スペードの女王
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第一幕その七
第一幕その七
「どう、いいでしょ」
「ええ」
リーザはにこりと笑って頷く。
「これはロシア語なのね」
「そうよ。ロシアの詩だっていいでしょ」
「そうね」
「フランスのばかりだと。何か飽きちゃうから」
とにかくこの時代のロシア貴族はフランス文化ばかり見ていた。西欧文化への憧れはピョートル大帝以来だがこの時代はエカテリーナ二世がそもそもフランス文化を偏愛していたので自然とそうなっていた。これは今でも変わらずとかくロシアという国はフランス文化を偏愛し国が落ち着くとフランスと仲良くしたがる。政治的な理由が多分にあるがロシアがフランスを好きなのは事実である。ちなみにアメリカや中国、日本、トルコ、イギリスといった国は嫌いであり徹底的な態度を取る。これもまたロシアである。
「ロマンスだってあるのよ」
ポリーナはさらに言う。
「バーシュシコフの詩でね」
「ロシアのね」
「そうよ。それはね」
「歌ってくれるの?」
周りの女友達も彼女に視線を集めてきた。
「じゃあ歌って」
「是非」
「わかったわ。じゃあ」
ポリーナはそれを受けて立ち上がった。そして歌いはじめる。
「いとしい女友達よ、無邪気な貴女は」
「いい歌よね」
「そうね。私達も」
「リーザも立って」
皆立ち上がりはじめた。リーザもそれに誘われる。
「民謡よ、民謡」
「ロシアのね」
「たまにはフランスの気取った歌を忘れて」
「楽しいロシアの歌を歌いましょうよ」
「いいわね」
ポリーナも笑顔でそれに応えた。
「じゃあ皆で」
「お尻の下に両方の手を入れて」
本当にその仕草をする。
「軽いステップでね」
「一、二、一、二」
「リズムを取って」
軽やかな笑顔で言い合う。
「ママが尋ねたら楽しいって」
「叔母さんに尋ねられたら飲んでいるのって」
歌詞を口ずさむ。
「そして楽しく踊って」
「女の子同士で賑やかにね」
踊りはじめる。だがそこにえらくキザな服装にキザな顔立ちの女がやって来た。女でもかなりキザでしかも一目見ただけでえらく高慢で鼻持ちならない人物であるのがわかる。かなり性格が悪そうであった。
「皆さん、何をしているのですか」
彼女はいきなりおかんむりといった様子であった。
「あっ、先生」
リーザは彼女を見て先生と呼んだ。リーザの家の音楽の先生なのである。フランスからわざわざ呼んでいる人である。
「ロシアの歌に踊りだなんて。はしたない」
「御免なさい」
先生に怒られて皆しょげかえる。当時は何事もフランスがもっとも素晴らしくロシアは野蛮だと考えられていたのである。少なくともこの先生はそうであった。
「いつも上品に、エレガントに」
「はい」
自分達のベルサイユ宮殿があちこち糞尿まみれだったのは言わない。
「社会常識をわきまえて、そしておしとやかに」
「わかりました」
フランス貴族の浮気、不倫三昧も言わない。これは国王が率先してやっていても。
「淑女には馬鹿騒ぎは不釣合いです。宜しいですね」
「じゃあ何がよいのですか?」
「決まっているではありませんか」
思いきりふんぞりかえって言い出した。
「フランスの歌と踊りこそが最高なのです」
「フランスが」
「そう、フランスです」
オーストリアなどとは口が裂けても言わない。
「何もかも。宜しいですね」
「じゃあ民謡は」
「もっての他です」
きっぱりと言い切る。
「民謡なぞは貴族のものではありません。宜しいですね」
「はあ」
「では今日はこれまで」
先生は言った。
「皆さん、お家へ帰りましょうね」
「わかりました。じゃあリーザ」
「また明日ね」
「ええ。また」
「私もね」
「ええ」
こうして皆帰って行く。先生は彼女達を見送りに行き残ったのはリーザとポリーナだけになったのであった。広い部屋に二人だけとなった。
「ねえリーザ」
ポリーナは二人になると彼女に声をかけてきた。
「何?」
「今日はどうしたの?」
怪訝な顔をして彼女に問う。
「何かおかしいけれど」
「別に」
だがリーザはそれは言わなかった。俯いて黙ってしまう。
「今日は公爵様とお祝いに言ったのよね」
「ええ」
「それでそんな顔になって。どうしたのよ」
「だから別に」
それでもリーザは言おうとはしない。従姉妹であるポリーナに対しても。
「言えないのね。じゃあいいわ」
彼女を気遣ってそれ以上は尋ねはしなかった。
「また明日会いましょう」
「ええ」
ポリーナもまた屋敷を後にした。そして自分の部屋へと戻る。フランス風の装飾で飾られた部屋であった。この装飾は自分でしたのではない。あの音楽教師の教えである。まずエレガントさは普段の生活からと言ってこうしたのである。彼女は何でもかんでも自国の文化を一番だと思っている。だからリーザに対してもそう教えていた。フランス人らしいといえばらしく、嫌味と言えば嫌味であった。
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