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私は何処から来て、何処に向かうのでしょうか?

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第8話 次は北の森だそうですよ?

 
前書き
 第8話を更新します。

 次の更新は、
 7月25日 『蒼き夢の果てに』第67話。
 タイトルは、『疫鬼』です。

 その次の更新は、
 7月29日 『ヴァレンタインから一週間』第25話。
 タイトルは、『夢』です。
 

 
 完全に緑に覆われた天蓋の中、リューヴェルトは全速力で走り抜けて居た。
 枝から枝を渡り、うっそうと生い茂った下草を切り開き、太い幹を足場としながら。
 そして、同時に感じて居た。まるで、うなじの産毛だけが逆立つような……。絶対に、後ろを振り返って確認してはならないような……。そんな、自らの背に追いすがる人ならざるモノの気配を……。

 緑の天蓋。その上には、既に春の朧月に照らされた平和な夜が広がって居るはずの時間帯。しかし、ここ……。異常に伸びた木々の枝や葉。そして、春の華に遮られたこの闇の底には、一切の光が差し込む事のない深い闇に覆われた地が形作られる。
 そう。ここは濃密な華の香りに満たされた、しかし、暗い夜の迷宮。

 ………………。

 いや、違う。目的の地点に向かいながらも、リューヴェルトは、そう考えた後に首を横に振る。
 そう。単に人の手が入らなくなっただけで、ここまでの異常な世界が造り上げられる訳はない。
 これは、何らかの悪しき力の働いた結果、造り出された魔境。

 あの森の中で出会った少女たちが語った内容と、契約書類(ギアスロール)に記された……。

 ザザッ、ザザッ、ザザザザザザ。

 刹那。森の木々が、そして華たちがざわめいた。それにつられるように、世界自体が歪む。
 そう。その瞬間、形作られていた闇のトンネルが形を変えたのだ。

 そして、同時に放たれる枝と、地を這う根。
 枝はリューヴェルトを貫き、穿とうと試み、根は足に絡み付き転倒を狙う。

 いや、大量に降らされる葉。そして、春に相応しい可憐な花びらすらも、彼を取り巻き、息を阻害し、そして、隙あらば、その生命を吸い尽くしてやろうと企てているかのように、今のリューヴェルトには感じられる。
 濃密な華の香り。闇に白く輝くは白木蓮(ハクモクレン)。この強い香りも、そして、リューヴェルトと言う存在自体を白く塗り潰そうとする花びらの正体もそれ

 そう。そして、彼が進むべき道が、深い緑と、節くれだった幹によって、今完全に閉ざされて仕舞う。

 しかし、だからと言って、羽根を広げ、蒼穹を行く訳には行かない。
 何故ならば……。


☆★☆★☆


 少女は浅い眠りの中で夢を見ていた。
 産まれてから多くの物を見て来た……。多くのモノたちと出会って来たその瞳は、今は未だ開く事がない。
 そう、失われた過去に。未だ訪れていない未来に。そして、次元の狭間で。

 出会いは数知れず。そして、同じ数だけの別れも繰り返す。
 しかし、交わした約束はひとつ。守りたい。いや、守って欲しい約束はひとつ。

 そうして……。


☆★☆★☆


 見上げると、其処には雲ひとつない青空。
 世界を支配する光は、やや視線を上げるだけで終わる朝の角度を示し、遠くの方から雲雀の歌声が聞こえて来る。

 春の日の始まりに相応しい爽やかな朝の風景に、大河から吹き寄せる心地良い風が、少女たちの長き髪の毛を撫でて行った。
 その瞬間。

「ハクさま」

 何時の間に顕われたので有ろうか。突如、一同の背後に現れた白娘子(パイニャンニャン)が、自らの主。お互いの真名を賭けた勝負に負けた事に因り、真名を教えた相手に声を掛けた。
 西からの死を招く風が止み、東からの水の恵みを得たこの辺境に属する村の入り口。
 今、正にハクと、このコミュニティ()リーダー()。金髪碧眼の少女美月と、そのお供。白猫のタマが村を出て、何処かに向かおうとしたその瞬間に。

