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東方調酒録

作者:コチョウ
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閑話 ミノムシは瓶の中

 川辺の枯草を押し退け、蕾を開き始めた新草が月に照らされる時刻、近くにあるバー、『バッカス』は未だに開店をしていなかった。店内では無精ひげを蓄えた店主、月見里 悠が着崩したワイシャツの上にブラウンのトレンチコートを羽織り、カウンターに置いてあった白い布に巻かれたウィスキーをトレンチコートの右ポケットに突っ込んだ。その後四角いガラス瓶とひと束の藁を手に持ってドアを開けた。風が内側に吹き込み顔にかかる。トレンチコートが少しだけ吹き上がり、手に持った藁が風で揺れた。季節は桜がそろそろ咲きそうな季節となるが風はまだ少し冷たい。風の流れに任せてドアを閉めて悠は魔法の森の方角に向かって右手に歩き始めた。コンクリートの道路と違う柔らかい道の感覚を確かめながら歩くと魔法の森の手前の一軒の建物に辿り着く。古道具屋の香霖堂である。悠はドアを叩き返事を待たずに中に入った。蝋燭が照らされた店内に影が一つあった。その蝋燭の近くで本を読んでいたモノが顔に影をつくりながらこちらに目を向けた。銀色の髪にアホ毛が一つ、下に黒ぶちのついた楕円形のメガネをした知的な男性だった。服装は洋服と和服を合わせたようなもので、黒と青の二色を中心とするものである。男の名前を森近 霖之助といった。この店の店主である。
「やあ、いい夜だね」
霖之助が読んでいた本を机に置いて言った。月のことを言ってるのだろう。今日は月が綺麗であった。
「まだ少し肌寒いよ」
悠が入口の近くに立ったまま言った。妖怪と人間のハーフである霖之助が感じる気温と悠が感じる気温は一緒であるかは定かではない。そうかと霖之助は呟き、席を立ち蝋燭を吹き消した。途端に外の方が明るくなり、霖之助の顔は見えなくなった。
「それじゃあ、 行こうか」
近くで声がした。霖之助が入口の近くまで来ていたのであろう。ああっと悠は答え、二人で風が冷たい外に出た。

 ――「なぜ藁を持っているんだ?」
霖之助が聞いた。
「捕まえたいモノがいてね、 この前見つけたんだ。 この近くだったからもしかしたら又出会えるかなと思って」
「妖怪かい?」
「たぶん……」
「危ないのは勘弁だよ」
悠が霖之助に四角いガラス瓶を見せた。
「これに入るモノだから、 危険はないと思う。 この前も大丈夫だったし」
霖之助はガラス瓶を見て、妖精か何かか?変わった趣味だなと付け加えた。

 悠と霖之助は二人並んで歩いていた。場所は魔法の森の近くである。悠は魔法の森の胞子には耐えられないので、中には滅多に踏み入れない。今回の二人の目的も森の中にはないのでその周辺の捜索になる。二人は偶に方向を確かめ合ったり、思い出したように何か一言二言話すだけで、基本的には静かに歩いていた。聞こえてくるのは川のせせらぎと鳥の声と風が草木をなでる音のみである。草を踏むと新緑の匂いがしてくる。今はそのにおいでさえ邪魔であった。今悠は鼻に全神経を集中させている。かすかに匂ってくる香ばしい香りを懸命に掴んでいた。その時、悠の持っていた藁に何かが落ち、青とも緑ともつかない炎が燃え上がった。全く熱くない炎である。霖之助は驚いた様子でもなくそれを見ていた。悠はすこし喜び、ビンの蓋を開け藁ごとその炎を中に入れた。
「それはミノムシだね」
霖之助が言った。
「ホタルみたいなものだと思ってたけど、 やっぱり虫なんだね?」
「正確には妖怪だね」
悠が眼の位置までビンを持ち上げて中を覗き込んだ。幻想的な色である。藁が燃えてなくなっているように見えるが、よく見ると虫が食べていた。目が黒い点で、結構愛らしい虫であった。
「ミノはないけど……」
「ミノは体に羽織る蓑のことだ。 よく雨の日に蓑を羽織って外に出るとこいつらに蓑を全部食べられてしまうだよ。迷惑な虫だったが、最近はめっきり見なくなった。 未だにいたのだな」
霖之助も瓶を覗き込んだ。ミノムシはお腹が空いているようで、藁がものすごい勢いで減っていく。
「で、どうするんだコイツ?」
 霖之助がビンを突っついた。炎が少し揺れた。驚いたのだろう。
「飼うつもりだ。 店に置いたら綺麗かなと思って」
「良いかもしれないな」
霖之助が賛同した。悠達はミノムシを明りに歩き始めた。なかなか便利である。
「そろそろだな」
「もうすぐだ」
ほぼ同時に言った。匂いは強くなり、明かりが見えてきた。森が開いて、屋台が一つあった。赤い提灯に『八目うなぎ』と書かれている。二人が探していたものであった。

