東方調酒録
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第八夜 ルーミアは捕食する
桜が散り始め、緑の新芽が開き始める頃。月の綺麗な夜に命蓮寺の近くの川の岸辺に立つ一軒のバー、バッカスでは扉の前で無精ひげを生やした店主月見里悠は一人、月を見ながらグラスを持っていた。手に持ったオールド・ファッションド・グラスには赤い液体が入っている。
「月既不可飲、 影徒隨我身」
と呟いて一口飲んだ。 意味は“月は酒を理解せず、 影は私に寄り添うだけ”ということである。ようするに暇なのであった。悠はグラスを傾けて一口飲んだ。
「まずっ……」
悠は頭をがっくり下げグラスを座っていた階段に置いた。草を踏む音が聞こえて、顔を上げると、川辺で一人の幼女が歩いていた。目は赤く、髪は黄色で、頭の右側に赤いリボンをしていた。服は闇に溶け込むような黒いスカートである。こんな時間にうろついている子供など妖怪以外のなにものでもないのは容易に分かることであったが、暇をこじらせ、自分の作った不味いカクテルを飲んだ悠は何を思ったのか、声をかけようと立ち上がったのである。
「やあ、 いい夜だね」
悠が少女に声をかけた。少女は大きな赤い目で悠を見つめた。
「僕は月見里悠。 よろしくね。 君の名前は?」
「ルーミア」
と少女は答えた。「ルーミアちゃんか、 こんなところで何してるの?」と悠は聞いた。
「うーんとね」
そう言ってルーミアは悠に飛びかかった。悠はバランスを失って後ろに倒れた。起き上がろうとしたが、幼い見た目と反してとても強い力で押しつけられて全く動けなかった。完全に組み敷かれていた。悠はもっと出るべきところが出ている女性だったら良かったのにとすでに少しあきらめていた。
「夜食を探していたの」
「魚取りなら手伝いますよ」
「魚より栄養ありそうな肉を見つけたから大丈夫よ」
「胸やけしますよ」
「胃は強い方だわ」
「太りますよ」
「今日は何も食べてないの……」
ルーミアはウルウルした目で悠を見つめた。
「お手柔らかにお願いします」
「大丈夫! 全部食べないから」
安心していいのか?と悠は思った。
「それじゃあ、 いただきます!」
ルーミアが口を開けて、頭を下げてきた。
「おそまつさまです!」
悠は目をつぶった。肩に何か触れるのが分かった。ワイシャツ越しに熱い息を感じたと思うと皮膚を突き破って異物が体内に入ってくるのが分かる。熱さとも痛みともわからない感覚が襲ってきた。次に肩の肉が引き裂かれていく。
「やめなさい!」
聞き覚えのある声が聞こえ、体の上が軽くなるのと共に肩の肉も一気に持っていかれた。
「いっ……」
慌てて肩を押えると感じていたよりも肉は持っていかれてはいなかった。ルーミアは淡い緑色のチャイナドレスを改造したような服を着た赤い長髪の女性によってつまみ上げられていた。口は悠の血によって赤く染め上げられていた。
「美鈴さん、 ありがとうございます」
「いえいえ、 それよりも傷は大丈夫ですか?」
美鈴がつまみ上げたルーミアを抱きかかえながら言った。
「まったく、 ルーミアがお腹壊すじゃないのよ」
阿求であった。先ほど叫んだのも阿求なのだろう。
「でも一番必死に走っていたのは阿求さんでしたよ」
腰に二本の刀をさした銀色の髪の少女が言った。魂魄妖夢である。妖夢は悠を抱え起こした。阿求はすでに扉を開けて待っていた。手には階段に置いてあったコップを持っている。悠は妖夢の助けを借りながら店の中に戻った。
――店内に戻った悠はワイシャツを脱ぎ、美鈴から右肩の手当てを受けた。
「ルーミアの口が小さくて良かったですね。 あまりもっていかれていないみたいです。 明日は念のために竹林の診療所に行った方がいいですよ」
美鈴が言った。ルーミアはカウンターの椅子に座ってまだ物欲しそうな眼で悠を見ていた。悠は身の危険を感じて立ち上がり、冷蔵庫から生肉を出した。
「牛肉ですけど、 食べますか?」
「たべる―!」
そう言って、悠から渡された箸を無視して手掴みで生のまま牛肉を食べていた。悠は子どもを見守るような眼でルーミアを見ていた。
「怒らないんですね?」
妖夢が聞いた。「怒るようなことしてませんから」と悠は答えた。
「これは何? 変なにおいね」
阿求が赤い液体の入ったグラスを差し出して聞いた。悠が入口に座って飲んでいたカクテルであった。
「ああ、 それは白酒にトマトジュースと塩を混ぜたものだよ。 失敗だったけどね。 名前を付けるんならナマクラだよ」
妖夢が微妙に反応した。
「白酒ってパイチュウのこと?」
美鈴が聞いた。
「そうですよ。 小刀という白酒ですけどトマトジュースと混ぜたら味の切れがなくなって、完全に刃こぼれした刀になったよ」
美鈴が一口飲んで、「本当だ」と呟いた。
「でも、 なんでトマトジュースと混ぜたのよ?」。
「幽香さんが大量に季節外れのトマトを持ってきてくれたんだよ。 それで何かカクテルを作ろうと思ったら近くに白酒があってね」
悠が四リットルはありそうなボトルに入ったトマトジュースを出した。
「どんだけ持ってきたのよ」
阿求が呆れた顔で言った。
「それはもう大量に……」
「それなら、 そのトマトジュースで何か作ってよ」
美鈴が注文した。
「はい」と悠は答え、ビールを取り出し、トマトジュースと同じゴブレットに入れステアした。
「レッド・アイです。 シンプルだから誤魔化しがきかない一杯です」
悠は自分含めて全員の分を作った。もちろんルーミアの分もである。ルーミアは受け取ると一気に飲み干した。
「人間の血と同じぐらいおいしい」
悠を含め今この場にいる者には理解できない比喩表現であった。
「レッド・アイはリバイバーカクテルです。 リバイバーは甦るという意味で、元気付けるや迎えるという意味もあります。 痛みに対する気つけ、そして歓迎の意味。 この店に来てくれるものはどんな方であれ僕は歓迎したいです」
悠がルーミアに笑いかけながら言った。
「自分をかじったものでも歓迎するって言う意味ね」
美鈴は感心したように言った。
「また来てもいいのか?」
「もちろん、 待ってるよ」
わーいと言ってルーミアが満面の笑みを浮かべた。
「たまにかじってもいい?」
「それは、勘弁してください」
悠は右肩を抑えた。
「そう! その為にも私の弟子になりましょう! 人間でも簡単に妖怪退治。 護身、健康のためにも是非。 気功はかっこいいですよ~」
美鈴が今日来た理由はこれであった。美鈴は少し前から弟子が欲しいみたいで悠に白羽の矢をたてていた。
「私も剣術を教えたいです」
妖夢も体を乗り出してきた。悠はなぜ達人と呼ばれる人たちはこんなにも教えたがるのだろうと考えていた。美鈴と妖夢が悠の武術センスの無さに呆れるのはもう少し後の話である。
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