銀河英雄伝説~その海賊は銀河を駆け抜ける
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第三十三話 伝言
帝国暦 489年 9月12日 オーディン アルベルト・マイヤー
「マイヤー所長、どうですかね」
「まあ今の所は悪くは無いな。俺はそう思うぜ、ホルツ」
俺の答えにヴィリー・ホルツは満足そうな笑みを浮かべた。困った奴だな、目先の事ばかりに気を取られてやがる。俺が“今の所”と言った事に何の注意も払っていない。
「何と言っても十五万隻の大艦隊ですからね。前代未聞でしょう」
「そうだな」
「親っさんもホッとしてるでしょうね」
「……今のところはな」
確かにブラウンシュバイクにいる親っさんもホッと一息だろう。十五万隻の遠征軍の物資調達のためオーディンに有るワーグナー一家の事務所は大忙しだ。当然だが所長である俺も大忙し、所員のホルツも同様だが問題はその後だ。遠征が終わっちまったらどうすれば良いんだ? また頭の痛い状況になる。
内乱以降、なかなか景気が良くならない。改革が進んで平民達の間に解放感、期待感は高まっているんだが経済は今一つだ。何と言っても実際に物を消費していたのは貴族だからな、連中が潰れたのは痛い。平民達も少しは豊かになってきたが購買力はまだまだ低い、不景気感満載だぜ。
多くの海賊組織がこの戦争特需で儲けている。そして俺と同じ事を考えているはずだ、この後はどうすれば良いかって……。親っさんもとんでもない時に幹事役になっちまった。こうも不景気じゃやり辛いったらありゃしねえ。唯一の救いは黒姫一家がワーグナー一家に協力的な事だな。おかげで他の組織もあまり無茶は言ってこねえ。しかしそれもいつまでもつか……。
いきなりドアが開いた。まだ若い所員が顔を見せている、この馬鹿野郎!
「ノックも無しに所長室を開けるんじゃねえ! 他人に聞かれちゃ拙い話だってする事が有るんだ」
「も、申し訳ありません」
全くなって無いぜ。こんなとこ、親っさんには見せられねえな。溜息が出そうだ……。
「何の用だ」
「それが、その」
はっきりしろ、イライラするじゃねえか。怒鳴りつけてやろうかと思っていると、つっかえつっかえ話し始めた。
「く、黒姫の、か、頭領が……」
「黒姫の頭領?」
ホルツと顔を見合わせた。
「お見えに、なっています」
「馬鹿野郎! 早く言え!」
慌てて席を立った。全く何を考えていやがる。ドアの前に立ったままの奴を押し退け玄関に向かった。
「一体何事でしょう」
話しかけてきたのはホルツだった。気付かなかったが後を付いて来たらしい。“さあな”と答えて先を急いだ。
黒姫の頭領は玄関ホールに居た。部下が五人、さりげなく周囲を確認している。あそこは敵が多いからな、警備はかなり厳しい。黒姫の頭領の周囲は腕利きが固めていると聞いた事が有るが事実のようだ。うん、一人は事務所長のリスナーか。何度か話した事は有るが結構切れる男だ。近付くと黒姫の頭領が柔らかい笑みを浮かべた。良いのかね、そんな無防備で。
「お待たせしました、ヴァレンシュタインの頭領。ワーグナー一家でオーディンの事務所を預かっております、アルベルト・マイヤーです」
「御丁寧に痛み入ります。エーリッヒ・ヴァレンシュタインです。いきなり押し掛けて申し訳ありません」
黒姫の頭領は丁寧に挨拶を返してきた。この辺りはウチの親っさんとはちょっと違うな。
応接室に案内すると黒姫の頭領はリスナーと共に部屋の中に入った。俺もホルツを同席させる。こういう時は後々言った言わないで揉める事が無いように必ず誰かを同席させる、二人だけで話さないのがルールだ。ワーグナーの親父に対する身の潔白の表明でもある、裏切ってはいないというな。
それにしても良いのかな、俺はワーグナー一家では一応幹部だが序列は九番手から十番手位、決して高い地位じゃない。本当なら黒姫の頭領と直接話すなんて許される立場じゃないんだが……。悩んでいても仕方ないな、飲み物が用意されたら始めるか。
若い所員が飲み物を持ってきた。グラスに氷の入った水が出された。ホッとしたぜ、コーヒーとか出されたら最悪だ。黒姫の頭領はコーヒーは嫌いだからな。まあこの時期なら冷たい水はおかしな出し物じゃない。念のためだ、今後はココアも用意しておくか……。
「今日はどういう御用件でしょうか」
「実はワーグナーの頭領と話がしたいのです」
「はあ」
思わず不得要領な声が出てしまった。話がしたいなら何もここに来なくても良い筈だが……。
黒姫の頭領が軽く笑い声を上げた。俺の困惑が可笑しかったようだ。
「貴方にも聞いていてもらった方が良いと思ったのですよ」
「そういう事ですか、分かりました、今用意します」
つまり俺に対する厚意って事かな、リスナーが同席してるからこれからも宜しくって事か。黒姫一家とパイプが強まるのは俺としても願ったり叶ったりだが……。