 そうして、

「今日は北の森に向かうと話を聞きましたが、誠でしょうか?」

 少し生真面目で、やや堅物じみた雰囲気の台詞で問い掛けて来る白娘子。
 しかし、それも仕方が有りませんか。

 彼女を示す名前の白娘子とは中国に伝わる伝承に登場する白蛇の精。愛した人間の為に己の命すら捨てる存在として描かれた存在。
 故に、水を現す色。黒を名に冠するのではなく、義を意味する白を名に冠するのでしょうから。

「はい。精気を失った土地を元に戻すには、自然と人間との絆を取り戻す必要が有りますから」

 ハクがごく自然な雰囲気でそう答えた。
 その言葉に一切の気負いなど感じさせる事もなく。ごく近くの森に散策に出かけるような雰囲気で。

 但し、そのコミュニティの北に広がる森と言うのは……。


☆★☆★☆


 かつて彼女は、多くの者に。自らが創り出した者たちに賞賛と賛美を受ける存在で有った。
 しかし、彼女はそんな物を望んでは居なかった。
 そう。彼女は自分自身の事をとても小さな存在だと感じていたのだ。

 とてもとても小さくて、
 そして……。


☆★☆★☆


「ここが、踏み込んだ人間が二度と出て来られなくなると言う死の森ですか」

 遙か眼下に広がる太古より続くと思われる森を()め付け、そう独り言のように呟く青年。
 鳥の如き翼を持つ金髪に青い瞳の青年。コミュニティ翼使竜のリーダー、リューヴェルトで有った。

 流石に、恒星の表面積に等しいだけの広さを持つと言われている箱庭世界。一口に辺境とは言っても、その姿は千差万別。砂漠に等しい地も有れば、大海に等しい地形も有る。
 まして、この眼下に広がる密林は、どう考えたとしても人跡未踏の地。
 太古より人の手の入らない、産み出されたままの自然が支配する森を思わせる眺望が、この地の北に存在する山脈まで続いて居たのだった。

 但し……。

「ここがかつて。たった五年前まで人の手に因って管理され、森の恵みを人々に与えて居た森だと言われても、俄かに信じる事は出来ないな」

 そう。リュ-ヴェルトがここを訪れたのは、その不穏当な内容の話をコミュニティのメンバーより聞かされたから。
 そして、この森が、徐々にその支配領域を人が住む地域にまで広げつつある事が、かつてとある世界で王として過ごし、この世界でもまたコミュニティのリーダーとしての彼の無辜の民を護ると言う矜持が、危険な森をそのままに捨て置く事が出来なかったから、ここに訪れたのだが……。

 さて、ここからどうするか。

 いくら、人を誘い込み、二度と出て来られなくする森だとは言え、簡単に燃やして仕舞う訳には行かない。それならば空中から目視の確認を行い、怪しい場所がないか調べるしかないか。
 短く、そう決断を行い――――

 一瞬、リューヴェルトの瞳が何かの影を捕らえた。
 これは……。

契約書類(ギアスロール)?」

 自らに向かって、ゆっくりと落ちて来る見慣れた羊皮紙を掴み取るリューヴェルト。
 その様子は、今まで彼が参加して来たギフトゲームとは勝手が違う。

 その内容とは……。


 ゲーム名  森を元の姿に戻せ。
 場所    死の森と呼ばれている森。
 主催者   李伯陽
 勝利条件  森に棲む生命体を出来るだけ殺す事なく、陰の気に包まれた森を通常の理が支配する元通りの森へと戻せ。


 森を元の姿に戻す?

