銀河英雄伝説~その海賊は銀河を駆け抜ける
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第三十一話 ドラクール
帝国暦 489年 7月24日 フェザーン エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
全く、何処に居ても仕事は無くならないな。フェザーン制圧から十日間……、この十日間は嫌になるほど忙しかった。フェザーンの治安維持と日常生活の回復、同盟市民の返還、経済活動の再開、まあそれも後一週間だ。一週間もすればミッターマイヤーとロイエンタールがやってくる。あの二人に引き継いで俺はフェザーンをおさらばだ。
案の定だがレベロが株の事でグズグズ文句を言ってきた。帝国人が同盟の企業の株を持つのは許されないんだそうだ。同盟政府に返せだの無効にするだのふざけた事を言いだしたから償還期限の過ぎた国債五千億ディナールをフェザーンでばら撒くぞって言って黙らせた。
同盟はもうすぐ滅ぶ。レベロだってそれは分かっているはずだ。そんな状況で株を返せだの無効にするだのって何考えてるんだか……。そんな事よりもやる事が有るだろう、講和条件の作成とかな。そのなかで同盟市民の権利の保障をどうするかとか考えるべきなのに……。
株なんて帝国人の俺が持っていた方が却って良いんだ。その方が企業に対する保障になる、特に軍事産業なんかはその傾向が有る。その辺りの事もレベロに言ったんだが周囲が五月蠅いらしい、困ったもんだ。
もう一方の帝国はすんなり認めてきたな。まあ面白くは無いが仕方がない、ラインハルトの表情を見るとそんなところだな。やっぱり帝国は余裕が有る、それにボルテックあたりが俺を利用した方が良いとアドバイスしたのかもしれない。統一後の事をラインハルトも考えているようだ。この辺りは良い感じだな。
各企業には慌てることなく通常業務をこなすようにと伝えたが、まあ戸惑っているだろうな。問題はこれからだ、特に兵器生産をしている企業だな。今は戦争中だから景気が良いだろう、しかし宇宙が統一されれば兵器生産は需要が減るはずだ。これからは企業の主力分野を軍需から民需に切り替える必要が有る。その辺りを考えなければならない。一つ間違うと経営が傾きかねん、頭の痛い話だ。
原作だと経済面の記述が少ないんだよな、おかげであんまり参考に出来る事が無い。でも俺が思うにラインハルトは新帝国経営に失敗したと考えている。理由は新領土の統治方法だ。新領土総督なんて置くべきじゃなかった。旧自由惑星同盟領の政治軍事を統括させるだなんて、それじゃ帝国本土との交流を自ら断ったに等しい。
おそらくラインハルトは民主共和政であった同盟領は帝国本土とは政治風土が違うとして一緒に扱う事を躊躇ったのだろう。改革派の文官達も直接統治を望まなかったかもしれない。何と言っても社会福祉や市民の権利の保障については同盟側の方が帝国よりも進んでいた。リヒターやブラッケ達にとって同盟領は改革をするという面白味の無い土地に見えた可能性が有る。
逆なんだ、政治風土が違うからこそ経済的な結合を図るべきだった。統治方法はある程度ケース・バイ・ケースで良い。しかし経済的に結合する事で帝国に所属していると自覚させるべきだった。そのためには皇帝の直轄領とするべきだったんだ。その方が同盟市民に対しても皇帝が自分達に関心を持っているという意識を持たせられたはずだ。市民の中にはそんなラインハルトに対して好感を持つ人間も現れただろう。
文官達もラインハルトが関心を持っているとなれば自然と関心を持ったはずだ。そうなれば帝国の政策も経済交流を促進させるようなものになった可能性が有る。新領土総督なんて作ったら市民からは部下に任せて自分は無関心かと不満が出ただろうし文官達からも俺には関係ないとそっぽを向かれただろう。
百五十年間戦争をしていた、交流は全くなかった。その所為で帝国、同盟両国の人間に交流を図ると言う考えが希薄になっていた。その手の意識が有るのはフェザーン人なのだがフェザーン人は帝国でも同盟でも拝金主義者と蔑まれ信用が無い。その所為で新帝国統治に関われなかった。経済的な結合は図れずじまいだっただろう……。ラインハルト崩御後のヒルダは苦労しただろうな、彼女も経済に関しては関心が低い、帝国は本当の意味で一つになれたのかどうか……。
「親っさん、どうされました、難しい御顔をされて」
「……テオドラ」
誰かと思えばドミニク・サン・ピエールだった。もっとも俺がテオドラの名前を贈った以上、黒姫一家ではテオドラ以外の呼び名は許されない。彼女は俺の執務机の前に立っている。ちなみに俺が今居るのは自治御領主府の執務室だ。元々はルビンスキーの仕事部屋だな。以前もこんな風にルビンスキーの前に立ったのかな。
「悩み多き年頃なんです」
