ですって、あの佐久間にお酌をしていたですって。」
「いや、もう一人の男だ。竹内という名だ。」
「えっ、まさか私に薬を飲ませた男と?そんな馬鹿な。いったい何故。」
「俺は、竹内が例のネガのコピーを持っていて、南を強請っているんじゃないかと思っているんだが。」
「そうね、その可能性はあるかもしれない。結局、ネガも何枚もコピーしてあったってことよ。」
「ところで、さっき脅迫はまだ続いていると仰ったけど、詳しくお教え願えませんか。」
「飯島さん、撮られたのは写真だけじゃなかったの。DVDにも収録されていて、会社の誰かに渡してあるそうよ。でも、まさか音声入りの動画まで撮っていたなんて。」
飯島が頷く。香織が続けた。
「警察に言ったり、佐久間に危害が加えられれば、全社員のパソコンにそれが流れるんですって。だから、手も足も出ない。でも、あなた、絶えられる。あそこ丸出しの写真、会社のみんなに見られるの。私は自殺するわ。」
飯島は、佐藤電算室長の顔を思い浮かべた。佐久間が佐藤に接触していたことは確かだ。佐藤であればそんなプログラムを作ることなど朝飯前であろう。佐藤も佐久間の仲間になったのだ。考えてみれば、竹内も佐藤も佐久間と同期なのだ。
「もう一つだけ聞きたい。香織さんは向田敦っていう男を知っているんじゃありません。」
この質問に対する香織の反応は意外だった。飯島にしなだれかかっていた体がぴくんと反応したのだ。背中に置いた手でそれを感じた。俯いたまま香織が答えた。
「その方、今回の事件に関係しているの?」
「いや、関係しているのか否か、知りたいから聞いたんだ。」
香織はしばらく黙っていたが、大きく深呼吸した。そしてグラスをつかみ、それを一気に飲んでテーブルに叩き付けた。幸いにもグラスは砕け散ることはなかった。香織が舌を躓かせながら言った。
「そうそう、飯島さん。面白い話、聞かせてあげるわ。南は、あなたに嫉妬していたわ。最初から最後まで。あなたの情報は逐一私に入っていたの。南だけじゃなくて、父も兄もあなたのことを口にした。だから、あなたのことは、他人とは思えない。」
明らかに、話を逸らせたのだ。次の言葉を待ったが、下を向いて何かを考えているようだった。飯島が話を促した。
「南に嫉妬されたなんて初耳だ。俺が本社に居たのは最初の10年だけで、後は名古屋支店と東京支店だ。本社の南とは関わりを持っていなかった。」
「南は、私と結婚以来いつでもトップだった。でもそれは私あってのトップだったのよ。でも飯島さんは、実力でトップを維持していた。南にはそれが許せなかった。あなたが、そう、邪魔だったの。でも、本当に邪魔な理由は会社以外に別にあったのよ。」
そう言うと、香織は煙草に火をつけて、飯島の目を覗き込んだ。そして言った。
「あの人は私と結婚した後も、章子と続いていた。でも章子が本当に好きだったのは飯島さん、あなただった。それこそ、南があなたを嫉妬していた本当の理由なのよ。何故私がこんなこと知っていると思う。」
香織はいたずらっぽく笑って続けた。
「私立探偵を使って南の電話に盗聴機を仕掛けさせたの。私に聞かれているとも知らず痴話喧嘩していた。南が電話で怒鳴った。もう、飯島のことなんて口にするなっ、ですって。笑っちゃうじゃない。」
笑顔を作ろうとするが、目は座ったままだ。
「私は、あの人にとって出世のための単なる道具でしかなかった。本当に愛していたのは、佐久間章子だったのよ。」
「南と章子は、ずっと続いていたわけか?」
「とんでもない。私が許すものですか。飯田組を使ったわ。章子の泥棒猫にも脅しを掛けた。南は私に逆らうことなんて出来ないのよ。絶対に。」
と言って、虚空を睨みつけたかと思うと、次ぎの瞬間、香織は泣き崩れた。この時、南の苦虫を噛み潰したような顔を思い浮かべた。あの顔の原因が目の前にいる。少しだけ南を哀れに思えた。
先程から香織は、飯島の横に席を移していたのだが、泣き崩れた香織は飯島の股座に顔をうずめている。次第に、下半身がむくむくと起き出してくる。膝を動かして、それを隠そうとするのだが、香織がその動きに合わせて顔を移動する。
しまいには、勃起したそのものを頬で愛撫していた。飯島はふーっとため息をつき、香織の肩を抱きながら言った。
「香織さん、俺の下半身は俺の意思を無視している。」
「あなたの意思って。」
「南と兄弟になるつもりはないってことだ。」
「でも、もったいないわ。こんなに硬くなっているのに。」
飯島は香織を抱き起こした。そして言った。
「香織さん、そろそろ終いにしよう。俺は佐久間に命を狙われている。その気にはなれない。息子は不肖の息子だ。俺の意思を無視しやがって。」
香織は、飯島の話を聞いていないのか、ねっとりとした妖艶な視線向けた。誘っているのは明らかだ。飯島はそれを無視して唐突に聞いた。
「最後に、もう一度、聞いておきたい。君と向田敦との関係は?」
「私、向田敦なんて名前、知らない。」
「その名前を言ったとき、君の体がピクンと反応した。」
「向田敦、ふーん、覚えがない。いったい誰なの、それ?」
その顔は本当のことを言っているのか、それとも惚けているのか判然としない。これ以上聞いても無駄だと悟った。香織が急に拳を振り上げ激昂して叫んだ。
「ふざけんじゃない。南の馬鹿野郎が。私を舐めるなよ。ビデオのことで私を責めようと思っていたようだけど、自分だって散々好き勝手やってきたじゃない。ふざけんじゃないよ。あれは所謂事故よ。薬を飲まされたんだから避けようがなかった。それを責めるような目つきしやがって。ホスト遊びでもしなけりゃ納まらない。」
罵詈雑言は延々と続いた。
しばらくして、言葉に詰まった。最後の言葉を何度か繰返した。そして、ふうふうと深呼吸をし始めた。香織は、そのまま、ばたんと畳に倒れ、顎を着けて眠り込んだ。香織が、竹内に垂らし込まれたのが頷ける。香織をホテルに連れ込むのに、睡眠薬など必要なかったのかもしれない。
飯島は弱り果て、襖を開けると、店主を呼んだ。店主は苦笑いしながら、カウンターから出てきた。
「どうも、ご苦労様です。ようやく眠りましたか。」
「いつも、こんなに酔っ払うんですか。」
「さあ、どうですか。」
店主は分けの分からない返事でお茶を濁した。飯島は外に出ると、ボディーガードに声を掛けた。
「奥様は、おねむだ。」
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