癖
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第六章
課長もそれで中尉を警戒する様になった、だがそれだけではなかった
「しかしだ」
「しかしですか」
「まだあるのですか」
「奴はサウナを出る時に持っていたタオルで身体中を叩いて回った」
実際にそうしていた。課長がその目で見たものだ。
「それでわかった」
「?それで、ですか」
「奴がソビエトからの工作員とわかったのですか?」
「そのことで」
「そうなのですか」
「日本人はそこで汗を落として水風呂に入る」
課長は日本人がどうするかも話した。
「そしてまたサウナに入るなりして身体はタオルに石鹸をつけてこするな」
「そうして汗を落としますね」
「私達もそうですし」
「俺もそうする」
他ならぬ課長自身もだというのだ。
「俺もサウナでもタオルで身体をこする」
「石鹸をつけて」
「そうしますね」
「奴も石鹸で洗っていたがな」
だがそれでもだったというのだ。
「最初にそうして濡れたタオルで身体中を叩き回っていた」
「サウナから出る時に」
「そうしていたんですか」
「それは何故そうしているかわかるか」
課長の話は核心に入った。
「何故かわかるか」
「ええと、それは」
「何故ですか?」
「何故そうしたのですか?」
「奴は」
「ソビエト、ロシアだな」
ソビエトは国家連合でありロシアもその中の一国、ロシア共和国であるからこの辺りは複雑であると言える。
「あの国はサウナから出る時に葉が多く付いた木の枝で身体中を叩く」
「?変わってますね」
部下の一人はそれを聞いて目をしばたかせた。
「サウナから出る時に身体を叩くのですか」
「そうだ、葉がついた木の枝でな」
「よくわからない風習ですが」
「それで垢を落とすのな」
汗だくになった身体にそうしてだというのだ。
「それがロシアの風呂の入り方だ」
「ううむ、そうだったのですか」
「それがロシアの風呂の入り方ですか」
「風呂の入り方も人それぞれですね」
「また違うのですね」
「そうだ。しかし日本には木の枝がない」
それでだというのだ。
「その代わりにタオルで叩いていた」
「そしてそこでわかったのですね」
「奴が日本人でないと」
「ソビエトの人間である」
「そのことがですか」
「外見は日本人にしか見えず日本語もネイティブと変わりなかった」
しかも方言まで混ぜていた。その辺りは完璧だった。
「仕草も日本の風習についても完璧だった。だが」
「そこで出ましたか」
「ソビエトの風習が」
「そうだ、人は風呂に入るとどうしても開放的になる」
気持ちがそうなるからだ。裸と裸の付き合いという言葉が出来る程にだ。
「奴もそこまではわかっていなかったな」
「そうですか」
「そうだったのですか」
「俺もそれ以外ではわからなかった」
サウナで身体を叩くその姿からだというのだ。
「だがそこで見抜いた、そういうことだ」
「奴もそのことには気付かなかったのですね」
「流石に」
「その様だな。奴は今頃ロシアだ」
そこにいると予想が立てられる。
「あの国でどうしているかな」
「さて。サウナでしょうか」
「そこで何故見破られたか考えているのでしょうか」
「だとすれば面白いな」
課長は己の席で笑って述べた。極めて緻密な中尉のなりすましだったがそれは見事見破られたのだった。
そして彼等がそうした話をしている頃中尉は実際に上官とサウナに入って話をしていた。だがどうして見破られたのかわからずに。
ぼやく顔で言うのだった。
「全く。どうして見破られたのか」
「わからないか」
「はい、それがわからない限り日本に潜伏することは難しい様です」
こう言うのだった。そしてサウナを出る時に葉のついた木の枝で身体を叩いて垢を落とした、彼にとっても上官にとってもこれは自然のことであり何も妙に思うことではなかった。
癖 完
2012・11・2
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