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銀河英雄伝説~その海賊は銀河を駆け抜ける

作者:azuraiiru
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第五十一話 エル・ファシル



帝国暦 490年  6月 25日   ハイネセン   アーダルベルト・フォン・ファーレンハイト



「申し訳ないですね、ファーレンハイト提督。忙しいでしょうに私の付添いとは……」
「お気になさらずに、戦争が無い以上我ら軍人は暇ですからな。それに一人で動かれるのは危険です」
俺の言葉に黒姫の頭領は微かに笑みを浮かべた。

「頭領はレベロ議長と親しいのですかな」
「さあ、親しいわけではありませんがあの人が議長になったのは私にも一因が有ります。ヴァンフリート割譲条約が評価されて最高評議会議長になったのですから」
「なるほど……」

なるほど、あれか。確か六千億帝国マルクと吹っ掛けてヴァンフリートの割譲と二億帝国マルクの支払いで済ませたんだったな。まあ反乱軍、いや同盟市民か、彼らにしてみれば使い物にならん星域を有効利用して解決したのだ。評価されて議長になったのもおかしな話ではない。もっとも頭の固い主戦派からはかなり叩かれたとも聞いている。

「愚痴でも言いたいんでしょう。余計な事をしてくれたと」
「しかし、筋が違うと思いますが」
「そうですがレベロ議長は国を失うのです。愚痴ぐらいは聞いてあげないと……。それに議長は今問題を抱えているはずです、上手く励ませれば良いのですが……」
「大変ですな」
「ええ、物事は後始末が大変です。少し手伝ってあげないと」

俺が笑うと副官のザンデルスも笑った。護衛の兵達も笑っている。頭領は困ったような表情をした。非情なだけではない、結構面倒見が良いらしい。いや、そうでなければ上に立つのは難しいか……。メルカッツ閣下も頭領には随分と世話になっている。本来なら捕えた時点でローエングラム公に突き出すことも出来たはずだ。

ローエングラム公から呼び出された。そして頭領がレベロ議長と会見するから同席するようにと言われた。最初に思ったのは頭領の監視という事だった。だがローエングラム公も黒姫の頭領も上機嫌だった。監視ではない、証人だろう。反乱軍の議長と会う以上、疑いを持つ人間は必ずいる。それを打ち消すのが俺の役割だ。

どんな話が出るのか、楽しみでもあるが恐ろしくもある。頭領とヤン・ウェンリーの会談に立ち会ったビッテンフェルトは二人とも化け物だと怖気を振るっていた。果たして頭領とレベロ議長の話はどうなるのか、ただの愚痴で終わるとは思えん。

護衛を含め地上車三台で最高評議会ビルに向かった。衛兵に険しい顔をされたが中に入る事を咎められることは無かった。議長から中に入れるようにと予め指示が有ったらしい。頭領と俺、他に護衛が八人、最高評議会ビルの廊下を歩く。レベロ議長は執務室で待っていた。俺と頭領が中に入り護衛の八人は廊下で待つ。

執務室の中では男が一人ソファーに座りこちらを見ていた。彼がレベロ議長だろう。
「遠慮は要らない、座ってくれたまえ」
頭領が俺をチラっと見てからソファーに向かった、後を追う。二人でレベロ議長の正面に座った。幾分憔悴しているように見える、髪にも白いものが有った。テーブルには既に水の入ったデキャンタとグラスが二つ置いてあった。

「そちらは誰かな」
「アーダルベルト・フォン・ファーレンハイト提督です。帝国軍の正規艦隊司令官です」
頭領の紹介に俺が少し頭を下げると向こうも微かに頷いた。

「監視役かね、信頼されているようだ」
ちょっと皮肉が入っているな。
「間違いが無い様にと心配しているんです。大事にされているんです、有難い事ですよ」
フンとレベロ議長が鼻を鳴らした。皮肉を言ったのに軽くいなされて面白くないらしい。

“もう一つ要るな”、そう呟くとレベロ議長は立ち上がって奥に有ったアンティーク調ガラス扉キャビネットからグラスを出した。
「その中身は水だ、私が用意した。他の人間に任せると毒でも入れかねんからな」
「有難うございます、感謝しますよ、レベロ議長」
議長が席に戻りグラスに水を注いだ。頭領が一口水を飲んだ。なかなか度胸が有る。それとも議長を信用しているのだろうか。俺も一口水を飲んだ。

「こうして直接会うのは初めてだな」
「そうですね、やはりこの方が親近感が湧きます。議長、いささかお疲れのようですね」
「君のおかげでね、全く余計な事をしてくれた。君さえいなければ同盟が生き残る事は可能だっただろうに」
忌々しそうな口調だ。表情も渋い。

「その可能性は有ったと思います、否定はしません。ヤン提督は名将です、彼ならローエングラム公に勝てたかもしれない。しかしそうなるとこれからも戦争は続いたでしょう、同盟の国力では帝国を征服する事は出来ない。用兵の問題じゃありませんからヤン提督でも無理です」
「……」
レベロ議長が唇を噛み締めた。

