アルジェのイタリア女
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
第二幕その三
第二幕その三
「そなたにはもう専属の従者がいるし」
「リンドーロさんですね」
「あれはよい若者じゃ」
ムスタファにこやかに笑って述べる。
「中々な」
「はい」
「で、わしはな。そなたにもう一つ幸せを与えたいのじゃ。リンドーロに対しても」
「それは一体」
「そなた等、改宗する気はないか?」
「改宗ですか」
「左様、イスラムにな」
にこりと笑って言う。ここでズルマがイザベッラにそっと近寄って囁いてきた。
「わかってると思うけれど」
「ええ」
イザベッラはそれに頷く。
「駄目よ、旦那様がまた頭に乗るから」
「わかってるわ。どうせ私と結婚するぞって御后様に嫌がらせするつもりでしょうね」
「まあずっとここにいるつもりならムスリムになる方がいいけれど」
「悪いけどイタリアに帰らせてもらうわ」
「じゃあここはかわすのね」
「勿論」
そんなやり取りの後で二人は別れた。そしてイザベッラはまたムスタファと向かい合った。
「ムスリムにですか」
「そうじゃ」
ムスタファは鷹揚に頷いた。
「どうじゃ、悪い考えではあるまい。おい」
従者の一人に声をかける。
「リンドーロをこちらに」
「わかりました」
従者の一人が頷きリンドーロを呼びにやる。イザベッラはそれを見届けた後でまたムスタファに言った。
「その前に旦那様」
「何じゃ?」
「私はある噂を耳に挟んだのですが」
「噂とな」
「はい、近頃御后様が毎日嘆き悲しまれているとか」
「ふむ、そういえばな」
彼はあえてふと気付いた態度で述べた。
「そんな話もあるな」
「それで私からの提案なのですが」
「うむ」
「ここは御后様を慰められては如何でしょうか」
「じゃがな」
それは上手いことを言って逃げるつもりであった。生憎それをするつもりはない。それは何故か。彼の楽しみであるからだ。自分で楽しみを消す者はいない。
「それには及ばぬ」
「何故ですか?」
「何故と言われてもな」
二人が話をしている間にズルマはこっそりと部屋を後にする。この時ズルマはイザベッラとそっと目で合図をした。
「今はな」
「思い立ったが吉日ですよ」
「さて」
とぼけようとする。
「どうしたものか」
「アッラーも御覧になられています」
「それもわかっているが」
だがそれでもするつもりはない。
「タイミングがな」
「タイミングですか」
「左様、何事にも時と場合があってだな」
彼は言う。
「それへの見極めが大事なのじゃ」
「それでしたら」
「ムッ!?」
舞台は急に移った。
「今こそその時ですわ」
「旦那様」
ズルマが部屋に戻ってきた。
(よし)
イザベッラはその声を聞いて会心の笑みを心の中で浮かべた。
(丁度いいわ)
(上手い具合ね)
ズルマも。二人は顔を見合わせて笑っていた。
「どうしたのじゃ?」
「御后様が来られました」
「呼んだ覚えはないぞ」
「この部屋に忘れ物らしくて。それでこちらに」
「そうだったのか」
「これこそアッラーの思し召しですわね」
イザベッラはにこりと笑ってムスタファに言った。
「さあ御后様」
「はい」
「確かに」
それはエルヴィーラの声であった。ムスタファは彼女が来たことを確信せざるを得なかった。
丁度そこへリンドーロもやって来た。部屋の中の只ならぬ様子に彼もすぐに気付いた。
「あの」
そしてタッデオに囁いた。
「どうしたんですか、一体」
「実はイザベッラがな」
彼は説明する。
「何か妙なことを言い出してな」
「妙なことを」
「そうじゃ。旦那様に御妃様に対して親切にされるようにと」
「そんなことを言っても」
リンドーロにもムスタファの本心はわかっていた。
「旦那様はどう見ても」
「それでもな」
タッデオはリンドーロに囁く。
「それをあえて言っているようなのじゃ」
「どうして」
「さてな、何か考えがあるのは確かじゃな」
彼は言う。
「とりあえずはそれを見極めないとな。よいな」
「はい」
リンドーロは頷いた。そしてまずはイザベッラの動きを見守ることにした。
部屋の中心にはムスタファとイザベッラがいる。その周りに他の者達がいる。リンドーロとタッデオ、エルヴィーラとズルマもまた。彼等はイザベッラが何を言うのかじっと見守っていたのであった。
「では旦那様」
まずはイザベッラが口を開いた。
「ここは寛容に」
「何をせよというのだ?」
「ですから御后様を慰められては」
「悪くはないな」
まずは頷いてみせた。
「しかしだ」
「しかし?」
「今はまだだ」
「何故ですの?」
「気が乗らぬのだ。ではまたな」
「何処へ」
「一人で休みたいだけじゃ。来る必要はないぞ」
そう言って一人部屋を後にした。そしてその場には一同が残った。
「御后様」
その中でズルマはそっとエルヴィーラに添ってきた。静かに囁きかける。
「御心配なく」
「御心配なくって言われても」
「もうすぐですからね。御気が晴れるのは」
「だといいけれど」
「まあそんなふうに御気を落とされずに。宜しいですね」
「貴女がそう言うのなら」
ここはズルマを信じることにした。まだ憂いのある顔であるが頷くことにした。イザベッラはそれを見ながら自分はリンドーロとタッデオのところにやって来た。
「私に考えがあるのだけれど」
「それは一体」
「いい?」
そして二人に囁く。話は次の幕に移ろうとしていた。
ページ上へ戻る