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銀河英雄伝説~その海賊は銀河を駆け抜ける

作者:azuraiiru
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第二十九話 ダミー会社

帝国暦 489年 7月14日   オーディン    ローエングラム元帥府   エルネスト・メックリンガー



スクリーンでは黒姫が穏やかな笑みを浮かべている。“ロキの微笑み”とビッテンフェルト提督が名付けた微笑みだ。本心を隠す偽りの微笑みと言う意味だろう。ミュラー提督を除いて皆が納得している、油断する事が許されない微笑みだ。しかしボルテックを利用する案は面白い、彼が受け入れれば統一の準備も上手く行くし地球教の情報も得ることが出来るだろう。やっぱり黒姫はロキだ、狡賢くて抜け目がない……。

「他にはないか?」
ローエングラム公が問いかけると黒姫が少し考えるそぶりを見せた。どうやら公は黒姫の考えを全部聞き出すつもりらしい。癪には障るが確かに黒姫が役には立つのは認めざるを得ない。公としてはそんな思いだろう。
『そうですねえ……、遷都は如何でしょう』
「遷都?」

ローエングラム公が鸚鵡返しに口にすると黒姫が頷いた。遷都? オーディンからフェザーンに都を遷すというのか?
『ええ、フェザーンに遷都するのです』
ざわめきが起きた、僚友達が彼方此方で小声で話している。ローエングラム公が我々に視線を向けると皆、口を噤んだ。そして黒姫が言葉を続ける。

『フェザーンは帝国と同盟の中間にあります、いわば宇宙の臍ですね。ここに都を置けば経済だけでなく政治的にも帝国、同盟の両方を押さえる形になります。軍事的にもフェザーン回廊を直接押さえますから帝国領、同盟領への出兵もし易い、後方支援の能力も充実している、言う事無しですね。これほど地政学的に優れた場所は有りませんよ』
「なるほど」

ローエングラム公が頷いている。遷都か……、なるほどフェザーンを直接押さえると言う意味も有るな。悪くない、というより絶妙と言って良い案だが何でこんな事を考えつくのだ? 五百年続いた帝国の都を遷すなど……。またこの男に先を越された、彼方此方で僚友達の溜息を吐く音が聞こえる。政治感覚に優れた総参謀長も溜息を吐いている。とても敵いそうにない、ワーレン提督やルッツ提督は諦め顔だ……。

ローエングラム公が顔を顰めるのが見えた。おそらく私と同じ想いを抱いたのだろう。なんとも憎い男だ、いつもローエングラム公の先に、我々の先に居る。我々が戦争の事を考えている時、黒姫は戦後の事を考えているのだ。そして常に途方もない事を考えている。この男には失敗と言うことは無いのだろうか、いやルビンスキーを取り逃がしたか。本来なら面白くない事だし喜べない事だが少しだけホッとした。

『ついでに暦も変えるのですね、統一暦とか新宇宙暦とか。新しい王朝に新しい都、新しい暦。旧王朝とは決別したと言う宣言になりますし同盟市民に対するメッセージにもなるでしょう』
「口を慎め、不敬罪だぞ。一体何を言い出すのだ」

ローエングラム公が慌てて黒姫を叱責した。皆もギョッとした表情をしている。言っている事は分かるがこんなところで言うべきではないだろう、それは口に出さない公然の秘密の筈だ。だが黒姫は笑みを浮かべたまま我々を見ている。間違いなく我々が慌てているのを面白がっている、だから卿はローエングラム公に根性悪のロクデナシと言われるのだ。

『隠さなくても良いでしょう』
「黒姫!」
またローエングラム公が黒姫を叱責した。
『まさかこのままずっと帝国宰相兼帝国軍最高司令官ではないでしょうね。そこに居る皆さんが悲しみますよ、このまま出世は出来ないのかって』

黒姫が悲しそうな表情を浮かべて我々の方を指差した。釣られたようにローエングラム公が我々に視線を向けてきた。何てことをするのだ! この根性悪のロクデナシ! 皆が慌てて顔を背けたり表情を隠そうとした、私もだ。キルヒアイス提督もフロイラインも困ったような表情をしている。

ローエングラム公も困ったような表情で我々を見ている。それは確かに我々だって出世をしたいし、顕職に就いてみたいという思いは有る。公が皇帝になれば我々にも帝国軍三長官職に就任する機会が訪れるだろう。もっとも黒姫を見ていると我々のような無能者にその資格が有るのかと落ち込む事もしばしばだが……。

『その帝国宰相兼帝国軍最高司令官という厭らしい肩書きはさっさと卒業することです、皆がそれを望んでいるのですから。私も閣下を陛下とお呼び出来る日が来るのを楽しみにしています。これは本当の事ですよ、そのために協力してきたのですから』
「……」

嫌がらせだな、間違いなく嫌がらせだ。黒姫は罪のない笑顔でニコニコしているがローエングラム公が返答できずに口籠っているのを見て喜んでいる。帝国宰相兼帝国軍最高司令官を厭らしい? ローエングラム公は簒奪を企む帝国一の不忠者で我々はそれに与する謀反人かもしれないが卿はそんな我々を嗤って喜ぶ宇宙一の根性悪のロクデナシだ。卿に比べたら私など間違いなくお人好しの善人だろう。