「その方が良かったですか? 同盟は軍の再建、そして戦争が続く事で経済も社会も滅茶苦茶になっていたはずです。帝国も同盟も誰も幸せにはなれない……。喜ぶのは地球教だけですよ」
「……地球教か」
レベロ議長が呟いた。地球教か、帝国軍の次の敵は地球教だな。帝国では弾圧したがこちらではそうではない……。

「ようやく宇宙に平和が来るんです。民主共和政もエル・ファシルで存続する。それで良しとすべきでしょう」
民主共和政が存続する。ビッテンフェルトから聞いた時には驚いたがやはり本当なのか。レベロ議長が溜息を吐いた。

「戦争が無くなるか……。望んだ形では無かったが戦争が無くなるのは良い事だ、それは認める。民主共和政も認められるのだ、有難いと思う」
強く自分に言い聞かせるような口調だった。
「しかしね、エル・ファシル公爵、あれは何だね? いくら民主共和政を残すためとはいえ、よりによってこの私が公爵? 嫌がらせかね?」

エル・ファシル公爵? 何だそれは? レベロ議長が公爵? それが民主共和政を残す事に繋がる? 頭領が俺を見てクスッと笑った。
「エル・ファシルでは民主共和政の政体をとることが許されるのです。選挙で選ばれる公爵、珍しいでしょう、ファーレンハイト提督。まだ外部に話すのは控えて下さいよ、同盟市民を混乱させたくないですから」
「はあ」

思わず間抜けな声が出た。選挙で選ばれる公爵? 何だそれは? 珍しいと言うより前代未聞だな。帝国でそんな公爵が居たなど聞いたことが無い。俺が呆然とするのが可笑しかったのだろう、頭領がまたクスッと笑った。

「レベロ議長、そのように嫌がらせなどと取ることは無いでしょう。悪い話ではないと思いますよ。これまでは反乱軍の首魁でしかなかったのにエル・ファシル公爵として、帝国第一位の貴族として認められるんです。エル・ファシル星系を領し無任所とはいえ国務尚書として帝国の統治にも関わることになった。大出世ですよ、帝国屈指の実力者と言って良い。もっと素直に喜んでは如何です?」
レベロ議長が溜息を吐いた。俺もだ、帝国第一位の貴族?国務尚書? 何だそれは……。

「おまけに同盟政府の持っていた借金は全部帝国に肩代わりさせることが出来ました。財源をどうするか等と悩む必要も無い、してやったりじゃないですか。今度ローエングラム公に会ったら肩でも叩いてあげるんですね。後は任せた、君、宜しく頼むよとでも言って」
レベロ議長がまた溜息を吐いた。気持ちは分かる、滅茶苦茶だ。

「ローエングラム公が君を宇宙一の根性悪にしてロクデナシと言っていたが全く同感だ。君こそ宇宙一の根性悪にしてロクデナシだよ」
「そのように褒めないでください、照れるじゃないですか」
頭領がにこやかに答えた。思わず俺もレベロ議長も頭領をまじまじと見た。確かに宇宙一の根性悪にしてロクデナシだと言われても仕方ない。レベロ議長が呆れたような表情をした。

「褒めていると思うのかね」
「物事は良い方に取らないと。それになんでも一番というのは立派な物ですよ、例え根性悪でもロクデナシでも。公爵ならなおさらです、そうでしょう?」
レベロ議長がまた溜息を吐いた。
「恨み言の一つも言ってやろうと思っていたのだが馬鹿らしくなったな」
頭領が肩を竦めた。

「それで私を呼んだ理由は? もちろん恨み言を言いたかっただけというのでも構いませんが」
レベロ議長が不機嫌そうに顔を顰めた。
「違う、いやそうであれば良かったのだけどね。確認したい事が有ったのだ。今後も君達とエル・ファシル星系の関係は続く、そう見て良いのかな?」

なるほど、そういう事か。黒姫一家はヴァンフリートから産出した鉱物資源をエル・ファシルで売りさばいているとメルカッツ閣下から聞いている。そして民生品を購入して帝国で売っていると。それによる利益はかなりな物らしいがその関係が続くかどうかはエル・ファシルの繁栄に大きく影響する。レベロ議長が心配するのも無理はない。

「問題はないと思います。ヴァンフリートは一度帝国政府に渡しますが、改めて我々の所有が認められることになります。エル・ファシルにはこれからも我々の輸送船が立ち寄る事になるでしょう」
「そうか、それは良かった」

うむ、ヴァンフリートを一度帝国に渡すか。形式面でヴァンフリートは帝国領の一部であると表明するわけだな。胸を撫で下ろす奴も要るだろう。……それにしても妙だな、口調の割にレベロ議長はあまり嬉しそうではない。エル・ファシルの繁栄は何よりも気掛かりな事の筈だが……。レベロ議長が一口水を飲んだ。

「エル・ファシルとの話し合いは上手く行っているのですか?」
頭領が問い掛けると議長は顔を顰めた。
「難問ばかりだよ、エル・ファシル公爵領が発足すれば多くの同盟市民がエル・ファシルに移住を求め押し寄せるだろうが……、向こうは受け入れに難色を示している」
議長が溜息を吐いた。

