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ラ=トスカ

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第四幕その二


第四幕その二

「コルシカのあの小男はフォークもナイフも使わないそうだな」
「はい。手掴みで腹を空かせた獣の様に何でも食べるそうです」
 警官は答えた。
「ふん、あの男らしい。所詮は卑しいフランスかぶれ」
 口の端を歪めて笑った。
「だがその小男が勝ってしまった。王妃はお付の者達と共にナポリへ帰られた。街の様子はどうなっている?」
「大変静かです。哨兵を倍にし警官も兵も全員部署に付けました」
 もう一人の警官が答えた。
「要らぬ用心だと思うがな。だが念には念を入れろ。フランスの勝利がローマの者を熱したわけではないにしろ、な。遅かれ早かれフランス軍がジャコビー二に導かれこの街に来る。既に奴等は活気付いている。アンジェロッティを捕らえるか殺すか次第我々もローマを去るぞ」
「解かりました」
 そう言って二人の警官は敬礼した。
「まあこの後詰の報酬は陛下からたっぷりと頂けるだろう。ところで子爵殿は今どうされている?」
「礼拝堂で教悔の僧達と御一緒です。最後に神のお情にすがるよう申しましても自分は神を信じない、神の許しなぞもらう必要も無い、唯己が信念と理想、そして芸術の為に生きそして死ぬだけだ、と言っておられます」
「そうか、ジャコビー二らしい言いようだな。今から死ぬというのに大した度胸だ」
 スカルピアはいささか皮肉を込めて言った。
 ドアをノックする音がした。入れと言うとスポレッタが入って来た。 
「どうだ、絞首台の用意は出来たか?」
「はい、このバルコニーの下の橋の袂に。ですが伯爵の方は宜しいのですか?」
 スポレッタが危惧した顔で言った。カヴァラドゥッシの兄であるアルトゥーロ=カヴァラドゥッシの事だ。
「構わぬ、後でどうとも言い繕える。それに弟が政治犯なら幾ら何でも表立って言えまい」
 給仕頭と従僕が持って来た二本目のワインを飲みながら言った。
「ところであの女はどうした?」 
「御命令の通り別室に入れております。ですがここが何処なのかはよく知らないようです」
「そうか、それはそれで好都合だな」
 一杯飲み干して言った。
「ここへ連れて来い」
「解かりました」
 程なくして一人の警官に連れられトスカが部屋に入って来た。それを確かめてスカルピアは立ち上がった。
「ようこそ。サン=タンジェロ城へ」
 それまで顔を強張らせていたトスカだがその城の名を聞き血の気を失った。この城へ入る事が何を意味するのか彼女も知っていたからだ。
「その様に気を驚かせないで。まあゆっくりとお話しましょう」
 そう言うとスカルピアは指を鳴らした。するとスポレッタ等部屋にいた者は皆退室した。
 自分の手で銀の杯に酒を入れる。紅い酒がゴポゴポと音を立てて注がれていく。
「どうです、スペイン産です」
「折角ですが」
「おやおや」
 トスカは丁寧に断った。それに対しスカルピアは表情を変えず両肩を少しだけ上げておどけた様な仕草をして見せた。
「言っておきますが私は酒には何も入れませんよ。我々シチリアの男はその様な手は使わない。縛り首か、鉛の弾か。我々は全てをそれで解決する。とりわけジャコビー二に対しては。まあ窓を御覧なさい」
「何が!?」
 トスカは訝しげに問うた。
「何、大した物ではありません。絞首台を二つ用意したのです。一つはこれから来る男の為に。そしてもう一つは今この城にいる男の為に」
「まさか・・・・・・・・・!」
「そう、貴女の愛する子爵の為のものだ」
「そんな・・・・・・・・・」
「子爵殿は脱獄囚を匿って更にその囚人を逃がしてしまった。その罪は極刑に値する。因って明朝このサン=タンジェロ城にて絞首刑に処する事となった」
「・・・・・・おいくら・・・・・・・・・?」
 いささか上目遣いでスカルピアに問うた。彼が袖の下に弱いという噂をトスカも聞いていたからだ。
「ほう」
 その言葉にスカルピアは嘲笑を込めて返した。
「成程、確かに世の者は私を袖の下に弱い男という。だが美女には金で首を縦には振らない。法も忠誠も見て見ぬとすれば他の報酬を求める」
「それは・・・・・・?」
 スカルピアの黒い瞳が闇の夜の野獣のそれの様に光った。
「貴女自身だ」
 この時トスカは初めて全てを理解した。自分が何故この城のこの部屋に呼ばれたのかを。
「私の務めは果たされようとしている。軍人が刀や銃を収めると同時に闘いを忘れる様に今の私は一人の男だ。今夜は貴女の女としての本当の姿を見る事が出来たしな」
 とファルネーゼ宮、そしてカヴァラドゥッシの別邸での事について言った。
「ファルネーゼでの歌う姿、そして別邸で苦しみ悶える姿、それ等が全て私の心に抑えられない炎を呼び起こさせた。私が今までこの手にした多くの女達とは違う。どの様な手を使っても私のものにしてみせる」
 そう言うとトスカの方へゆっくりと歩み寄って来た。それを見てトスカは身を翻して言った。
「私の心も身体もあの人だけのもの、他の人のものになる位なら私はこの窓から身を投げます!」
「どうぞ御自由に」
 スカルピアは素っ気無く言った。
「子爵も後から追うことになるな。もし貴女が私の言う通りにすれば良し、さもなければ絞首台だ」
「怖ろしい・・・・・・身の毛もよだつその言葉・・・・・・・・・」
 その時左手の壁に王妃の肖像画を認めた。慌てて扉の方へ走ろうとする。
 スカルピアは黙って立ち止まりそれを見ていた。トスカが扉に手を掛けようとしたその時に言葉を発した。
「どうぞ御自由に。私は手荒な真似はしない。だが王妃は既にナポリへ発たれた。もし貴女が王妃とお会い出来ても王妃は絞首台上の死体に恩赦を施されることになるだろう」
 冷然とした態度で言った。更に続ける。
「そうやって必死に恋人の為に尽くす貴女だから欲しいのだ。貴女は他の女とは違う。追い詰め無理矢理奪ってこそ貴女は私のものになるのだ」
 そう言ってまた足を進めた。トスカは扉に背を付けた。
 
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