俺の言葉にテオドラが微かに苦笑を漏らした。
「おかしな話ですね、今宇宙で親っさん程満足されている方は居ないと思っていましたけど」
今度は俺が苦笑した。
「今は良いですけどね、一年後には地獄になる」
「……地獄、ですか」
「ええ、……私の心配が何か、分かりますか?」
俺の問いかけにテオドラが少し考えてから頷いた。
「……一年後には宇宙は統一され戦争が無くなります。しかし企業は戦争を前提にした企業活動を行っている。このままでは利益を上げられなくなる……、違いますか?」
テオドラは分かっている……。
「その通り、企業は何を作り何を売るべきなのか、生き残る道を探さなくてはならない」
戦争は膨大な物資を消費する。人が死ぬことを除けば企業にとっては大変有難い国家事業と言って良い。その国家事業が百五十年続いた、企業はどっぷり戦争に漬かっている、それによって利益を出してきた。企業の事業計画は戦争有りきのものだろう。だがそれが通用しなくなる……。
テオドラが思慮深げな目をしている。
「帝国も同盟も大変ですね」
「どちらかといえば同盟の方が厳しいでしょうね。統一されれば軍が解体されることになります。失業者があふれる事になる、そこに軍事産業の不振……。景気悪化は避けられない」
「なるほど……」
同盟の企業は現時点でも不景気感を感じているはずだ。何と言っても宇宙艦隊が二個艦隊しかない、大口ユーザーが帝国領侵攻以来激減しているのだ。宇宙艦隊の再建は国防問題だけじゃない、経済問題でもあるだろう。だが統一後はそれがゼロになる……。
「大規模な経済振興策、景気高揚策が必要になるでしょう」
俺の言葉にテオドラが首を傾げた。
「ローエングラム公はその辺りを理解しているのでしょうか」
うーん、そうだよな、その辺りがどうも頼りないんだ。
「ボルテック弁務官は理解していると思いますが……」
理解はしているだろうが彼はフェザーン人なんだよな。ラインハルトに対する影響力は決して大きくは無いだろう。バックアップする必要が有るだろうしリヒターやブラッケにも声をかける必要が有る。ウチの中でも対策チームを作るか……、トップはテオドラが良いかな。後でアンシュッツと相談してみるか……。
「困ったものですね、頂点になる人が理解していないと言うのは」
テオドラが苦笑している。俺も笑いたかったが真面目に答えた。
「良いのですよ、理解していなくても。頂点に立つ人は目標を示せば良い。色々な問題は周囲の気付いた人間が対策を考えてトップに示せば良いんです。頂点が問題を理解してしまうと困難さを感じて目標が小さくなる。それでは詰まらない、そうでしょう?」
テオドラの苦笑が更に大きくなった。
「親っさんの欠点が分かりましたわ」
「……」
「ローエングラム公に甘い事です。トップを甘やかすのは良くありませんわね」
「……宇宙を統一して新しい王朝を作ろうなんて突拍子もない事を考えるのは彼ぐらいのものです。楽しませてくれるんですから少しぐらい甘くても良いでしょう。そう思いませんか?」
テオドラがクスクスと笑いだした。
「向こうは親っさんの事を必ずしも好んではいないようですが」
「素直じゃないんです、まだ大人になりきれない、子供なのですよ」
「まあ」
「だからついつい構いたくなる、可愛いですからね」
テオドラが今度は声を上げて笑い出した。
「困ったものですわね」
「ええ、困ったものです」
「ローエングラム公も親っさんも、二人とも子供で。しかも二人ともその事に気付いていない、本当に困ったものですわ」
「……」
さて、景気の悪い話ばかりしていると気が滅入るな。気分転換に外にでも出てみるか……。せっかくフェザーンに来たんだ、あそこに行ってみよう……。
帝国暦 489年 7月24日 フェザーン ドラクール ボリス・コーネフ
「ようマスター、景気はどうだい」
本気で問い掛けたわけではない、ここには三日と空けずに通っている。俺の問いかけにマスターは肩を竦める仕草をした。分かっているだろう、そんなところかな。
「あんまり良くないな。日々客が減っている。あんたが酔って管を巻いていたのが懐かしいよ。あの時は大勢いたからな」
「悪かったな、管を巻いて」
黒姫が攻めてきた時の事だな。口の悪い親父だ。俺が顔を顰めると微かに笑みを浮かべた、口だけじゃなく性格も悪い。
店には古い歌謡曲が流れていた。十年前に人気のあった歌手の歌だ。だが余り人のいない店にはその曲が良く似合っていた。振付の華やかな賑やかな曲、いや似合っていないのか……。カウンター席に座りブラックルシアンを頼む。マスターは黙ってウォッカとコーヒーリキュールを用意した。
曲が変わった頃、ブラックルシアンが出てきた。次も同じ歌手の歌だ、ずっとこいつの曲が続くのだろう。一口飲む、コーヒーリキュールの香りが鼻腔をくすぐる……。
「独立は諦めたのかい、コーネフ船長」
