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ネギまとガンツと俺

作者:をもち
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第3話「仕事―表」

 

 朝、予想以上に早く目が覚めたタケルはスポーツウェアに着替えて準備運動をしていた。どうやら今日から副担任として教師を勤めることに対して緊張しているらしい。

 副担任としての彼の仕事は基本はネギの手伝いと事務仕事で、授業をする必要はないという、どう考えても教師とは思えない仕事なのだが、それでも副担任として教師になるからには挨拶というも
のをしっかりとしなければならない。

 特に第一印象が大事、というヤツだ。心境としては引越ししてから初めての登校日に覚える緊張に近い。タケルは一度だけ、まだ親が健在だったころに経験があるのみなので、こういった事柄になれているはずもなく、こうやって体を動かして気を紛らわしているのだった。汗を掻くための運動なので、スーツは着込んでいない。

「よし」

 いつものように低テンションで呟いた言葉を皮切りに、走り出す。これはガンツとしてのミッションが始まってからは少しでも体力をつけようと習慣としていたのだが、この世界に来てからは初めてだ。

 ――……出来ればこれからも毎日走っておきたいな。

 考えつつも、温まってきた体でペースを上げようと勢い良く足を漕ぎ出したところで、昨日の朝に見た顔を見つけた。どうやら新聞を配達しているようで、脇に新聞紙の束を抱えている。

 ――声をかけるべきか?

 いつもなら確実に無視する、というか興味がないので素通りするのだが、なにせ今日から1学期間、下手をすればもっと長い間の付き合いになるかもしれないことを考えると無碍に無視するのも気が引ける。

 ――どうする、俺?

 どうすんのよ、俺!? とまるでどこかの某CMの如く、選択が書かれたカードを両手にもっているかのような錯覚に陥ってしまう。

 いつまでも悶々としていたタケルだったが、気付けば彼女が近くに来ていたらしい。

「あれ、昨日の……」
「ん、んん……あ、げ……や、おう」

 先に声をかけられたことで意味不明な答え方をしてしまった。だが、彼女はそんなことには気にせずに、笑顔で笑う。

「今日からうちのクラスで副担任をされるんですよね、私の名前は――」
「神楽坂 明日菜……だったな」
「え? あ、はい」

 どうして私の苗字を知っているのだろう? と首をかしげる彼女に、タケルは無表情で答える。

「昨日に生徒の名簿をもらった。昨日のうちに顔と名前は全部覚えたから……」

 無言の問いかけに答えたタケルに、アスナは驚きの表情をみせ、そして微笑んだ。

「へ~、すごいんですね。たった一日で……」

 タケルはどこか違和感を覚えていた。昨日会ったときにはガミガミとネギに怒りをぶつけている短気なイメージを彼女に見ていたのだが、今日会って会話してみるととても年下とは思えないほどに出来た性格に見える。

 タケルが怪訝な顔をしていることに気付いたのか、アスナは少々苦笑いを浮かべて舌を出して、小さな声で言う。

「……私、ガキが好きじゃないんです」
「……なるほど」

 どうも単純な理由だったようで、女子中学生らしい答えにホッと微笑む。アスナもそれにつられて微笑んだのだが、すぐにハッとした顔で腕時計に目を配った。

「あ、いけない。バイトが間に合わなくなっちゃう! ……それじゃ、スイマセン先生! また後で!!」
「……ああ、また」

 軽く手を振り、その場ですれ違う。駆け足で去っていく彼女の背中は意外に早い。

 ――陸上部にでも所属してるのか?

