堕ちた英雄
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第一章
堕ちた英雄
彼はスラッガーだった。そのチームになくてはならない存在だった。
「僕はこのチームが好きなんだ」
そしていつもこう言っていた。
「だからずっといるよ」
「このチームに骨を埋めるんですね」
「勿論だよ」
満面に笑みを浮かべての言葉であった。
「アメリカにも戻らない」
こうまで言った。実は彼は日本人の選手ではなかった。アメリカからの助っ人である。しかし日本での生活が長くなり日本語も完全にマスターしてしまっていた。
「絶対に」
「絶対にですか」
「日本にいるよ」
既に家族も日本に移っていた。
「そしてこのチームに骨を埋めるんだ」
彼、スティーブ=ゲーリッグは断言した。長身でパワフルな打撃を誇る黒人の選手だった。濃い唇と強い目の光で有名である。そうした選手だった。
パワーヒッターだが身体つきは意外とバランスがよく来日したての頃は普通に守備もよく脚が速く強肩だった。今は流石に違ってきていたが。
チームへの愛情はこの通りであり日本一にも貢献した。しかしこのシーズン終了間際から妙な噂がマスコミから流れ出てきていたのであった。
「あのチームにか?」
「ああ、そうらしいな」
最初に言い出したのは所謂マスコミゴロ達であった。駄文を書いて生きているつまらぬ輩達である。日本には多い人種ではある。残念なことに。
「あのチームにトレードだってさ」
「あのチーム優勝できなかったからな」
「それでらしいぞ」
スポーツ新聞の片隅にこんなことが書かれだしていた。
「それでスカウトらしい」
「あのオーナーは何て言ってるんだ?」
日本で最も嫌われている人物である。その名はそのまま嫌われ者の代名詞にさえなっている、そうした札付きどころではない人物であった。
「あの人は」
「何でも乗り気らしいぞ」
こうも書かれたのだった。
「というかあのオーナーの命令らしい」
「ああ、そうか」
このオーナーはどこぞの独裁国家の将軍様の如く言われ続けている。
「それでか」
「あのオーナーの思い通りにならなかったことあるか?」
「いや、ない」
マスコミこそが最大の権力である。日本の現実である。
「じゃあ決まりだな」
「ああ、ゲーリッグはあのチームだ」
「来年からな」
すぐにこう結論が出された。
「じゃあここらから凄いことになるな」
「やっぱり日本の主役はあのチームだよ」
これがその独裁国家の発言でないところが恐ろしいと言うべきであろうか。
「あのチームが勝ってなんぼだからな」
「全くだよ」
こんな馬鹿げた話が出ていたが当のゲーリッグは知らなかった。そしてそのシーズンのチームとの契約に入ろうとすると。スポーツマスコミが急に騒ぎだしたのだった。
「ゲーリッグ退団か」
「交渉難航」
急にであった。
「ゲーリッグ激怒」
「フロントも歩み寄らず」
事実よりも先の言葉であった。
「あのチームへ移籍!?」
「来年は別のリーグにか」
「!?何、これ」
当のゲーリッグもこうした報道に困惑することになった。
「何で僕があのチームに行くの?」
「あれ、そうじゃないんですか?」
「そう聞いてますよ」
ところが周りの記者達もしたり顔でこう言うのだった。見れば誰もがあのチームの親会社の某巨大マスコミの系列の記者達であった。
「何かオーナーが来年貴方はいらないって」
「オーナーってうちのチームの!?」
「はい」
こう答えるのであった。
「ですから。来年はあのチームですよね」
「二つのリーグでホームラン王狙ってるんでしょう?」
実は彼は既に今いるリーグで何度か三度ホームラン王を獲得しているのである。言わずと知れたスラッガーでもあるのである。
「ですからあのチームに」
「で、ゲーリッグ選手」
記者達の顔が急に下卑たものになった。いや、これは本性が出たと言うべきであろうか。仮面の下にあるその素顔がである。
「あのチームはですね」
「うん」
とりあえず聞いた。だがこれが。
「凄いですよ」
「凄いって?」
「だから。これですよ」
その下卑た顔で手に指で円を作ってみせる。言わずと知れた金のことである。やはりその動作が何処かのしゃもじを持って喚いている落ちこぼれ落語家の如く品がない。
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