 独り言のように小さく呟き、視線をギアスロールから周囲。自らを取り巻く全景へと移すリューヴェルト。
 ここは……。
 周囲は、春の陽光に包まれた長閑な風景。
 リューヴェルトの滞空している場所から先に視線を送ると、其処には鳶が高く飛ぶと言う、当たり前の日常が支配する世界。

 しかし……。
 しかし、その鳶が遠く響かせる高い鳴き声が、今のリューヴェルトには冥界からの使者のような、奇妙な違和感を抱かせていたのだが……。

 但し、それも一瞬の事。
 ここに彼がやって来た目的は、死の森と呼ばれる森の調査。
 そして、もしも叶うのならばその森を昔の……。五年前まで、人々と共存していた頃の姿に戻す事。

 つまり、このギフトゲームに参加しようと、しまいとに関わらず、自らの次の行動に違いが有る訳では無い。

 そう決意した瞬間、再び、空中に現れる何か。
 その、空中に突如現れた筆を掴み、一気に署名を行うリューヴェルト。

 そして、次の瞬間、更に北。眼下に広がる森の奥に向かって移動を開始するリューヴェルトで有った。


☆★☆★☆


 孤独だった。
 その孤独故に、彼女にはぬぐい難い哀しみ、と言う色が着いて居た。

 そう。確かに彼女には、その存在を。その姿を。その声を賛美してくれる存在は居た。
 そして、彼女の友や、それ以外の関係の相手も当然居た。

 しかし、彼女の周囲に居た存在たちは、大抵が自分の事ばかり考えて居て、周囲の出来事や、考えなどにはまったくの無関心。
 まして、彼女が今、何を考えて居るかなど、斟酌してくれる連中などでは無かった。

 そして、彼女はその様な連中の事が、本当は好きではなかった。


☆★☆★☆


 伸びて来る蔓が何物……。ハクや美月の目の前に発生した不可視の壁に阻まれて、その接近を阻まれて仕舞う。
 そう、大地を走る蛇の如くいやらしくしなり、寄り集りながら接近しつつ有った触手……いや、触枝と言うべき蔓が、ハクや美月に襲い掛かろうとした正にその刹那、彼女たちの目の前の何もない空間に現れた光輝く魔術回路によって反射され、無効化されて仕舞ったのだ。
 但し、昨日経験した西の街道に比べると、今の状況で比べるのならそれほど危険な状況とは言えない。

 しかし……。

「ねぇ、ハクちゃん」

 森と、未だ森に呑み込まれていない荒地との境界線上に立ち、美月は目の前に存在する異様な森と、話し掛けている少女の姿を順番にその碧眼に映して行く。
 確かに、今の状況では危険な状況では有りません。森の周辺部にまで顕われた妖樹による攻撃も、ハクや美月が何か手段を講じずとも、ハクのお供としてついて来た白娘子が施した結界術のみで捌き続ける事は可能。

 但し、それは未だ()荒地()の境界線上に美月たちが存在しているから。
 もし、一歩でもあの死の森と呼ばれている森に踏み込めば、この程度の危険で収まる訳はないのだ。
 昨日の黄泉比良坂内での戦いから考えるのならば。

 そうしてハクの返事を聞く前に、美月は更に続けた。
 決定的な台詞と成るその一言を。

「この森を前にしても、自然との絆を結び直す事が出来るって言うの?」

 ゆらゆらと揺れる大きくて黒い蔦。緑色の粘液状の何かを、その幹のアチコチに存在するウロから滴り落としている妖樹。
 まるで植物と言うよりは生物。一種の食虫植物がグロテスクな進化を極めたモノのような雰囲気さえ漂わせる異形の生命体。
 どう考えても、今、自分たちの前に立ちふさがるモノは、真っ当な世界の理の中で存在している樹木と思えるモノではなかった。

「最初に大祓の祝詞を唱和してみましょうか?」

 小首を軽く傾けてそう答えるハク。その姿は、彼女の容姿と相まって非常に愛らしいのだが、その実、何か考えが有って行動しているのか、それとも、行き当たりばったりで行動しているのかまったく判らない答えで有った。

「また、そんな事ばっかり言って。本当にアンタは昔っから――――」

 結果オーライのお気楽極楽なんだから……。
 軽くため息を吐きながら、普段通りの答えを返そうとした美月。

 しかし、其処に軽い違和感。

 そう。そもそも、自分とハクと名乗った少女は出会ってから今日で三日目。それ以前に、美月はハクが何処でどのような生活をしていたのかさえ知らない。
 それなのに何故か、今の一瞬だけ自分は、ハクの事を昔から知って居るような。そんな気がしたのだ。