「……俺も走ろう」

 冷えてしまった体を温めるためにのんびりと走り出す。そして5分くらいたって「っ!?」何かに気付き、立ち止まった。

 無言のまま、首をめぐらせたっぷりと間合いをおいて一言。

「――ここどこだ?」

 首をめぐらせるが誰もいない。

「……」

 誰もいない。

「…………」

 やっぱり、いない。

 当然だが誰も答えてくれそうになかった。




 アスナは急いで新聞を配りながらも先程すれ違った人物、確かタケルという名の先輩――いや今日からは先生だが――のことを思い出していた。

 ――昨日はネギのことで一杯一杯だったからほとんど印象に残ってなかったけど……うん、確かに。

 先程たまたま会った時に少しだけ会話を交わしたが、昨日に木乃香が言っていた言葉を思い出す。

『何やネギ君とは対照的な感じの人やったな~』

 そのときは適当に答えたが、さっきの会話で木乃香の言いたかったことが今ではよくわかる。
 年上で、ネギとは違って頼りになる感じの雰囲気がむんむんと出ていた。ただ、ネギのように人を惹きつけるような、そんな華やかさはない。

 地味で、無口で、無愛想だが、頼りになる。そんな感じだろうか。

 顔は人によっては印象が変わるだろう。まぁ、地味という印象は免れないかもしれないが、それを加味しても悪くはない、だろう。決して良いともいえないかもしれないが。

 ――あんなお兄ちゃん……ありかな?

 とまぁ、中学生らしい考えが渦巻きつつも心の片隅では

 ――またウチの一部の人たちが騒ぎそうね、こりゃ。

 微妙に頭を抱えたくなったアスナだった。




「まずい、まずいぞ」

 迷子になってから既に2時間が経とうとしていた。幸い腕時計を持っていたので時間はわかる。現在午前7時49分。あと1時間もすれば学校が始まってしまう。

 にも関わらず、見覚えのある経路に辿り着かない。誰かに道を尋ねようにも場所が悪いのか、人っ子一人見当たらない。

 いつの間にやら、道には草木が生い茂り、ほとんど獣道と化している。壁の代わりには自身の身長を覆い隠さんばかりの木々が立ち並び、人工物の陰は一切見当たらない。

「……まずいぞ」

 また呟かれた言葉には、確かに彼なりの焦燥感が漂っていた。だが惜しむらくは、彼の迷子ぶりだろう。どうやら方向音痴レベルが最上級のようで、未だにこの道が山に入っていることにすら気付いていない。

「……っく、スーツを着てくればこんなことには」

 心底悔しそうに言っている。確かにスーツがあれば全力でジャンプして場所を一望できる。人に見られたくなければステルスを作動させればいい。だが、元々運動のためにスーツを着なかったのだ。スーツを着て走ってもそもそも運動にならないし意味もない。

 元々頭が良いわけでもないが馬鹿でもない彼が本気でつぶやいているということは今、彼なりにテンパっている証拠なのだろう。

「……初日から遅刻は人としてまずいな」

 困ったように走り続けるタケルに、遂に救いの手が差し伸べられることになった。なんとこの獣道に人が。彼よりも身長は高いが、スカートをはいていることから女子生徒だとわかる。タケルの身長は169センチなので、女子として十分に大きいだろう。
ともかく、その女子生徒がタケルを追い抜く形で走り去っていったのだ。

「少し寝すぎたでござるなぁ」

 妙に時代錯誤な言葉遣いだが、今は気にしていられない。

「……まった」

 タケルが慌てて呼び止めると、その女性徒は立ち止まり振り返った。これで帰れるとホッとしたのも束の間。目の前の人物の顔を見て絶望したい気分になった。

 思わず声に出してしまう。

「長瀬 楓……か?」

 これはひどい。

 折角、帰れるというのに、これから自分の教え子となる人間に「迷子になったから道を教えてください」といえばいいのか。

 ――で、できない。

 俯くタケルに対して、カエデはなぜか急に鞄を捨てて身構えた。

「……拙者に殺し屋?」

 ――何を意味不明なことをいってるんだ?

 と考えているタケルとは裏腹に、カエデはいきなりその姿を消してしまった。消えられてはマズイ、そう思ったタケルは大きな声で彼女を呼びとめようとして、すぐさまその場で体を伏せた。それとほぼ同時に先程まで頭があった位置を何かが通り過ぎた。

 殺気。

 ――こんな平和なそうな世界で? しかも明確に俺に?