心の中で毒づいていると黒姫が公に話しかけてきた。
『そうそう、今度の戦いにはメルカッツ提督も参加します。提督の艦隊を用意していただけますか』
『黒姫の頭領! それは……』
『そろそろ戻る時ですよ、メルカッツ提督。もう十分に休んだ筈です』
『しかし……』

黒姫の声とメルカッツ提督の声が聞こえた。姿は見えないがメルカッツ提督もフェザーンに居るようだ。
「構わないが、大丈夫なのか。メルカッツ提督は気が進まぬようだが」
『大丈夫です』
「しかし……」
ローエングラム公が躊躇った。無理も無い、メルカッツ提督は必ずしも納得していない、戦意不足の艦隊など有っても邪魔になるだけだ。だがそんな不安を打ち消すように黒姫がクスクスと笑い声を上げた。

『いざとなったら私が指揮しますよ。最後の戦争でしょうからね、想い出づくりに一個艦隊を指揮してみたいものです』
「本気か?」
公が呆れた様な声を出している。同感だ、本気で言っているのか? 我々と同じ立場で戦う? 艦隊の指揮などした事がない黒姫が?

『公の指揮下で戦う、お許しいただければ光栄ですね』
ローエングラム公が唸り声を上げている。これまで黒姫は協力者の立場だった、だが今度は指揮下に入ると言う。負けられない、負けるわけがない、そう思った。向こうは素人なのだ、今度こそ黒姫の上を行く。僚友達の顔を見た、ケンプ、ルッツ、ワーレン……、皆が厳しい表情を見せている。同じ思いを胸に抱いているに違いない。

「ではこうしよう、黒姫を艦隊司令官としメルカッツを参謀長とする。卿は艦隊の指揮経験は無いだろうからな、メルカッツを補佐として付けよう、どうか?」
公の提案に黒姫が笑みを浮かべて頷いた。
『それならば、お受けいたします』
『有難うございます。楽しみです』

メルカッツ提督と黒姫の返事にローエングラム公が嬉しそうな表情を浮かべている。多分黒姫を指揮下におけるというのが嬉しいのだろう。しかし強敵だ、黒姫の戦略家としての才能とメルカッツ提督の実戦指揮官としての力量、これが組み合わされた事になる。それにこれまでの遣り取りからするとメルカッツ提督はかなり黒姫を信頼しているようだ。二人の間に隙は感じられない、彼らの艦隊はこの銀河でも屈指の実力を持つ艦隊になるだろう。素人の指揮する艦隊では無い、だが望むところだ。

「ところで黒姫、卿がフェザーンで得たものだが」
『気になりますか』
「気になる」
ローエングラム公の返事に黒姫が笑みを見せた。またロキの微笑だ、どうにも嫌な予感がする。

『帝国政府が得た物はフェザーンとフェザーン回廊。それに時価総額で一兆帝国マルクは下らない貴金属、それとフェザーンが所有していた膨大な国債、……それに比べれば大したものではありません。ただフェザーンに置いておくのは危険です』
「……地球教に利用される可能性が有る、そういう物か」
公の言葉に黒姫が頷いた。
『おそらく一番危険でしょうね、そして来る遠征においてフェザーンを帝国の補給基地にするには必要不可欠な事だと思います』

ローエングラム公は納得がいかない様な表情をしている。黒姫が何を得たのか分からない事が不安なのだろう。確かに今回のフェザーン占領で帝国が得たものは言葉に出来ないほど大きい、金銭面だけではなく政治面、軍事面にまで及ぶ。黒姫が何を得たのかは知らないが、それに比べれば大したことは無いとは思うのだが……、やはり一抹の不安は有る。

『心配ならボルテック弁務官に尋ねてみては如何でしょう。彼なら私が何を得たか分かるはずです』
「……」
『彼に伝えてください、陰でコソコソするのは止めるようにと』
そう言うと黒姫が笑い声を上げた。公は釈然としない表情だ。

『では、この辺で失礼します。ああ今連絡が入ったのですが、ルビンスキーを確保しました』
「……」
失敗は無しか、皆が溜息を吐いている。また点数を稼がれたな、失敗が有れば少しは可愛げがあるのに……。ローエングラム公も詰らなさそうな表情をしている。

『閣下、喜んでいただけますよね?』
「……もちろんだ」
公が引き攣った笑みを浮かべた。
『私達は役に立つでしょう?』
「……そうだな、役に立つ」
益々笑みが引き攣る。
『では、これで……』

黒姫が消えるとローエングラム公が溜息を一つ吐いてから我々に視線を向けてきた、何となく困った様な表情をしている。例の私達が可哀そう、と言った言葉を思い出しているのかもしれない。作戦会議という雰囲気ではないな。黒姫め、全く碌でもない事をしてくれる。ローエングラム公がまた溜息を吐いた。黒姫と話をすると皆が溜息を吐く……。

「フロイライン、ボルテックをここに呼んでくれ」
「ボルテックをですか」
「黒姫の提案を提示してみよう。それに奴に訊きたい事が有る。黒姫が何を手に入れたのか、ボルテックに確認したい」

