蒼き夢の果てに
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第5章 契約
第56話 ハルケギニアの夏休み・宵の口
前書き
第56話を更新します。
現在、順当に遅れて居ます。
理由は、連載ふたつ以外に、ひとつ余分に書き始めたから、ですが。
新しい分は、『問題児たちが』の二次小説。公開は、四月半ばを予定して居ます。
現在、二話まで完成済みです。
尚、『ヴァレンタインから一週間』第14話の更新は、四月二日を予定して居ります。
神前に供える為の御膳に乗せた料理の数々を、自らの額よりも高い位置に掲げながら、コルベール先生に保護された少女の目前まで運ぶ俺。
その俺の出で立ちはと言うと、身体を覆うのは白の狩衣。頭には黒の烏帽子。帯の部分には櫟の笏を挟む。そして袴に関しても無紋の白差袴。
何と言うか、オマエ、何処の神職だ、と言う雰囲気の出で立ち。
但し、顔の下半分を覆う白い布が、普通の神職とは違う部分なのですが。
そして、
少女の目の前に神の法に従い、正しい順番。正しい方向にて並べる俺。
その後……。
「御炊きて備える御食は柏葉に」
ゆっくりと、そして、浪々と紡がれ始める祝詞。
「高らかに拍八平手の音……」
その瞬間、ゆっくりと打ち鳴らされる八回の柏手。
そう、それは柏手。天の岩戸に御隠れに成った尊い御方を呼び出す際に打ち鳴らされ、邪気を払うとも言われる神道の禊の基本。
「神は聞きませ……」
この祝詞は、神の前に備える神饌を捧げる際に唱えられる祝詞。
そう。この祝詞を唱えると言う行為も、この眼前で、まるで意志を持たない存在のように、ただ其処に存在するだけだった少女に神力を取り戻させる為に行う手順のひとつ。
そして、俺の傍らに控えていたコルベール先生が、俺と入れ替わって少女の傍らに立つ。
それを見届けた瞬間、俺は、少女の眼前から、ゆっくりと後ずさりをするような感じで、少女とコルベール先生の前から辞した。
一応、今、考え付く限りの方法は試して見た。これで、この少女に食事を取って貰えないのなら、後は、彼女を溺れるぐらいまで泥水を浴びせ続けるしか方法は有りません。
出来る事ならば、そんな荒っぽい方法で、この少女を異界へと追い返したくはないのですが。
そう考えながら、俄か仕立ての神職から解放された俺が、コルベール先生の鄙びた庵の入り口から見えている食事中の二人に対して、後ろ姿を見せる事なく完全に退出する事に成功する。
多分ですが、完全に扉を閉じて仕舞う必要はないでしょう。一応、俺の能力で、このコルベール先生の研究室は結界が施され、一種の聖域と成って居ます。
まして、完全に閉めきって仕舞うと、今の気温から考えると、コルベール先生が熱中症で倒れて仕舞う可能性も有りますからね。
今、先生に倒れられると、それだけ、あの少女を送還するのに余計な時間が掛かって仕舞いますから。
「それで、シノブ。その妙な格好と、あの女の子の食事を急に作り出した理由を詳しく説明して貰えるかしら?」
コルベール先生の研究室の入り口にて、神饌を運び、そして、祝詞を唱え終わった俺を待ち構えていたキュルケにそう聞かれる。もっとも、シースルーのチューブトップにニップレスシールのゲルマニア貴族と言う、無国籍のキュルケに言われたくは有りませんが。
尚、少女の目の前に神饌を運び終わった俺と入れ替わりに、下手くそなお箸の使い方では有りますが、これまた日本の神職の衣装に身を包んだコルベール先生が、その少女の口元に俺が準備した神饌を運んで居ます。
「彼女の名前は魃姫」
顔の下半分を覆っていた白い布を外した後、最初に俺とタバサ、そしてキュルケを起動させたシルフの音声結界に因って包む。流石に、これから先の話の内容をコルベール先生に聞かせる訳には行かない可能性も有りますから。
自らが保護した少女が、もしかすると、この日照りを起こしている元凶の可能性が有る、などと言う事を、あの好人物の先生に聞かせる事は問題が有りますからね。
そして、その後にコルベール先生が保護していた少女の正体についての仮説を口にする俺。もっとも、俺自身に確信が有る仮説と言う訳ではないのですが。流石に、向こうの世界で資料や伝承などでは目にした事は有りますが、実際に出会った事の有る神霊の類では有りませんから。
