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愛しのヤクザ

作者:ミジンコ
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第七章 テキヤNo2


 林田が子分どもを喫茶店に連れ込んだ。相沢は親分さんを本部長の個室に案内する。ちらりと事務所を覗くと副支配人の鎌田が警官たちとなにやら話しこんでいる。部屋を覗いた相沢に気付いているはずなのに顔を向けようともしない。ちょっと意地悪がしたくなった。いつだって肝心な時にいないのだから。鎌田に声を掛けた。
「鎌田さん、コーヒー二つ持ってきてください」
初めて気付いた素振りで「は、はい」と答える。
 個室に入ると、親分さんは応接にでんと腰掛け、目顔で座れと言っている。そこは俺の寝床だぞ、と思いながら腰を落とす。親分さんはにこっと笑って言う。
「ちらっと見たら、案の定警官を呼んでいるんじゃねえか。しらばっくれやがって」
「勘違いしないで下さい。別に呼んだわけじゃなくて、最初からいたんです。ここは警官立ち寄り所になっていますから、夜一度は来ます。別にしらばっくれていたわけじゃありません」
「ふん、国家権力に守られていい気なもんだぜ。警官が隣にいるから安心ってわけか。だけどよ、俺がその気になれば、お前の首根っこをポキって折るなんざ、あっと言う間だ。どうする、あいつらがこの部屋に来る前にそうしたら、どうする?」
 思わず親分さんのグローブのような手に見入った。脅し文句だと分かっていても、一瞬恐怖がよぎる。ええいやけくそだ、とばかり口を開いた。
「出来るなら、やってみたらどうですか」
 親分さんはしばらく睨んでいたが突如怒鳴った。
「人に厭な思いをさせておいて、その言い草は何だ。もんもんしょっているからって、人を見下した態度をとったり、軽蔑したりする権利がお前にあるのか、えっ、どうなんだ」
 そこへ、鎌田がコーヒーを運んできた。両の手に一つづつ、コーヒー皿を指先でつまんで入ってくる。皿とカップがかちゃかちゃと音をたてている。手が震えているのだ。コーヒーはこぼれ放題でカップが皿に浮いているみたいだ。親分さんはにやりとして言う。
「お兄ちゃんよ、随分騒がしく入ってきたのはいいけど、両手ふさがってちゃ、砂糖を運んでくるわけにはいかなかったわけだ」
「い、い、今すぐお持ちします」
 鎌田は、喫茶店に子分どもがうじゃうじゃいるので、事務所のコーヒーを持ってきたのだ。喫茶店からだったらお盆にひと揃えを載せて来られたのだし、醜態を見せずに済んだはずなのだ。