嫌味かと思ったがそうでもない様だ。こっちに向けた視線には棘も無ければ冷やかしの色も無い。
「……難しいな。……黒姫の奴、銀行と輸送会社を押さえちまってる。それにエネルギー会社もだ。おまけに帝国と同盟のデカいところも押さえてるんだ。下手に逆らうと簡単に潰されるだろう、えげつない野郎だよ……。皆現状に不満は有るがどうしようもない、そんなところかな」
俺の言葉にマスターが頷いている。もっとも俺の言った事など既に他の誰かから聞いて知っていただろう。
同盟のレベロ議長も黒姫には及び腰だ。黒姫が取得した株を無効にするかと思ったが結局は何もしなかった。ヴァンフリート割譲条約も破棄していない。同盟がもたない事は皆が分かっている。同盟政府は黒姫を怒らせて同盟滅亡後に報復を受けるのを恐れているらしい。イゼルローン要塞を攻略しフェザーンを占領した黒姫はローエングラム公以上に危険視されている。
「ここに帝国が都を遷すって話は聞いているか?」
マスターがボソボソと話しかけてきた。
「ああ聞いている。その事も皆の士気を挫いてるよ。ここが帝都になるなら今以上に繁栄するだろうってな」
俺の言葉にマスターが黙って頷いた。
なんとも遣り切れない思いだ、……溜息が出た。ブラックルシアンをもう一口飲む。……失敗だったな、他の奴を頼めばよかった。甘い香りが切なくなる……。音楽も良くない、昔を思い出すぜ、古き良き時代を……。
「ボルテックも帝国に付いちまったしな」
「ああ、新帝国が出来たら尚書閣下と呼ばれるらしい、目出度い事だ」
マスターの言う通り、全く目出度い話だ。ボルテックは帝国に寝返りルビンスキーは黒姫に捕まった。ルビンスキーは愛人に愛想尽かしされていたらしい、しかも噂じゃ一年以上前からだとか。全く情けない話だぜ。黒狐なんて呼ばれていたが何の役にも立たない、あんなのがフェザーンの自治領主とは……。滅びるのも当然か……。
店の中を見回した。まだ早い時間の所為だろう、客はそれほど多くない。店の中は壁際にはテーブルとイス、中央にはカフェテーブルが十個置かれている。十人程いる客が二、三人ずつカフェテーブルで飲んでいるだけだ。腰を落ち着けて飲む客ではない、一杯ひっかけて直ぐ出て行くのだろう。
「マスター、見かけない奴ばかりだな」
「最近来るようになった。帝国辺境の訛りが有る」
「じゃあ……」
マスターが頷いた、黒姫一家の連中か……。まさか俺達を探っている? さっきまでの会話の内容を思い返した。拙い事を喋ったか、いや音楽もかかっている、大丈夫だ……。
「スパイか?」
小声で話しかけるとマスターがフッと笑った。笑いごとじゃないんだがな。
「いや、ただの客だ、安心していい。あんたが来るちょっと前に来た」
「全員?」
マスターが頷く。安心して良いと言われても落ち着かない。その内“ちょっと良いですか”なんて強面の海賊に腕を取られて連れ去られそうな気がする。そうなったら生きて帰って来られるかどうか……。
「悪い客じゃないさ、大人しく飲むだけだからな。海賊の悪口を言っても多少の事なら知らん振りをしているよ。だがしつこくするなよ、二日前、それが原因で若い連中とトラブルになった」
「それで」
俺の問いかけにマスターが微かに笑みを浮かべた。
「ブラスターを喉に突きつけて終わりさ。……喧嘩はするな、どうしてもやるときは必ず殺せ、黒姫にそう言われているらしい。若い連中が慌てて詫びを入れて終わった。それ以来連中にちょっかいを出す奴はいない」
「怖い連中だな」
マスターが肩を竦めた。
店にまた一人客が入って来た。こいつも見ない顔だ、小柄でまだ若い、サングラスをかけている。店の中を見渡していたが俺の方に向かって歩き出した。武装している、レッグホルスターにブラスターが見えた。どうやら海賊らしい。まさか、俺を捕まえに来たんじゃないよな。マスターを見たが彼も困惑している。
「隣、良いですか」
柔らかく温かみを帯びた声だ、一瞬だが女かと思った。席は他にも空いている、それをわざわざ俺の隣に来た……。帰りたくなったが今席を立ったら不自然だ、もう少しここに居るしかない。
「どうぞ」
「どうも、では失礼します」
俺が応えると男は礼を言ってから隣に座った。礼儀正しい男だがその事が余計に不気味さを感じさせた。男は店の中を興味深そうに見ている、酒場が珍しいのだろうか? 慣れていないのかもしれない。男の言葉に訛りが無かった事に気付いた、海賊じゃない? だから俺の隣に来たのだろうか、海賊なら仲間の所に行くはずだ。
「黒姫一家の人、じゃないよな?」
「いえ、黒姫一家の人間ですよ」
一縷の希望も虚しく潰えた。あの連中と同じか、どうして連中の所に行かないんだ、そう思って視線をカフェテーブルの有る店の中央に向けた。はて、なんかこっちを見ている奴が居るな、さりげなく視線を外している。やっぱり狙いは俺か?
