至誠一貫
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第一部
第二章 ~幽州戦記~
十九 ~宴の夜~
前書き
2017/8/20 全面改訂
感想にてご指摘いただいた箇所も見直しました。
北平に凱旋した我ら。
黄巾党を討ったという知らせは既に届いていたらしく、軍は大歓迎を受けた。
それだけ、黄巾党に苦しめられた者が多いという事だろう。
「流石は公孫賛様だ」
「四万からの賊を、お一人で打ち破るとは……武にも、優れた御方だったんだな」
「当たり前だろ。異民族が恐れる、白馬将軍様だぜ?」
賞賛を浴びる公孫賛は、くすぐったそうな顔をしている。
「私は、大した事はしてないんだけどなぁ」
「そんな事はない。もっと、胸を張って良いのだ」
「けど、実際は土方の義勇軍と董卓軍の働きだろ?」
「私はただ、民を無闇に苦しめる輩を許せぬだけ。民を救うのに、義勇軍も官軍もあるまい。それだけだ」
「せやせや。官軍かて、アンタの万分の一の働きすらでけへん奴は、ぎょうさんおる。アンタは、民を守るために努力しとるやんか。ウチは、それだけで物凄い事や思うで?」
霞は、官軍の有様を審に見ているだけあり、言葉に説得力がある。
流石に、公孫賛もそこまで否定は出来ぬだろうな。
「とにかく、手柄を立てたのは事実。誇る事はあっても、恥じる事は何一つない」
「そ、そうか……。うん、そうだよな」
公孫賛は、ぎこちなく頷いた。
そして、戦勝祝いの宴の場へ。
「済まんな。本来ならもっと、豪勢にしたいんだが」
申し訳なさそうな公孫賛。
「気になさるな、公孫賛殿。事情は我らも知っております、このような場を設けていただけただけで、結構でござる」
「ウチは、酒があればそれで十分や」
……この二人は、特に気にしていなさそうだ。
「周倉、徐晃殿。貴殿らの働きには、改めて礼を申す」
「止してくれ、大将。俺はアンタを見込んだ、それだけだぜ?」
「私も、借りを返したに過ぎんさ」
「うむ。まず周倉、改めて我が軍への合流を認めよう。それで、誰かの下につけようと思うが、所望があれば聞こう」
「それなら、廖化と同じところがいい」
即答だった。
「愛紗。どうか?」
「はぁ。私は構いませんが……」
「恐らく、廖化に異はあるまい。私も、周倉の望みどおりが良いと思うが」
「……それは、ご主人様の知識ですか?」
「それもある。だが、刎頸の交わりを結んだ二人を、わざわざ離す必要はあるまい?」
「そうですね。わかりました、では周倉。宜しく頼む」
「おう、わかったぜ姐御!」
「あ、姐御?」
「ふふふ、良いではないか。そうか、姐御か」
「ご、ご主人様! からかわないで下さい!」
顔を真っ赤にして、愛紗はどこかに出て行った。
「大将。俺、怒らせたかね?」
「いや、あれは怒っている訳ではあるまい。どうしても気に入らぬとあらば、はっきりと言う奴だ。心配いらぬ」
「わかった。じゃ大将、俺は廖化と話をしてくる」
入れ替わりに、稟がやって来た。
「ご苦労さまでしたね、疾風(徐晃)」
「ああ」
二人は、杯を交わす。
「そう言えば、楊奉殿はどうなったのですか?」
「……そうだな。その事を、話しておこう」
徐晃は、杯を一気に干してから、
「残念ながら、楊奉殿に会う事は叶わなかったのだ」
「見つからなかった、という事ですか?」
「……いや。既に、官軍に捕らえられていたのだ。都に送られ、既に首を打たれたと」
黄巾党の将として、既に手が回っていたという事か。
徐晃の話の通りであれば、惜しい男であったようだが……。
「それで、こちらに来たという訳ですか」
「もともと、部下を預かって貰っていたからな。それに、私にはそれしか、自分のすべき事が見つからなかった」
「そうか。だが、この後はどうする気だ?」
「この後?」
「そうだ。貴殿程の武人が、二千とは言え手勢を連れて動けば、人目につかぬ方が無理というもの」