 鎌田はシュガーポットをテーブルの上に置いて、逃げるように部屋を出た。

 親分さんはスプーンに山盛り3杯ばかり砂糖をいれた。相沢は、コーヒーカップに手を伸ばし、おもむろに口元に運ぶ。震えていたら相手に見くびられる。腕の関節がぎくしゃくと音をたてているように感じたが、何とかやりおおせた。
「砂糖はいいのかい?」
「ええ、僕はブラック党ですから」
 本当を言えば、砂糖なしのコーヒーなんて飲めたもんじゃない。でも、砂糖を入れようとすれば、スプーンの長い柄に震えが伝わりテーブルいっぱいに砂糖を撒き散らすに決まっている。鎌田を笑えるわけもない。親分さんがせせら笑う。ばれたかと思ったが、しらんぷりを決め込んで、もう一度、コヒーに手を伸ばす。親分がじっと見つめながら言う。
「俺はなあ、60年安保の時代の成れの果てなんだ。何度も豚箱に放り込まれた」
 ずるずるとコーヒーをすすり、ゆっくりと喉に流し込む。そして腕を伸ばし慎重にカップをテーブルに置く。今度もうまくいったとほくそ笑む。ふと、聞き流していた親分の言葉が蘇り、「何だって、60年安保だって?お前、ヤクザだろう?」と心の中でつぶやき、まじまじとその顔を凝視した。
「そんな俺を雇う企業なんてありゃあしねえ。しかたなくこの商売に入った。刺青だって、いい場所取るためには有利だって勧めてくれる人がいて、気はすすまなかったけど、生きてゆくためにはしかたなかったんだ」
 相沢が目をまん丸にして聞いた。
「親分さん、60年安保やってたってことは、大学卒ですか?」
「馬鹿野郎、大学卒業してたらもっといい商売やってる。中卒だ、悪いか?えっ、中卒だと言って、また俺を馬鹿にする気か?」
「いえいえ、そんな滅相もない……」
「お袋は背中を見て泣いたっけ。こんな男に育てたつもりはないって。だけどよー、これを入れなかったら食べていけなかった。そのお袋も、今じゃ贅沢させてもらって俺に感謝している。この刺青にはそういう過去があるんだ。お前みたいな若造には分からない歴史ってもんがあるんだ」
「勿論、人それぞれいろいろな事情があるのは分かっていますよ。でも、そういう事情をいちいち聞いていたら、こういう施設は刺青だらけになってしまうんです。きっぱりと一線を画してシャットアウトしないと食い物にされてしまうんです」
「何にー、食い物だ。俺が食い物にしに来たっていうのか?」
「そういう揚げ足取りは止めにしましょう。親分さんは、話せば分かる方だと思ったから、こうしてお話しているんですから」
話せば分かる人というおだてに乗ったのか、急にしんみりとした表情になった。
「そうだよな、俺たちみたいな善良なテキヤばかりじゃないからな。そうそう、この辺だと鯨井っていう博徒がいた。確かにあいつに食い物にされたら大変だ」
と言って、微笑みかけた。やっと真心が通じたなどとは思わなかったが、子供のような笑顔に思わず心が和んだ。親分さんが続ける。
「警察とは懇意にしておいた方がいいぞ。何かの時に役に立つ。俺だってしょっちゅう地元の警察には顔を出すんだ。それが、また、好きな奴が多くてよ、地方の地酒なんて持って行くと、昼間っから酒盛りだ」
「へー、そうなんですか」
「ああ、あいつらはけっこうストレスがたまっている。だから呑み助が多いのさ。たまには何か持って挨拶に行っているか?」
「ええ、たまには手みやげさげて挨拶には行きますよ。世話になることも多いですから」
これが親分の手だった。怒鳴り声がはじけた。
「何だと、今、何て言った。恥を知れ、この野郎、お前は公務員を酒で買収しているって言ったな?酒ってことはビール券も含まれる。つまり現ナマと一緒だ。それこそ贈賄じゃねえか。そんなことが許されると思っているのか。そんな野郎が、刺青は反社会的だと非難する。公務員を買収するのとどっちが反社会的だと言うんだ、答えろ、答えてみろ。贈賄、収賄が当たり前のように行われ、善良な市民を苦しめる。こんなことが許されていいと思っているのか?」
「???」
 何だ何だ、相沢は頭が混乱してきた。まるでこっちが悪いことをしているような口振りだ。その言葉はほんの少しだけ痛いところ突いている。確かにビール券を持参して挨拶に行っているのだ。そんなこと口に出してはいないが、相手はお見通しなのだ。

 突然もう一人、ヤクザがドアを開けて入ってきた。ぎょっとして見詰める相沢に名乗った。
「マルボウの中村だ。」
 つかさず、親分さんに鋭い視線を投げかけた。
「氏家親分、舎弟から名前は聞いたよ。まあ、そう興奮しなさんな。血圧が上がるぜ。薬、飲んでいるんだろう、血圧を下げる薬」
苦みばしった顔を半分相沢に向け、
「あんた、もう出て行ってもいいよ、俺が話す」
と、顎で指図する。これが警官?相沢はマルボウという言葉を反芻した。暴力団員専門の警察官だ。どっちがヤクザか見まごうばかりなのである。パンチパーマに金のブレスレット、裸にすればたぶんネックレスも、長身の相沢が見上げるばかりの大男、しかも顎には傷痕まである。
「よろしいので…?」
相沢は遠慮がちに言った。早く出て行けと言わんばかりに、またしても顎で指図する。相沢は心のうちでほくそ笑み、深く頭を下げてドアを出た。