「お客さん、お飲み物は?」
「……ミルクを、氷を入れてください」
「……」
その言葉にマスターが呆れた様な顔をした。ま、ここでミルクは無いよな。半分自棄だ、言ってやるか。
「ここは酒場だぜ、ミルクは無いだろう」
俺の言葉に男はクスッと笑った。
「確かに酒場ですが、ここはフェザーンですよ。金を払えば客が望むものは用意する、そうじゃありませんか?」
おいおい、言うじゃないか。マスターを見ると肩を竦めている。グラスを取り出した、どうやら用意するらしい。
出されたミルクを男は美味しそうに飲み始めた。妙な奴だ、何だって酒場でミルクを飲むのか……。眺めていると男が話しかけてきた。
「独立商人? 船長ですか?」
「ああ、ベリョースカ号の船長だ」
「……」
男がグラスをテーブルに置き俺に視線を向けてきた。そんなにじっと俺を見るなよ。他人を不安にさせるようなことはするもんじゃないぜ。
「仕事は決まりましたか?」
さっきまでと違う、幾分低い声だ。ちょっと危険な感じがした。
「同盟の弁務官府の人間をハイネセンにまで送る事になった。その後はしばらく向こうに居るつもりだ。向こうは今大騒ぎだからな、色々と仕事が有りそうだ」
男がまた俺をじっと見た。サングラス越しでも分かる、強い視線だ。そしてフッと笑いを漏らした。ゾクっとするものが背筋を走った。
「ヤン提督と会うのでしょう? コーネフ船長」
「……お前、誰だ?」
俺とヤンの事を知っている! それに俺の名前も! この男が俺に近づいたのは偶然じゃない、やはり俺は黒姫一家にマークされている……。周囲の海賊を見た、皆が俺の方を注視していた、今度は視線を逸らそうとしない。さっきまでとは店の空気が明らかに違った、痛いほどに強張っている。マスターがゴクッと喉を鳴らす音が聞こえた。
「ヤン提督を、同盟を利用してフェザーンの独立を考えているなら無駄ですよ。帝国と同盟を戦わせてその中間で利益を貪る、そんなふざけた独立は許しません。フェザーンの自由と繁栄、その陰でどれだけの人間が死んだと思っているのです」
「……」
サングラスで目は見えない、しかし男の口元には冷ややかな笑みが有った。おそらく目は口元以上に冷えているに違いない……。
「ヤン提督に伝えて貰えますか。そろそろ戦争を終わらせる時が来たと、民主共和制に囚われて詰まらない事はしないでくれと」
静まり返った店に男の声だけが流れた。
「……お前は、誰だ?」
掠れる様な声で発した再度の問いかけにも男は答えない、黙ってミルクの入ったグラスを見ている。口元の笑みは未だ残っている、震えが来るほどの恐怖が俺を襲った。
「戦争をしないで済む時代がようやく来るんです。邪魔をするのは許さない、そう伝えてください」
そう言うと男はグラスのミルクを一気に飲み干し“勘定を”と言って五百フェザーンマルクをカウンターの上に置いた。そして驚く俺とマスターを無視して席を立つ。
男が席を立つとカフェテーブルの男達が無言のまま近づいてきた。
「もう宜しいんですか」
「ええ、十分に楽しめました。行きましょうか」
男の声に海賊が三人、先に立ってドアの外に出る。そしてその後を男と男を囲むように歩く海賊達が出て行った。
「マスター、あの男は……」
「ああ、多分、あの男だろう」
お互いに顔を見合わせた。敢えて名は言わない、言う事が怖かった。あれがそうなのか、冷ややかな刃物のような笑み……。何時の間にか曲が変わっていた……。
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