「……そうだな。確かに、行く末は考えなければならんか」
「疾風。私と一緒に、歳三様にお仕えしませんか?」
「稟?」
「実は、あなたの事は以前、歳三様に推挙した事があったのです。歳三様、覚えておいでですか?」
稟の言葉に、私は記憶を巡らせる。
「もしや、洛陽の人物の話か?」
「そうです。こんな形で再会するとは思っていませんでしたが。疾風程の人材を、埋もれたままにしておくのはあまりにも惜しいですから」
稟の申す通りだろう。
武の方は、もう確かめるまでもない。
それに、稟の推挙の切欠もある。
本人次第だが、欲しい人材であるのは間違いない。
「私からも、頼みたい。今は義勇軍、根無し草ではあるが、民を救うという志はどの諸侯にも劣らぬつもりだ」
「…………」
徐晃は、思案顔で宙を見ている。
「返事は今すぐとは申すまい。心が決まれば、その時で良い」
「でも疾風。私が尽くすべき主として、歳三様を見込んだ事、よくよく考えて下さい。後は、あなた次第です」
「……わかった。それまでは、ここにいさせて貰うとする」
酒宴はまだ、続いていた。
そっと抜け出した私は、城壁の上に登った。
吹き抜ける風は、少々肌寒い。
だが、酔い醒ましには悪くないな。
「何だ、ここにいたのか」
公孫賛の声がした。
「主役がいないから、どうしたのかと思ったぞ?」
「あまり、酒は過ごせる方ではないのでな。貴殿こそ、太守が抜け出して良いのか?」
「私がいたんじゃ、みんな気を遣うだろ? それに、ちょっと夜風に当たりたくてさ。隣、いいか?」
「ああ」
微かに、酒の香りが漂う。
「ふう、気持ちいいなぁ」
「…………」
私は黙って、夜空を見上げた。
天を埋め尽くさんばかりの、無数の星が煌めいている。
天文の心得はないが、心は洗われる、そんな趣がある。
「あのさ。一つ、聞きたいんだけど」
「何か?」
「どうして、私をそこまで買ってくれるのだ?……自分で言うのも何だけど、私は飛び抜けたものが何もないんだぞ?」
「言った筈だが? 裏を返せば、何でもこなせる器用さの証拠だとな」
「でも、それじゃ私が普通普通と言われているのも当然、ってなるじゃないか」
まだ、吹っ切れておらぬか。
「ならば、貴殿は一芸に秀でた人物と認められたい……そうなのか?」
「そ、そう言う訳じゃないけど」
「良いか、公孫賛。一軍の将として、何かに秀でるのは良い。だが、上に立つ者全てが優秀である必要は何処にある?」
「それは……」
「自らが配下を引っ張り、己が力で国を作り上げていく。それも良かろう。だが、裏を返せば、配下が育つ必要はないと言う事にもなる。一代限りであればともかく、後の世はどうなる?」
「後の世……?」
「そうだ。始皇帝がいい例ではないか。なるほど、始皇帝自身は優れた主君であった。だが、次代はどうだ?」
「呆気なく瓦解した……か」
「そうだ。公孫賛は、己を正しく弁えている。大陸に覇を唱えるつもりならば、確かに貴殿では荷が重かろう」
「……そう、はっきり言われるとへこむなぁ」
「だが、限られた範囲で人の上に立つのであれば、全く不足ではあるまい。勿論、それだけではない」
「まだあるのか?」
「ああ。その誠実さ、実直さは、欲が先走る輩には望めぬ類いのもの。だからこそ、私も皆も、貴殿に協力を惜しまぬのだ」
「……そうか。そんな風に、評価された事がなかったからな。私は私の良さがある、そう言う事か」
合点がいったようだな。
「なら土方。お前はどうなんだ?」
「私か?」
「そうさ。腕も立つ、頭も切れる。おまけに、あれだけの将を従えているじゃないか。……正直、天は何物与えたんだよ、って言いたいぐらいだ」
「そうかな? 私は、腕は星や愛紗らには及ぶまい。軍略は稟に、謀略は風に劣る。一軍を率いるのも、霞には勝てぬさ」
「う……。ま、まあ、アイツらは桁外れ過ぎるからな。でも、私から見れば、今の刺史や太守でも、土方程の器量を持った奴はあまりいないぜ?」