ただ、古代中国の周時代の服装に似た衣装。更に、最近のトリステイン周辺国の異常な高温少雨の状況。少女から感じる人ならざるモノのイメージが火と、乾いた風。魃姫とあの少女を完全にイコールで繋ぐ事が出来なくても、おそらくは日照り神の系統で有る事は間違いないと思います。
まして、俺とタバサがラグドリアン湖で倒したのは、邪龍ニーズホックなどではなく、水の邪神共工に似た存在。
水の気が勝ち過ぎた存在を排除した事に因って、今度は火や乾いた風に関わる存在が人間界に顕われたとしても不思議では有りません。
「彼女が顕われると、その地域には旱魃と、異常な高温が訪れると言われる日照り神の一種。但し、本人に悪意が有る訳では無いので、ある意味、一番厄介なタイプの祟り神と言うべき存在」
更に説明を続ける俺。そう、伝承通りの存在ならば、彼女、魃姫に悪意は存在していないはずです。ただ、其処に存在するだけで高温と旱魃を起こす。民に取っては非常に厄介な神性を持った神様と言う事ですね。
「俄かには信用出来ない内容の話だけど……」
俺の事を胡散臭い宗教家か何かを見るような瞳で見つめるキュルケ。これは、俺の言葉が完全に信用された訳では無いと言う事なのでしょう。まして、ヨーロッパの伝承上に日照りを起こす神様と言う存在はあまり居なかったとも思いますから。
少なくとも、この場で咄嗟に思い出す神性は存在しては居ません。
そして、片やタバサの方は、僅かに眦を上げて俺を見つめた。もっとも、この僅かな違いを理解出来るのは、おそらくこの世界では俺だけでしょうけどね。
俺は気を読む事が出来ます。ほんの僅かな表情の違いと、その時に発せられる彼女の雰囲気に因って彼女の現在の感情を読む。これは、この四月の出会いから積み上げて来た生活が生み出した俺の特技ですから。
【確実にそうだとは言えないけど、水の邪神共工が顕われた事に因って狂った世界の在り様が、魃姫を異界から呼び寄せた可能性は高い】
流石に、実際の言葉にして告げる事は出来ないので、【念話】にしてタバサに伝える俺。確かに、キュルケもタバサの正体については気付いているでしょうけど、まさか、自らの親友の少女が、邪神を相手に度々戦わされているなどとは思っていないでしょうから。
実際、何故、俺やタバサがこんな厄介事に関わらせられるのか、非常に不思議では有るのですが……。
おそらく、この生け贄の印や、変わって仕舞った左目に理由が有るのでしょうね。
それと、タバサの家。いや、ガリアの王家の事情と言う物も関係しているとは思いますが。
「それで、百歩譲ってあの女の子がその日照りを起こしている悪魔なら、さっさと倒すか、追っ払った方が早くはないの?」
完全に俺の言葉を信用した訳では無い事は確かでしょう。しかし、コルベール先生に食事をさせて貰っている少女が人ならざるモノだと言う事は感じていたはずのキュルケが、そう俺に対して問い掛けて来る。確かにその方法も有るには有るのですが……。
尚、このキュルケの言葉にタバサの方は、多少、否定的な気を発しました。彼女は俺とより濃い繋がりを持って居て、明確な悪意を感じない相手を排除するようなマネを俺が行わない事を知って居ますから、これは当然の反応と言えば、当然の反応でしょうね。
まして、人間と違う存在だから排除する。では、タバサや俺の血脈は存在する事さえ否定されて仕舞います。更に吸血姫はその習性に因り、人に対して不利益をもたらせる存在でも有ります。
吸血姫と雖も、無暗矢鱈と人間を襲う存在ばかりとは限らないのですが、それでも、そんな事を知って居る人間は多くは有りませんから。
「俺のずっと昔の、……俺の暮らして居た世界の伝説上で語られて居る御先祖様が、彼女の力を借りて、雨を降らし、風を起こして暴れ回る邪神を倒した事が有る。その際の恩人を、子孫の俺が民に仇為す邪神として封じる訳には行かないからな」
それに、そもそも蚩尤との戦いの時に霊力を消耗し過ぎて、天界に帰る事が出来なくなって、北方。つまり、中原の北方に存在する砂漠へと追いやられた、……と言う事に成っているのです。魃姫と言う日照り神は。もし、それが事実で有るのならば、龍の血を引く俺が彼女を元の世界に帰すのは当然。
これは、間違いなく俺が為さなければならない仕事ですから。
「成るほど。大体の所は理解出来たわ。それで、その妙な格好は、彼女専用の食事を作る際の正装だと言う訳ね」
日本の神職の正装を妙な格好の一言で片付けられるのは少し問題が有るような気もしますが、それでも、キュルケの言っている事は概ね正解なので、一応、首肯いて答えて置く俺。
