予言なんてクソクラエ
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第六章 誘拐
(一)
ホテルのベッドで目覚めた。昨夜、あやうく難を逃れたことを思い出し、ほっと胸を撫で下ろした。しつこく誘われあわやホテルへという雰囲気になった時、漸く理沙の喉仏を見て男だと気付いた。閉店直前、理沙が着替えに行った隙に逃げ出したのだ。
煙草に火をつけ、煙をゆっくりと吸い込んだ。そして今日の計画を思い描く。問題はビルの建つ敷地には高い塀が巡らせてあり、門には管理人がいて人・車のチェックが厳重だということだ。保科も教祖もあの中にいる、そう確信していた。
とりあえずその周辺を探る必要がある。石井は遅い朝食をとると駅前のレンタカー屋で車を借り、地図を頼りにそのビルを目指した。道は碁盤の目のように東西南北へと真っ直ぐに伸びている。
街は南北に長く、東西は短い。車で10分も行くと町並みは途切れ、千古の謎を秘めると言われる大樹海へと続く。その道を進むと、なるほど樹海にへばりつくように25階建ての真四角なビルが建っている。地図を確認するとビルの両側に道がある。
石井は日産サニーの速度を下げ、ゆっくりとその前を走った。異様なのはその広大な敷地が高さ3メートル近いコンクリート塀で取り囲まれていることだ。施主は要塞でも作ろうとしたのか、確かめようもないのだがビルの壁も分厚いように感じる。
正面の入り口は幅5メートルもある鉄製の観音開きの門扉、その右扉に切り戸があり、人はそこから出入りするのだろう。ビルは、同じ大きさのガラス窓が縦横びっしりと連なっている。塀が途切れたところで左に折れて、砂利道に入った。
サニーは車体を上下させながら移動する。ビルの西側面も正面と同様、同じ大きさのガラス窓で仕切られており、どうやら幾つもの個室がびっしりと並んだような造りのようだ。やがて塀が途切れるが、うっそうと茂る樹木を隔てた裏側も塀を巡らせてある。
樹海のなかをしばらく進むと、T路地にぶつかり、そこを左折して砂利道に出る。ビルの東側の塀には巻き上げ式のシャッターが備え付けられており、進入路が傾斜しているところを見ると、ビルの地下駐車場へと通じているようだ。
ちょうどその斜め20メートル先に、3台の廃車が樹木の間に突っ込むように放置されている。そこまで確かめと、砂利道を抜けて通りに出た。監視されている可能性もあり長居は無用だ。
石井はしばらく走り回り、後をつけられていないことを確認すると、車をレンタカー屋に戻した。昼食をとり、買い物をしてビジネスホテルに戻った。そこで事務所に電話を入れた。出たのは佐々木だ。
「真治さん、いったい今何処に行っているの。仕事が溜まり放題よ。お客の苦情を処理するのは私なんだから。あの飯森さんの件はどうなっているのよ。」
「あっ、いけね。レポート、昨日までだったよね。飯森さんの奥さんに電話いれて三日延ばしてくれるように頼んでくれないかな。」
「ご安心下さい、身内の不幸とか何とか言って、一週間もらっておいたわよ。有難いと思いなさい。それより何なの。」
「僕のノートパソコンとそれからカメラ一式送ってほしいんだ。ノートを送ってもらえれば飯森さんのレポートは直ぐにでも送れる。」
「真治さん、あなた、三日間の約束でしょう。明後日には顔を見せるんじゃないの。」
「いや、それが、どうも・・・」
「分かったわよ、それじゃあ、住所を言って。」
「そうこなくっちゃ、明日の10時着便でお願いします。今すぐ航空便の受付所に持って行けば間に合うと思う。ええと、住所は北海道・・・ちょっと待って、ホテルのマッチがあったはずだ・・・」
「何ですって、北海道、まったく、もうっ…。」
(二)
監視を始めて二日目の夜を迎えた。深夜二時をまわったところだ。おんぼろの軽自動車を借りて、夜中に樹海のとばくちに置き去りにされている三台の廃車の間に紛れ込ませ、そこに身を潜めた。
最初は塀からの進入を考えていたが、角度をもった1メートル幅の忍び返しと、無線式の警報感知装置を見て、すぐに諦めた。買い込んだアルミニウム製の脚立は樹海の中に捨てるしかなかった。残るは搬入口からの進入である。
東側搬入口は思いのほか車の出入りが多い。シャッターが開いた僅かの隙に入り込たもうと考えていたが、昼夜を問わず二人のガードマンが厳重に監視している。なす術もなく終いには寝袋に包まって寒さをしのいでいた。
