剣の丘に花は咲く
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第八章 望郷の小夜曲
第七話 捜索隊
荒れるかと予想された諸国会議は、予想に反して特に波風が立つことなく静かに終わった。
アルビオンの広大な領土はトリステインとゲルマニアがその版図に加え、僅かに残った土地は、ガリアを含めた三国で共同統治し、しかる後、王権を復活させることになった。その土地は首都ロンディウムを含む一帯であり、その初代代王として、トリステインの老貴族であるマルシヤック公爵が選ばれた。戦争により荒れたアルビオンを復興させるため、内政の手腕に優れているマルシヤック公爵が、代王に就任することを反対するものはいなかった。もちろん、監視や利益を得るため、ゲルマニアとガリアからも、それぞれ副王が選ばれ補佐として置かれることになった。
そして諸国会議の最後には、ハルケギニアの王権を守り、共和制の台頭を封じる目的のための同盟、『王権同盟』が発表された。
これはこの同盟に参加した国において、何らかの反乱などが起きた際、その他の国の軍事介入を要請することが出来る同盟であり、これにより不用意に反乱を起こさせないようにしたのだ。
同盟の締結が終わると共に、諸国会議は無事終了。それぞれの国の代表たちが、明日から自国に帰るための用意をしているだろう晩のこと、ハヴィランド宮殿に用意されたとある一室に渋い顔をした老人と、顔を俯かせたまま黙り込んだ少女の姿があった。
椅子に深く座り込み、頭を垂らしている少女の名はアンリエッタ。トリステイン王国の女王である少女であった。アンリエッタは背後に立つ老人―――枢機卿であるマザリーニが渋い顔をして立っていることに気付いていないようである。
「陛下、此度の会議お疲れ様でございました。会議の結果は十分なものであり、今回の戦争での損害を補って余りある利益を得ることが出来ました。明日の早朝にはここを出る予定ですので、そろそろ御休みになられては」
「…………」
「陛下」
「…………」
ピクリとも動かず黙り込んだままのアンリエッタに、マザリーニは小さく頭を振ると深く溜め息を吐く。
「はぁ……何があったか聞きはしませんが、もう少ししっかりしてくださいませ。そんな様子では、あのガリアが何かしてきた時何も出来ませんぞ。ふむ、しかしガリアは一体何を企んでいることやら。この戦争を実際に終わらせた国だというのに、港を一つ貰っただけで、後は口を出してこないとは……本当に何を考えているか分かりませんな」
返事を返さないアンリエッタの背に向けて、マザリーニは苦い顔をしながら警告を続ける。トリステインやゲルマニアが直轄領として広大な土地を手に入れたにもかかわらず、全くと言っていいほど領土を手に入れようとする意思を感じられなかったガリアの様子に、マザリーニは危険を感じていた。無欲だからではないと、マザリーニは自身の経験から感じていた。
「よろしいですか陛下。今回はたまたま何も起きなかったですが、これからもそんな幸運が続くはずはありません。……以前のようにとは言いませんが、もう少しで―――」
「―――わかっています」
とうとうと語りかけていたマザリーニを止めたのは、何時の間にか俯かせていた顔を窓に向けていたアンリエッタだった。
「確かに気が抜けていたかと思いますが、しかし手を抜いた覚えはありません」
「そうですな。皆様が引くほどの貪欲さを見せておりましたからな」
諸国会議では、アンリエッタは初日の氷人形のような様子とうって変わり、まるで飢えた獣のような様子で会議にあたった。その貪欲さは、会議に参加した全員が思わず頬をヒクつかせながら「まるで獣だな」とそろって呟くほどであった。
「……褒めているのかしら、それとも貶しているのですか?」
「勿論褒めているのです。他の国よりも領土も資金も少ない我が国には、少しの土地でも必要なのですから」
「それにしては顔が青ざめていますわよ」
「……気のせいで……背中を向けたまま分かるはずがないでしょう」
背中を向けたまま話しかけてくるアンリエッタから、マザリーニは青ざめた顔を背けながら呟く。
「そうですか? 少し声に張りがないような気がしたので……もう遅いですし、先に休んでください。わたくしはもう少しここで月でも眺めています」
「……わかりました。ではお言葉に甘えて休ませていただきます。陛下もお早くお休み下さいませ」
「……ええ」
顎に手を当て小さく頷いたマザリーニは、深々とアンリエッタの背中に頭を下げると、部屋から退出していった。扉が開き、閉まる音が部屋に響く。ぽ~とした顔で窓の外を眺めていたアンリエッタだったが、部屋に扉が締まる音が響き暫らく経つと、ゆっくりと椅子から立ち上がり、ベッドの前へと歩いていき。
「えい」
小さな掛け声と共にベッドに向かって飛び込んだ。
成人男性が横に五、六人は寝ころがれる大きなベッドの端から端までゴロゴロと何度も転がりながら唸り声を上げて始め。
「う~、う~、む~、ん~……、う~……ん…………はぁ……」
小さな溜め息と共にピタリと動きを止めた。
「よし」
熱がこもった泥が身体の奥に溜まっているかのようなだるさに襲われ、時間と共に重くなる瞼に必死に耐えながら、アンリエッタは枕元にある女官を呼ぶための紐を引いた。