 そんな事を考えた美月の事を不思議そうに見つめたハクは、

「確かに、そんなに簡単に行くとは思えませんね」

 ……と、そう、あっさりと答えた。
 まったく悪びれる様子もなく、その上、普段通りの穏やかな雰囲気で。

 但し、やっぱり思い付きだったんだ。何故か、確信を持ってそう考えた美月。
 この場に()()()が居てくれたのなら、もっと良い方法を考えてくれたのに。

「それでも、この森と人間との間の絆は結び直す必要が有りますから」

 そんな、美月の考えに気付いているのか、いないのか。少なくとも、現在の場の空気を読んだ発言でない事だけは確実な台詞を口にしたハク。
 そして、その言葉は事実。このまま、この異常な状態の森を捨て置けば、少なくともコミュニティ白き光は、そう遠くない未来にこの森に呑み込まれる。

 そう。皮肉な事だが、今までは西から吹く死の魔風(かぜ)が、この森の進捗を阻んでいたのは間違いないのだから。
 妖樹の侵攻を阻んでいたのは、村に乾燥をもたらせていた死の風。妖樹とは言え、そこは樹木の属性を持つ存在。すべてを乾かせ、死へと誘う風との相性はすこぶる悪かったのだ。

 しかし、その魔風に因る阻害が無くなり、白娘子により、水だけは徐々に豊富と成りつつある今のコミュニティ白き光に、この死の森の侵攻を止める手段は存在しない。

 形の良い眉根を顰めるように、そう考え込んで仕舞った美月に対して、ハクは、普段通り春の陽光に等しい笑みを魅せた後、

「この森の中心に存在する龍穴。そして、其処から四方に伸びる地点に存在する龍穴を使用して、龍脈を作り変えます」

 ……と、あっさりと伝えて来た。
 あの頃のままの、何処に根拠が有るのか判らない、自信に満ちた言葉使いで。

 そして、彼が語った台詞は、彼女の知って居る範囲内では違えられた例はない。

 しかし……。
 しかし、そんな事……。龍脈を作り変える。などと言う事が本当に――――

「ここに居るのは、木、土、金、水を示す存在しか居りませんぞ、ハクさま」

 可能なのか。そう言う考えが美月の頭に浮かんだ時、それまで、結界の構築に精神を費やしていた白娘子が問い掛けて来た。
 そう。ハクが青龍の属性を持つのなら木行。白娘子は間違いなく水行。タマは彼女の属性から考えると金行。
 そして、最後に自らは確かに土行ですから。

 それでも……。

「相談の最中、悪いんやけどな」

 やや否定的な結論に美月が到達しようとした瞬間、今度は、一同の足元に存在していた白猫が猫ゆえの身軽さを発揮し、ハクの肩の上に飛び乗りながら、そう話し掛けて来た。
 そう言えば、先ほどから白娘子は結界の維持を行っていない。

 完全に安全圏に居る事を良い事に思考の海に沈み込んでいた美月が、一度、現実界に思考を戻し、周囲の様子の再確認を行う。

 陽光は春の午前中を示す麗らかな陽光。
 風は適度な湿り気を帯び、昨日までの黄泉の国から吹き付ける穢れを纏う事はない。
 そして……。

 そして、妖樹は操っていたその触枝の動きを止め、まるで美月たちの次の行動を窺うかのような雰囲気を漂わせている。

 いや、それドコロか……。

「ヤツラ、ウチらの事を邪魔する心算はないみたいやで」

 そう言いながら、顎を僅かにしゃくって見せるタマ。
 その指し示す先。其処には、緑の魔界の奥深くに続く、暗いトンネルが出来上がっていたのだった。


☆★☆★☆


 彼女は疑問を感じて居た。
 眠りながら。微睡みながら。

 そう。仲間を、友を。そして生涯の伴侶を求める事は、果たして、それほどに大きな……大それた願いだと言うのだろうか、と……。
 浅い眠りの中で、誰に問い掛けるでもない疑問を、ただ繰り返し、繰り返し考え続けていた。


