ラ=ボエーム
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終幕
終幕
終幕 思い出
「そういう話だったんだよ」
詩人は最後にこう語ってくれた。
「もう遠い昔の話さ」
「昔ですか」
「そうさ。本当にあった話だと思うかい?」
「現実味はあると思いますが」
「そうか」
彼はそれを聞いて遠い目をした。
「そう言ってもらえると嬉しいよ」
「本当にあった話ではないのですか?」
「それは秘密さ」
彼は微笑んでこう言った。
「悪いけどね」
「はあ」
「ところでさ」
画家が私に声をかけてきた。
「何でしょうか」
「お腹が空いてないかい?」
「お腹がですか」
「そうさ。もう夕食時だ」
「いい店を知っているよ」
音楽家も声をかけてきてくれた。
「どんなお店ですか?」
「カルチェ=ラタンにある店でね」
「僕達の昔からの馴染みの店なんだ」
哲学者も笑って言った。
「どうだい、一緒に」
「よかったらおごるよ」
「はあ」
「まあその店に通って何十年にもなるけれどね」
詩人の目に感慨が宿ったのがわかった。
「本当に長い付き合いだよ」
「確かにね」
「けれど味はあの頃のままだし」
「ああ。時代が変わってもね」
詩人は言う。
「あそこだけは変わらないよ」
「いや、変わらないものはもう一つあるぞ」
ここで画家が言った。
「それは何だい?」
「僕の妻さ」
見れば画家は胸を張っていた。
「彼女は今も変わらず美しい」
「そうだね」
「むしろ若返っている」
「そうだろ?彼女がいるから僕はここまでなれたんだ」
「確かに」
「あの売れない画家がね」
「僕達はあの頃は君と同じだったんだよ」
彼等は私に声を振ってきた。
「僕とですか?」
「そうさ。そっくりだよ」
「あの時にはお金も服もなかったけれど豊かだった」
「ああ。心は王様だったよな」
「他の誰もが持っていないものを山程持っていた」
「愛も」
詩人はふと壁に顔をやった。
「あったんだ」
そこには薔薇色のボンネットがあった。もうかなり古くなっているがそこにあるボンネットは確かにそこに存在していた。薔薇色の鮮やかな色がまだ残っていた。
「そして今も」
「そうだな」
「今も僕達の心に」
四人は感慨の世界に入った。
「永遠にあるんだ」
「ずっとね」
「それじゃあ」
音楽家が席を立った。
「その思い出の為にもあの店に行こう」
「ああ」
「今日は飲むか」
他の三人もそれに合わせるかのように立ち上がった。
「君も来るんだろ?」
「あっ、はい」
私は戸惑いながらも答えた。
「宜しければ」
「よし」
「じゃあ来てくれ」
「最近の若い人ってのもどんなのか知りたいしね。ゆっくり飲みながら話をしよう」
「わかりました」
「一つだけ言っておくよ」
「!?」
私は詩人の言葉に目を向けさせた。
「人はね、二つのものによって生きているんだ」
「二つのもの」
「そう、一つは芸術」
これは四人に共通するものだった。
「そしてもう一つは」
「もう一つは誰でも持っているものさ」
彼は笑ってそう述べた。
「それは」
「それは?」
「愛さ」
彼は微笑んでこう言った。
「愛、ですか」
「そう、愛は人の心を幸せにするんだ」
彼は笑っていた。
「どんなに辛く悲しい結果になろうとも。愛は人にとってなくてはならないものなんだ」
「なくては、ですか」
「そうさ。それについては店でゆっくりと話そう」
「はい」
「じゃあ。行くか」
私は彼等について部屋を後にした。部屋を出る時最後に後ろを振り向いた。そしてあの薔薇色のボンネットを見た。
ボンネットは何も語らない。だがその薔薇色は私には見えた。愛の色に。どんなことがあっても誰かと誰かが愛し合い、幸福な一時を過ごしたという事実は変わらないのだ。永遠に。
ラ=ボエーム 完
2006・5・9
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