そうして、
「この格好は。……本来、魃姫と言うのは、日本の神ではなく大陸由来……俺の暮らして居た国ではない、別の国の神。但し、俺の暮らして居た日本にも古くから魃姫についての伝承は残って居たし、それならば、日本の古式に則って神饌を作る際の作法を踏襲すべきかと思っただけなんや」
そもそも、コルベール先生に保護された、と言う個所からして不思議だったんですよね。その癖、出された食事に関しては手を出そうともしていないみたいですし。
「コルベール先生と魃姫の間に某かの縁が有るから、先生が彼女を保護出来たはずなのに、何故か、彼が出してくれる食事には手を出そうとしていない。だから、古式に則って、神前に出す神饌と同じ方法で作った食事。唾はおろか、直接、息さえ吹き掛ける事もなく作り上げた食事を、自らの額よりも高い位置に掲げた状態で神前へと運び、古式に則って神さまの前に並べる。更に、彼女と縁の有るコルベール先生に彼女の食事の介添えをお願いして」
現在は、親鳥に餌を与えて貰う雛鳥の如く、コルベール先生が口元に運ぶ御飯や、おかずを食べている少女。
その様子は、非常に心が和む様子。この一場面だけを見た人間は、この少女の正体が日照りを起こす祟り神だと思う人間は一人もいないでしょう。
そして、その姿は三カ月前の俺とタバサの姿でも有りました。
尚、基本的に魃姫は中国の神様のはずなので、食事に関してはそう細かな好き嫌いは存在していないとは思います。ただし、何故か、此処に顕われた彼女はハルケギニアの食事には手を付けて居なかったようなので、先ず肉料理を外し、海産物。具体的には尾頭付きの鯛を用意して、それに御飯。塩。そして何より御神酒。そこに季節の野菜と果物。そうやって準備を行った料理を日本式の作法に則って神前に御供えをする。こうやって、彼女が食事をしてくれるように考えられる策はすべて打ったので、何処の部分が正解だったのかは判らないのですが、それでも霊力が有る一定まで回復すれば、今の女童の姿形から、本来の彼女の有るべき姿。天帝の妹に相応しい天女の姿形へと変わるはずです。
そして、本来の姿形を取り戻せば、彼女との意志の疎通も可能でしょうし、自分の能力で自らの世界に帰る事が出来なくても、俺が手助けを行えば彼女も帰る事が出来ると思います。
完全には信用し切ってはいないキュルケと、少し険しい表情のタバサ。タバサは俺を召喚してから、妙な事件に巻き込まれ続けて居るので、こんな普通では信じられない事件に遭遇するのも慣れているのでしょう。
もっとも、俺の話が信用出来ないのなら、俺が異世界から召喚されたと言う事さえ信用出来ない話と成りますし、そもそも、自分たちが使用している系統魔法だって、始祖ブリミルと言う人物から伝えられた魔法なのですから、かなり出自の怪しい技術だと思うのですけどね。
【彼女が元々暮らして居た異世界に帰れば、すべてが丸く収まるとは思えない】
コルベール先生の研究室にやって来てから、初めて彼女の方から言葉を掛けて来たタバサ。ただ、その方法が【念話】を使用しての会話ですし、更に、非常に剣呑な内容。
もっとも、その方が彼女らしいですか。まして、彼女が鋭い洞察力を持って居るのは確実ですし。
【確実な事は言えないけど、今年は凶作と成る可能性が高い。更に、戦乱が起きる可能性も非常に高く成ったと思う】
異常な高温と、雨の降らない状態が既に二週間以上続いているので、豊作と成る可能性は低いでしょう。このハルケギニアの農業は乾燥農業。灌漑工事を伴わない、自然の降雨に頼った農業ですから。そして戦乱に関しては、別に魃姫が顕われずとも、既にトリステインとアルビオンの間で戦端が開かれた状態に有り、未だ閉じられる雰囲気は有りません。
但し、それ以外にも起きる可能性が有るのは……。
【疫病が既に、何処かで発生している可能性が有る】
水不足からの凶作。更に、戦乱。これに続く、と言うか、セットと成って人間界に襲い掛かるのは、古来因り疫病と相場が決まっていますから。
まして、
【応龍が、魃姫の能力を借りて滅ぼしたのは蚩尤。色々な兵器を開発した悪神にして武神。そして蚩尤の先祖は、人間に医術と農業を教えたとされる炎帝神農氏】
まして、殺人祭鬼の連中が崇めているのはモロク系……つまり、牛の姿を持つ邪神。蚩尤も四目六臂で人の身体に牛の頭と角を持つと言われる邪神。
