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シンクロニシティ10

作者:ミジンコ
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第十四章

 男達がようやく動き出した。夜遅く、尾久駅前のマンシいションにいる三人が揃って黒いバンに乗って出かけたのだ。瀬川から連絡を受け、榊原は練馬の自宅から車を発し首都高に向かった。
 男達は入谷口から首都高に入り暫く走ると、高速湾岸線で浦安方面に向かった。瀬川は距離を空けながら追尾した。午前零時を回っていたが、追尾に気付かれない程度に車は走っている。瀬川は携帯に向かって叫んだ。
「榊原さん。早く追い付いて下さい。例のおんぼろ車なんでしょうけど、アクセル全開でお願いします。」
「分かった、恐らくあと30分で追い付く。今、メーターは150キロ、エンジンが変な唸り声をあげているが、何とか持つだろう。これから坂本にも連絡を入れる。幸い奴さんの自宅は浦安だ。兎に角連絡を絶やすな。分かったな。」
「了解。」
坂本は起きていた。話を聞くと「よしっ」と大きな声をあげ、そして湾岸線で浦安方面と聞いて「やっぱりな」と呟いた。
「おい、そのやっぱりなってのはどういう意味なんだ。」
「榊原、やはりお前の言ったとおり、全てが繋がっているかもしれない。兎に角、瀬川に俺は浦安から乗って、館山のインターで降りて待つと伝えてくれ。それと館山に何時頃到着か俺に電話を掛けるよう言ってくれ。」
「おい、しかし、なんで館山なんだ。」
「お前に打ち明けるのはもう少し調べてからだと言ったことを覚えているだろう。俺は飯島を車で追跡した。しかし、奴のシボレーは軽く200キロは出る。いつも或る地点で見失った。そこが館山なんだ。だから、館山に組に繋がる何かがあるんじゃないかと思って調べていたが、その手がかりが向こうから飛び込んできたってわけだ。」
「つまり、石田を襲った奴等は飯島とも繋がりがある。ということは、DVD、MD、そしてヤク、どれも関連している可能性があるってことだ。」
「そういうことだ。兎に角、今は時間がない。詳しくは落ち合ってからにしよう。」
電話は切られた。館山と聞いてふと、父親の顔が浮かんだが、すぐに振り払った。
 
 榊原は坂本に全てを打ち明けていたが、坂本の方もかなり驚くべき情報を持っていた。それは、覚せい剤の黒幕が上村組長や、弟正敏ではなく、レディースクレジットの専務飯島敏明らしいということであった。
 坂本の話はこうだ。麻取が動き出してすぐに反応したのがこの飯島で、組長も弟も尾行に気付いてはいたが、ただうろたえていた。しかし、飯島の動きはにわかに慌しくなり、密かにマークする人間を窺い、すぐに麻取だと見破った。
 つまり、麻取の顔に精通していることが怪しいと坂本は言う。彼は裏の世界に入って麻取のメンバーの顔写真が売られているのを知って驚いたものだが、その必要に迫られなければ、その顔を覚えようとは誰も思わない。飯島はそれを頭に叩き込んでいた。
 次第に、ぴたりと口をつぐむ上村兄弟に睨みをきかせる飯島という構図が浮かび上がった。僅かな気配でしかない。飯島の兄弟に対する態度は慇懃であるるが、無礼というわけでもない。しかし、確かに組内の雰囲気に微かな変化が立ち上りはじめた。
 坂本はその微妙な変化の裏を探ろうとしていた。隠された真実があると踏んで、飯島を張った。その飯島が出口付近になると俄にスピードをあげたのが館山なのだ。石田を襲った男達は飯島に繋がる可能性があるということだ。

 榊原は思考を巡らせた。石田が襲われた理由はDVD、MD、両方の可能性がある。では、洋介君と晴美の失踪はどういうことなのか。MDの内容は素人が解読できるものではない。まして、それは盗まれた薬品の製造過程と実験結果の文字の羅列に過ぎない。それが何故、何人もの人間を巻き込んだ、複雑な事件に発展するのか。
 ここまでくると、もはや推理の糸はぷっつりと切れてしまう。材料が少な過ぎる。坂本が言うように、麻薬がすべての共通項ということも考えられるが、どこをどう結び付ければ、石田や晴美、そして洋介君の件と繋がるのかさっぱり浮かんでこないのだった。
 瀬川に電話を入れたが通話中で繋がらない。坂本とやりとりしているのかもしれない。車は軋みをあげて疾走している。車体はボロボロだが、エンジンはまだまだ使える。瀬川に遅れること30分、ようやく湾岸線に乗った。

