癖
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第三章
彼等は中尉への調査をはじめた。それはすぐに前原も気付き彼は表情を曇らせて中尉に対して囁いた。
「まずいですよ」
「公安がですね」
「はい、貴方のことに気付いた模様です」
「何、大丈夫です」
中尉はその彼に確かな顔で答えた。
「私のこの容姿ですが」
「日本人にしか見えませんね」
「おそらくタタールの血が入っているのでしょう」
自分でもこう言う。ロシア、ソ連はモンゴルの支配下にあった時期が長くその時にモンゴル人の血がかなり入っているのだ。
中尉はその歴史的経緯に己の容姿のことを見て言うのだった。
「ですからこの顔です」
「日本人にしか見えないと」
「日本人とタタール人は近いです」
アジア系の中では日本人に最も似ているのはモンゴル人だと言われることが多い。
「ですから」
「ばれないですね」
「例え戸籍が怪しまれても」
精巧に作ってある、だが公安がそれに疑念を持ってもだというのだ。
「私のこの容姿、そして言葉や振る舞いを見れば」
「中尉がソ連人とは思わないですね」
「誰もです」
まさにそうだというのだ。
「ただ戸籍が怪しい、私が怪しいと思うだけでしょう」
「それだけですね」
「怪しいと確信は違います」
そこには歴然とした差があるというのだ。
「ですからご安心下さい」
「公安のマークがあっても」
「私がソ連人であるということは誰にもわかりません」
こう言って前原を安心させた。確かに公安のマークは厳しかった。
だが前原は品性や実際の政策や国際情勢へのビジョンはともかく保身には長けている人物で公安の捜査にも決定的な証拠は残していなかった。それに中尉もだ。
完璧に日本人として振舞っていた。公安も打つ手がないように見えた。
だがここで部下の一人が課長にこう言った。
「大神ですがサウナが好きですね」
「サウナがか」
「はい、毎日入っています」
「サウナ、だな」
課長はここであることを察した。
「我が国の風呂は湯だ」
「蒸し風呂が昔からあってもですね」
「江戸時代から風呂は主に湯の風呂のことを言った」
「サウナではありませんね」
「それでもサウナに入っているか」
「毎日です」
「ソ連はサウナだ」
課長はこのことを部下に言ってみせた。
「湯の風呂ではない」
「ではまさか」
「大神の戸籍だが」
「それが妙でして」
「偽造か」
「詳しく調べたのですが戸籍謄本がない様です」
「ないか」
「奴の本籍地の地元の役場に聞いてみたのですが」
密かにそうしたというのだ。
「もっとも公安の立場を明かさずしかも戸籍謄本ですので」
「渡してくれなかったな」
「あれはそう簡単には渡してくれません」
例え本人でもだ。役場は抄本なら出してくれるが謄本は大抵何があっても出そうとしないのだ。
公安だと出してもかえって駄目だ。謄本だけはそれを言えば何処からか公権力の横暴と批判されかねない、だから公安もこのことは中々調べられなかった。
だが調べた限りでは、というのだ。
「本籍地に大神という名前の家はなく」
「ふむ」
「奴の出身大学は前原代議士と同じでして」
「経歴の偽造も可能か」
「はい、ですから」
「顔はアジア系だがな」
課長は部下達の話を聞きながらこう考えていった。
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