「ふっ、私にも及ばぬとは。よほど、官吏も人材不足と見えるな?」
「血縁と金が全てだからな。……だが、気をつけた方がいいぞ、土方」
公孫賛は、声を潜めて言う。
「ほう?」
「お前が、今の朝廷をどの程度知っているかはわからないが。恐らく、これだけの戦果を上げたんだ。何らかの沙汰は下るだろう。例えば、県令か、あるいは私のような、僻地の太守……そんなところだろうけど」
……恩賞か。
私自身は栄華を望まぬが、従う者がいる以上、受ける事になるだろうな。
「けど、高官共は、それですら私腹を肥やす手段にするだろうな」
「地位を保ちたいのなら賄賂を寄越せ。或いは、あちこちに金をばらまいたと恩を着せる。そんなところか?」
「……わかっているならいいさ。しかし、見てきたように言うが、そんな事まで探らせているのか?」
「いや。我が国でも、似たような話は枚挙に暇がなかったのでな」
「そ、そうか……」
この御仁では、あの魑魅魍魎の世界で生き抜くのは難しかろう。
尤も、私も願い下げだが。
「と、ところでさ」
妙に改まってから、
「土方。お前に預けたい物がある」
「預けたい物?」
「そうだ。私を盛り立ててくれ、いろいろと尽力してくれた。それに、私も答えたい。だから、今後は白蓮、と呼んでくれ」
真名か。
「良いのか?」
「ああ。……それから、もう一つあるんだが、受け取って欲しい」
「真名だけで十分だが?」
「い、いや。これは私の個人的なものでな……」
そう言いながら、白蓮が近付いてきた。
手を伸ばし、私の頬に触れる。
「い、嫌ならいいんだ。どうせ、私は皆みたいに美人でも、豊満でもないしな」
「理由を聞くのは、野暮か?」
「……私を、立派と認めてくれた男は、歳三が初めてなんだ。それも上辺だけじゃない、心からの言葉……嬉しいんだ、私は」
「白蓮……」
柔らかい物が、私の唇を塞ぐ。
白蓮の息遣いを間近に感じながら、その肩に手を廻す。
ゆっくりと身体を離す。
「あ、あのさ。土方」
「歳三で構わん」
「い、いいのか?」
「真名を預かった相手に、片手落ちをするつもりはないぞ」
「……わかったよ、歳三。こ、この事は、出来れば内密にしてくれないか? そ、その……」
「ふふ、心配せずとも良い。私も、そんな無粋な男ではないつもりだ」
「……ありがとう。では、私は戻る」
去っていく白蓮の後ろ姿を見送りながら、ふと思う。
白蓮がこの先どうなるかはわからぬが、これからもずっと、共に戦う仲間になるのだろう、と。
「歳三様、ここでしたか」
稟の声で、我に返る。
月が、だいぶ傾いていた。
「酒宴は、まだ続いているのか?」
「いえ、流石にお開きに。皆、休みましたが、歳三様のお姿が見えませんでしたので」
「そうか。探しに来たのか」
「ええ。部屋に戻って下さい、かなり冷えてきていますよ?」
そっと、私の手を取る稟。
「こんなに、冷たくなるまで。一体、どうされたのですか?」
「……いろいろと、考えていた」
「いろいろ、ですか?」
「うむ。……稟。もうすぐ、黄巾党も終息に向かうだろう。その後、どうなっていくだろうな?」
「そうですね。ご想像の通りかと」
ふっ、お見通しという訳か。
「まだ、戦乱の世は続く……か」
「ええ。漢王朝があの有様では」
私が劉備ならば、その延命に働くか、もしくは血筋を利用して名を挙げるか……そんなところだろう。
だが、私には漢王朝そのものが、縁遠い存在。
正直、何の感慨もない。
積極的に、その終焉に手を貸すつもりもないが、遅かれ早かれ、何らかの関わりは生じるだろうな。
「くしゅん」
寒いのだろう、稟がくしゃみをする。
「部屋に戻った方がいいな。稟、体調は大丈夫か?」
「体調ですか? 今のところは、特に」
「そうか。それならいいが、くれぐれも無理をするでないぞ?」
「はい。お気遣い、ありがとうございます」
城壁を下りると、
「……ぐう」
何故か、風がそこにいた。
しかも、立ったまま寝ているのだが……いつもながら、器用な事だ。