 そこは海岸沿いに建ち並ぶ倉庫の中だった。積み上げられた麻袋に何が入ってのか分からない。入り口は閉じられており、薄暗い電灯が一角を照らし出している。そこで数人の男達が何やら話している。
 一人の男が椅子に座り、両手で顔を覆っている。その後ろには屈強そうな二人の男が銃を構えて立ち、椅子の前にいる太った大柄な男が、拳銃を差し出し男に受け取るように促している。この太った男は例の探偵、猿渡であり、椅子の男は石川警部である。
 猿渡は肥えた腹を突き出し、よく響く声を張り上げた。
「いい加減に腹をくくれ。もう逃げられないんだ。こうして榊原の拳銃を持ってのこのこやって来たんじゃねえか。既に手を汚している。もし言う通りやらなければ自分が殺されるんだ。貴様はどっちを選ぶ?」
 石川警部は両手を顔から引き離し、すがるような視線を向けた。
「頼む、猿渡さん、何とか見逃してくれ。これからだってどんなことでもやる。君等の言うことは何でも聞く。だからそれだけは勘弁してくれ。仲間を撃つなんて出来るわけがない。」
「ふざけるな。俺達の世界は証人を生かして返すほど甘い世界じゃねえ。お前は殺人者になるか死人になるかのどっちかなんだよ。お前は刑事だろう。危険な世界と隣り合わせで生きて来た。そうだろう?その覚悟があってこの世界にはいったんだろうが。」
泣き声が返ってきた。
「俺は、ただ生活の保証された役人になりたかっただけだ。警官になってからも危険は出来るだけ避けてきた。だからそんな世界とも無縁だった。頼む助けてくれ。」
 猿渡は後ろの男たちに顎で合図を送った。後ろの固太りの小柄な男が石川警部の後頭部に銃口をあてがった。石川警部が恐怖に顔を引き攣らせる。猿渡の「よしやれ」と言う声と同時に、悲鳴とも泣き声ともつかない声が響いた。
「分かった、分かったよ、やるよ、やる!」
男達の冷ややかな笑いが響く。
「そうこなくっちゃいけねえ。さあ拳銃を受け取れ。おっと、サランラップの巻いてある所を握るんだ。榊原の指紋を消しちゃあなにもならねえ。しかし、変な気を起こすなよ。銃口は、ずっとお前の背中に標準を合わせてある、いいな。」
 石川警部は拳銃をうけとるとよろよろと立ち上がった。猿渡が石川に手順を手短に指示すると、男達は麻袋の闇の中に引き上げてゆく。突如、携帯の呼び出し音、続いて猿渡の声が響く。
「俺だ、おう、そうか、インターを出たんだな。うーむ、尾行は2台か。一台は榊原に違いない。いっぺんに片をつけてやる。」
猿渡が石川警部に向かって怒鳴った。
「おい、10分後だ。石川、手筈は分かっているな……、おい、分かったかと聞いているんだ。」
「はい。」
力なく石川警部が答えた。

 石川は背中に視線を感じながらじりじりと待った。奴等の仲間の車が着いて扉が開いた瞬間に途端に駆け出せば逃げられるかもしれない。いや、後ろの男達との距離はせいぜい3メートルだ。やるだけ無駄だろう。
 銃を握り締める。じっとりと汗が腋の下を流れる。思考はくるくると空回りしている。殺すしかない。仲間を殺すしかない。殺せば生きられる。生き残ることこそ人生の目的なんだ。俺はそうして生きてきた。これからだって、ずっとそうして生きてやる。

 どのくらいの時間が経ったのか分からなかった。タイヤの軋む音が聞こえ、しばらくして扉が開かれた。一人の男が入って来て車を誘導している。石川に気付いて、拳銃を向けた。石川は両手を上げた。男が低い声言った。
「銃口は下に向けておくんだ。危ねえな。」
「はい、すいません。」
「座って、銃は後ろに回しておくんだ。そう言われてなかったか。」
「はい、言われてます。」
「わかりゃあいい。」
車から二人の男が降りてきた。二人とも背広の下にホルスターを着けている。入り口の扉は僅かな隙間を残して閉じられた。男達が闇に消えた。石川警部が呟く。
「榊原さんよ、悪く思うなよ。俺を恨むなよ。お前さんはやり過ぎたんだ。DVDを手に入れたことが上村組長を怒らせたんだ。」
 ぶつぶつと独り言が続く。低くせせら笑う声。男達は思いのほか近くに潜んでいる。殺るしかない。

