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作者:50まい
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巫哉
  9

 ぼんやりと、していた。



 今まで「ぼんやり」などした事などなかったが、きっとその時の状況を表すのはこの言葉が一番適切なのだろうと『彼』は思った。



 気がつけば、時が流れていた。太陽は真上だ。『彼』は日紅の家の隣にある木の枝にいた。いつもの『彼』ならば、家を出る日紅に姿を消してついて行くのが常であるのに、それすら気がつかなかったようだ。



 いつのまに、『彼』はこんなところにいたのだろうか。夜、様子のおかしかった日紅の話を聞いていたはずだ。それが、なぜ。日紅は、日紅はどこだろうか。



 横を見た。窓。日紅(ひべに)の部屋の窓だ。そこから中を覗く。がらんとした部屋。かわいらしい人形も、机も、色褪せただ無機質な物の羅列としか映らない。そこに、あるべき人がいないから。



 日紅。



 ふらりと『彼』は動きだす。



 その胸の奥で日紅の声が、ふと(よみがえ)る。



巫哉(みこや)あたし犀が、好き」



 そうだ。昨夜(ゆうべ)、光のない部屋で、日紅は妙なことを言っていた。(せい)が好きだと。友情の意味ではないと。



 好き。



 わからない。言っているその意味が。それを『彼』に言うことで、日紅が伝えようとしたことが果たして何なのか。わからない。



 わからない、ヒトの言う「好き」がどういうことなのか。(あやかし)である『彼』には。



 何かが壊れそうに痛んだが、それが何かも、なぜ痛むのかも、ヒトではない『彼』にはわからない。



 ふらりふらりと彷徨って、気がつけば日紅を追ったのか学校にいた。ヒトの子は大きくなるまでコンクリートの建物に詰め込まれて学を得る。『彼』はそれを全くくだらないと考えていた。一日中じっと紙と向き合うなど、命の無駄でしかない。それより、森に出、走り回り、土を耕し、太陽の光を浴び、花を愛でた方が余程実りがあろうと言うもの。ヒトは限りある短い命をどれだけ無駄にしていることか。



月夜(つくよ)。いるんだろ?」



 声がした。『彼』の心が一気に現実に戻った。一番、聞きたくない声。



 がらんとした学校の屋上、フェンスの前に犀がいた。腕を組んでフェンスにもたれかかっている。



「出てこいよ。おまえから俺は見えるかもしれないけど、俺からおまえは見えないから」



 日紅は側にいないようだった。



 犀が、『彼』とふたりきりで話す事など初めてだった。そもそもそんな必要もなかった。



 それが、なぜ。



 ちりりと『彼』の心が騒ぐ。



「日紅と付き合った」



 静かに犀が落とした言葉が、『彼』のまわりに波紋を広げて絡みつく。



 耳障りな声だ。五月蠅い、うるさい。



「…やっぱりいたのか」



 犀が、軽くため息をついて言った。



 『彼』は、『彼』自身でも意識しないうちに、犀の前に姿を現してしまったようだった。



「月夜、おまえ日紅のことどう思ってんの。正直に言え。一応言っとくけど、はぐらかしたりしたらぶっとばすから」



 はっ、と『彼』は笑った。虚勢を虚勢だと気づかぬまま、『彼』は口を開く。



「なに言ってやがるてめぇ。俺は…」



 『彼』の声はそこで途切れた。犀は笑いもせずにじっと『彼』の返事を待っている。まるで、もう『彼』の選ぶ返事を知っているかのような、達観した表情だった。



 しかし、『彼』はわからなかった。



 いつものように、「日紅のことなど嫌いだ」と返せばいい。たったそれだけのことなのに、何故か、声が胸に詰まっているように、言葉が出てこない。



「…俺、は」



 声の出し方を忘れたわけじゃない。なのに、なぜたった一言が出てこないのか。



「嫌い、だ」



 ようよう絞り出した言葉にも、犀は無反応だった。



 (しばら)く、無言の時間が流れた。



「日紅は、俺のことが好きだ」



 どれくらいたったのか。そう唐突に犀は言った。



 その言葉に『彼』が何か感じるよりも早く、犀は続けた。



「俺も日紅のことが好きだ。ずっと好きだった。だれにも渡したくないくらい好きだ。」



 聞きたくない。『彼』は唸った。



 ぐわりと明るい青空が歪む。『彼』と犀。世界中で、息づいている時間が今ここしかないように、その他の景色は時間が止まったように色褪せて感じる。



 犀はまっすぐに『彼』を見ていた。『彼』は視線を逸らす。



「お互いに好きだから、付き合うことになった。俺は日紅を大事にする。絶対に悲しませたりしない。映画に行ったりとか、デートしたりとか、二人で一緒に勉強して、一緒に水族館とかにも行って。沢山思い出を作って、あいつ意地っ張りだからもしかしたら喧嘩する事もあるかもしれないけど、絶対に仲直りする。それで、もう少ししたら、結婚して、子供もできて、これ以上ないってぐらいの幸せな家族になる。」



 やめろ!



「でも日紅のことを『嫌い』なお前には、関係ないか」



 突き放すように犀は言った。幸せな話をしている筈なのに、犀の顔に笑顔はなかった。犀は『彼』の態度に苛立っているようだったが、それが具体的に何かは『彼』にはわからなかった。



「…おまえ、今の自分の顔鏡で見てみるといいよ。じゃあな」



 顔?



