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将棋馬鹿一代

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第一章

                       将棋馬鹿一代
「おい、兄ちゃん」
「はい、何でっか?」
 食堂で若い男が年配の和服の男の話を聞いていた。
「注文でっか?」
「ああ、あれくれるか?」 
 男は自分の近くの席の老人を指差しながら兄ちゃんに言う。
「あれ食うわ」
「あれ?」
「あの爺さんが食うてるやつや」
 それをだというのだ。
「あれくれるか」
「ああ、あれやな」
 見れば老人はカレーを食べていた。兄ちゃんもこれで納得した。
「カレーやな」
「そや、それや」
「わかりました。ほなすぐに持って来ますさかい」
「頼んだで」
 男も笑顔で頷く。
「あれな」
「わかりました。ほな」
 こうしてそのカレーが持って来られ男はそれを美味そうに食べていた。兄ちゃんはその男を見て首を捻りながら尋ねた。
「あの、ええでっか?」
「何や?」
 男はスプーンでカレーを食べながら貌をあげて兄ちゃんに応えた。
「何かあるんかいな」
「お客さんどっかで会ってません?」
「わしかいな」
「はい。どっかでお会いしたことある思うんですけど」
「そりゃどっかで擦れ違うこともあったやろ」
 男は素っ気無くこう答えた。
「これまでな」
「それで、でっか」
「ああ。まあわしはいつも将棋をしとる」
「将棋!?」
 兄ちゃんは将棋と聞いてぴんときた。将棋といえばだ。
「お客さん坂田さんでっか?」
「ああ、そや」
「坂田三吉さんですよね」
「その通りや。何や、知ってるやないか」
「お客さん有名人ですさかい」
 兄ちゃんはその目を丸くさせてその男坂田に言った。
「皆名前を聞いたら知ってますで」
「そうやねんな」
「いや、他人事やなくて」
 兄ちゃんは目を丸くさせたまま坂田に言う。
「坂田さん今度は」
「ああ、勝負やな」
「はい、出るんでっか?」
「東京まで行かなあかんのが厄介やな」  
 坂田はここでぼやきを見せた。
「兄ちゃん東京知ってるか?」
「いえ、行ったことありませんけど」
「あそこは難儀やで」
 坂田は口を歪ませて語る。まるで今食べているカレーの味が急に変わってしまったかの様にそうした口になった。
「うどんあるやろ」
「うどんでっか」
「つゆが真っ黒や。それで滅茶苦茶辛いんや」
「そんな黒いんでっか」
「最初見た時墨汁入れてるんかと思うたわ」
 大阪の人間から見れば東京のうどんはそうなのだ。これは今でもそうだがつゆを作る素材もそもそも違うのだ。
「あんなもん食えたもんちゃう」
「そうでっか」
「そや、それでや」
「それで?」
「鱧ないんや、鱧が」
「あんな美味い魚がないんでっか」
「しかも腐った豆食うとる」
 坂田は納豆のことも話した。
「もう何から何までや」
「大阪と違うんでんな」
「全然ちゃう。あんな食い物もまずいところが都や」
 日本の首都だというのだ。
「難儀な話やで」
「それでその東京にでっか」
「そや、行くんや」
 そして勝負をしに行くというのだ。 
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