 まがりなりにもガンツのミッションを3年以上戦い続け、しかも100点クリアを7回も経験しているタケルだ。いつの間にか殺気やら殺意やらには自然と反応してしまうような体になっていた。

 とはいえ――

「……まずい」

 そう、非情にまずい。いくら反応できてもそれに伴う身体能力がないうえに当然攻撃力もない。生身の彼にはあくまでも一般的な力しかない。ガンツの武器を使わなければ勝ち目はない。

 それを感じさせるほどの殺気がこめられていた。

「くそ、ただ道に迷っただけで」

 そう呟いた瞬間、戸惑うように殺気は消え去った。

「む?」

 どうしたんだ? と首をかしげるタケルの前に、先程消えたはずのカエデが現れた。

「……」
「……」

 無言で顔を合わて数秒。タケルは無表情のまま頭をめぐらせ、そして一つの仮説を導き出した。

「さっきのは……長瀬さんが?」

 コクンと頷く彼女に、タケルはその場でへたり込み、愚痴のように小言を漏らす。

「死ぬかと思った」
「いや、スマンでござる。拙者少し勘違いをしていたようで――」

 カエデはハハハと笑いながら、座り込んだタケルの手を掴み、立たせてから「――それよりも」と言葉を続けた。

「もうすぐ授業でござる、道案内したほうがいいのでござろう?」
「……あ」

 呟き、腕時計をみる。

「げ」と呟いてしまうほどに時間が経っていた。現在午前8時10分。

「う……これからの教え子に初日からアレなんだが、頼む」
「これからの教え子?」

 二人で走りながらもタケルの言葉に疑問を覚えたカエデが首を傾げてみせ、

「そういえば、拙者の名を知っていたようだったでござるが?」
「ああ。今日から君達のクラスの副担任をすることになった大和 猛だ、宜しく頼む」
「そういえばそんなことをネギ坊主が言ってたような気が……それにしても拙者と大して年齢は変わらんのでは?」

 ――坊主って、君はおっさんか?

 言いそうになったのを堪えて、カエデの質問に答える。

「そうだな、本当なら今は高校一年生だ、君たちと2つしか変わらない」

「ほう……それにしては、色々と――おや?」

 最後まで言いかけて言葉と、そして足が止まった。どうしたんだ? と聞こうとしたタケルも気付いたのか、足を止める。

 彼等の目の前にはいつの間にか、麻帆良学園の、しかも女子中等部があった。

「では、拙者これにて、では後ほど……」
「ああ、今日は助かった。スマン」

 とその場から遠ざかる彼女の背中を見つめる。息が切れていたのを必死で我慢しながらついていったのに対し、彼女は平然と走っていた。しかも汗一つかいていない。

 ――俺がついてこれるペースで走っていた、か。

「……なんて女子中学生だ」

 何とも言えない感情と共に、言葉がこぼれていた。

 ともあれ、時間は現在8時29分。どうにか辿り着いたというわけだ。

 予鈴が鳴り響き、8時30分になったことを知らせる。汗だくになったスポーツウェアを着替えようと思って、気付いた。

「……荷物!!」

 ――おおおお落ち着け、俺。あと15分もある。寮まで片道10分と考えて、往復20分。駄目だ、間に合わん。

「……初日から遅刻など」

 数秒間、目を閉じて沈黙。そうして意を決したのか、彼は目を見開いた。

「仕方ない!」

 とりあえず猛ダッシュ。人の流れに逆らって走る。既に登校ラッシュは始まっており、大量の生徒が学校に向かってきている。これだけの人の量の流れに逆らうのはなかなか難しい行為かもしれない。だが、タケルにとっては大した問題ではなかった。

 なぜなら――

 通り過ぎる学生達が驚きでそれを見つめながらも過ぎ去っていく。タケルの目の前には遮るような人間はいない。

「おい、あいつ壁の上を走ってるぞ!」
「馬鹿だ!」
「え、なにあれ?」

 ――そう、彼は壁によじ登り、そこを走っていたのだ。

 何百、下手をすれば千以上もの人が通り過ぎるこの道で、そんなことをすれば目立つのは必至である。まさに無恥でなければ出来ない技だ。

 口々にはやし立てる学生達は無視。ものすごい恥ずかしいことをやっていることに気付かず、タケルという名の冷静馬鹿は必死に走っていた。

 ――間に合え!