のろのろと伸ばされた手が紐を引くと、直ぐに扉の向こうから女官の声が聞こえてくる。
「お呼びでございますか」
「アニエスは」
「いえ、アニエス様はお戻りにはなっておりません」
アニエスの名を口にしただけで、女官はアンリエッタが聞きたかったことに答える。それは女官が特別優秀というわけではなく、毎日同じことを聞かれていたため出来たことであった。
「そうですか……さがって構いません」
「失礼します」
女官の足音が小さくなるにつれ、扉の前から人の気配が遠ざかっていく。部屋の前から人の気配が完全になくなると、アンリエッタはベッドに突っ伏した姿で深い溜め息を吐き、ごろりと仰向けに転がった。
天井から窓に顔を向けたアンリエッタは、段々と狭まっていく視界の中ポツリと呟く。
「……むねが……いたいよ……しろうさん」
アンリエッタの瞼が落ちた頃、ハヴィランド宮殿の別の客間において、ソファに深く座り込んだ男―――ジョゼフが窓から見える二つの月を眺めていた。視線は窓の向こう。しかし、その目は夜空を映すことなく、先程までこの部屋にいた男との会話を思い出していた。
「『四の秘宝、四の指輪、四の使い魔、四の担い手……、四つの四が集いしとき、我の虚無は目覚めん』……か、聞いておったな余の可愛い女神よ。やはりロマリアは我らの知らぬことを知っているようだ。さすがは何千年も始祖の後を追いかけてきた連中といったところか」
部屋の中にはジョゼフ一人の姿しかない、しかしジョゼフは誰かと会話をしているかのように口を動かしている。ジョゼフが座るソファの前にはテーブルがあり、その上にはワインが入った瓶と、空のグラス、そして一つの人形があった。それは黒髪の細い女性の人形だった。
「……しかし奴らでもあの化物のことは何も知らぬか……」
テーブルの上に置かれた人形を横目に見たジョゼフは、苛立った様子で肘掛を指で叩く。
「聞いておったのだろう。奴らもそうとう焦っているようだ。余に虚無の使い手を探させることよりも、あの男の正体を調べることに躍起になっておる。まぁ、それも仕方のないことだろう……七万の軍を一人で打ち破った男だ……生死は不明と言うことだが、恐らく死んではいないだろう」
左右色が違う瞳を持つ美貌の神官は、ジョゼフに虚無の使い手の捜索を願った後、一人の男について質問した。
知っているか?
聞いたことがあるか?
噂を聞いたことは?
何か知らないか?
虚無の使い手の捜索を願う時よりも、もしかすれば真剣だったかもしれない。穏やかな笑みをたたえていた美貌が、その時だけまるで美しい面のように硬く固まっていた。
額に皺を寄せ唸るように声を上げたジョゼフだったが、直ぐに鼻を鳴らす。
「ふんっ、ただの勘だ。しかし、あの男は本当に何者なのだろうな……無限に剣が突き立った荒野……一体どんな魔法だ……あの神官が言うには魔法とは、物質を構成する小さな粒に影響を与えることだと言っていたが……剣はともかく世界を……ふむ、もしやあの男が使った魔法は、我らの使う魔法とは違うのかもしれんな……四の系統とも……『虚無』とも違う……くくっ……」
青い美髯を擦りながら、ジョゼフが目を細める。
「ふむ、トリステインの担い手がこのアルビオンに来ていると。使い魔を探しに来たか……余計な者も付いているが、お前なら問題はないだろう。始祖の祈祷書、水のルビー……必ず手に入れろ。知識量ではロマリアに一歩先んじられている、道具も奴らに取られたらたまったものではないからな……あの男と合流する前に―――必ず奪い取れ」
人形を通じ自分の使い魔に指示したジョゼフは、テーブルの上に手を伸ばす。掴んだのはグラスではなく瓶。瓶を掴み、コルクを親指で引き抜くと口をつけ勢いよく傾ける。喉を鳴らし一気に瓶の中のワインを飲み始める。
ワインボトルから最後まで口を離さず全てを飲み干し、空になったボトルを音を鳴らしテーブルの上に置く。
「担い手ではなく使い魔の方が意識されるとは…………エミヤ、シロウ…………ふむ」
ギシリと音を鳴らし椅子に深く座り直したジョゼフは中空をぼんやりと見つると口元を歪め、
「まて、アレも持っていけ。どうせ拾い物。しかも壊れているようなものだ。捨て駒ぐらいにはなるだろう」
瞳を嗜虐に染め上げた。
「や~と……着いたわね」
「あ~……酷い目にあった」
「そんなに言うならついてこなかったら良かったのに」
「そうですよ。今からでも遅くないから学園に戻っては如何ですか?」
アルビオン大陸とハルケギニアを行き来するための船着場。人がごった返し、溢れかえったそこに、四人の少女が新たに加わった。顔には疲労がハッキリと見え、これまでの旅路の過酷さを物語っていた。戦争が終わり、やっと船が行き来を始めたばかりのためか、船に乗ろうとする者は多く、アルビオン大陸に到着するのに、普段の倍は時間が掛かっていた。疲労困憊になりながらも、やっとこさアルビオン大陸に辿り着いた彼女たちは、人と喧騒で溢れた船着場で、互いに顔を合わせ笑い合っている。
引きつってはいたが。
「へぇ~ならあんたたちだけでシロウを見つけられるっていうの?」
「ふん、私一人で十分さ。あんた達こそさっさと帰りな」
「シロウはわたしの使い魔よ。……っていうか、シエスタはともかくあんた達は何でついて来てんのよ」
「そうです。さっさと帰りなさい」