 扉には僅かに隙間がある。瀬川は用心深く中を覗いた。外からの光に照らされて一人の男が浮かび上がった。車の左後方2メートルの所だ。瀬川は目をこらし男を見詰めた。向こうもじっとこちらを覗っている。手は後ろで縛られているようだ。
 薄暗い光に照らされている男の顔が輪郭を顕にする。瀬川はその知った顔を見て息を呑んだ。何故ここに石川警部が。「ちょっと見て下さい」と言って後ろにいる坂本に確認を促した。坂本の顔が覗いた。その目が大きく見開かれている。
「馬鹿な男達だ。」と低い声で呟いたのは石川警部だ。そして次の瞬間、石川は弱弱しい声で二人に話しかけた。
「大丈夫だ。奴等は奥の管理室に入った。俺もどじったよ。奴等に捕まっちまった。」
 惨めで悲惨な自分、それよりももっと惨めで間抜けな二人を見詰めて、漸くいつもの優越感が心を満たしてゆく。俺は生きる。しかし間抜けなお前等は死ぬしかない。扉が開かれ二人が入ってくる。迷いは無かった。生きるには二人を殺すしかない。ぶるぶると後ろにまわした手が震えている。失敗は許されない。

 榊原が銃声を聞いたのは倉庫の手前50メートルだ。銃声は四発、続けざま聞こえた。榊原はインターを降りる寸前、スピード違反で捕まってしまったのだ。運悪く警察手帳を忘れてきてしまったため、身分の確認に時間がかかった。
 瀬川が倉庫の位置を連絡して来たのはインターを出た時だ。待つように言ったが、二人は聞かなかった。「後から来い。」という坂本のひと声で、榊原は携帯を置いた。倉庫はすぐにみつかった。車を林の小道に入れると、二人の車もそこに隠してある。
 銃声を聞いて、瀬川が拳銃を持っていることを思い出した。銃声は瀬川のものである可能性がある。ゆっくりと倉庫に近づいていった。 そして、榊原は靴音を気にしながら忍び寄り、扉の陰に張り付いた。倉庫の扉は開かれている。榊原はゆっくりと首を伸ばし扉から中を覗った。そこに見たものは、つま先を天井に向けた坂本自慢のウエスタンブーツだった。そのブーツがゆっくりと奥に引きずられてゆく。奥から声が聞こえた。
「榊原はどうしたんだ。」
その声に聞き覚えはあるが、気が動転していて思い出せない。榊原は扉を背に、がくがくと膝が震えるのを意識した。
「榊原さんは…」ゴホっゴホっと咳き込む声。その声はまさに瀬川だ。気が遠のくような感覚が後頭部を襲った。血を見て興奮し、荒荒しく息を吐き歩き回る男達の気配。
「榊原さんは来ていない。連絡がつかなかった。」
「もう死ぬんだ。本当のことを言え。」
「死ぬ。俺が死ぬって。そうか、俺は死ぬのか。」
「そうだ、お前は死ぬ。死ぬにしても残酷な死は望まんだろう。この警部さんの銃はお前の顔をこなごなにする。そうなりたくなければ、榊原のことを喋れ。」
「そう、俺は殉職する。男として名誉ある死だ。お前とは違う。」
瀬川は最後の声を振り絞った。
「この裏切り者め、地獄に落ちろ。」
バンという音とともに瀬川の声は途切れた。リーダーらしき男の声が
「おい、腰を探ってみろ。その刑事は拳銃を持っているはずだ。おい、気を付けろ。指紋は消すんじゃねえぞ。その拳銃で榊原を撃ち殺す。そうすれば榊原がこの二人のデカと互いに撃ち合って死んだことになる。時間がない。おい、早くしろ、榊原をここまで連れてきて横たえるまで仕事は終わっちゃあいねえ。」
猿渡が振り返り、石川に声を掛けた。
「おい、警部さんよ、よくやった。お前の命は助けてやる。しかし、驚いたな。普通はなかなか顔は撃てないもんだがな。」
と言って、石川の背をばんと叩いた。そして、吼えた。
「野郎ども、榊原は家にいるか、或いは近くまで来てるかもしれねえ。そのつもりで奴を探し出すんだ。」
 慌しく動き回る男達を尻目に、石川警部は、ふと右手に握る拳銃に視線を落とした。先ほどまでの手の震えはおさまっている。そして、その先に転がっている血だらけの死体をまるで物を見るように見詰める自分を意識した。