 ドアの外から聞き耳をたてる。中村の凄む声が響く。なかなかやる、と思って頼もしく思っていたが、更に凄みのある声が覆いかぶさる。次は何を言っているのか聞き取れない。突然親分さんの怒声がドアを揺るがせた。
「貴様、それでも警官か?貴様は、そうやって有りもしない犯罪をでっち上げ、罪もない人間を陥れていたってことだ。そうやって、無実の人間を何人刑務所にぶっこんだ?えっ言ってみろ、言えってんだ、この野郎。事と次第によっちゃあ、マスコミにぶちまけてやる。声のでかい奴はみんな脅迫罪でぶっこんでやるだって?そんな理不尽があるか?もともと声のでかい俺は、それだけで刑務所にぶち込むってか?」
「バカ野郎、俺はただ、大声で人を脅せば脅迫罪にあたるって言っただけだ」
「いや貴様はその後でこうも付け加えたじゃねえか。俺に逆らえば痛い目にあうってな。ってことは、何の罪もない俺をその舌先三寸で罪に落そうってことだ」
「言いがかりはよせ、この野郎、そんなつもりで言ったわけじゃねえ」
このやりとりがしばらく続き、その後、急に声を落してぼそぼそという声、しばらくしてまたしても親分さんのどなり声、これが何度も繰り返えされた。そして声がやんだ。ドアに耳をあててみると、話してはいるらしいのだ。だが声は殆ど聞こえない。
 マルボウの中村が「それはない、それはない」と応じている。ぼそぼそと言う親分の声。「あるわけないだろう」と答える中村。そして沈黙、せせら笑う親分。

 突然、ドアが開き、中村が出てきて、困ったような顔をして相沢に聞いた。
「あんた、酒やビール券持って警察に行ったなんて、本当に言ったの?」
「いや、言ってません。あいつが勝手にそう言っているだけです」
「困るんだよな、そういうこと言ってもらうと」
「だから、言ってませんて」
「分かった、分かった、まったく嫌な野郎だ。ほんとか嘘かうちの署長のことも色々知っててよ、明日、挨拶に寄るなんて言いやがって、嘘に決まってるだろうが。ったく」
中村は一瞬肩を落としてドアの向こうに消えた。

 ふと、喫茶店を見ると缶ビール片手に子分どもが思い思い、床に寝ころんだり、椅子にもたれたり、皆、だれた雰囲気で親分さんを待っている。中には絨毯の上で、ジャンパーを枕代わり本格的に寝ている奴もいる。
 驚いたことに林田と例の二番手が円柱に寄りかかり談笑している。随分と親しげな様子である。林田が冗談でも言ったのか、二番手がげらげらと笑った。仲間に入れてもらおうと相沢が近づいてゆくと、林田が声をかけてきた。
「課長、駄目みたいよ。あの人、国家権力に噛みつくのが趣味なんだって。このあいだも名古屋の警察で朝までやったそうです」
二番手も苦笑いしながら口を添える。
「まあ、覚悟すんだな。あれ、朝までやる気だ。まいったなー、疲れているのに」

 しばらくして、中村が出てきたが、その顔は泣く一歩手前だ。ドアの前で地団太踏んでいる。急いで近づくと、すがるような視線を向けて言う。
「どうだろ、泊めてやるわけにはいかんか?」
「だめですよ、そんなこと出来ませんて、頼みますよ」
嫌がる中村をもう一度頑張るよう説得し、ドアの向こうへ追いやった。どう考えても、親分さんの方が一枚も二枚も上手だ。敵うわけもない。だとすれば朝まで付き合うことになる。マルボウの中村と交代することも覚悟した。

 どれほど時間が経ったのだろう。円柱の横で寝ころんでいる自分に気付いた。妙な音がするので、上を見上げると林田が柱に立ったまま寄りかかり鼾をかいている。一瞬、今という時が理解できなかったが、すぐに現実を思い出した。
 見回すと、誰もが諦めてそこここで身体を休めている。鼾もあちこちから響いてきた。深夜喫茶はヤクザで埋め尽くされ、カウンターの奥でハルさんが何事もなかったように洗い物にせいをだしている。
 と、マルボウの中村が個室のドアから顔を出した。きょろきょろして、ようやく相沢を見つけて手招きしている。
「相沢さんよ、ちょっと」
相沢がおもむろに立ち上がり、首を鳴らしながら近づいてゆくと、背広の裾をつかんで陰に連れて行く。そして小声で言う。
「あいつら、この3日、トラックの下で寝てたんだと。それがこの雨だろう、可哀そうだと思わないか。子分どもを畳の上で寝せてあげたいんだとよ。ここに泊まったなんて絶対に口外しないし、風呂は子分だけでも入らせてくれって言ってる。どうだろ、あんたの権限で泊めてはくれないだろうか」
「……」
「約束は絶対に守らせる。それは俺が誓わせた。間違いなく、あいつは信用できる」
ヤクザな容貌とは裏腹な人の良さがその眼(まなこ)に滲み出る。すがるような目つきで相沢の答えをまっている。腰をかがめて視線を相沢の高さに合わせている。相沢もこの二人のヤクザ者を信用することにした。
「わかりました、お二人を信用します」
「恩にきる」