「「命令かよ」」
赤い髪と緑の髪を持つ少女。キュルケとロングビルは黒髪の少女―――シエスタに声を合わせツッコム。
ハルケギニアの港町ラ・ロシェールも人は多かったが、アルビオン大陸の船着場である港町ロサイスは、それよりも更に多くの人がいた。商人、山師、政府の役人、家族を探しに来た人……様々な目的を持った人たちがハルケギニアから一斉に押し寄せたためか、その数は明らかにロサイスの許容範囲を超えており、文字通り歩くこともままならない。
「シロウが生死不明なんて聞いて、あたしがただじっと待っているだけだと思ってたわけ? そんな筈ないじゃない。あんたが復活してシロウを探しに行くって聞いたら、そりゃ付いていくに決まってるでしょ」
「そうそう。それにどっちかっていうと、感謝して欲しいくらいさね。あんたが復活するまで待っててやったんだから」
「はぁ? するわけないでしょ。っていうか何言ってんの? アルビオン行きの船が動き始めたのは昨日からじゃない。行こうと思っても行けたわけ無いでしょ」
「と言うか二人共学園はいいんですか? わたしとミス・ヴァリエールはお休みを頂いたんですが」
暗い色をした分厚いシャツにズボン。そしてその上にコートを羽織ったシエスタが、キュルケと、その隣に立つロングビルを首を傾げながら見る。シエスタの格好はいかにも旅のために動きやすい服ですと言ったものであり、その隣に立つルイズもまた、品質は天と地ほど違うが、同じようにシャツにズボンという動きやすい服装であった。それに比べ、二人の前に立つキュルケとロングビルの格好は、何時もの学園で着ている服にコートを羽織ったもので、見るから慌てて追いかけてきましたといった格好であった。共通したものといえば、それぞれ背中に背負ったバッグ程度で(シエスタが背負っているものだけ他の三人の三倍はあったが)、その中には同じく旅に必要なものが詰め込まれていることぐらいだ。
「「大丈夫だと思う……わよ?」」
シエスタの疑問に、キュルケとロングビルは顔を背けながら答える。
「……何で最後が疑問形なのですか?」
決して目を合わせない二人の様子にシエスタは頬を引きつらせながら呆れ。
その隣に立つルイズは不敵な笑みを浮かべ、腕を組みながら顔を背ける二人にジト目を向けていた。
「……へぇ~……で、具体的に何をしてきたの?」
「「置き手紙を書いてきた」」
「それで本当に何とかなると思ってる?」
「「……ま、大丈夫でしょ」」
「……仲いいわねあなたたち」
まるで打ち合わせしているかのように声を合わせ、同じセリフを呟く二人に、ルイズの顔にも呆れが浮かぶ。
「あ~もうっ! 終わったことはいいのよ! それよりもこれからのことよっ! こ、れ、か、ら! こんな中からシロウを探せるの? 何か手がかりはないの?」
ルイズとシエスタの非難の視線を両手を振り散らすと、キュルケは喧騒に溢れかえる周囲を見回す。
ぐるりと見回す視線の先には、今いる船着場から市街地に続く道の端に、所狭しとハルケギニア中からやって来た物売りや名前が書かれた木製の看板を持った者が立ち並んでいる。そして物売りから物を買う者、売る者、そして看板を持った人に話しかける人たちによりすし詰め状態であった。
歩くだけで肩がぶつかり合うそんな所で立ち止まり言い争っている四人に、じろじろと迷惑そうな視線が向けられているが、四人の中にそれを気にする程繊細な心の持ち主は一人もいない。
様々な視線を向けられながら、それを気にすることなく肩を竦め苦笑するキュルケに、ルイズは片手をひらひらと動かしてみせた。
「一応わたしが渡された命令書には『ロサイス北東から五十リーグ離れた丘で、敵を足止めせよ』って書かれていたけど、手がかりと言えばそれぐらいね」
「ふ~ん……それだけかい?」
「ま、何もないよりかはましか」
ロングビルは他にないのかと視線で問いかけてくるが、顔を振ってルイズはそれを否定する。
「そうかい。ま、そりゃしょうがないか」
未だ戦火の跡が色濃く残っているのだ。たった一人の人間の情報がそう簡単に手に入る筈がない。
例えそれが七万の軍を一人で破った男のものであっても。
「まずはそこに行ってみるしかないわね。で、どうする?」
「どうするって決まってるじゃない。さっさと行くわよ」
キュルケが三人を見回すと、ルイズが背中の荷物を抱え直し、歩きだそうとしたが、
「待ちな」
「ぐえっ」
背中の荷物をロングビルががしりと掴んだことにより止められてしまった。突然荷物を掴まれ意思に反して急停止されたことにより、肩掛けが喉に引っかかり首が締まってしまい、ルイズが蛙が絞め殺されたようなくぐもった声を上げる。
「ゲホッゲホ、ケホ、な、何すんのよッ!」
「もう少し落ち着け。周りを見てみな、この様子じゃ馬も借りれないだろ。歩きでも行ける距離だけど、着く頃には日が暮れちまうだろうし、何より―――」
「何よ」
喉を抑え、涙で滲む目で睨んでくるルイズの足を指差すロングビル。
「そんな足で歩けるわけないだろ」
「うっ」
「シエスタは大丈夫だろうけど、あんたたちは無理だろうね」
ロングビルが指差す先のルイズの足は、生まれたての子鹿のようにぷるぷると震えていた。ロングビルはルイズの足と、その隣に立つシャンっと立つシエスタの足を見比べると肩を竦めてみせる。
「あなたたち?」