石井は次第に無駄なことをやっているという思いが募り、嫌気がさしていた。忍び込めないのであれば、ここで見張っていても意味はない。教祖の愛人であれば搬入口からではなく、正面の門から出入りするだろう。
まして、彼女がここにいるという証拠を掴んだとしても、彼女と連絡がとれるかどうか疑わしく、たとえ連絡がとれたとしても、末期癌の母親がこのビル内の病院に入院していると言われれば、はいそうですかと引き下がらざるを得ない。
諦めようと、寝袋から這い出し車のエンジンをかけようとしたその時、通りから車が入って来たらしく、ライトが塀を照らし出した。そしてシャッターがガラガラと音をたてて上がり始めた。
トラックが消え、再びシャッターが降りてくるのを見守っていた。シャッターが地面の50センチまで降りてきた時、突然、白と黒の二つの塊が転がり出て来た。どうやら人間らしく、立ち上がると泳ぐように通りに向かって走り出した。ついで、シャッターの内側からドンドンと叩く音とともに、「早く開けろ」という怒鳴り声が聞こえた。
石井はエンジンを駆け、バックで急発進して砂利道に出た。シャッターが開き始め、その下から男達の脚が照らし出される。「おい、車の音がするぞ。」という声とともに、一人が地面にかがみこんだ。石井はアクセルをふかし通りに出た。
右手に白っぽい後姿が見え、必死で走っている様子だ。近付いてゆくと白く見えたのはジャージだと分かった。もう一人は闇に溶け込むような黒い服装をしている。ライトを点灯すれば追っ手と間違える。無灯火で近付いて声をかけた。
「おい、おい、随分と酔狂な人達もいたもんだ。こんな夜更けにジョッキングかい。」
刺激しないように冗談めかして言った。それでも相当に驚いた様子で、
「おじさん、悟道会の人。」
と聞いた声が震えている。ライトを点灯すると、一人の少女の顔が浮かび上がった。見ると、まだ幼さの残る少女だ。15・6歳だろうか。もう一人は20代前半で、黒のジーンズとジャケットを着込んでいる。なかなかの美形だ。
「悟道会、何だそれは。俺はカメラマンの長瀬だ。深夜の樹海を撮影した帰りだ。」
ジーンズの女が振り向いて、顔を恐怖で引きつらせた。バックミラーで見ると、大型のバンが通りに顔を出したところだ。石井は後ろのドアを開け怒鳴った。
「早く乗れ。」
二人は飛び乗った。見ると少女の方は部屋履きだ。アクセルを全開にして街に向かった。軽自動車を借りたことを後悔していた。スピードの差は如何ともしがたい。直ぐに追いつかれた。バンは前に回り込もうとする。そうはさせじと行く手を阻む。
そんなことを繰り返しているうちに、バンが暴挙に出た。ドンと車ごと突っ込んできたのだ。弾かれて危うく電柱にぶつかりそうになるのを漸く堪えた。今度はぶつけられないように必死でハンドルをさばく。
ジーンズの女は何度も悲鳴をあげ、後部座席で「捕まりたくない、逃げて、逃げて」と叫ぶ。少女が手を背中に回しそれを宥めている。街並みがまばらながら見えてきた。石井は一気にスピードを上げた。バンが迫ってくる。ハンドルを切ってオカマを避ける。後輪が流れ慌ててブレーキを踏んだ。
車がスピンし、バンが前に出た。これ幸いと来た道を引き返す。さっきは気付かなかったが、細い道が左側にある。急ハンドルで左折して、猛スピードで50メートルほど進むと、バックミラーにバンのヘッドライトが映し出された。
畑の中の農道だ。暫く走り、十字路を左折して街中に向かう。エンジンが唸りを上げる。次第に民家が見えてきて、そして住宅地にはいった。バンが猛然とスピードを上げてくる。石井も負けじとアクセルをふかす。
「よし、あった。」
石井は思わず声を上げた。軽自動車がやっと入れるような路地である。両側に民家が密集している。車を急停車させ、ゆっくりと路地に回した。大型のバンでは進入不可能だ。そろりそろりと車を進めていたが、バンが止まって、中から人が何人も降りてくるのをみて、「ままよ」とばかり、アクセル全開で走り出した。
(三)
車を大通り手前の路地に乗り捨て、リュックをジーンズの女に預けると、少女を背負ってビジネスホテルまで歩いた。そんな異様な三人を怪しむ人影さえない。それでも追っ手の男達に用心しながら、漸くホテルにたどり着き、非常口から中に入った。
そのビジネスホテルは零時には鍵を閉める。石井はカメラマンと称し、深夜の樹海、そこに蠢く動物達の生態を撮りに行くと説明し、非常口の鍵を借りておいたのだ。部屋に入ると二人の女はベッドに倒れ込んだ。石井が、
「寒いだろう。二人とも風呂に入れ。」
と言うと、少女とジーンズの女は顔を見合わせ、先を譲るような仕草でぐずぐずしている。石井は笑いながら言った。