 しばらくして、親分さんが、中村の背中から顔を覗かせ、ばつの悪そうに笑った。そして、のろのろと寄ってくる子分どもに声をかけた。
「課長さんが、二階の小宴会場に寝床を用意してくれるそうだ。目立たねえように風呂に入ってから、そこで寝ろ。俺は先に寝ている」
 子分どもは一目散でふろ場に駆け込んだ。相沢は親分さんを小宴会場に案内した。鎌田と林田がマットとタオルケットを準備していた。親分が声をかける。
「おい、敷くことはねえ。その辺に散ばしておいてくれ。後は自分たちでやる」
林田が応酬する。
「いえいえ、親分さん、客商売ですから、そんな訳にもまいりませんよ。最後までやらしてください」
人数分を敷いて、林田と鎌田が出ていった。親分が言う。
「お前にも、なかなか良い子分がいるじゃねえか」
「ええ、私もそう思っています」
「それはそうと、ずいぶん迷惑かけたな。明日は誰も見ていない時間に出て行く。泊まったなんて誰にも言わねえ。心配すんな。…もう、行ってくれ」
「風呂の件は申し訳ございませんでした。前例を作るわけにはいかなかったものですから」
「ああ、そうなると思って子分どもに濡れタオルを持ってこさせて体は拭いた。さっぱりしている。さあ、行ってくれ。もう、眠る」
相沢は、どうも、と言って部屋を後にした。

 小一時間ほどして、見回りに出た。奥まった小宴会場は襖もぴったりと閉められ、静かに寝静まっている。親分さんも畳の上で寝たかったのだ。前例をつくってしまったことは悔やまれるが、向井支配人はわかってくれるはずだ。相沢の決断に、にこにこと相槌をうってくれるあの大きな顔を想像して、苦笑いを浮かべた。
 おいっと、呼ぶ声がした。振り返ると、唸り声の若者が、人気のないバーのカウンターで缶ビールを飲んでいる。相沢はバーに入っていって若者の隣の椅子に腰かけた。若者が口を開く。
「さっきは悪かったな」
「ええ、本気なんでびっくりしました」
「馬鹿言え、本気ならはずさねえよ。どうも、俺はおめえみたいなエリートをみると虫酸が走るんだ」
「いや、エリートなんて、とんでもない。こんな風呂屋に回されたんですから、とてもエリートだなんて…」
 相沢は会社でエリートの地位から落とされたことを言ったのだ。自分を卑下したつもりが、この若者にとって傲慢以外何ものでもなかった。
「エリートじゃねえか。こんなすっげえ建物で、バーがあって映画館があって、ゲームセンターまである。その責任者なんだから、エリート中のエリートじゃねえか。何がエリートじゃねえだ、この野郎」
若者は怒りを露わにし、さっと席を立った。

 とぼとぼと事務所に戻った。林田は机に、鎌田は床に、それぞれマットを敷いて眠っていた。二人とも往復の鼾をかいている。ふと、若者の怒りの言葉を思い出して赤面した。何と馬鹿なことを言ってしまったのか。
 二度と会うことのない人々。だけど互いに濃密な時間を共有した。何か運命的な出会いだったのではないかと思う。親分さんとあの若者に明日、声を掛けたいと心底思った。せめて見送ろう。そう決心して、郁子に6時に起こすよう頼んで、個室にはいった。

 朝、郁子に起こされ、いの一番に連中のことを問うと、既に出ていったと言う。相沢はため息をつき、ゆっくりと立ち上がった。行ってみると小宴会場はもぬけの殻で、マットとタオルケットが部屋の片隅にきれいに積み上げられていた。 
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