 犀は言うだけ言うとそのまま屋上から出て行ってしまった。後に残ったのはただ戸惑うだけの『彼』だ。



 犀が言った、顔とは何だ。



 顔と言っても、彼はヒトのように考えていることと表情が必ずしも連動するわけではない。今の『彼』は、いつものように不機嫌な顔を崩していないその筈だ。



 『彼』は屋上のドアに自らの面を映してみた。



 むすりとした銀髪紅瞳の年若い子供が映る。『彼』だ。なにも、変わっていない。ただ変わっていないはずなのに、なぜかずっと見ているのが不快で、『彼』はすぐに背を向けた。



 ずきりずきりと痛んだそれは、どこだ。『彼』の身体か、それとも心などと言うものか。



 ずっとずっと側にいて大切にしてきた日紅は、犀という唯一無二の相手を見つけた。



 いままで『彼』に向けられてきた日紅の、眩しいくらいのあの笑顔は全て犀のものになった。



 日紅は犀と結婚しそして、犀の子供を産むのだ。



 それは決して『彼』が与えることのできない、命の温もりだ。



 日紅の子も大きくなり、また誰か相手を見つけ、子供ができる。日紅の命が連綿と続いて行く。それをずっと側にいて見守ることができたら、それは、どんなに幸せなことだろうか。



 『彼』は秘かに微笑んだ。優しい笑みだった。それからゆっくり地から足を離し、風にのった。



 頬で風を受けるのが「心地いい」。それを『彼』に教えてくれたのも、日紅だった。



 いままでごちゃごちゃと思考が乱れていたのが不思議なぐらい、『彼』の心は落ちついていた。



 それ、を自分で認めることはできないのだ。それを認めれば、多くを望むようになる。そうすればきっと、正しい何かを歪めてしまう。そんなことは、『彼』の望むところではないし、日紅も悲しむだろう。それは絶対にしてはならない。『彼』は何でも望むことを叶えられるからこそ、地球の(ことわり)を歪めてはいけないのだ。



 『彼』の笑みは崩れなかった。



 日紅の命が紡がれてゆく、それを見守るのは確かにこの上もない幸せだろう。また不死の『彼』にしかできないことでもある。



 けれど、それを思ったときに、気づいてしまった。



 たとえ日紅の子がいても、そこに日紅がいないのなら、何の意味もないと。



 そう考えた自分に、驚き、また同時に納得もした。



 そうか。だから、そうだったのか、と。



 色とりどりの家の屋根は眼下に過ぎてゆく。日は高く上り、空を飛べもしないヒトは地に足をつけて立ち、陽を見上げてはその(まばゆ)さに目を(すが)める。



 やはり、ヒトと長くいすぎたのだ、と『彼』は思う。



 ヒトは、生きている。生きるために他の命を殺して生きる。



 生きて行くということはそういうことだ。ひとつの命を生かすために千も万も億も他の命が失われている。それは単なる弱肉強食。ヒトすら死ねば他のものが生きて行く上での糧になる。



 『彼』は、ひとつの命を大切に想ってしまった。例え他の命がいくつ犠牲になろうとも、たったひとつ、その命だけが愛おしい。



 それを願うのは、ヒトと同じだ。ヒトは無力だからいい。願いは手が届かないから美しい。ただ『彼』は違う。願ったことを、現実にする力を持っている。それは、「いけないこと」だ。



 「悪いこと」をしてはいけないのだ。



 日紅に、怒られてしまうから。



 腹も減らず、眠ることもなく、息もしない『彼』は、日紅に会って、ヒトの真似をするようになった。最初は日紅に強制されて、逆らうのが面倒くさかったから。そして、それは段々―…日紅と同じヒトではないことで怯えさせて嫌われたくないという思いに変わっていった。



 地に足をつけて、歩くということ。足の裏に力を入れ、土を踏む。いのちの芽吹きを感じながら、ぐっと体重をかけ、前に進む。歩いた分だけ、自らの軌跡が後ろにはるか長く長く棚引く。



 表情。笑うと言うこと。楽しいという感情を他者に伝えるために顔に浮かべる。笑顔を浮かべてみせると、日紅が笑うから。笑顔は嬉しいのだと日紅は言う。楽しいときは笑ってと、そう言う。だから『彼』は笑う。日紅のために。



 息をするということ。体の中に地や光の暖かさを吸い込む。それは『彼』のなかをぐるりとめぐり、いのちの息吹(いぶき)をしみこませる。それを吸って、吐いて、自らも命の輪廻に宿る。身体を血が巡り、温かみが通う。ヒトのように。



 けれど、いくら真似をして近づいても、『彼』はヒトじゃない。日紅とは違う。日紅もいくら妖と関わったところで、日紅が妖になるわけじゃない。日紅はヒトのまま、『彼』は妖のまま、そこには絶対の隔たりがある。



 もし、などと考えることは愚かなことだ。いくら考えても現実に起こりはしないのだから。けれど、今だけは。



 ひとつひとつ、日紅に近づいていって。



 ひとつひとつ、何かを得ていく。



 得たその分、持っていた何かを失って。



 また、俺は手に入れる。




















押さえきれぬ感情は(とう)々と溢れ零れる。それを拭う手も持たぬまま、『彼』はただ独り待つ。いっそ来なければいいと願いながら。 
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