ロングビルのセリフに違和感を覚えたルイズが、下から覗き込むように見ていた顔を傾げると、ロングビルは親指を立て隣りに立つキュルケを指差す。
「そこのお嬢さまも限界が近いようだしね」
「キュルケ」
「あによ」
「……まだまだね」
「あんたに言われたくないわよっ!」
「まあまあ落ち着いてください。今日はずっと船の中で立ちっぱなしだったからしょうがないですよ。それより、じゃあどうするんですか?」
互いに足をガクガクと震わせながら、互いの額を互いにぐりぐりと捻り込みながら言い合う二人の間に無理矢理入り込んだシエスタが、二人を落ち着かせつつロングビルに振り向く。
「どうするもこうするもないさ。今日のところはここで一泊して捜索は明日からってこと」
背中のリュックを抱え直すと、ロングビルはさっさとその場から立ち去り始めた。それを見たシエスタが、慌ててその後を追いかけ始める。
「ちょ、ちょっと待ってください。ほらほら喧嘩してないで追いかけないと。早くそれを貸してくださいっ、ミス・ヴァリエール、ミス・ツェルプストーさっさと行きますよ」
「何よ?」
「っちょっと!」
シエスタはルイズとキュルケから背中に背負ったカバンを半ば強制的に取り上げると、駆け足で小さくなるロングビルの後を追いかけ始めた。そのシエスタの背中を、ルイズとキュルケが急いで追いかけ始めたのはいいが、震える足を上手く操ることが出来ず走ることさえままならない。
「ま、待ちなさい! 待ってっ! ま、待って、くだ、さ、い」
「ちょ、ま、し、シエス、シエスタっ! はや、い、早いってっ! 待ちなさいよぉっ!」
市道に溢れんばかりの群集をかき分けロングビルとシエスタを追いかけるルイズとキュルケだったが、どんどんと小さくなっていく二人の背中に声も震えだし、瞳は涙に潤み始める。
喧騒に満ちる道の中、少女二人の悲鳴が、
「「置いてかないでェ~~~っ!!」」
響き渡った。
勢いよく歩き出したロングビルであったが、向かった先は宿などではなかった。これだけ人がいるのだ、宿などは既に全部人で埋まっており泊まることなど出来はしないことを、ロングビルは理解していた。なので、ロングビルが向かった先は宿ではなく、天幕が広げられるだけの空き地であった。
「あ、れ? ここ、って」
何とかはぐれずに付いてこれたルイズが、膝に手を付き息を荒げながら周りを見渡すと、そこかしこに見覚えがあることに気付いた。
「もしかして司令部?」
「ふぅ……はぁ……ふぅ~……。へぇ、ここって司令部だったの? そんな面影全くないわね」
見覚えがある崩れ落ちた赤レンガの建物を見て、ここが司令部の前庭であることを思い出したルイズだったが、ガリア艦隊の砲撃により見るも無残な姿になった様子に沈欝気な顔になる。その横では、荒い呼吸に合わせ弾む、その大きな胸を片手で押さえながらキュルケが周囲を見渡し呆れた声を上げている。
キュルケが見渡す元司令部の前庭は広く、ルイズたちと同じように宿に止まれなかった人たちが天幕や地面に布を敷いただけの簡単な寝床を作って寝泊まりしているようだ。他にも市道の脇に開いていた露天もそこかしこに開いており、ここも人で溢れていた。
大勢の人が亡くなった場所で、平然と寝泊りしている人の図太さに呆れながら辺りを見渡していると、後ろから非難がましい声がかかった。
「何してるんですか。早く準備しないとここでも寝る場所がなくなってしまいますよ。寝るところはわたしたちが作っておきますから、ミス・ヴァリエールたちはそこらへんに落ちているレンガを拾ってきてください」
「はいはい」
「わかったわよ」
背中に背負ったバッグの中から布を取り出したシエスタが、ロングビルと共にテキパキとテントを立てながらルイズたちに指示する。それにキュルケとルイズが返事をするのも億劫だという様子で手を振りながら答えると、荷物を置きそこかしこに落ちているレンガを拾い出す。
メイドが貴族に命令する。いくらあまり細かなところに拘らないキュルケであっても、普段ならば何か言っていただろうが、疲労と何時もと違いすぎる周りの雰囲気により、何も言わずシエスタの指示にしたがっていた。
レンガは数え切れないほど地面に落ちているため、集めるのには苦労することはなく。ルイズとキュルケは仲良く無言で(ただ疲れていただけだが)レンガを拾い集め始めた。
シエスタはロングビルと協力してテントをあっという間に立てると、今度はルイズたちが集めたレンガで即席のかまどを組み上げ始めた。それもあっという間に組み上げると、バッグの中から大鍋を取り出し何やら料理を始めた。
「シエスタも疲れてるでしょ。今日のところは露天で食事を取りましょう」
「いえ心配しないでも大丈夫です。まだまだ元気一杯ですから」
ルイズが地面に突っ伏しながら料理を作り始めるシエスタを心配するが、シエスタは料理を作りながら顔だけ振り向きニッコリと笑い返した。その顔には疲労の色が殆んど見えず、強がりではないと判断したルイズが、笑顔を浮かべるシエスタに向け呆れた声を漏らした。
「どんだけ体力があるのよ」
「田舎育ちですからね。体力には自信がありますよ」
腕まくりをして、働き者の女性らしい健康的な肌を見せつけ全く目立たない力こぶを見せつけるシエスタに、ルイズは小さく笑ってみせる。
