ソードアート・オンライン ~無刀の冒険者~
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SAO編
episode6 恐怖と絶望の体現者2
PoHの突進は、俺の予想の速度よりも速かった。
だが、それはどうにもでいないほどの速さというわけでは無かった。言ってしまえば『閃光』や『黒の剣士』のほうが速い。そして、カウンターを狙って待ち受けている俺が対応しきれない程の速度ではない。
いける。
PoHの斬撃を読み切って、体を回転させて回避する。手にしている奴の武器は軽量系の武器である短剣とはいえ、それを超える恐ろしい威力を秘めた魔剣。それなりの重量があるだろう。空振らせれば、一瞬では立て直せまい。
狙うはその隙。
…その隙に。
「はぁっ!!!」
回転の勢いを乗せた裏拳、《ゲイルナックル》。単発技の多い『体術』スキルの中でも、モーションの大きい分指折りの威力を誇る必殺のカウンター。赤紫のエフェクトフラッシュを纏ったその遠心力たっぷりの一撃が、
PoHの体に、
「っ!!?」
当たらなかった。
それどころか、俺が回転の際に目を離したほんの一瞬の合間に、奴の姿が俺の視界からすっぽりと消えていた。大ぶりの一撃の空振りが、かわされたソードスキルが、俺の体を固まらせる。技後硬直。他のスキルよりは遥かに短い、しかし決定的な隙。
(……っ!?)
その硬直の間に、俺の死角、あさっての方向から感じる、強烈な殺気。
「うおおおっ!!!」
怯みそうになるその体を、叫び声で叱咤して無理矢理に動かす。硬直が解けると同時に、敏捷値を全開にしたダッシュ。『軽業』スキルによる初動速度の支援も受け、トップスピードで緊急回避した俺の、肩口。
「ぅっ……!?」
そこが、ぱっくりと裂けた。
振り下ろされたPoHの《友斬包丁》が、すれすれで掠めたらしい。そのほんの僅かの接触で、決して安物では無い俺のハーフコートがいとも容易く切り裂かれた。その傷口の、データとは思えない鮮やかさに、鳴るはずのない喉がごくりと音を立てる。
…あれを、まともに食らったら。
「っ!!!」
再びの恐怖が、首筋を撫でる。
地面に片膝片手をついて、見つめる先。
ほんの一瞬前まで俺がいた場所に佇む、真っ黒い影。
さっきの一撃。見切ることはおろか、初動を見ることすらできなかったその動きは、しかし何らかのソードスキルですら無かったのだろう。硬直時間も何も無くゆらりと起き上った影が、こちらを向く。
あの速さが、システムアシストなし。
あの鋭さが、この男の自力のみの力。
「Ah-Han? 流石に一撃とはいかないかね」
その必殺の刃を、舐めるように口元に運びながら言う。その口ぶりからは、奴の心中を探ることはできない。分からない。さっきの一撃が、奴の全力だったのか。最高で最速の攻撃だったのか。
それとも。
…それとも、さっきの一撃でさえ、ほんの挨拶がわりだったのか。
(ぅ……)
喉が、ゴクリと鳴る。
本当はこの世界では感じないはずの鼓動が、狂ったように脈打っているような錯覚を感じる。頭を埋め尽くす恐怖と…絶望。もしあれよりも速い一撃が来たら、俺はもう避けられない。そしてこのハーフコートをいとも容易く切り裂いたあの魔剣をまともに食らえば、俺の紙に等しい防御ではHPは一気に持っていかれる。
最悪、一撃で……
「っ、当たり前だ! 次はこっちから行くぞ!!!」
止まりかけた体を、思考を無理矢理に断ち切って、疾走する。PoHの周囲を囲むような軌道で周囲を走る。今まで誰にも披露したことの無い複合スキル最上位技、《ファントム・シェイド》。必要とされる敏捷値はかなり高く俺も最近使用可能になったばかりだが、一定速度以上で走り続ける限り、俺の体はいくつもの影に分身して見えるというチート性能の技だ。
