| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

将棋馬鹿一代

しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

第三章

「ほんまに」
「線路に飛び込もうとしてな」
「大騒ぎでしたわ。けど」
「もう二度とそんな苦労はさせんな」
「わしはやりますわ」
 隠居に王手をかけた。飛車が龍馬になってそうした。
「将棋しかできませんけど」
「その将棋でやな」
「あれに楽させるようにします」
「頑張りや。そんでな」
「はい、そんで」
「この勝負の後どうするんや?」
 隠居は王手をかけられた己の王将を動かしながら坂田に尋ねた。
「もうすぐ昼やで」
「何か食いに行きますわ」
 昼だからそうする、坂田もこう返す。
「洋食がええでんな」
「あんたけど料理の名前は」
「読めんようになってますわ」
 将棋ばかりしていて駒の文字以外は読めなくなっているからだ。
「まあそれでも近くの客の食うてるもんあれくれって言ってそれで済みますさかい」
「ええねんな」
「字は将棋の駒の文字がわかればええですわ」
 こう項羽の様なことを言う。
「自分の名前も書けんようになりましたけどな」
「それでもええんやな」
「学問なんてわしには意味ありませんわ」 
 将棋だけだからだ。
「だからええですわ」
「あんたらしいな」
「じゃあこの勝負終わったらちょっと席外します」
 隠居の逃げた王を追いながら答える。
「ほなまた」
「将棋の駒の名前さえわかれば」
「他の文字はええです」
 こう言うのだった。坂田は実際にそれで満足していた。彼にとっては将棋が全てでありそれで生きていたからだ。
 見えるものもそれだけでよかった。だが。
 ある日急にだった。彼は目にかすみを覚えた。この日は床屋の前で将棋を打っていてそれを感じたのだ。
 彼は己の右手で目を押さえて言った。
「何や、一体」
「あれっ、坂田はんどないしたんでっか?」
「何かあったんですか?」
 床屋と他の客がその坂田に問うた。
「急に目を押さえて」
「埃でも入ったんですか」
「いや、何か急にかすんで」
 こう彼等に答える。
「それでや」
「かすんだんでっか」
「そうなんでっか」
「そや。これは何や」
 首を傾げさせながら言う坂田だった。
「目がかすんだら将棋の駒も見えんやないか」
「そやな。目の病気ちゃいまっか?」
「それやったら医者行った方がええですで」
 床屋達は怪訝な顔で坂田に通院を勧めた。
「目は大事やさかい」
「そうしたらどうでっか?」
「そやな」 
 坂田も考える顔で答える。将棋を打ちながら西瓜も食う。
 その西瓜は赤い、だがその赤もだった。
 妙にかすんで見える、それで言うのだった。
「将棋は駒が見えるんとどうしようもないからな」
「ええ医者紹介しますで」
 床屋は将棋の状況を見て言う。坂田の守りを崩せずその間に攻められ彼にとって不利な状況となっている。
 だが今は勝負よりもそれを見て言うのだった。
「それやったら」
「ああ、目の医者やな」
「知ってますさかい。それやったら」
「頼むわ。その医者紹介してくれ」
「わかりました」
 こうして坂田は床屋に紹介されたその目の医者の病院に行った、診断を受けたがその結果は彼にとっていいものではなかった。
 医者は難しい顔でこう彼に言ったのである。 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

全て感想を見る:感想一覧