「ふふ、そう。なら遠慮なく甘えるわね。わたしはもうダメ。あ~疲れた」
「ああ、ダメですよ寝転がっちゃ。ほら、これを下に敷いてください。あ、ちょっと待ってくださいミス・ツェルプストーも寝転がらないで。そんな格好で寝たら中が丸見えですよ」
疲労のあまりゴロンと地面に寝転がろうとするルイズにバッグから布を手渡すシエスタ。ルイズが受け取った布を乱雑に広げゴロンと転がると同時に、キュルケも布の上に倒れ込むように寝転がった。しかしキュルケはルイズと違い魔法学院の制服であったため、その短いスカートが捲り上がり、奥に隠された黒い布の姿を露わにしていた。それに気付いたシエスタが慌てて捲り上がったスカートを元に戻すと、周りから露骨に大きな舌打ちが聞こえたが、顔を上げた時にはこちらを向く人の姿などなかった。
溜め息を付きながら寝転がる二人を見下ろすと、何時の間にかキュルケがその大きな胸でルイズの顔を挟み込むように眠っていた。
その様子に何処か微笑ましげな笑み浮かべたシエスタは、腰に手を当てぐいっと勢いよく背を伸ばし、料理の続きをするためかまどに向かって歩き出した。
「喧嘩するほど仲がいいって言うけど、まさにそんな感じの二人だね」
「そうですね。実際二人ともとっても仲が良いと思いますよ。きっと聞けば絶対に否定しますけど」
大鍋にこれまたバッグから取り出した具材を放り込み何やら煮込み始めたシエスタの隣に立ったロングビルが声をかける。猫の姉妹のように二匹絡み合って眠りこけるルイズとキュルケを見下ろす顔には、笑みに呆れを混じらせるという奇妙な表情が浮かんでいた。
「ま、大丈夫そうだし。私はちょっと出てくるけど。気をつけなさいよ。戦争が終わったばかりで治安が悪いなんてもんじゃないんだから。女だけの私たちなんか格好の鴨だからね。何かあれば直ぐにそこの二人を起こしな」
「ミス・ロングビルは何処に行くんですか?」
煮立ち始めた大鍋の中をかき回しながら、顔だけ振り向いてくるシエスタに、ロングビルは肩を竦めてみせた。
「ちょっとね。直ぐに戻ってくると思うけどね、本当に気をつけときなよ」
「わかりました。ミス・ロングビルもお気を付けて」
「味の方はどうですか?」
「んぐ? ん、美味しいわよ」
「ま、中々ね」
仲良く一緒に寝ていたルイズたち二人は、シエスタの料理が終わる頃になると、漂ってくる匂いで起き始めた。キュルケの胸に挟まれるような形で目が覚めたことで、ルイズが何時もの如くキュルケに喧嘩を吹っ掛け始めたが、それはシエスタがシチューをよそった木のお椀を二人の間に割り込ませることで止めた。
「で、ミス・ロングビルは何処に行ったの?」
「さあ、直ぐに戻ってくるって言ってたんですが……ちょっと遅いですね。探しに行きますか?」
「問題ないと思うわよ。あの人がそう簡単にやられる筈ないし」
自分の分をお椀によそっていたシエスタが立ち上がり、ロングビルを探しに行こうとしたが、それをキュルケが止めた。お椀と一緒に渡された木のスプーンでお椀の中身を掻き込みながら、キュルケが何の心配を見せない様子でシエスタを横目で見ている。
「ふ~ん……随分と信頼しているのね。ミス・ロングビルってそんなに強いの?」
「……あなた分からないの?」
「? 分からないって何がよ」
顔と共にお椀を上げ、中身を全て口の中に掻き込んだ格好で、ジロリとキュルケがルイズを睨み付け。ルイズは木のスプーンを口に咥えたまま訝しげな顔を浮かべた。
「ま、分からないなら良いわよ。あたしも確信があるわけじゃないし」
「はぁ、何よもう。意味分からないわね」
ルイズの視線から顔を逸らしながら、キュルケは空になったお椀をシセスタに向けた。顔を逸らすキュルケに強い視線を向けていたルイズだったが、キュルケが何も答える気がないと知ると、小さく溜め息を漏らしながら手に持った空のお椀を同じくシエスタに向けた。
「別に気にしなくていいわよ。ま、あの人がすぐ帰ってくるって言ったんなら、もう直ぐ帰ってくるでしょ。それより前から聞きたかったんだけど」
お替りを受け取ったキュルケが、もぐもぐと口を動かしながらじろりと同じくシチューを食べているルイズとシエスタを見回すと、
「あんたたちシロウと実際何回ヤッタの?」
「「っぐほっ?!」」
ポツリと世間話をするかのようにとんでもないことを口にした。
キュルケの発言に、口の中身を盛大に吹き出したルイズとシエスタは、地面に手をつき激しくむせ始めた。
「っご、っふ、く、な、何聞いてんのよあんたはっ!?」
「なな、な、何回やったって、ナニを何回ナニしたって言うんですかっ!?」
顔を真っ赤にしたルイズとシエスタに詰め寄られたキュルケは、目を丸くしながらも面白げに口元を緩め。詰め寄ってくる二人をにやにやとした笑みで迎えると、キュルケはスプーンを二人の前でふりふりと振り始めた。
「何ってナニに決まってるでしょ。何カマトトぶってるのよ。で、実際のとこどうなの? もう結構やったんじゃないの? 十回? 二十回? まさか百回何てことないわよね」
はっはっはっと笑うキュルケに、顔を更に赤く染め上げた二人が頭を抱えた。
「だから何言ってんのよあんたッ!!?」
「そ、そそそそんなにするわけないじゃないですか! ……回数ってどうやって数えるんですか?」
「そんなの知るわけないでしょ!」