そしてその数は、疾走を続ける限り増え続ける。
「Wow…こいつは驚きだ」
ぐるりと見回すPoH。その目は、俺を捕えてはいない。行ける。なおも疾走し続け、右手の指を揃えて貫手の構えをとる。周囲の幻影達も、鏡映しのように走りながら同様に構える。その手が、一斉にソードスキルのエフェクトフラッシュを放つ。その数は既に十を軽く超えている。
そのまま、PoHの背後に一瞬で駆け寄る。『隠蔽』の派生技でその気配は完全に消してある。完全にPoHの死角から、《エンブレイサー》の一撃で首筋を後ろから襲う。
決まる。避けられない。
渾身の、一撃。
それが貫いた。
「甘いな。『攻略組』最速、『旋風』ってのはその程度か?」
PoHの、声だけを。
避けられるはずの無い一撃。それを、奴はあっさりと首を捻ってかわした。同時に振り返ったPoHの目線が、俺の愕然とした目線と交錯する。本能的な恐怖に駆られて飛び退ろうとしたものの、体は微塵も動かない。技後硬直だ。
そんな俺を嘲笑うように、PoHの右手が構える。毒々しい色のエフェクトフラッシュを纏ったそれは、まぎれも無いソードスキルの前兆。ソラと背中を合わせて戦う中で、何回も見た短剣スキル四連撃技、《ファッド・エッジ》の構え。
「っ!!!」
その連撃の軌道を見切って、左手の手甲をそこに翳す。防げる。俺の左腕に装備されているのは、超軽量金属とは言え現在最高峰の素材から造られた《フレアガントレット》なら、防ぎ得るはず。間一髪、間に合ったその動作を見たPoHが、
にやりと嗤った。
「っ!!?」
予想した衝撃は、来なかった。
なぜ? 俺の意識が、不測の事態に一瞬停止する。発動したソードスキルは、止められないはず。いや正確には出来なくはないが、そんなことをすれば硬直時間が、
「…!」
いや。できる。
奴の使った《ファッド・エッジ》は、『短剣』カテゴリではせいぜい中級のスキル。恐らくスキルをとっくにマスターしているだろう奴にとっては、そうそう硬直時間の長い大技では無い。キャンセルしても、そこまでの時間はかからない。いや、それ以前に。
あのエフェクトフラッシュが、既にキャンセルされた後のものなら。
「っうあっ!!?」
直後、強烈な斬撃が、俺の左腕を襲った。タイミングをずらされ、堪えようとした場所とは異なるところを激しく打たれた手甲が軋み、殺しきれなかった衝撃が俺の全身を吹き飛ばす。威力に乏しい短剣にも関わらず、一気に俺の体が壁際まで弾かれる。
慌てて起き上ってHPバーを見て、
「な……っ」
呆然とした。HPバーが、二割以上減っている。不意を突かれたとはいえ、手甲の防御の上からこれほどのダメージを抜いてきた。間違いない、強攻撃を一発でもまともに食らえば、俺のHPは吹き飛ぶ。そして、防具の耐久値。まだ八割以上残っていたはずのその値は、既に一割を切っていた。
バランスを崩されたとはいえ、たった一回打たれただけで、だ。
見やった左腕の手甲には、無残な罅割れ。
「……っ」
「いいぜ…。その顔だ。やっぱり獲物はその絶望した顔をしてくれなくちゃな…」
減った分を回復するために、高性能のハイポーションを煽る。その様子を、PoHがニヤニヤと笑いながら見つめる。奴は、まだまだ余裕を失っていない。対するこちらは、最高のスキルも、敏捷値の限界も、左手の防具さえ、全てを曝け出している。
圧倒的不利の状況の俺に、再びPoHの突進が襲いかかった。
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