メリー=ウイドゥ
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第一幕その九
第一幕その九
四国の者達も秘書も他の客人達も踊る用意を整えていた。しかしダニロだけは相変わらず一人で平気な様子を装って立っているだけであった・
そんな彼にまた秘書が声をかけてきた。
「幾ら何でも主催の方がそれでは」
「僕も自分からは声はかけないよ」
「僕も?」
「いや、失礼」
またハンナをチラリと見てから言い変える。
「僕は、だったね。御免御免」
「それではずっと御一人でおられるおつもりですか?」
「さて、どうしよう」
「どうしようって閣下」
困った顔でダニロに言ってきた。
「あまりそうふざけられてはですな」
「別にふざけてはいないけれど」
「ふざけています」
口が咎めるものになってきていた。
「全く。何を考えておられるのか」
「別におかしなことは考えていないよ」
「それならばです」
さらに言ってきた。
「もう少しですな」
「まあまあ」
ここで何気ないのを装ってハンナがやって来た。
「秘書さんもそんなに怒られることはないではありませんか」
「奥様」
「私はパートナーにですね」
ここでまたダニロを見る。
「私を構わないふりをしておられる方を」
「誰でしょうか」
またダニロはとぼける。
「その方は」
「さあ」
ハンナも負けじととぼけてきた。
「どなたでしょうか」
「誰かわかりませんが意地っ張りのようで」
「全くです」
微かに火花を散らしながら言い合う。
「私としては奥様と踊る権利を」
「私と踊る権利を?」
「一万フランで誰かにお売りしましょう」
「何っ、一万」
「それはまた」
皆それを聞いて動きを止めて口を動かしてきた。
「閣下、本気ですか!?」
「勿論だよ」
笑顔で男爵に答える。
「だからね。心配しないで」
「心配どころじゃないですよ」
男爵は困った顔でそう言い返す。
「また突拍子もない」
「だからいいんじゃないか。そういうのが面白いんだよ」
「私はそうは思いません」
男爵は今度は憮然とした顔で述べてきた。
「そんなものを受け入れる人が」
「やっぱりいないか」
「当然です」
きっぱりとダニロに答える。
「全く。何かと思えば」
「そういえば誰も名乗りをあげないな」
四国の者達まで見回して言う。
「彼等の国では大した額じゃないと思うけれどね。大国なのだろう?」
「大国とかそうした問題ではありませんから」
またダニロに告げる。
「それだけの額を遊びに使うなぞ」
「おや、そういえば」
ダニロはここでまた楽しそうに言う。
「夫人は何処かへ」
「私の妻ならここに」
「いやいや、伯爵夫人だよ」
笑ってそう男爵に言葉を返す。
「ほら、いないね」
「まあ当然でしょうね」
顔を思い切り顰めさせてダニロに対して言ってきた。
「とんでもない侮辱ですから」
「ふん」
「それにです」
彼はさらに言う。
「皆帰っていますよ。場が醒めたから」
「いいじゃないか、静かに眠れる」
「外交的にはとんでもない失敗になりますが」
「いやいや、すぐに挽回できるよ」
しかし彼はこう言って平気な顔をしたままである。
「すぐにでもね」
「だったらいいのですがね」
「あなた」
男爵に妻がそっと囁いてきた。男爵はにこやかな顔になって妻に問う。
「何だい?」
「私達もそろそろ」
「おっとそうだね、それじゃあ」
「それじゃあね」
ダニロの方から彼に別れを告げる。
「また明日」
「今後どうなっても知りませんから」
男爵は去り際にこう釘を刺してきた。
「いいですね、どうなっても」
「どうなってもこうなってもなるがままになるさ」
「貴方も私も更迭されますよ」
「そうならないようにはするさ」
相変わらずの涼しい顔で返す。
「じゃあお休み」
「お休みなさいませ」
ダニロには思いきり剣呑な顔を見せる。しかしその顔は妻に対しては非常ににこやかな顔になるのだから実に不思議なことではある。
「じゃあヴァランシエンヌ」
「ええ」
夫婦仲良く帰る。妻のことには全く気付いていない。
場はあっという間に掃除され整理され奇麗なものになる。ダニロは一人そこに佇んでいたがそこにハンナが不機嫌そのものの顔でやって来た。
ダニロは涼しい顔で彼女を見ている。それからしれっとした顔でこう言ってきた。
「解放されましたよ」
「そうね」
声も不機嫌そのものだった。その声で言う。
「よくもまあこんなことを」
「何かあるのかい?」
「けれどあの時僕と踊るつもりじゃなかったんだよね」
「相手は一人しかいなかったじゃない」
ハンナは憮然としてそう返す。
「しかも一万だなんて。誰も払わないわよ」
「僕はその一万を今この手に持っているよ」
そう言いながらそっとハンナの後ろに来た。そうして彼女の顔を覗き込もうとする。
しかしハンナはその顔をさっと逸らす。まるで遊ぶかのように。
「さて、この一万だけれど」
「演奏は何もないわね」
「演奏は無くても踊れるさ」
ダニロはそう言ってきた。
「そうじゃないかい?」
「では伯爵」
他人行儀に声をかけてきた。
「そのお手を」
「ええ」
ダニロはそっと手を差し出す。ハンナもまた。
何もない、演奏も舞台も何もない場所で踊りだす。ハンナはじっとダニロの顔を見ていた。
「とても酷い人だけれどダンスは相変わらずね」
「一人で踊る機会が多かったからね」
ここで二人は微かに笑い合う。しかしそれはあくまで微かで。まだ本気ではなかった。
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