「おじさんは気が短いんだ。一人一人じゃなくて一緒に入っちゃえよ。浴槽は十分に広い。それに、覗いたりしないから安心しな。兎に角、冷え切った体を温めないと。話はその後で聞こうか。」
風呂にお湯を張ると、二人にガウンを放り投げた。少女はにっこりとしてベッドから立ち上がった。ジーンズの女もその後に続く。
暫くして、少女がガウンの紐をきっちりと結んではにかむ様子で風呂から出てきた。もう一人は胸元を覗かせ、熟れた肉体を誇るような表情で石井をちらりと見た。よほど安心したのか、もうおどおどした様子はない。石井はソファーで煙草の煙をくゆらせていた。
「どうだ、少しは落ち着いたか。もう大丈夫だ。鬼どもに、僕達が何処に隠れたかなんて分かりっこない。かくれんぼの極意はそこを動かないことだ。」
にっこりと笑った少女の顔に笑窪が浮かぶ。可愛らしい笑顔だ。
「まず、君達の名前と歳を教えてくれる?」
少女が先に答える。
「大竹清美、17歳。」
「あたし、坂口さくら、年齢は不詳よ。」
「年齢不詳か、まあいいだろう。大体想像できる。」
「幾つに見える?」
「うーん、23~4だな。」
「残念でした。こう見えても二十歳前よ。そう言うおじさんはどうなの。」
「歳は30歳、名前は長瀬、おっとこれは偽名だ。本名は石井真治、探偵だ。」
さくらがすぐに反応した。
「マジッ、探偵?カメラマンっていうのは嘘?本当。何を調べていたの。」
「ある人を探している。教祖の愛人だ。名前は保科香子。知ってる?」
「さあ、清美は?」
「もしかして、あの美人秘書じゃないかしら。」
「スタイル抜群で、顎に黒子がある?」
「そうそう、黒子、あるある。本部ビルでは何度かみたことあるけど、でも、あそこでは見かけなかった。」
ふーむと考え込んだが、すぐに頭を切り替えた。
「それより君達は何故あのビルから逃げ出した?奴等は血相変えて追いかけて来たが。」
さくらはしばらく俯いていたが、顔を上げてぽつりと言った。
「私、監禁されていたの。それを清美が助けてくれた。私には、やらなければならないことがあるから、逃げてきた。あの人たちは私を黙らせたいのよ。」
「殺してもか。」
「そこまでする気はないわ。」
「そいつは結構。面白そうな話だ。聞かせてもらおうか。」
「私、誘拐されたのよ。」
清美は既に知っているらしく、頷きながらじっと石井の目を見た
「誘拐とは穏やかじゃないな。何時、何処で、誰に。」
「面白い、まるで英語の授業みたい。いいわ、順番に答えてあげる。最初は何時ね。そうあれは9月初めの頃、石神井公園で、最後が問題ね。実は悟道会の奴らによ。」
「いかん、最も重要なことを聞き忘れた。何故?」
「うーん、どうしようかな。そこが微妙なのよ。」
「おい、助けてくれた恩人にそれはないだろう。」
「分かった、話すわ。それは私が悟道会の秘密を握っているからなの。その秘密っていうのは、悟道会が或る少年を軟禁していること。逃げようとしても屈強な男達に見張られているから逃げようがない。」
「何故、何処に軟禁されている?」
「これ以上は言えないわ。」
さくらはきっぱりと拒絶した。石井も黙らざるを得ない。しかし引っかかることがあった。
「しかし、あの時、僕が警察に行こうと言ったけど、君はそれを止めた。もし、警察に行けばその少年の救出を訴えることが出来たはずだ。何故止めたんだ。」
さくらは下をむいてだんまりを決め込んでいる。清美が口を挟んだ。
「兎に角、複雑な事情がからみあっているの。私もさくらさんから事情を聞いたけど何とも言いようがないわ。事実は小説より奇なりって言うし。たまたま私はその少年の同級生で・・・」
清美が急に口をつぐんだのは、さくらが肘でつっついたからだ。石井の瞼が重く伸し掛かる。まあ、話は明日、ゆっくり聞き出せばよいと思った。
「よし、今日のところはもう寝よう。君らはそのベッドに寝なさい。」
そう言うと、石井はごそごそと寝袋にもぐり込んだ。視線を感じて振り返ると、清美とさくらがにやにやしながら石井を見ている。清美が言った。
「おじさん芋虫みたい。」
「はいはい、芋虫おじさんはもう寝ます。おやすみなさい。」
キャッキャという笑い声を聞きながら、石井は心の中で毒づいた。「冗談じゃねえよ。ホテルに泊まって、何で寝袋に寝なければならないんだ。それは俺のベッドだぞ。」などと思う間もなく石井は深い眠りに陥った。
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