アラベラ
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第二幕その四
第二幕その四
だがここに不安に心を支配されている二人がいた。
「アラベラはここなんだね」
マッテオは焦燥にかられた顔で後ろにいる少年に対して言った。
「うん、そうだよ」
ズデンカは彼を気遣いながらそれに答えた。
「遂にここまで来たけれど」
その声も不安に満ちたものであった。
「けれど彼女は僕には目もくれないだろうな」
そう言って溜息をついた。だがズデンカがそんな彼を励ました。
「そんなことないよ。姉さんが愛しているのは君だけだよ」
「君はいつもそう言ってくれるけれど」
今の彼にはその言葉を信じることはできなかった。
「気を確かに持って、ね」
「うん」
彼、いや彼女に励まされながら辺りを見回す。ズデンカはそんな彼に対して言った。
「ちょっと待っていてね。姉さんを探して来るから」
「探してきてくれるのかい?」
「そうだよ。だからここで待っていてね」
「わかったよ」
彼はそれに頷いた。ズデンカはそれを見てそこから立ち去った。そして会場の周りを探しはじめた。
「彼はいつもああして僕の為に尽くしてくれるけれど」
だがマッテオはそれを哀しげな瞳で見ていた。
「僕にはわかってるんだ。結果がやっぱり明日には異動を願い出よう。そして全てを忘れよう」
そして側の椅子に崩れ落ちた。彼は完全に希望を見失っていた。
しかしズデンカは違っていた。何としても彼を救おうとしていた。
必死に姉を探し回る。だがその姿は何処にもなかった。
「ここにはいないのかしら」
次第に焦りを覚えはじめた。ふとそこに両親の姿が目に入った。
「あれは」
彼女はそれを見て身を隠した。
「今見つかってはいけないわ。姉さんに知られるかも」
彼女は別の場所へ移った。そしてまた姉探しをはじした。
「お待たせしました」
マンドリーカは二人のところに戻って来た。どうやら何か都合があったらしい。
「いやいや」
ヴェルトナーは笑顔で彼を迎えた。
「私も今ここに戻って来たばかりですから」
「そうですか。それならよかった」
マンドリーカもそれを受けて微笑んだ。そして二人に言った。
「では宴もたけなわですし食事にしますか」
「いいですな。御前はどう思う?」
彼はここで妻に問うた。
「私もそれに賛成です」
彼女も拒む理由はなかった。微笑んでそれに応える。
「それならよかった。実は先程ここの給仕に話をしまして」
「はい」
「お酒と料理を用意してもらいました。全て私からの贈り物です」
そこで会場に豪華な料理とワイン、そしてシャンペンのボトルが山の様に送り込まれてきた。
「さあどうぞ。そう」
彼はここで会場にいる全ての者に対して言った。
「ここにいる全ての方に!今日は私の祝いの日ですから!」
「おお!」
「本当ですか!?」
「はい!」
彼はそれに応えた。
「さあ皆さん今宵は存分にお楽しみ下さい。このマンドリーカ、是非皆さんに喜んでもらいたい!」
そして彼は給仕を呼んだ。
「いいかい」
注文を開始した。
「まずは馬車を一台、いや二台用意するんだ」
「わかりました」
その給仕はそれを聞いて頷いた。
「それから花屋に頼んで店の売り子を起こすんだ」
「何故ですか?」
「決まっているじゃないか」
彼はここでにこりと微笑んだ。
「花を買うんだ。いいかい、ここからが肝心だ」
「はい」
そう言われて給仕は顔を引き締めさせた。
「まずは薔薇だ。それも一つの馬車に紅と白の薔薇を半分ずつ」
「わかりました」
給仕はそれをメモした。
「そしてもう一つは椿だ。こっちも紅白で」
「半分ずつですね」
「そうだ。全ては私の妻となる人の為。いいかい」
「勿論です」
彼はそれを受けて笑顔で答えた。
「それにしても何という素晴らしい贈り物でしょうか。そこまでの花を贈られるとは」
給仕はそう言って彼を称賛した。
「いや、当然のことだよ」
だがマンドリーカはそう返した。
「私は彼女を愛しているのだから。彼女はその花の上で踊るんだ。娘時代の最後の踊りを」
「貴方の贈られた花の上で」
「そう、そして私は彼女を迎える。私達はそして永遠に結ばれるんだ」
声も表情も恍惚となっていた。彼は半ば夢の世界にいた。だがそれは現実の夢であった。
「では頼んだよ。すぐにね」
「はい」
給仕は答えた。既にメモはとってある。
「紅と白の薔薇を一つの馬車に、そして同じく紅と白の椿をもう一つの馬車に」
「うん」
「では暫しお待ちを。花の山が貴方達を祝福するでしょう」
そして給仕はその場を後にした。花の山を持って来る為に。
アラベラはこの時バルコニーにいた。そこで誰かを待っていた。
その瞳は窓の向こうの夜空を見ていた。そこには濃紫の空がある。
そしてそこには無数の星達もあった。色とりどりの光を放っていた。
彼女はそれを見ていた。見ながら一人想いに耽っていた。
「かってこれ程までに夜がいとおしいと思ったことはなかったわね」
彼女はふとそう呟いた。
「娘時代には思わなかったことなのでしょうか。そしてこれからはどう思うようになるのかしら」
星が彼女の青い瞳の中に映る。それは静かに瞬いていた。
「夜が怖かった時もあったわね。そして月や星の美しさにだけ見惚れていた時もあったわ」
幼かった頃と娘だった頃。だが今は違う感情を持つようになっていた。彼女は次第に娘ではなくなっていた。
「これからはこの夜の空を一人ではなく二人で見たい。そう」
ここで彼の顔が頭に浮かんだ。
「あの人と」
そこへ会場のスタッフがやって来た。
「ドミニク伯爵をお招きしました」
「有り難うございます」
彼女はそのスタッフに振り向いて礼を言った。
「御苦労様です」
「いえ、そのような」
礼を言われた方が恐縮してしまった。それ程までに優美な微笑みであった。
彼は下がった。そしてドミニクが階段を上がって来た。
「フロイライン、ここに私をお招きした理由は」
「はい」
アラベラは一瞬目を伏せた後で答えた。
「先程の踊りですが」
「はい」
「あれは私の最後の踊りです」
「といいますと」
彼にはその言葉の意味がよく理解できなかった。問わずにはいられなかった。
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