 
 ――む?

 カエデは校舎から飛び出していく人の背中を見て首をかしげた。

 ――あれはタケル殿では?

 細い目をこらすが、それは間違いなく大和 猛だ。今朝たまたま出会った先輩、というか今日からは先生らしいのだが。

 目は彼の背を追いつつ、思考は今朝の出会いにまで飛ぶ。

 最初声をかけられた時は特に何も思わなかった。無愛想な表情で、地味な顔。どこにでもいる平凡な人間だと思った。だが、それは一瞬で違っていたと悟らされることとなった。

『長瀬 楓……か?』 

 ――拙者の名を呟いた瞬間に湧き出たあの殺気の量、半端でなかったでござるな。

 あの時に放たれた殺気によって、彼女はすかさず臨戦態勢に入った。しかも、カエデ自身が本能的に動くほどに、反射的に。

 その後、けん制として放った手裏剣は見事に回避されたカエデが「殺るしかない」と腹をくくったところで彼は「道に迷っただけで」という言葉を吐いた。

 それに毒気を抜かれたカエデはやっと落ち着いて、彼が単なる迷子だということに気付いたのだ。

 ――にしても、徹底的なまでに凡人を装った雰囲気や、あの時に放たれた殺気の量、それにあの見事な回避といい、すさまじいほどの手練れでござるな。

 「拙者ももっと精進せねば」とだれに言うでもなく呟いたカエデの言葉は、後ろでギャアギャアと騒いでいる女子生徒たちによって掻き消されたのだった。




 ――ま、間に合った。

 現在時刻午前8時42分。トイレでステルスを解除したタケルはそのまま職員室へ向かっていた。
え、ステルスモードって何って?

 当然、彼は高校の制服の下にガンツスーツを着込んでるわけであって。だからこそ、遅刻せずに済んだわけであって。ステルスで消えていたのは、車以上に早い速度で走っている姿を見られたら騒ぎになるからであって。

 ――ガンツスーツってすごいな。

 などと改めて冷静に考えるタケルであった。




 職員室では学園長によって適当に自己紹介を済まされ、それだけで済んだことにホッとしながらも、本番はここからだ、と自分に言い聞かせる。

 ネギと共に教室へ向かう途中、お互いの自己紹介を最後に繰り返していた。

「改めまして、ネギ・スプリングフィールドです。今日から宜しくお願いします」
「ああ、大和 猛だ。当分の間はお前の補佐をする。色々とたよってくれ」

 普通のことを言っただけだったが、それだけでネギは何かに感動したのか、目をウルウルとさせて喜んでる。

「はい! 何だか頼れるお兄ちゃんって感じで凄く嬉しいです!!」
「お、おお……そ、そうか」

 ――あまり親しくないはずなんだが。

 余りのネギのリアクションに、そんなことを思ってしまう。だがネギは気を良くしたのか、ペラペラと話している。

「――それで、僕はおじいちゃんみたいなマギステル・マギになるんです!」
「……」

 タケルの無言の反応に、ネギは明らかにしまった、という顔を見せ、手を振り首を振り、先程の言葉を取り消そうと口を開こうとして、

「大丈夫だ、オレは魔法の存在を知っている」

 タケルが先に口を開いていた。あまりに狼狽ぶりに見ていられなくなったのだろう。「よかったぁ」と胸をなでおろすネギに、タケルは小さくため息をついてみせ、軽く拳骨を一つ、頭にくれてやった。