『久しいな、黒姫の』
「お久しぶりです、ワーグナーの頭領」
太い声と満面の笑み、相変わらず親っさんは元気一杯だな。そして黒姫の頭領もにこやかに応対している。全然タイプが違うんだが不思議に仲が良い。
『相変わらず派手にやっているようだな、羨ましい限りだぜ』
「恐縮です」
親っさんの言葉に黒姫の頭領が軽く頭を下げた。まあ確かに派手だよな、フェザーンを征服したんだから。
『それで、マイヤーから話が有ると聞いたが』
「はい、今度の遠征の準備で大分物が動いていると聞きましたが」
『ああ、おかげでかなり助かっている。もっとも景気が今一つと言うのは困ったもんだがな』
親っさんが顔を顰めた。黒姫の頭領も頷いている。
「その事ですが戦争が終わり自由惑星同盟を下した後、ローエングラム公は大規模な景気昂揚政策を実施するそうです」
『ほう、そりゃ大歓迎だ。しかし本当かね』
本当かね、と疑問符を付けているが親っさんの声は弾んでいる。黒姫の頭領の言葉に嘘は無いと思っているんだろう。
「帝国と旧同盟領の経済を活性化させ、一つに結び付ける事で統一をより強固なものにしよう、そう考えているようです」
『なるほどな』
「私もそれに協力する事になっています」
うん、随分とデカい話だな。しかし悪くない、いや有難い話だぜ。
『フェザーンから取り上げた企業を使うんだな』
「まあそうです」
『随分と阿漕に儲けたよな』
親っさんがニヤッと笑うと黒姫の頭領が苦笑を浮かべた。何百社って一流企業が黒姫一家のものになったんだ。阿漕としか言いようがないよな。
「その分政府に協力しないと……」
『そりゃそうだな』
親っさんがとうとう笑い出した。こういう場合、俺やホルツは困るんだ、一緒に笑うのは失礼だろうし……。立場は違うがリスナーも困った様な顔をしている。
「それとローエングラム公は宇宙の統一後はフェザーンへ遷都するそうです」
『遷都? 都を移すのか?』
「ええ」
おいおい、すげえ話だな。親っさんも唸り声を上げてるぜ。
『なるほど、オーディンよりフェザーンの方が立地は良いな。……となると俺もフェザーンに事務所を持った方が良いか』
「そうですね、統一された宇宙の中心になるのですからオーディンよりも遥かに重要性は高いと思います。向こう側に行くのも自由になりますし……」
うん、そうだな、これまで帝国で向こうと取引が出来たのは黒姫の頭領だけだった。でも今度は俺達にもそれが開放されるわけだ。こいつは大きいぜ。
『しかし都が遷るとなるとオーディンは寂れる事になるな』
親っさんが顔を顰めている。うーん、そいつは面白くないな。ウチは縄張りが帝都オーディンに近い事が強みの一つなんだ。そのオーディンが寂れるのは面白くない。
「多少はそういう事は有るでしょう。しかしオーディンは五百年間首都だった事でインフラも整っていれば産業も多く有ります。軍の重要な拠点でもある。それに景気昂揚政策は帝国内でも行われますがオーディンはその中で重要な役割を担う事になっています。余り心配はいらないと思いますよ」
黒姫の頭領の言う通りなら良いんだが……。景気昂揚政策に期待するしかないな。親っさんも今一つ浮かない顔だ。
「それより都がフェザーンに遷るとなればヴァルハラ星系は空き家になりますね」
『空き家か……、なるほど、確かにそうだな』
あれ、親っさんと黒姫の頭領が見つめ合っている。
『良いのかい?』
「ウチは辺境だけで手一杯です。それにヴァルハラはしっかりした人に押さえてもらった方が良いと思います」
『それじゃあ、ウチで頂くぜ』
え、そういう事? つまり遷都後のヴァルハラはワーグナー一家の縄張りって事が今決まったのかよ、とんでもねえ話だな。そういう事か、だから俺とリスナーが同席してるのか……。準備をしなくちゃならねえな、他が気付いて動く前にウチで準備を終わらせておく。親っさんとも頻繁に打ち合わせをする事になるだろう。忙しくなるぜ、今以上に忙しくなる……。
宇宙歴 798年 9月12日 ハイネセン ヤン・ウェンリー
「久しぶりだね、ボリス」
「ああ、最後に会ってから十五年以上は経ったからな」
「そうなるね。良く訪ねてくれた、色々と話したい事が有るんだ」
「俺もだ、話さなくちゃならない事がある」
あの悪たれボリスが今では独立交易船の船長か……。そうなるだろうとは思っていたが、本当に船長になったのだと思うとちょっと不思議な気持ちがする。
ユリアンが紅茶を用意した後、何か足りない物が有ったら声をかけて欲しいと言って奥に消えた。
「良い子だな、ヤン」
「ああ、あの子のおかげで随分と助かっているよ」
紅茶を一口飲んだ、ボリスも紅茶を飲んでいる。カップをテーブルに置くとボリスも同じようにカップをテーブルに置いた。そしてじっとこちらを見ている。表情が硬い、緊張しているようだ。何故だ?
