一人の男
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第六章
「ただここにいるね」
「あの、しかし」
「貴方は革命を成功させました」
「それは今も続いているにしても」
「バチスタ政権を倒したではないですか」
「確かにバチスタ政権は倒れた」
このことは事実だとだ、ゲバラも認めた。
だがそれと共にだ、彼はこうも言ったのである。
「けれどそれは僕だけで成したことじゃない。まずフィデルがいる」
「カストロ議長ですね」
「あの方がですね」
「そう、彼に他の同志達もいて」
それでだというのだ。
「人民もいてくれた、革命は人民が人民の為にするものだ」
「人民がですね、確かに」
モリもここで頷いた、ゲバラのその言葉に。
「人民が立ち上がらなければ何もなりません」
「そうだよ、僕はその中の一人に過ぎないんだ」
「人民の中のですか」
「それに過ぎないんだ、だから僕はね」
「一人の男ですか」
「そうだよ、その通りだよ」
こう笑顔でモリ達に話すのだった。
「特別な人間じゃないよ、人民の一人に過ぎないんだ」
「だからですか」
「今もここで」
「椅子にふんぞり返ってばかりだとそのことを忘れて勘違いしてしまうよ」
こう言ってそしてだった、彼は。
モリ達に手にしているその鎌を見せて話した。
「こうして毎日、人民としてね」
「畑仕事をされているんですか」
「そうされているのですね」
「僕は英雄じゃない、特別な存在でもない」
半分以上は自分自身に言い聞かせている言葉だった、己への戒めとして。
「そのことはよく覚えておいてね」
「わかりました、そうなのですね」
「貴方は」
「人民だよ、一人の男だよ」
その端正な顔に屈託のない笑顔を出して言う。
「それに過ぎないんだよ」
「そうですか、それでは」
「母国にはそう伝えておきます」
「頼むよ、では折角来てくれたし」
ゲバラはここで服のポケットからあるものを取り出して彼等に差し出した、それは何かというと。
「吸うかな」
「葉巻ですか」
「そういえば貴方は」
「これがないとね、何時でも」
ハバナ産の葉巻だ、サトウキビや観光と並ぶこの国の象徴である。
「僕は駄目なんだよ」
「その葉巻を我々にもですか」
「ご馳走してくれますか」
「葉巻は癖があるし煙草自体吸わない人もいるね」
そうしたこともわかっての言葉である。
「じゃあどうかな」
「はい、それでは」
「お言葉に甘えまして」
幸いモリ達は皆喫煙派だ、そして葉巻も抵抗がない。
だからゲバラから差し出されたその葉巻を笑顔で受け取った、そのうえで彼と共にその葉巻を美味しく吸うのだった。
モリ達はゲバラと笑顔で別れた後大使館に戻り彼との会談のことを本国に報告した、それが終わってからこの夜もキューバのカクテルを飲みつつ話すのだった。
「いや、思いも寄らなかったね」
「全くだよ」
「チェ=ゲバラは英雄じゃなくてね」
「一人の男か」
「それに過ぎなかったなんてね」
「けれどあれだね」
ここでだ、モリがその甘いカクテルを飲みながら笑顔で話した。
「それが彼に相応しいね」
「ゲバラにだね」
「そうだっていうんだね」
「うん、そう思うよ」
こう言うのだった、同僚達に対して。
「キューバはその一人の男がいるんだね」
「英雄ではなくて」
「そしてその一人の男がこの世界にいる」
「ロマンだね」
勇ましく頼もしい、そうしたヒロイックなロマンだった。
そのロマンをこの目で見た、彼等はそのことに満足しつつこうも言った。
「ゲバラがいること、忘れられないね」
「うん、これからもね」
こう話すのだった、彼等は共産主義すら超えているものをゲバラに見た。そこには人としての格好よさがあった。
チェ=ゲバラは自分自身を英雄だとは決して言わなかった。後に中南米の革命を主導しようとして敵に捕まり銃殺となる。しかしその時も彼は自分自身を一人の男といい遠慮なく撃ち殺せとさえ言った。
彼は最後の最後まで英雄とは言わなかった、英雄とは自分自身で言ってなるものではないという。では彼は英雄だったのだろうか、しかし周りは彼を英雄と呼ぶ。英雄とは周りがそう呼ぶことによってなるということであろうか、少なくとも彼にロマンを感じる人は今も多い。ヒロイズム的なロマンを。
一人の男 完
2013・4・22
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