 ――もちろん、ガンツスーツを着ていることを含めて、軽く。

「いったたた、何をするんですかぁ!」

 ムキになったネギに、タケルはその表情を一切変えずに呟く。

「魔法の存在は秘密が原則なんだろう、俺が魔法の存在を全く知らない存在だったらどうする」

「う」と詰まらせるネギにさらに言葉を続ける。

「まぎすてるまぎ、とやらを興味本位で調べて、魔法の存在をしり、興奮してだれかれ構わずに話したらどうする?」

「……」

 黙りこくったネギにさらに追い討ちを。

「そのせいで俺が処分されたら? 俺が話した言葉を聞いた人まで処分されたら? ……お前は一体どうする?」
「……」

 何も答えられず、涙目になったところで小言を止める。10歳――正確には9歳だということが今朝、判明したが――の子供にこれ以上言っても泣かせるだけだとタケルは判断したのだかもしれない。

「これからは気をつけた方がいい」

 やはりあくまでも無表情で話すタケルに、ネギはコクンと小さく頷き「ごめんなさい」と頭を下げた。

「……反省したなら、次からは気をつければいい」
「はい!」

 と元気よく答えたネギが頭を上げようとしたところ、タケルがそれを遮る形でネギの頭に手を置き、黙り込む。

「……」
「…………?」

 頭に手を置かれたままのネギがキョトンとして、そのまま首をかしげたところで、タケルは言葉を紡ぎだす。

「それと、まぎすてるまぎ、だったか? あまり知らないから適当なことはいえないが……頑張れ、応援してる」
「あ」

 ぱあっとネギの顔が明るくなった。

 そのまま手を離して先に歩き出したタケルに、ネギは「はい!」と元気に微笑んで彼の横に並んだのだった。




 教室は騒然としていた。

 だが、それは仕方のないことだろう。

 昨日には約10歳の少年が担任教師として赴任してきたと思えば、今度は16歳の、つまりは彼女たちにとって見れば2歳しか変わらない、年上の先輩が副担任としてこの教室にやってくるのだから。

 ガラリと教室の扉が開き、遂にその噂の先輩が顔を出した。閉まっていた扉によって支えられていた黒板消しが、扉を開いたことによってその支えをなくし、落下を開始する。

 いわゆる黒板消しトラップというやつだ。

 ――かかったか!?

 教室中のほとんどの人間がそう思ったところでタケルはひょいと頭を引っ込めてしまった。そのままモフッという音を立てて粉チョークを撒き散らす。

「チッ」

 小さな声で誰かが呟いたことをタケルは気にせず、足元に張られたロープを引っ張る。連動して作動する予定だった罠は次々と発動し、水の入ったバケツが落ち、床が水浸しになった。おもちゃの矢がなかなかの勢いで数本飛び出し、床に張り付いた。
 そしてそれらの罠は沈黙し、威力を発揮することなくその効力を失った。

「おお~~」

 今度は小さな歓声が上がった。罠としては簡単なものだが、上の黒板消しで注意を上にそらし、下方にロープに引っかけるという2段構えの罠はなかなかに巧妙なものだ。

「……効果的だな」

 呟くタケルに、後ろでネギが「すごい」となぜか驚いているが、もしかしてネギは両方の罠にかかったのだろうか。

 ――黒板消しの罠は確かに背の低いうちは鬼門となりやすい……ネギならありうるな。

 と、そこまで考えて、今は関係なかったと、首を振るう。

 のんびりと歩を進め教卓の前に立ち、全体の顔を見渡す。幾人か見知った顔もあり、少しだけむず痒い気分になった。

 とりあえず共通しているのは全員がワクワクとした顔をしていることだ。何を言うのか、楽しみで仕方がないのだろう。

 2-Aのクラス、合計31名。明石祐奈と最初に視線を合わせ、それから次へ次へと移して行く。最後まで終わったとき、彼はため息をついた。

「今日から君たちの副担任を務めることになった、大和 猛だ。宜しく」

 無表情で、淡々と。だが、凛とした声だ。

「質問があるなら受け付ける。ないなら俺は後ろに下がってネギ先生に授業をはじめてもらう」

 といっても余りの簡潔な自己紹介に、質問すら思い浮かばないようで、誰も手を上げない。タケルはこんなものだろう、と思いつつも教卓の場をネギに譲ろうとした時、「はい」と数人が手を上げていた。

