売られた花嫁
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第二幕その三
第二幕その三
その頃イェニークは先程の酒場でケツァルと二人で話していた。仲間達とは別れ彼等は今はもう別の場所に楽しくやっている。
「ケツァルさんと仰いましたね」
「はい」
二人はテーブルに向かい合って座っている。酒も食べ物もなく話に専念していた。
「僕に用件とは」
「他でもありません。貴方の恋人のことですが」
イェニークはそれを聞いておおよそのことは見当がついた。だがそれは顔には出さなかった。
「それが何か」
「いえね、お願いがありまして」
「はい」
「別れて頂けないでしょうか」
「面白いことを仰いますね」
イェニークはそれを聞いて不機嫌な顔を作った。
「一体何の権限があって僕にそう言われるのか」
「権限ですか」
「ええ。大体貴方は何者ですか?」
「私?結婚仲介人ですよ」
「ああ、礼金を謝礼としておられるのですね」
「左様。以後お見知りおきを」
そう言って頭を垂れる。
「宜しくお願いします」
「残念ですが僕は貴方のお世話にはならないでしょう」
「何故ですか?」
「僕はもう決めた人がいるからです。それがマジェンカです」
「つまり断る気はないと」
「ええ」
「どうしても」
「どうしても、です」
彼は強い声でそう答えた。
「左様ですか。ふむ」
ケツァルはここでビールを注文した。
「喉が渇きましたな。ご一緒にどうですか」
「貴方のおごりですか」
「勿論です。私がお話している立場なのですから」
商売人としてのツボは押さえている。ここは彼をおごることにした。
「ささ、どうぞどうぞ」
黒ビールが運ばれてきた。二人は杯を打ち合ってからそれを飲んだ。濃厚なビールの味と香りが二人の口の中を支配した。
「美味いですな」
「ええ。ここの店のビールは評判なんですよ」
イェニークはそれに答えた。
「美味しいとね。それでは話を続けましょうか」
「ええ。彼女は約束したのですよ」
「彼女が約束したのではないでしょう?」
「ま、まあそれはね」
ケツァルはイェニークのその言葉に戸惑いながらも答える。
「彼女の両親がですよ。あと花婿の両親が」
「花婿の両親は誰ですか?」
「ミーハさんです」
「ミーハ?ああ、あの二人ですね」
イェニークはそれを聞いて表面上は何もなかったように頷いた。だが心の中では笑っていた。
ケツァルは非常に用心深く見ていれば彼の顔が僅かに変化したことに気付いたであろう。だが残念なことに彼は別のことを考えていてそれには気付かなかった。
「御存知ですか?」
「名前だけはね。確かこの村で一番の長者さんです」
「はい、その通りです。そのミーハさんと約束したのですよ」
「何と?」
「彼女とミーハさんの息子を結婚させるとね。ほら」
そう言いながら懐から契約書を出してきた。
「あ、貴方字は読めますか?」
「ええ」
イェニークはそれに頷いた。
「ふむ」
そしてその契約書を読みはじめた。確かにそこにはクルシナの娘とミーハの息子を結婚させるとある。確かにそう書かれていた。
「確かに書いてありますね」
「はい。クルシナさんの娘さんとミーハさんの息子さんですね。確かに」
「クルシナさんの娘さんはマジェンカさんお一人ですね」
「ええ」
「そしてミーハさんの息子さんはあのヴァシェク君だけ」
「あれ」
だがここでイェニークは思わせぶりに笑いながら首を傾げてみせた。
「何か不都合でも?」
「いえいえ」
だがイェニークは左手を横に振ってそれを否定した。
「何もありません。お気になさらずに」
「そうですか。それで宜しいですね」
「まあそうでしょうね。それでですね」
「はい」
「そのヴァシェク君は一体どのような若者ですか?」
「気のいい若者ですよ」
ケツァルはそう答えた。
「性格はね。かなりいいです」
嘘は言ってはいなかった。だが肝心な部分は何一つ言っていないのである。こうした話の常ではある。そうしたところでも彼は商売人であった。
「そうですか」
「ええ。彼のことは御存知ない」
「そうですね」
イェニークは答えた。
「名前だけは聞いたことがありますけれど」
彼もまた肝心なことは言わなかった。イェニークはケツァルのそれには気付いていたがケツァルはイェニークのそれには気付いてはいなかった。これが大きな差であった。
「左様ですか。では本題に入りましょう」
「はい」
二人はビールをまた飲んだ後で話を再開した。
「それでですね」
「はい」
「彼女と別れてはくれませんか」
「ミーハさんとこの息子さんと結婚させる為ですね」
「そうです。おわかりになられましたか」
「一応は。ですが」
「貴方はまだお若い。相手なぞ幾らでもおりますよ」
彼はそう言ってイェニークを宥めにかかった。
「それにそれだけ男前なのですから」
「男は顔じゃありませんよ」
イェニークは笑ってそのお世辞に返した。
「男は心ですよ。真心です」
「いや、お金ですよ」
「お金なんてものはね」
彼は言った。
「ちょっと頭を使えば幾らでも手に入りますから」
「強気ですな」
「それが世の中というものです。さて」
「はい」
ケツァルは彼に顔を向けた。
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