並んで頭を抱え蹲っていたシエスタが、横目で同じように踞るルイズをチラリと見て尋ねると、ガバっと立ち上がったルイズが怒鳴り声を上げた。
「落ち着きなさいよルイズ。そんな大声を上げたら周りの人の迷惑になるでしょ」
「怒鳴らせたのはあんたっ! ……でしょ。はぁ。もういいわよ」
落ち着かせようと「まあまあ」と両手を上下させるキュルケの姿に、ぐるりと周りを見渡したルイズが、周囲から迷惑そうな視線を向けられていることに気づくと、力が抜けたように地面に膝を着いた。
「で、何で突然そんなことを聞いてきたのよ?」
「何って……別に特に理由はないわよ。あえて言うなら、さっきも言ったけど前から気になってたのよ。ガチガチの貞操観念を持ってるあんたが、割とあっさりとやったじゃない。例え最初は媚薬が切っ掛けだって言ってもね……あんたその後も結構ヤってたでしょ……例えば……学院の中で、とか」
「ッ!!? な、何で知っ―――な、何言ってんのよ?」
キュルケが最後にポツリと呟いた言葉に敏感に反応したルイズだったが、してやったりというニヤリとした笑みを浮かべるキュルケに気付くと、ヒクついた真っ赤な顔を背けた。が―――。
「な、何で知ってるんですかッ!?」
同じく敏感に反応したシエスタがルイズの隣で驚愕の声を上げてしまった。
「……シエスタ」
「あ、え、う~、すみません」
ジト目で睨みつけてくるルイズに、自分の失態に気付いたシエスタが小さくなる。ニヤついた笑みを更に深くしたキュルケが腕を組むと、二人に顔をぐっと近づけ首を傾げた。
「ま、普通は気付かないけど、あたしはそう言うのに鼻が効くからね。で、学院でヤルぐらいなんだし、どうなのよ?」
「……はぁ……―――回よ」
「え?」
絶対に逃がさないわよと言うキュルケの視線に、諦めたように息をついたルイズが小さくぼそりと呟いた。ルイズが答えたことにキュルケは一瞬きょとんとした顔を見せると、直ぐにルイズの口元に耳を近づけた。
「何回よ。な、ん、か、い?」
「ぅ回よ」
「だから、何―――」
「三十七回よっ!」
「えっ嘘っ!」
「……何であんたが驚いてんのよ」
驚愕の声を上げたのは、興味津々に耳を寄せていたキュルケではなく。ルイズの隣で顔を真っ赤に縮こまっていたシエスタであった。目と口を大きく開けたシエスタは、疑問の眼差しを向けて来るキュルケに構うことなくルイズに詰め寄りだす。
「三十七回って何ですか!? 聞いてないですよそんなのっ! わたしはまだ二十四回しかしてないんですよっ!」
「し、シエスタ?」
シエスタが目を白黒させるルイズの襟を掴み、ガクガクと揺さぶり始める。
「三十七回って……わたしより十三回も多いって一体どういうことですかっ! 一体何時、何処で、どうして、どんなプレイをっ!?」
「……プレイは関係あるの?」
シエスタとルイズの修羅場を冷静な目で見ていたキュルケが、冷や汗を流しながら小さくツッコムが勢いづいたシエスタは止まらない。
「ちょ、落ち、落ち着い、しえ、しえす」
ガクガクと揺さぶられながらもルイズが何とか落ち着かせようとするが、シエスタの興奮は収まらない。加速度的にルイズの顔色は悪くなっていく。流石にこれ以上はとキュルケがシエスタの腕を掴もうとしたが、
「ミス・ツェルプストーは黙っててください」
「……うっ、ごめ―――」
「―――あなたには関係ないんですから」
ジロリ睨めつけられた視線に、すごすごと引き下がろうとした。が、しかし、シエスタが次に口にした言葉で、キュルケの身体がピタリと止まった。
「ちょっと待ちなさい」
「何ですか?」
鋭い声が、ルイズに詰め寄るシエスタの動きを止めた。
「誰が関係ないって?」
シエスタが振り返ると、そこには艶然と微笑むキュルケの姿があった。キュルケはその豊かな胸の下で腕を組み、強調するように持ち上げている。見下ろすような視線を向けられるシエスタだが、怯える様子は全く見えない。それどころか、キュルケには一歩劣るがそれでも豊かな胸の下に腕を組み、同じように強調しながらシエスタは迎え撃つように向き直った。
「あなたのことですけど何か?」
「へぇ~……いい度胸じゃない。いいわ。相手になってあげる」
全く引く様子の見えないシエスタの姿にキュルケはスッと目を細めると、深い胸の谷間から小さな杖を取り出した。
「ちょ、待ちなさい二人共」
とうとう杖を取り出したキュルケに、シエスタの手から自由になったルイズが慌てて二人の間に割り込む。両手を広げ、ルイズは出来るだけ二人を離そうとする。だが二人は間のルイズを気にすることなくどんどんと距離を詰めていく。必死の抵抗虚しくルイズは、二人の歩みを止められない。結局二人の胸に挟まれる形となったルイズは、ずっぽりと二人の胸の間に顔が挟まれたことになってしまった。身動きどころか息すら出来なくなったルイズは、必死に逃げ出そうと両手を振り回し始めると、流石に鬱陶しくなったのか、キュルケが眉根に皺を寄せた。
「どきなさいルイズ。このメイドに誰に喧嘩を売ったか教えてあげないといけないのよ」
「待て、って言って、るで、しょ。杖、なん、か出してど、うするつも、りよ。シエス、タも挑、発しない、でっ」
「挑発なんかしていません。ルイズなら分かるでしょ。女にはどうしても引けない時があるって―――今がその時です」
「だから、って」