 二人が屋台に着くと、割烹着を着たミスティア・ローレライが声をかけた。
「いらっしゃい、 寒いでしょ? ささ、座って、座って~」
夜の森を引きただせる美しい声であった。悠はよくここに来る。ミスティアが「鳥目にしなくても自分から来る人間は君だけだよ」と言ってたくらいだ。
「おそい!」
屋台の左一番端の席に座っていた藤原 妹紅が机に肩肘つけながら低い声で言った。白く地面まで着きそうな長い髪が風で少し揺れていた。
「すまん」
悠が謝りながら、妹紅の横に座った。ミノムシは横に置いた。「あら、めずらしい」とミスティアが言った。
「あなたの時間は無限でしょ?」
霖之助がそう言いながら悠の横に座った。
「おなかの時間は有限なんだよ」
二人が来るまで妹紅はけなげに待っていたらしい。先に食べてもいいものをと悠は内心思っていた。
「とりあえずは串焼きと雀酒、 あっと僕は一口だけね」
悠がそう注文した。雀酒はミスティアが復活させた伝説の酒で、味は最高だが、多く飲むと次の日は一日踊ることとなる。
「僕も同じもので」
「私も同じもの。 雀酒はいつもどおりね」
妹紅は雀酒には耐性があるらしい。悠は常々うらやましいと思っていた。
「はい、 少し待ってね~」
そう言ってミスティアは八目うなぎを焼き続けた。団扇と共にミスティアの羽も動いていた。なかなか効率がいいなと悠は考えていた。団扇の風に乗ってくる甘たれの香りは腹を刺激する。妹紅はよくこの状況を耐えたものだと感心をする。
「はい、 おまたせ~」
 三人の前に串焼きと雀酒が並んだ。三人はとりあえず乾杯のように大きさが違う酒杯を合わせた。祝うこともないので無言であった。目だけは合わせて一緒に飲める嬉しさを確かめた。悠はそのまま雀酒は飲まず、串焼きを甘タレをこぼさないように口にはこんだ。温かい湯気とともに口の中に焼けた甘タレの香りが広がる。そのまま少し歯ごたえのある八目うなぎを噛むと豊富な脂身がタレと混ざって口の中を満たす。臭みは消され、レバーのような味が強くもなく、少なくもなく引き出せれている。それを飲み込んだのち、味が残っているうちに雀酒を口に流し込むと香ばしさとタレの余韻が酒の米の甘さ、コクと合わさって蘇ってくる。鼻から息を吸い込むと口の中は何とも表現できない状況となる。
「うまい……」
何度食べてもそれしか言えないのだった。霖之助はゆっくりと酒を飲んでいた。妹紅はすでに食べ終わり、酒もそこをついていたので、新しいのを注文していた。お腹が空いていたのであろう。

 三人はその後、おでんや純米大吟醸、悠が持ってきたウィスキーを愉しんでいた。この三人は騒ぐことはしない。誰かが話題を出し、それについてに二三話すだけで、会話の多いわけでもない。ただ一緒に肩を並べて酒を飲むだけである。ミスティアの話を聞き、静かな夜で冷たい風に当たりながら息の詰まらない友人と飲む酒は悠にとっては心の洗われるひと時となっている。横に置かれた瓶に入っているミノムシは満腹になっているようで、淡い光を発していた。
 
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