☆★☆★☆


 ふわり、と言う表現が一番しっくりと来る表現で、森が動いた。
 いや、これは森が動いた訳では無い。
 魔界の木々から飛び立った小さな蟲たち。その種類も様々。

 春の野を舞うに相応しい蝶も居れば、大きな羽が空気を鳴らす甲虫の類。そして、蒼穹を飛ぶ虫の中では最速と言われる蠅の種類も存在していた。

 但し……。
 但し、リューヴェルトを取り囲むように接近する蟲たちの様子から察するに、彼らは明らかに、リューヴェルトの事を敵と認識している。

 万の羽音を響かせて、正に雲霞の如くリューヴェルトに迫り来る蟲。そのおぞましき響きに、思わず背筋が凍るかのような不気味な何かを感じる。
 そう。その一糸乱れぬその動きは、蟲と言う因りは何か別の存在。まるで、体内に入り込んだ異物を排除する免疫細胞のような動き。

 こいつらに取って、俺は(身体)内に侵入した異物と言う事か。

「フィン。フェザーバリア」

 慌てる雰囲気すら感じさせず、冷静なリューヴェルトの言葉が発せられた瞬間、彼の周囲に舞う白き鳥の羽根。
 そして、その白き結界と、黒き靄にも等しい蟲たちが、今――――。

 接触した。

 白き羽根に触れた蝶が、一瞬の儚い抵抗の後、微かな鱗粉を振りまいて命を散らす。
 風に舞うが如き白き羽根に、音速の壁すら突破するとさえ言われている蠅が絡め取られ、そして、短いその一生を終えた。

 そう。数万、数十万が集まろうとも、所詮は蟲。完全に侵入を防ぐ結界を周囲に施せば、リューヴェルト自身が害される心配は殆んどない。
 但し……。

 但し、この状況はかなり大きな問題を孕んではいた。
 それは、今回のギフトゲームのルール。森に棲む生命体を出来るだけ殺さずに、森を元の状態に戻すと言う、今回のギフトゲームの勝利条件の部分。
 そして、この蟲たちは、間違いなく森に棲む生命体。

 このような無意味な特攻に等しい行動でも、現実に、リューヴェルトが森の蟲たちの生命を奪っている事実に変わりはない。

「フィン。フェザーバリア解除だ」

 何処までが許容範囲なのか判らないが、このままでは怪しい地点を発見する前に、ルールに抵触してギフトゲームに敗れる事となる。まして、最初に確認した段階では、蝶や甲虫。それに、蠅の類は存在していたが、蜂を確認はしていない。
 蜂が存在していないのならば、一瞬、身体に集られても、その後に高速移動を行って振り払えば……。

 自らの生命に関しては問題がない。そう考えたリューヴェルトの周囲から、彼を護って居た全ての白き羽根が失われた刹那。

 竜を統べる王(リューベルト)を覆い尽くす蟲、蟲、蟲。
 蝶の色取り取りの鱗粉が陽光を霞ませ、弾丸の如きスピードで突進して来る甲虫が身体全体を叩く。
 そして、目や鼻を覆い、口の中にまで入り込んで来ようとする蟲たち。羽音が耳を突く気圧の拳のように感じ、身体中に纏わり付く蟲のモゾモゾとした感触がリューヴェルトの意識を別の世界へと誘おうとする。

 必死にそんな蟲を右手で追い払い、瞳を閉じて、左手で口と鼻の部分だけでも手で覆い隠しながら、呼吸だけでも護ろうとするリューヴェルト。
 そう。相手は高が蟲。
 重力の法則を利用して一気に高度を下げ、身体中に取り付いた蟲たちを振り払おうと……。