「受け入れはどの程度可能なのです?」
「精々二百万程度だろうとエル・ファシルでは見ている」
「……」
「電気、水道などのライフラインの問題も有るが医療、教育などの施設も人も足りない。二百万以上は難しいだろうな……」

レベロ議長の声には力が無い。同盟には百億人以上の人間が居る、しかし受け入れられるのは二百万……。いっそ受け入れをゼロにした方が混乱はないだろう。
「戦争ばかりしているからです。国民の生活を犠牲にしたツケですよ」
「君の言う通りだ」
「……」
頭領もレベロ議長も苦い表情をしている。

「エル・ファシルでは受け入れは拒否すべきだと言う意見が出ている。混乱するだけで何の益も無いというんだ。彼らが心配しているのは自分達の繁栄だけだ」
吐き捨てる様な口調だ。なるほど、レベロ議長が不機嫌だった理由はそれか。議長はエル・ファシルの身勝手に怒っていたわけだ。

「彼らを責めることは出来ないでしょう。政府は戦争に夢中になって地方の事など何も考えてこなかったはずです。エル・ファシルは戦場になった事も有る。安全な所でぬくぬくしていたハイネセンの後始末を何故自分達に押し付けるのか……、当然の感情でしょう。繁栄が保障されているのであればエル・ファシル公爵領にも抵抗は少ないのではありませんか?」

レベロ議長の顔が歪んだ。
「その通りだ。同じような事を言われたよ。君は彼らと話したのか?」
「いいえ、そうでは有りません。ですが想像はつきます、難しい事じゃない。帝国の辺境が中央に対して似た様な感情を持っていますからね」
「……」

だから一部の人間が恐れるのだ。いずれ辺境が中央と対立するのではないかと。辺境が弱い存在なら良い、押し潰す事が出来る。だが黒姫の頭領が辺境に居る。頭領を無視する事は誰にも出来ない。これまでの頭領の帝国に対する貢献を考えれば辺境に対して強く出る事は出来ない。そして徐々に辺境は力を着けつつある……。

「帝国も同盟も国家として国民の安全と繁栄を守る事を怠った。それでも帝国はローエングラム公が改革を始めた。だから反発は同盟の諸都市に比べれば少ない」
「そうだな、それに対して同盟は何も出来なかった……」
力の無い声だ。頭領がグッと手を握りしめるのが見えた。頭領の顔を見たが表情は変わっていない。しかし、怒っている……。

「統治体制なんて馬鹿げたものに拘るからです。民主共和政、専制君主政、どちらにも欠点が有る、完璧な物じゃないんです。それが分かっていれば共存が可能だったはずです、それなのに……。ヴァンフリート割譲条約を見れば分かるでしょう、主義主張なんてものは決定的な対立要因にはならない事が」
「……その通りだ、君の言う通りだよ。エル・ファシルは今の繁栄が続く事だけを望んでいる……」
レベロ議長は俯き頭領は溜息を吐いた。

二人とも押し黙っている。暫くしてから頭領が口を開いた。
「何回かに亘って段階的に移住者を受け入れる、同盟市民にはそう言うしかないでしょう」
「何回かに亘って?」
「最初に二百万、二年後に更に二百万。受け入れの準備にそれくらいかかる、その後も何年か置きに移住者を受け入れると発表する。エル・ファシルだって人口が増えればそれだけ豊かになる。それで両方を説得するんです」

レベロ議長が訝しげな表情を見せた。
「納得すると思うかね、君は」
「納得させるんです。……実際問題、二百万人以上受け入れる事は出来ない、そうでしょう?」
「……」
「移住を望んでいるのは帝国の統治に不安が有るからです。二年後には帝国の統治も軌道に乗っている。そうなれば移住を望む人間も減るはずですよ」

レベロ議長が“そうであって欲しいものだな”と呟いた。苦労している、いっそエル・ファシル公爵領など無い方が議長にとっては楽だっただろう。だが民主共和政を守るために今苦労をしている。そして頭領はそれを助けようとしている。苦労している議長を放っておけないのだろう。贖罪も有るのかもしれない。いや、何よりも帝国が繁栄するには旧同盟領の安定が必要だ。頭領にとっても他人事では無い。

大変だな、そう思った。まだまだ戦いは続く、そう思った。人と人が殺し合う戦争は終わった。しかしこれからはいかにして人を豊かにするかの戦争が待っている。経済の戦争であり統治の戦争だ、失敗すれば旧同盟領は混乱し不安定な状態になるだろう。帝国にとってお荷物にしかならない。帝国がこの面で頭領に求めるものは大きい。そして頭領もそれは分かっているはずだ。

ローエングラム公は分かっているかな。これまでの戦争は勝てば良かった、しかしこの新しい戦争では様々なものを求められるはずだ。公正さ、豊かさ、そして未来への希望……。容易では無いな、容易ではない。だが今更後戻りはできない、ローエングラム公も頭領もこの道を歩み続けるしかないだろう……。


 
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