 榊原は逃げた。這うようにして逃げた。逃げるしかないと思った。瀬川の砕けた顔が、坂本の無念の顔が浮かんでは消えた。瀬川ーっと心の中で叫んだ。貴様は勇気ある男だった。お前の最後の言葉を忘れない。お前の最後を奥さんに伝える。子供にも伝える。涙が頬を伝う。
 膝ががくがくして上手く走れない。我ながら情けないと思いながら必死で逃げた。方向を見失っていた。いきなり強い衝撃が襲った。体が後ろに仰け反った。気が付くと鉄条網が胸に食い込んでいる。用心しながら鉄条網をはずし、立ちあがるとまた走り出した。
 自分の車とは反対方向だった。倉庫の扉の死角を選び、暗がりを選んで走った。少し高台になった地点で、倉庫を振り返る。男が7人、倉庫から出てきて3台の車に分乗するのが見えた。榊原は携帯を取りだし、自宅に電話を入れた。なかなかでない。ふと思いたって携帯を切った。
 奴等は何もかもお見通しだった。尾久駅前のマンションの男達は明らかに榊原達をおびき寄せることが目的だった。瀬川、坂本、榊原の三人を一人残らず消すつもりだったのだ。リーダ格の男は、瀬川を撃った男を「警部」と呼びかけていた。その警部が手引きしたのだ。
 しかし、底知れぬ一連の事件の深い闇を覗き込んだ今となっては、榊原は用心深くならざるを得なかった。ふと、かつての疑問が浮かび上がったのだ。「モンスターは何故洋介君の携帯番号を知り得たたのか」という疑問である。奴等は想像以上に巨大な組織なのかもしれない。この携帯だって危ないと思ったのだ。
 
 さ迷うように暗がりを走り、林を幾つも抜けて国道に出た。100メートル先にセブンイレブンが見えた。心臓が破れそうだったが、必死で走った。そこに公衆電話があるはずだ。そこから電話すれば大丈夫だろう。
 女房の声が受話器を通して聞こえたのは、呼び出し音を数えて12回目の時だ。
「おい、子供を連れてそこを出ろ。いいか、男達がそちらに向かった。」
「男達って誰なの。あなたいったい何を言っているの。」
「今は何も言えない。俺自身がこれからどうなるのかも分からない。事件に巻き込まれた。これからそちらに男達が向かう。俺を捕まえるためだ。お前や子供に危害が加わるかもしれない。兎に角そこを出るんだ。」
「分かったわ、あなた。すぐに出る。」
「いいか、よく聞け。俺は犯罪者になるかもしれない。だけど、俺は何もしていない。俺の無実を信じていてくれ。」
「それってどういうこと。あなた、もう少し詳しく話して。」
「今はその暇はない。とにかくそこを出ろ。いいか出るんだ。」
「分かった。あなたの携帯にいずれ電話する。いい、それでいいでしょう。」
「待て、携帯は盗聴されてる可能性がある。兎に角、心配するな、しばらく実家に帰っていろ、いいな。」

 電話が済むと、今度は110番通報して殺人のあったこと、そしてその死体の所在、犯人達が3台の車で高速に乗って東京に向かったことを告げて電話を切った。そして、憂鬱な思いで、もう一度、携帯のボタンを押した。背に腹は変えられなかったのだ

 それからおよそ5時間後、時ならぬ警察官殺人事件にざわめく館山警察署に一本の電話が寄せられた。
「名前だって、冗談じゃねえよ、厭だよ、言いたかねえ。何だったらこのまま切ってもいいんだぜ。どうする。…そうそう、最初からそう言えばいいんだ。いいか、俺は見たんだ。男が倉庫から出てくるのを。乗ってきた車はそこに置いたまま、泡食って駆けていった。あそこから東に行ったところに雑木林があっただろう。そうだ。倉庫から50メートルのところだ。奴は、あそこに何かを投げ捨てた。恐らく凶器じゃねえかな。俺はちょうどそのそばで車を止めて横になってたんだ。さあ、国民としての義務は果たしたからな。せいぜい頑張って犯人をつかまえろよ。それじゃな。」 
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