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アラベラ

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第一幕その七


第一幕その七

「マンドリーカだ」
「さっき仰ってた」
「ああ、間違いない。まさか本当に来るとは」
 驚きを顔に浮かべたままボーイに顔を向けた。
「その客人は私に会いたいのか」
「はい、どうしてもお会いしたいと仰っていました」
「そうか」
 事務的なその返答を聞いて彼は考えた。
「わかった。お通ししてくれ」
「はい」
 ボーイは頭を垂れると部屋を後にした。そして暫くして戻って来た。
「こちらです」
「おお」
 ヴェルトナーは立ち上がった。そしてボーイに案内され部屋に入って来た男に声をかけた。
「よく来てくれた、久し振りだな」
 彼はあえて喜ばしい声でその男に声をかけた。
「元気だったか。ウィーンは何年ぶりかね」
「はじめてです」
「そうか、はじめてか・・・・・・何!?」
 ヴェルトナーはそれを聞いて思わず顔を前にやった。
「おい、それは嘘だろう。一緒にこの街の大通りを行進したじゃないか。馬を並べて」
「確かに叔父は騎兵隊におりましたが」
 部屋に入って来た男は答えた。
「私は騎兵隊にいたことはありませんが」
 見ればヴェルトナーよりも遙かに若い。二十代後半か三十代前半と思われる若い男であった。
 長身で逞しい身体つきをしている。黒い髪を後ろに少し撫でつけている。見ればかなり質のいい油を使っている。
 顔立ちはいささか田舎っぽさもあるが整っており気品が漂っていた。綺麗に切り揃えた口髭がその顔によく合っている。黒い瞳の光は落ち着いており優しささえ漂っていた。そして黒いコートの下に見事なスーツを着ている。それだけで彼がかなり裕福な男であるとわかった。
「何、では君は一体」
「私はマンドリーカ騎兵隊退役大尉の甥です」
「甥だったのか」
「はい。ヴェルトナー伯爵はおられるでしょうか」
「私ですが」
 彼は答えた。
「一体何の御用でしょうか」
「はい、実はこの手紙ですが」
 彼はそこで後ろに控える騎兵隊の服を着た従者に目配せした。するとその従者は懐から一枚の手紙を取り出した。
「御苦労」
 彼はそれを受け取った。そしてそれをヴェルトナーに見せた。
「これを私に送って下さったのは貴方でしょうか」
「ううむ」
 手紙を見る。何故か赤く汚れているが読める。確かに彼の字だ。
「はい、間違いありません」
「そうですか、それはよかった」
 彼はそれを受けてにこやかに笑った。
「ここ暫くこの手紙のことばかり考えていたもので。本来ならもっと早くこのウィーンに来たかったのですが」
 彼はここで少し哀しい顔になった。
「この手紙を受け取ったその日に熊に襲われまして。そして暫く動けなかったのです」
「熊にですか」
「はい。私の住んでいる場所は森の奥深くでして。このウィーンとは比べ物にならない程の田舎です」
「ふうむ、それは大変でしたな」
「まあよくあることですよ。私はその熊を何とか倒しましたが」
「いやはや、それはそれは。ところで」
「はい」
 彼はヴェルトナーの問いに顔を向けた。
「貴方は私の旧友であったあのマンドリーカ大尉の甥と今仰いましたが」
「はい」
 彼はそれを認めた。
「それが何か」
「いえ、私は彼に手紙を送りましたので。彼はどうしたのですか?」
「叔父ですか」
「はい」
「亡くなりました」
 彼は俯いてそれに答えた。
「そうだったのですか」
 それは考えなかった。ヴェルトナーは友の死を聞き唇を噛んだ。
「いい男でした。友人としても軍人としても」
「有り難うございます。叔父も天国で喜んでいることでしょう」
 彼はそれを受けて言った。
「そして今では私がマンドリーカ家のたった一人の者です。叔父は私に自分の全てを残してくれました」
「そうですか」
「それで手紙を開いたことはお許し下さい」
「はい」
「それでお聞きしたいのですが」
 彼はまた従者に目配せした。
「あの写真を」
「はい」
 従者はそれを受けて一枚の写真を取り出した。それはヴェルトナーが手紙に添えたあの写真であった。
「この写真は貴方の娘さんで間違いありませんか?」
「はい。私の娘に間違いありませんが」
 彼はそれに答えた。
「アラベラと申します。手紙にも書いてありましたが」
「そうですか」
 マンドリーカはそれを聞いて頷いた。
「この手紙によるとお一人だそうですが」
「はお」
 ヴェルトナーはそれを認めた。
「婚約もしておりませんが」
「お手紙の通りですね」
 彼はそれを聞きまた頷いた。
「それでは少しお話したいことがあるのですが」
「そうですか。それなら立ち話も何ですから」
 ヴェルトナーはそれを受けて後ろにいた妻に目配せをした。
「少し席を外してくれ」
「はい」
 彼女はそれに従いその場から立ち去った。
「御前も少し休んでいてくれ」
 マンドリーカも後ろにいる従者にそう伝えた。彼はそれに頷き下がった。
 二人はテーブルについた。そして話をはじめた。
「でははじめますか」
「はい」
 マンドリーカはそれに了承した。そして話がはじまった。
「あの手紙の内容についてですが」
 話は手紙のことであった。これはヴェルトナーもおおよそ見当がついていた。
「はい」
 気構えはできていた。それを受けて顔を向けた。
「娘さんの婚約者を探しておられるようですが」
「はい」
 その通りであった。彼はそれを認めた。
「ですがそれは私の叔父に対してだったのですか?御言葉ですが叔父は」
「それはわかっていました。彼が人生の黄昏時にいることは」
 彼はそれに対して答えた。
「私も同じですから」
「それなら何故叔父に」
「いや、それは」
 真相を言うことはできなかった。彼は誤魔化すことにした。
「ほんの冗談です。友人として」
「伯爵」
 だがマンドリーカはそれを受けて厳しい顔をした。
「叔父は死ぬその直前まで元気でした。おそらくあの写真を見たらすぐにここへ来たでしょう。独身でしたし」
「はい」
「ですが叔父は生真面目でした。これも御存知だと思われますが」
「勿論です」
 それはヴェルトナーもよくわかっていた。
「では冗談を好まなかったことはご承知でしょう。そして私は貴方がその様な冗談をされる方とは思えません」
 彼は言った。
「今は私がマンドリーカ家の主です。多くの者が私の幸福を祈ってくれております」
 彼にはそれだけの部下や使用人がいるということである。
「その数は四千人」
「そんなにですか」
 それはヴェルトナーも知らなかった。富豪だとは聞いていたが。
「はい。そして貴方のお手紙のことですが」
 彼の顔はさらに真剣なものになった。
「言わせて頂きます。もう叔父はおりませんが」
「はい」
「お嬢さんを私の妻に。あの人を私にお与え下さい」
 強い声でそう言った。
「それは・・・・・・」
 予想していたとはいえその言葉に戸惑わずにはいられなかった。それは親として当然のことであった。
 
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