同じく顔も向けずに言い放つシエスタの姿に、ルイズは巨乳という大波に飲み込まれながらも、何とか息継ぎと共に二人を説得しようとする。
「ふぅん……いい度胸ね」
「……これくらい、シロウさんの相手をする時と比べたらどうってことないですよ」
キス出来る程の距離で睨み合うキュルケとシエスタ。睨み合う二人の身体の隙間からは、ぴくぴくと痙攣している一本の腕が突き出ている。腕の持ち主はルイズ。どうやら二人の豊満な胸に顔が完全に埋まってしまい息が出来ないようだ。
死にかけの虫のように、時折ピクピクと動くルイズに全く視線を向けず、至近距離で火花が出るほどの眼光で睨み合っている二人。
張り詰めた空気。
静まり返る空間。
一触即発。
刃物を突きつけ合っているような沈黙は、
「―――度胸って必要なの?」
キュルケの戸惑った声により破られた。
「それが必要なんです。……ミス・ツェルプストーも覚悟しておいた方がいいですよ。シロウさんが好きなら……一緒にいるつもりだったら……色々と……ほんっとうに色々と……ですね」
乾いた笑みを口元に浮かべながら忠告するシエスタの言葉に、嘘はないと判断すると、キュルケの怒りと苛立ちに染まっていた顔が疑問と戸惑いに変わる。考え込むように顔を俯かせたキュルケは、ほっそりとした顎に手を当て目を伏せた。じっと見つめてくるシエスタの視線を感じながら黙り込むキュルケ。
「?」
キュルケを見つめるシエスタの顔に戸惑いが浮かぶ。
俯き影が掛かったキュルケの顔に一瞬、柔らかな笑みが浮かんだような気がしたのだ。
訝しげな表情が浮かぶシエスタの前で、キュルケが顔を上げた。その顔には先程まで浮かんで疑問や戸惑い、怒りや苛立ちの姿はなく。
瞳には何かを確信した光が浮かび、顔には不敵な笑みが浮かんでいた。
「舐めるんじゃないわよ。覚悟なんてシロウに惚れた時からとっくに決めてるわよ」
「……そう、ですか」
キュルケの目から放たれる強い光に押されるように、シエスタは顔を俯かせた。
沈黙が二人の間に落ちる。
しかしその沈黙は先程までの一触即発の空気ではなく、どこか柔らかなものが流れていた。
二人は何も喋らない。
顔を合わさず黙り込む二人であったが、その顔にはどちらも小さな笑みが浮かんでいた。
「―――おい」
二度目の沈黙を破ったのは、
「―――なに人のこと無視してんのよッ!!?」
二人の胸の谷間に落ち込んでいたルイズであった。
自分を挟み潰している胸に手を当て、顔を真っ赤にさせながら二人を必死に引き剥がしながら怒声をあげるルイズ。
湧き上がる憎しみに駆り立てられたた力がこもった手に掴まれた二人の胸はぐにゃりと大きく歪んでいる。
「痛っ! イタタタッ! ちょ、千切れるっ! 千切れるってルイズッ!!」
「痛いっ! ルイズお願い止めてっ! ちぎ、ちぎれてしまいますぅっ!!」
「ちぎれりゃいいのよこんなものっ!! このっこのっ……うう……千切れればいいのに……」
あらん限りの力でぐにぐにゃと二人の胸を揉みまくっていたルイズだったが、柔らかく歪む胸の感触と姿に、段々と胸を掴む力が小さくなっていく。
その隙を逃すわけはなく、二人は一瞬でルイズの手から逃げ出す。
何も掴んでいない両手をにぎにぎと動かしながら、ルイズはガクリと力なく地面に膝を落とす。
「酷い……あんまりよ」
ついには両手まで地面につき、ガクリと首を落としブツブツと何やら呟くルイズの様子に、流石に哀れに思ったキュルケとシエスタが必死に励ましにかかる。
「そ、そんなに気にしなくていいんじゃない。胸が大きかったら色々と苦労することが多いのよ」
「そ、、そうですよ。それに言うじゃないないですか。胸に貴賎はないって」
「うるさいうるさいっ! そんなの全部持てる者の言うことよっ! わたしだって『あ~胸が大きくて肩が凝ったな!』とか『ふふ、胸は大きさじゃないわよ』とか言いたいわよっ!!」
ぎゃーっ!! と雄叫びを上げる狼のように、地面に四つん這いになったルイズが叫ぶ。
その余りのルイズの剣幕に、キュルケとシエスタは顔を強ばらせ後ずさる。
手をつけられないルイズに手をこまねいた二人がどうしようかと頭を悩ませていると、背後から歓声が聞こえてきた。
「何?」
「何でしょうか?」
目の前で蹲り、ぶつぶつとヤバイ人のように呟いているルイズから背後に視線を移動させると、何やら遠くで人だかりが出来ていた。
「っ、る、ルイズっ! ほら見てっ! 何かやっているわよ! ちょっと行ってみましょうよ!」
「行きましょうルイズっ! ほら立って!」
地面にへばりついたルイズを二人がかりで引き剥がすと、ズルズルと引きずりながら人だかりに向かって進み始める。
「ほら見て、人形劇をやっているわよ」
「すごいですよ。人形が勝手に動いてますっ!」
「……ふ~ん。アルヴィーの演劇か」
無理矢理立たされたルイズが、のろのろと視線を向けると、見物客の足元ではたくさんの小さな人形が何やら動いていた。
「アルヴィーですか?」
ルイズが興味を示したことを敏感に察したシエスタが、ずいっと顔を近づけ問いかける。ルイズは足元でくるくると踊る騎士や兵隊など色々な人形を見下ろしながら、こくんと頷くと人差し指を立てた。
「アルヴィーって言うのはね。ガーゴイルの一種よ。あなたも見たことあるはずよ。学院の食堂の周りに小さな像が立っているじゃない。あれがアルヴィーよ」