「ボリス、フェザーンの状況を教えてくれ。フェザーンで反帝国運動が起きる気配は無いかな」
ボリスが首を横に振りながら息を吐いた。
「難しいだろうな」
「何故だ、フェザーン人は独立不羈、他からの束縛を嫌うと思うんだが」
またボリスが息を吐いた。どうもおかしい。
「ヤン、あんたが何を考えているかは分かっている。帝国軍が侵攻した後、フェザーンで反帝国運動を起こさせる。それに合わせて反撃する事で帝国軍を撃退したい。あるいは帝国軍に同盟領侵攻そのものを断念させたい、そんなところだろう」
ボリスの言葉にうなずいた。
「そうだ、上手く行けばフェザーンの独立も可能かもしれない」
騙すつもりは無いが可能性は低いだろう、だがゼロではない……。ボリスがカップを取り上げ一口飲んだ。表情は苦い、ボリスも可能性の低さを思ったのだろうか……。
「あんたが考えた事は俺も考えた。そして他にも同じ事を考えた奴が居る」
「どういう事かな」
嫌な予感がした。誰かが何かをしたという事か、フェザーンを押さえる何かを……。ボリスが微かに嗤った。笑ったのではない、確かに嗤った。
「黒姫さ、同盟の優良企業が黒姫の物になっただろう、それと同じ事がフェザーンでも起きている。黒姫は銀行、輸送会社、エネルギー会社を押さえているんだ。フェザーンは船乗りの国だ。下手に騒げば黒姫に圧力をかけられて船を出せなくなる。皆それを恐れている」
溜息が出た。帝国軍を同盟領奥深くに引き摺り込んで補給を断つ、そこにフェザーンで反帝国運動が起きれば、そう思ったのだが……。こちらの狙いを未然に断ってきたというわけか……。黙っているとボリスが言葉を続けた。
「それに宇宙の統一後、帝国はフェザーンに遷都するという噂が有る」
「遷都?」
遷都か……、確かに有り得ない話じゃない。しかし……。
「その噂だけど出所は何処かな?」
「黒姫一家らしい」
「それは……」
罠だと言おうとしたがボリスが手を振って止めた。
「分かっている、こちらを押さえるための噂かもしれない。しかし考えてみれば有り得ない話じゃない、そうだろう」
フェザーンの位置を考えれば十分有り得る話だ。フェザーンはオーディンなどより遥かに帝都に相応しい条件を持っている。
「フェザーンが銀河統一後の帝都になるなら今以上に繁栄するだろう。その事も反帝国活動を起こし辛くしている」
「飴と鞭か……」
ボリスが頷いた。表情は苦い、不本意なのだろう。
「同盟が健在ならともかく現状では反帝国運動は無謀すぎる、それよりは新帝国での繁栄を選ぶべき、皆がそう考えている」
「なるほど」
兵力だけでも圧倒的に不利なのに……、何とも嫌らしい事を仕掛けてくる。ローエングラム公が武勲第一位と評したのはこれが理由か。眼に見える武勲では無く目に見えない所で敵の力を削ぐ……。アムリッツアでこちらの補給を断ったのと同様だ。敵の力を弱め味方の勝利を得やすくしている。戦術では無く戦略面での貢献……。
「ヤン、あんたに伝言が有る」
「伝言?」
「そろそろ戦争を終わらせる時が来た、民主共和制に囚われて詰まらない事はしないでくれと。それから戦争をしないで済む時代がようやく来る、邪魔をするのは許さない……」
驚いてボリスを見た。ボリスは何処となく怯えた様な目をしている。
「それは一体……」
「黒姫からの伝言だ」
「黒姫からの……、会ったのか?」
声が掠れていた。黒姫が私に伝言を寄越した……。
「酒場で会った。偶然か、そうじゃないのか、俺には分からない。だが奴は俺達が知り合いである事も俺がお前に会いに行こうとする事も知っていた」
「……馬鹿な、どんな男だ」
私の言葉にボリスが分からないというように首を横に振った。
「五分も話したかどうか……。サングラスをしていたから目は見えなかった。だが口元には笑みが有った。冷たい笑みがな」
「……」
「怖いと思ったよ、背筋が凍るような怖さを味わった。あの男を敵に回したいとは思わない」
ボリスの声には明らかに怯えが有った。そして私も怖いと思っている。一度も会った事は無い、しかし相手は私の事をかなり知っている。何処まで、何を知っているのか。得体のしれない恐怖感が身体を包んだ……。
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