ボルテックがフェルナー国家安全保障庁長官に連れられて会議室に来るまで二十分程時間が有った。何とも間の悪い二十分だ。公も我々も何処か相手を窺うような表情で話をした。公は何を考えていたのだろう、やはり皇帝になるべきだ、皆がそれを望んでいるとでも思ったのだろうか。帝国軍三長官を誰に任せるか、だろうか……。

ボルテックがフェルナー長官に連れられて来ると公が黒姫の提案を話し始めた。ボルテックは興味深そうに聞いている。特に将来的には帝国の通商関係を統括する官庁を新設しその責任者にすると言う所には何度か大きく頷いた。フェルナー長官もボルテックを敵にするのではなく味方に取り込もうという狙いは分かったのだろう、不満そうな表情はしていない。

ボルテックは公の提案、いや正確には黒姫の提案を受けた。問題はその後だった。黒姫が自治領主府の地下から貴金属を手に入れた事、膨大な国債を手に入れた事を話すとボルテックは顔面を強張らせた。そして他にも何かを手に入れたようだがその正体が分からない事、“陰でコソコソするのは止めるように”と自分に警告した事を告げると物も言わずに手近にあったコンピュータを操作し始めた。

「まさか、……馬鹿な! これも、あれも、全部、変わっている! ……そんな、馬鹿な!」
ボルテックが悲鳴のような声を上げた後、呻きながら床に座り込んだ。蹲る様な姿で頭を掻き毟っている。どういう事だ? 何が変わった? 会議室に居る人間は皆、呆然として何が起きたか分からずにいる。ローエングラム公も総参謀長と顔を見合わせるばかりだ。

「ボルテック弁務官、何が起きたのです」
キルヒアイス提督の問いかけにボルテックがノロノロと顔を上げた。
「フェザーンの、自治領主府のダミー会社の所有者が、……全て変わっている……」
「ダミー会社?」
ボルテックが力なく頷いた。

ダミー会社? 嫌な予感がする。何処となく後ろ暗い犯罪の臭いのする言葉だ。ローエングラム公も総参謀長も不信感が顔に滲み出ている。僚友達も同様だ。ダミー会社を利用して何をしていたのだろう。地球教に対して送金だろうか。有りそうな事だが……。
「そのダミー会社は一体何なのだ、何に使っていた?」

ローエングラム公が問いかけるとボルテックは座り込んだままぼそぼそと話し始めた。
「フェザーンはダミー会社を利用して帝国、同盟の基幹産業、利権をフェザーンの支配下に置こうとしていたのです。そうする事で経済面からの影響力を密かに強めようとしていました」
支配下? 影響力を強める? また皆が顔を見合わせた。

「常に百社以上のダミー会社を使って狙いを付けた企業の株を購入していました。一社当たりにすれば最大でも五パーセントに届かない数字です、帝国にも同盟にも不信を抱かれる事は無かった、それなのに……」
「そのダミー会社の所有者が変わったということは……」
総参謀長が問いかけるとボルテックが力なく頷いた。

「取得した株、利権の所有者はダミー会社の名義になっていました。そのダミー会社の所有者が変わったということは取得した株、利権の真の所有者も変わったという事です」
そう言うとボルテックは立ち上がりまたコンピュータを操作し始めた。そして溜息を吐いた。

「ご覧ください。ヴァレンシュタイン総合警備がダミー会社の所有者になっています、つまり真の所有者は黒姫という事です……」
会議室の彼方此方から溜息を吐く音が聞こえた。
「一体どれだけの企業を所有していたのだ」

ローエングラム公の問いかけにボルテックがビクッと身体を震わせた。だが諦めた様な表情を顔に浮かべた。
「帝国では、ざっと百社です」
「私の知っている企業も有るかな」
「……例えばですが、ヴォンドラチェク重工業、キスク化学、コーネン……等です」

ボルテックの声が会議室に流れると彼方此方で溜息が聞こえた。ヴォンドラチェク重工業は兵器、エネルギー、エンジン等の開発を行っている帝国でも最大規模の重工業会社だ。キスク化学は住宅、建材、繊維、コーネンは帝国でも一、二を争う穀物商社。いずれも帝国の経済に大きな影響を持つ会社だろう。このレベルの会社が百社も有るのか……。

「同盟にも百社程度、同じような会社が有ります。それとフェザーンもです。フェザーン五大銀行の内上位三行は発行株数の五十パーセント以上を所有しています。残りの二行も五十パーセントを超えてはいませんが筆頭株主です。他にも輸送会社で言えばフェザーン最大の輸送会社オアシスを含む大手三社は過半数を超えています」
「……それが、全て黒姫のものになったのか」
掠れた声で問いかけたローエングラム公に対しボルテックが力なく頷いた。

「フェザーンの強みは金融と物流です、いわば船と金……。その両方を黒姫に奪われました。貴金属、国債、そしてダミー会社を奪われたフェザーンはその影響力を全て失ったに等しいでしょう……」
会議室の彼方此方から溜息が聞こえた……。









 
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