「風。起きろ」
「おおう。お兄さんと稟ちゃんの逢い引きを見ているうちに、ついうとうとと」
「ふ、風!」
「稟ちゃん。お兄さんの事が恋しいのはわかりますが、抜け駆けはダメですよー」
「……風。人聞きの悪い事を申すでない。稟は、私を気遣って探しに来てくれたのだぞ?」
「おやおや、そうですかねー? では稟ちゃん、全く他意はなかった、と言い切れますか?」
「そ、それは……」
目を伏せる稟。
「お兄さんもお兄さんですよ? 風というものがありながら、公孫賛のお姉さんと接吻とは」
「こ、接吻? 歳三様、それは本当ですか!」
「風。まるで見て来たように言うではないか」
「風に隠し事は無駄ですよ。風は、お兄さんの事なら何でもお見通しなのです」
早くも露見するとはな。
……だが、私は後ろめたい事は、何もないのだ。
「あれは、白蓮からの礼。礼を受け取らぬは、あまりに非礼だ」
「おおー、しかも真名を預かるとは。やれやれ、お兄さんにも困ったものです」
「で、では、本当に接吻を? 歳三様、どういう事ですか!」
「落ち着け、稟」
白蓮からは内密に、と言われたが、仕方あるまい。
「確かに、真名も預かり、接吻も交わした。だが、全ては白蓮から私への礼、という事だ」
「で、ですが、いくら礼とは言え……こ、接吻とは……」
「稟。私は、白蓮にそれ以上を求めてはいない。そうであれば、この場にこうしている訳がなかろう?」
「口では、何とでも言えるのです。……お兄さんが本心からそう言うのなら、態度で示して欲しいのです」
風はそう言いながら、空いた手を、握ってきた。
「お兄さんは、みんなに愛されているから、それは仕方ないと思うのです」
「厳しさは、優しさの裏返し。歳三様の本質は、他人への思いやりですからね」
「でも、お兄さんを愛しているのは、風達なのですよ? それは、忘れないで欲しいのです」
「忘れてなどおらぬ。……だが、確かに軽率であったやも知れぬな、済まぬ」
二人が、手に力を込めた。
……それだけ、想いが強い、という事か。
「中に戻るぞ、二人とも。本当に身体に障る事になる」
「勿論、今日はお兄さんと一緒ですからね? 駄目と言われても、風はこの手を離すつもりはありませんから」
「私も、です。歳三様、今宵はお側に」
「……わかった」
……朝か。
二人は、まだ眠りから覚めていないようだ。
起こさぬよう、そっと臥所を抜け出す。
部屋を出たところで、徐晃と出くわした。
「土方殿、お目覚めですか?」
口調が変わっている事に気付いたが、それを指摘するのも野暮であろう。
「徐晃殿か。このような時分に、どうした?」
「……いえ」
頬を赤らめながら、部屋の方を見る。
口調も昨夜と違うようだが。
「土方殿。稟は、果報者ですな」
「…………」
「貴殿のような、強さと優しさを兼ね備えた主君に巡り会えたのですから。本当に、今は満ち足りているようです」
「いつから、此処に?」
「二刻程、ですかな。目が覚めたら、稟が臥所に戻った様子がなかったので。恐らくは、土方殿のところだろうと思いまして」
「なるほど。……私と稟は、そのような仲でもある。これは、隠すつもりもない」
「ええ。……土方殿」
徐晃は、その場で片膝をついた。
「貴殿の事、見させていただきました。どうやら、この『飛天戦斧』を預けるに足る御方と見ました。私を、改めて貴殿の麾下にお加えいただきたいのです」
「そうか。私に取っても、願ってもない事だ」
「ありがとうございます。今後は、疾風、とお呼び下さい」
「わかった。では、私も歳三で構わん」
「では、歳三殿と。後で、他の方ともご挨拶を」
「うむ」
本来であれば、曹操の重臣となる筈だった徐晃が、我が軍に加わってくれた。
稟も認める、優れた将だ。
如何に使いこなせるか、鼎の軽重が問われる事になる、な。
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