 身体の自由が利かなく成りつつある事に気付いた。

 これは――――
 蝶の鱗粉に何か毒に類する物質が含まれて居た。そう薄れ行く意識の中で考えたのを最後に、彼はその意識を完全に手放していたのだった。


☆★☆★☆


 しゃらん。

 何処からか聞こえる鈴の音に、途絶えていた意識が覚醒に向かう。
 その涼やかな音色に高と低。二人の少女の言の葉が重なる。

「かくかがのみては気吹戸(いぶきど)にいます気吹戸の主という神。根国底国に息吹放ちてむ」

 言葉のひとつひとつが発せられる度に、リューヴェルトの呼吸は少し楽になる。
 そして、力を入れる事さえ難しかった手に力が戻った事を感じる。

 しゃらん。

 再び、鈴の音色が響いた。先ほどよりも強く。先ほどよりも涼やかに。
 そして、その音色に重なる少女たちの(呪文の唱和)

 しかし、周囲を取り巻く人物たちに語り掛けようとした瞬間、ヒューヒューと言う風の音が発するだけで声が出せない事に気付く。

「兄ちゃん、未だ身体を動かすんやないで」

 そんな、リューヴェルトの様子に気付いたのか、妙なイントネーションで話し掛けて来る少女の声。ただ、言葉の聞こえて来る感覚から判断して、今、この声に重なるように聞こえる唱和を続ける少女たちとは別の人間。但し、かなり近い位置に存在しているはずの人間大の存在を感知する事が、リューヴェルトには出来なかったのだが。
 そう。多少、身体に力が入るようになって来たが、それでも未だ瞳を開く事は叶わず、周囲の雰囲気を察する事で、辛うじて数人の人間に囲まれて居る事が判るだけで有ったのだ。

「兄ちゃんは、この森の妖樹ども。冬虫夏草の苗床にされそうに成ったんや。身体中から、穢れをすべて祓うまでは動かん方がええで」

 再び、先ほどの少女の声が聞こえた。
 成るほど、あの時に大量の蟲に襲われて、身体が麻痺。そのまま死の森に落下して……。

 三度鳴らされる鈴の音。
 そして、その涼やかなる音色に重なる祝詞。

 意識がはっきりした瞬間、現在の状況の異常さに気付く。
 ここは人を誘い込み二度と外には出す事のない魔境。死の森と呼ばれる森の中に複数の人間が存在している状態。この状態を異常と言わずして……。

 そこまで考えた後、少し冷静になって考えを改めるリューヴェルト。
 そう。あのギアスロールを受け取ったのが、自分一人とは限らないと言う事に気付いたのだ。

「わたしの名前は、リューヴェルト。コミュニティ翼使竜のリーダーを務めて居ます」

 ぼんやりとでは有るが、周囲の様子が判り始めたリューヴェルトが、そう、話し掛けた。
 既に、少女たちの唱えていた呪文は終了して居り、うっすらと開いたリューヴェルトの青い瞳には、自分の事を心配げに覗き込む二人の巫女服姿の少女と、その傍らに立つ、東洋……。古代の中国風の衣装に身を包んだスレンダーな美女。
 そして、もう一匹。これまた、仰向けに成った状態で深い緑の天蓋を見上げている彼の事を覗き込んでいる白猫の姿が映ったのだった。


☆★☆★☆


 彼女は待ち続けた。
 奇妙な形に歪んだ大木の根本に横たわり、湾曲して見える蒼穹を見上げ……。
 あの日、あの夜に交わした約束を思い出しながら。

 そう。あの日と同じ不思議な雰囲気の漂う世界の中心に、あの人が訪れてくれるその日を。

 そして……。
 そして、彼女は、今夜がその夜になる事を望みながら……。

 
 

 
後書き
 わさわさと大群で現れる虫って、不気味で――

 それに、何か妙な感じの物語と成りそうな雰囲気ですが……。
 それでは次回タイトルは『眠れる森の美少女だそうですよ?』です。

 う~む。それにタイトルにも問題有りのような気がして来ましたね。
 第9話にして、この『私は何処から来て、何処に向かうのでしょうか?』の、私の作品の中での立ち位置が判るような気もして来ましたが……。

 追記1。
 美月の思考の部分で一部、妙な表現が有りますが、それは故意です。
 誤字や脱字では有りません。

 これじゃ分からないか。ハクの事を彼と表現して居る部分がありますよって事。
 
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