魔弾の射手
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第二幕その五
第二幕その五
「ではそろそろはじめるぞ」
水筒を返してもらい、それからマックスに言った。
「ああ」
マックスはそれに頷く。そしてカスパールは彼に対して囁いた。
「まず最初に言っておく。これからのことは誰にも言うな」
マックスにそう念を押した。
「わかった」
「それならいい。もしそれができないのなら忘れろ、いいな」
「ああ」
マックスは頷いた。
「よし」
カスパールはそれを見てようやく作業にかかった。
狩猟袋から次々と取り出す。暗闇の中だというのに手早い。
「まずは鉛だ。そして教会の壊れた窓ガラスを粉にしたもの」
次々に出す。
「そして水銀だ。一度撃って当てた弾」
その弾丸には赤い血が着いている。
「ヤツガシラの右目に山猫の左目。これでよし」
その目は何も語らない。ただガラスの様に輝いているだけである。それ等を全て窯の中に入れた。
「そして次は」
「次は」
「弾への祈祷だ」
「わかった。弾への祈祷だな」
「ああ」
マックスはカスパールに言われるまま彼に従って動きを続ける。
まずカスパールは地面に三回お辞儀をした。そして詠唱した。
「闇を守る狩人よ」
「闇を守る狩人よ」
マックスもそれにならって詠唱する。
「ザミエルよ、偉大なる堕天使よ」
「ザミエルよ、偉大なる堕天使よ」
その名を口にした時マックスの全身に寒気が走った。
恐ろしかった。だが今更にげだすことができないのもわかっていた。
「この夜、魔術が行われる間我を護ってくれ」
「この夜、魔術が行われる間我を護ってくれ」
ここで窯の中が沸騰をはじめた。
マックスはそれを見て驚いた。しかしやはり逃げられはしなかった。
「草と鉛に香油を塗ってくれ」
「草と鉛に香油を塗ってくれ」
「七と九と三を祝福せよ」
「七と九と三を祝福せよ」
窯の沸騰はさらに激しくなる。カスパールはそれに構わず詠唱を続ける。
「弾に威力を与えよ!」
「弾に威力を与えよ!」
窯から白緑色の不気味な光が溢れ出て来た。あたりはさらに暗くなる。窯の火と梟の黄色い目、そして朽ち果てた木の洞の中の青白い鬼火の様な光だけが見える。
「ザミエル、来たれ!」
「ザミエル、来たれ!」
詠唱はそれで終わった。カスパールは窯に手を突っ込んだ。そして弾を取り出す。
「一つ!」
『一つ!』
山彦が繰り返す。谷に棲む無気味な鳥達が降りて来て魔法陣を取り囲んだ。
「二つ!」
『二つ!』
黒い猪が藪の中から出て来てこちらに来た。まるで火の様に爛々と輝く目を持っている巨大な猪であった。
「三つ!」
『三つ!』
嵐が起こった。木の枝が折れ、火の粉が散る。
「四つ!」
『四つ!』
今度は蹄の音がした。鞭の音も轟き、四台の炎の車が通り過ぎた。御者は見えなかった。影に包まれていたからだ。だがそれが異形の者達であることはわかった。
「五つ!」
カスパールの声はさらに恐ろしくなっていく。
『五つ!』
それを繰り返す山彦の声も。まるで怪物の様であった。
天から猟犬の吠える声が聞こえる。そして狩人達が駆ける。暗い天をだ。馬もいた。青白い、炎の鬣を持つ馬であった。その狩人達が叫んでいた。
「山を越えよ、谷を越えよ!」
天にいる筈なのに地の底から聞こえてくるようであった。
「淵や山峡を越え、霧も雲も越えよ!」
明らかに人の声ではなかった。
「空も沼も、裂け目も問題ない。火も岩も我等を阻むことはない。海や空も越えよ!」
「ヨーーーホーーー!ホーーーーー!ホーーーーー!ホーーーーー!」
気味の悪い叫び声まで聴こえてくる。だがそれで終わりではなかった。
「六つ!」
『六つ!』
カスパールの声は続く。彼は周りのことには目はいっていなかった。
空がさらに黒くなる。谷の中を荒れ狂っていた二つの嵐は一つとなり、恐ろしい雷光と雷鳴が轟く。激しい雨、青い火が天と地を覆う。木々は雷に打たれて燃え上がり、嵐やその木や岩を砕き宙に運ぶ。大地も揺れた。
マックスは一歩も動くことができなかった。ただその荒れ狂う様を見るだけであった。そしてカスパールは遂に最後の言葉を叫んだ。
「七つ!」
『七つ!』
それで終わりであった。だがカスパールは最後に絶叫した。
「ザミエル!」
『ザミエル!』
山彦も一緒に絶叫した。嵐が天空に舞い上がり、魔法陣の周りにた者達が消え去った。そして青い炎に包まれた魔界の住人が二人の前に姿を現わした。
「我を再び呼ぶか」
青い炎が消えていく。中から先程カスパールが会っていたあの魔王が姿を現わした。
「ああ」
カスパールはそれに答えた。
「約束通り頼むぞ」
「わかった」
ザミエルはそれに頷くとマックスに顔を向けた。
「そなたか」
「はい」
マックスは青い顔で答えた。
「その弾をカスパールより受け取るがいい」
「わかりました」
彼は答えた。その言葉に従いカスパールから弾を受け取る。
「これでよし」
ザミエルとカスパールは同時にそう言った。だがその表情が異なっていた。
ザミエルは無表情であった。青い顔からは何も読み取れない。だがカスパールは酷薄な笑みを浮かべていた。だがマックスはそれには気がつかなかった。
「さらばだ」
ザミエルはその弾丸がマックスに渡ったのを見届けると姿を消した。それを見たマックスは力尽きたようにその場に倒れ込んだ。
「恐怖に最後まで耐え切ったか。だがそれに力尽きたようだな」
立ち上がったカスパールは彼を見下ろしてそう言った。
「息はあるな。もっともこの程度で死ぬ筈もないが」
マックスは息はしていた。だがその顔は恐怖のせいか蒼白なままであった。
「もっとも今日までの命だ。明日になれば貴様は魔王の下だ」
やはり酷薄な笑みを浮かべていた。
「貴様の愛しい花嫁と共にな。そして俺は」
また姿を現わした月を見上げた。青白い月を。
「また命を授かる。そして永遠に生きるのだ」
月を見上げて笑っていた。その顔は完全に夜の世界の住人のそれであった。
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