西域の笛
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第一章
西域の笛
中国の長い歴史においては謎も非常に多い。その謎の一つに老子に関するものがある。
青い牛に乗って西域に旅立った、そこでその著書を残して何処かへ去った。
老子が何処に行ったのか誰も知らない、本当に誰もだった。
唐の都長安でもそのことについてあれこれと言われている、隋が崩れ戦乱が起こっていたがそれがようやく収まった頃だ。
唐の皇室は鮮卑の筈だが自分達を漢人と考えているふしがあった、それで自分達と同じ姓の老子を敬愛しその教えを大事にした。
そのせいか長安には道観が多い、その道観を見ながらだった。
仏教の僧侶達も首を傾げさせながら話す。
「老子は何処に行ったんだろうな」
「それはわからないな」
「あのまま消えて出て来ないからな」
「話にも残っていないからな」
「どの書にも残ってないんだよ」
そうなのだった、まさにどの書にも老子のそれからは書かれていない。
彼等もその話を知っていて言うのだった。
「本朝には戻ってないな」
「じゃあ崑崙に行ったのか?」
「元々仙人だしな」
「じゃあこの地にはいないか」
「天にあがったか?」
「神って説もあるしな」
「そうかも知れないですね」
ここで僧侶達の中でも一際賢明な顔立ちの若い者が言ってきた。
この僧侶の名を玄奘という、彼は共に学ぶ友達にこう言った。
「あの方はこの世にはおられないかも知れません」
「では何処におられるか」
「それだよな」
「真に崑崙に登られたのかも」
玄奘もまたその可能性を言う。
「そうかも知れませんね」
「そうか、崑崙か」
「やっぱりあそこか」
「あそこに行かれてか」
「それでいなくなられたか」
「それは誰もわからないことでしょう」
玄奘は遠い目で語る、その彼に。
学友の一人が曇った顔になりこっそりとこう囁いた。
「ただ御前が西域の話をするのはな」
「危ういですか」
「皇帝はお許しになられないみたいだぞ」
「私が天竺に行き経典を持って来ることは」
「ああ、危ういってことでな」
それが理由だった。
「お許しになられないらしい」
「ですが経典をこの国に持って来れば」
玄奘は前を見て強い声で答えた。
「必ずです」
「大きなことになるか」
「本朝に御仏の教えがさらに広まります」
「それも確かな教えがだよな」
「そうなりますい。ですから」
是非にというのが玄奘の考えだ。
「そう思っているのですが」
「だからそんな話をしてな」
「お役人に聞かれると」
「すぐにしょっぴかれるぞ」
学友を周囲をこっそりと見回しながら彼に告げた。
「流石に処刑はされないがな」
「そのまま牢に入れられるか遠方に流されて」
「それでだよ」
西域に行けない様にされるというのだ。
「帝も御前のことを本当に気にかけておられるんだよ」
「そのことは有り難いですが」
玄奘の才覚は皇帝李世民、後に太宗と呼ばれることになる名君からも愛されていた、それでだったのである。
皇帝は玄奘に危ういことはさせたくなかった、それでだったのだ。
だが玄奘はあくまでこう言うのだった、
「しかし私は」
「どうしてもか」
「行きたいのです」
そして経典を手に入れたいというのだ。
「是非共」
「流されてもいいのだな」
「流されても諦めません」
これが玄奘の考えだった。
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