「ああ、あれですか。夜になると動くって聞いたことはあるんですけど。動いているところは見たことがなかったんですよ。へ~こんな感じに動くんですね」
感心したように頷きながら、シエスタは興味深々にアルヴィーに見下ろすルイズをチラリと見る。ルイズを挟んだ向こうには、同じようにキュルケも見下ろしている。どうやら落ち着いたようだとキュルケと顔を見合わせ頷くシエスタ。ほっと息を着くと、ルイズと同じように踊るアルヴィーを見下ろす。
「凄いですね」
「そうね」
顔を綻ばせ、シエスタはアルヴィーによる劇を眺める。
劇はどうやら剣士が主人公の劇のようだ。
剣士が剣を振るたびにメイジや竜が倒されていく。剣士が活躍する度に、シエスタは手を叩き歓声を上げる。
アルヴィーを見慣れたルイズやキュルケも、普通よりも滑らかに動くアルヴィーによる劇に何時の間にか見入っていた。
それを見つめる視線が二つ。
アルヴィーによる演劇の向こう、指揮者のように立つフードを深く被った女性がいた。顔を俯かせている顔は見えないが、フードから長い黒髪が溢れている。女性は顔を俯かせているが、視線はアルヴィーの向こう、人形劇を見下ろすルイズを見つめていた。そしてその後ろに、まるで影のように立つ男の姿があった。女と同じようにフードを深く被っているため顔は見えない。しかし、フードの外からでも分かる程、その身体は鍛え抜かれているのが分かった。深く被ったフードの奥で光る暗い眼光は、笑うルイズの顔を凝視している。突き刺さるほど鋭く強い視線でありながら、意志は全く感じられない。それは奇妙な視線だった。
一際大きな竜が倒され大きな歓声が観客から響くと、小さな剣士のアルヴィーはぺこりと観客へ向け頭を下げた。倒された兵士や騎士、メイジや竜も立ち上がると観客の前で頭を下げる。観客は笑いながらコインを投げ去っていく。ルイズたちも同じようにコインを投げると、テントに戻ろうと踵を返そうとした時、
「あれ?」
ルイズの足に何かがコツンとぶつかった。訝しげな顔を浮かべ下を見ると、そこには人形劇の主役である剣士が転がっていた。
「なんでこんなところに?」
膝を曲げ、シエスタが手を伸ばす。
「ダメっ」
「え? いたっ」
キュルケが制止の声を上げたが間に合わず、アルヴィーに伸ばしたシエスタの指先をいきなり動き出した剣士の人形が持っていた剣が切り裂いた。
血が流れる指先を口に含み、シエスタが涙目で横に視線を向けると、呆れたような顔を浮かべたキュルケと目があった。キュルケはスカートの中からハンカチを取り出すと、シエスタの手を取り傷口を塞いだ。
「持っている剣は本物だから気を付けないと」
「すみません」
顔を俯かせ謝るシエスタ。キュルケはシエスタの指先を結び終えると、背中を向け歩き出した。
「はい終わり。もう遅いしさっさと寝ましょ」
「そ、その、あ、ありがとうございます、ミス・ツェルプストー」
「いいわよこのくらい」
「シエスタ大丈夫?」
「大丈夫です。これくらいの傷、田舎ではしょっちゅうでしたから」
劇を見る前と全く違い、仲良く笑いながらルイズたちはテントへと向かう。
小さくなっていくルイズたちの後ろ姿を見つめながら、フードを被った女性が落ちている剣士の人形を持ち上げた。くるりと回り、ルイズたちに背を向けた女は、未だ立ち尽くしたままのフードを被った男に向かって歩き出す。
男の隣りに来ると、女は肩ごしにルイズたちに振り向きにやりと笑みを浮かべた。
首を曲げた際、フードが巻き込まれ肩にずり落ち、隠された素顔が露わになる。
あちこちで燃える焚き火に照らされた美しい女の額には、微かに光るルーンがあった。
ルイズたちの姿が完全に人ごみに消えると、女はフードを被り直し歩き出す。
「行くわよ」
声を掛けられた男は女の後を追うように歩き出したが、不意に立ち止まると既に見えなくなったルイズたちに向かって顔だけ振り向かせ、じっと何の感情も感じない視線を向けた。
馴染みの情報屋からいくつか情報を手に入れると、ロングビルはテントに戻るため歩いていた。自分の顔を知っている者がいるかもしれないため、フードを深く被っている。
手に入れた情報で士郎が生きているという確信を得たことから足取りは軽く。思ったよりも時間が掛かったことで早く帰ろうと思っていることも加え歩く速度は早い。
フードを深く被っているためか、視界は良いとは言えない。
視界の端に見覚えのあるテントの姿を捕らえたロングビルは、歩く速度を更に早めた瞬間、
「っ、失礼っ」
目の前に同じようにフードを深く被った女が現れた。
何とか避けることは出来たが、女の後ろに影のように付き従っていたフードを被った男にぶつかってしまった。男の左腕にぶつかったロングビルは、小さく頭を下げ謝罪する。フードを被った女と男は、頭を下げるロングビルに構うことなく無言のまま人ごみの中に消えていく。
フードを被った女と男の姿が見えなくなると、ロングビルは面倒事にならずに済んだことに安堵しながらテントに向かって歩き出す。
歩きながら不意に男とぶつかった左腕に手を置いたロングビルは、当たった瞬間のことを思い出すと首を傾げた。
「えらく硬い感触だったね?」
後書き
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