シャンヴリルの黒猫
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33話「スレイプニル (3)」
「しかし、現時点でスレイプニルが人間を敵対視していないと思われるのもまた事実。かの魔獣の撲滅を推奨します」
「問題点がいくつかあるな」
「はい。まず“誰がやるのか”また、“その際出るであろう被害を――」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
ボロ儲けをする予定だったはずの“馬”が、とんだ災厄の塊であると知り、店主は混乱状態にあった。
「…何か?」
「お、俺がどれだけの金をこいつにつぎ込んだと…!」
「ならば死ぬか? 妻子と共に、まわりの人間を道連れに?」
間髪入れずに帰ってきたアシュレイの言葉に、店主がうっと詰まった。クオリが静かに諭した。
「命あっての物種です。暴れる前に正体が分かって良かったと、今は思いましょう」
「……」
いまだ諦めきれない様子ではあったが、店主は緩慢な動きで渋々、頷いた。
「では話はもとに戻りますが…」
「俺がやろう」
「そうですね」
その時完全に置いてきぼりを食らっていたユーゼリアが、やっと再起動した。慌てて会話に割り込む。
「ちょ、ちょっと待って! アッシュがやるなんて、危ないわ!」
「だが事は急を弄する。それに、この中では俺が一番適任だろう。唯一の前衛職だからな」
そう言われるとユーゼリアには何も言い返せなかった。
確かに、今までおとなしかったが、いつなんの拍子で暴れ出すか分からないのだ。被害を最小に留めるには、剣でバッサリといった方が確実だった。
「……わかった」
本当はそんな危険なことはしないで欲しいのだが、そうすればこの先何人に被害が及ぶとも限らない。だだをこねてアシュレイに呆れられるのも嫌だった。
ユーゼリアが口をへの字にしながら了承すると、アシュレイは馬小屋から3人を追い出した。
「クオリ、一応魔法の準備をしておいてほしい。何があるか分からないから」
「分かりました。お気をつけて」
それに頷いて小屋の中に戻ろうとすると、つとコートの端を引っ張られた。
「アッシュ、あの…その……無理は…しないで」
ユーゼリアの、何かを耐えているかのような様子と、僅かに震える握りしめた手に一瞬きょとんとすると、アシュレイは微笑を浮かべ、俯いている頭をぽんぽんと撫でた。
「ぁ…」
覚えのある感覚に顔を上げる、と同時に、髪を今度はぐしゃぐしゃと撫で回された。
「きゃ、ちょっとアッシュ!」
怒って慌てて手櫛で髪を梳いていると、くすりと笑う声がユーゼリアを更に怒らせた。
「自分でやっておいて笑うなんて――!」
「大丈夫。言っただろう? 独りにはしないさ。すぐ戻る」
再び優しげに頭を撫でられると、今度こそアシュレイは小屋の中に入った。
立ち尽くしたユーゼリアに、そっとクオリが寄り添う。まだちょっと乱れているユーゼリアの柔らかな美しい髪を整えながら、クオリは小さく、不安に包まれている銀髪の少女にだけ聞こえる声で言った。
「リアさん、大丈夫です。アッシュさんはお強いですから。わたしなんかより、ずっと。本当ですよ。だから、すぐ帰ってくるに決まってます。だって彼、貴女の護衛なんでしょう?」
「…うん。そうね」
静かに頷いたユーゼリアは、自分にも何かできるかも知れないと、魔法陣を馬小屋前の空き地に描いて、いつ何が起こっても大丈夫なようにスタンバイした。店主は一番離れたところで壁から頭だけを覗かせて、馬小屋の様子をうかがっていた。
――ごくり。
この一帯だけが妙に静かで、後ろの騒がしい市の雑踏が、なんだかユーゼリアには別世界のように感じた。一体誰がこんなところに魔獣がいると考えるだろうか。
何分たったか分からないが、それはちょうど、彼女たちの緊張が頂点に達した瞬間だった。
――ギイィ...
重たい音をたてて、馬小屋の扉が開く。
はっと2人は身構えた。が、すぐあとに見えた人影に、肩の力を抜く。
「アッシュ――…て、きゃああああ!!」
彼に駆け寄ろうとしたユーゼリアは、何かに気づくとズザザザザともといた場所まで後ずさった。クオリも顔を引きつらせて一歩退く。2人の気持ちを、意外なことに店主が、遥か遠いところから叫んだ。
「なんで生きてんだぁ!!?」
アシュレイの後ろにはスレイプニルがその頭を(もちろん鎌は避けるようにして)彼の肩にすりよせていた。アシュレイ自身も困ったような顔をしている。
「いやぁ、なんていうか…………懐かれた」
「うそぉぉおお!!?」
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