「……ん?」

 タケルはどうやら質問者がいることが予想外だったらしく、面食らったような、そんな表情を見せたが、すぐに無表情に戻り手を上げた人物の顔を見渡した。手を上げている人物は全員、彼と一度は接触した人物なのだが、彼は気付いていない。

「じゃあ、神楽坂さん」

 アスナがさっと立ち上がった。元気良く、だが、少し困ったように質問する。

「あの、何て呼べばいいですか?」
「……なるほど、いい質問だ」

 ――そうか?

 誰もが首をかしげたところで、タケルが答えた。

「先生でも先輩でも。苗字でも名前のほうでも、好きに呼んでくれて構わない。だが、一応は君たちの先生としてここにいる以上、ある程度の丁寧語は使ってもらいたい」

 これでいいか? と無言で尋ねるタケルに、アスナが「はい」と頷き座る。

 もって回った言い方をしているが、要は敬語を使っていれば問題ないということなのだろう。わざわざ分かりにくい、変な言い回しをする目の前の彼に、徐々に生徒達の興味は集まり始めた。

「じゃあ、次は長瀬さん」
「タケル殿は先程なぜ、壁を爆走していたでござるか?」
「……うぐ」

 ――痛いところを付かれた。

 明らかに表情を曇らせ、口ごもったタケルに女性徒たちが騒ぎ始める。

「あれ、あの人だったの?」
「あ、私も見た! 格好が違うから気付かなかった」
「あれはすごかったなぁ」

 などと口々にはやし立てる生徒達に、タケルはもはや格好の的となった。

「はいはい私も質問!」
「うちも」
「私も私も~」
「僕も」
「む、ぐ……ネギ」

 余りの勢いに、タケルはついに素となって担任の名を呼ぶ。

「はい、なんですか?」

 昨日の彼女達の勢いを知っている彼からしてみれば、今のそれに慌てるほどのものではないのかもしれない。

「俺……ムリ」

 それだけ言ってネギを無理やり教卓にたたせて「え~、個人的に何かあるなら授業後に来るように……」

 とだけ言ってそそくさと教室を出て行った。彼にしては珍しく頬を赤くさせていたことに気付いた人間は幸い誰もいなかった。

「逃げた!」
「逃げた逃げた~!」

 騒ぎ立てる大半の女性徒とは裏腹に

「結局、拙者の質問に答えていないでござる」
「ウチも質問したかったのに~」

 と最初から手を上げていた数人は少しだけ頬を膨らませていたとか、いなかったとか。




 寮生達が寝静まろうと準備を始めている時間。例に漏れず彼女達も寝るための準備を始めていた。

 ネギは寝るためのソファに横たわり、タケルのことを考える。

「……なんだか、格好良かったな」

 小さく呟いたつもりだったが、同室の住人、アスナと木乃香がそれに反応した。

「タケル先輩のこと?」

「あ、はい。今日は少ししかお話できなかったんですけど、厳しくて温かい人って感じがしました。もし僕にお兄さんがいたらああいう人がいいです」
「あ、ちょっとわかるかも」
「確かに、ね」

 朝の教室で自己紹介が終わった後、一旦逃げ出した彼だったが、放課後のHRで再度姿を現して、ある程度の覚悟を決めていたのか、再び殺到する質問―当然下らない質問もいくつもあったが―。その全てに一々バカ丁寧に答えていた。

 その姿に好感を覚えるものも少なくなかったという。

「ネギなんかよりはずっと頼りになる雰囲気は出てたもんねー」

 と少し意地悪に笑うアスナに、ネギは少しムッとしながらも素直に「はい」と答えて

「僕も頑張ります」

 と無駄に燃えていた。




 こうしてとにかく、彼は女性徒たちに受け入れられた。彼の初教師一日目はこうやって過ぎて行ったのだった。
 
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