そして、日本の八百万の神々の中で牛頭の神で有名な存在は……、京都祇園社の祭神として有名な牛頭天王。この神は疫神。更に、スサノオと同一視される日本最強の荒魂。
状況証拠だけですが、疫病が起こらないと楽観視する事は出来ませんから。
【何にしても、今年の冬を無事に乗り越える事がかなり難しいと言う事やな】
タバサを見つめながら、そう【念話】を送る俺。そして、その俺とタバサの二人を意味有り気な瞳で見つめる赤毛の少女。
…………この感覚は。
そう言えば、また、周囲の状況も顧みずに、視線を逸らす事もなく見つめ合った状態を維持して居ましたか。
これでは、俺とタバサは周りの空気を読まないバカップルそのモノ。まして、どう考えても、瞳と瞳で判り合って居るような雰囲気を周囲に発散させ続けて居ますし。
寺山修二の言葉の中に、自分たちにしか通じない言葉が有るのが恋人同士である。……と言う言葉も存在しますが。
「夏休み前からあまり会えなかったけど、二人には、二人だけの時間が流れていたのね」
少し探るような、それでいて茶化すようなキュルケの台詞。確かに、キュルケの言うように、俺とタバサの間にもアルビオン行き以後の時間が流れたのは事実です。但し、俺とタバサの間に流れた時間は、恋人同士の二人の間に流れる甘酸っぱい時間などではなく、血風が飛び散り、銀の光が閃く時間だったのですが。
恋人同士と言うよりは、正に相棒、戦友と言う間柄でしょう。今の俺とタバサの関係は。
「時間が流れて居たと言う部分は否定しないけど、多分、キュルケは妙に甘酸っぱい方向に勘違いしていると思うぞ」
アルビオン行き以降に俺とタバサが巻き込まれた事件は、紅い夢の世界から、カジノ潜入捜査に始まる邪神顕現。ベレイトのUMA騒動に始まる都市壊滅に繋がる魔物召喚事件。貴族の後継者の御披露目パーティに始まるクーデターの夜。これだけの事件を潜り抜けて来たのですから、二人の距離が多少なりとも近付いたとしても不思議ではないでしょう。
これで、未だ二人の間に何らかの壁のような物が存在して居たとしたら、何処かの段階で、どちらかに取り返しの付かない状況が訪れていたでしょうから。
「そうしたら、コルベール先生。これから彼女が本当の姿を取り戻すまで、三度の食事は私が作りますから、先生はそうやって彼女の食事を手伝って貰えますか?」
☆★☆★☆
トリステイン王国の王都トリスタニア。そう言えば、今までの俺には何故か縁のない街では有りましたね。
ガリアの王都リュティスは何度も赴いていたのですが。
俺の時計が示す時間は既に夜の八時を過ぎているのですが、日本の感覚で言うならば、未だ夕闇という赤から蒼に移り変わる時間帯の感覚。実際、未だ西の空はほのかに明るいですからね。まして、もっと北の方に行けば、白夜と言う季節のど真ん中ですから。……ヨーロッパに置ける夏と言う季節は。
共工の事件の時だって、午前四時半ごろには日の出の時間に成っていましたから。
流石に、夏の盛りのこの時期。まして、とある事情により雨が降って居ない事により、昼間に活動出来ない分、夜に活動する夜行性の人間が増えているのか、未だ宵の口の時間帯とは言え、魔法の明かりに照らされた王都の夜は人々の活気に満ちた世界と成っていた。
「それで、今晩は何処に連れて行ってくれると言うのですかね、キュルケさん」
キュルケに対して、そう問い掛ける俺。尚、彼女の向かっている道は、だんだんと通り自体が狭まって行き、逆に、この世界の庶民。猥雑にして淫靡。俺やタバサの雰囲気には向いていない雰囲気の強い場所に成って行っていると思うのですが。
通りの角々には、明らかに娼婦と思しき女性たちが立っていますしね。
「あのね、シノブ。人生の真実って言うのは、何も綺麗な文学や芸術の中にだけ存在する物じゃないの。時にはこうやって、庶民の中に入り込んで、人々の喧騒の中に身を置く事からも見付け出せる物なのよ」
何かもっともらしい理屈をこね繰り廻しているキュルケなのですが……。様は、俺とタバサを引っ張り出したいと言うだけの事なのでしょう。
少なくとも、今の俺に人生の真実など、必要とはしていない物ですから。
出来るだけ道の真ん中を進みながら、何処かに向かって進むキュルケを追う俺とタバサ。尚、何故、道の真ん中を進むのかと言うと、俺も、そしてタバサもつばの広い帽子は着用していませんから。つばの広い帽子を被っていないと言う事は、上空から何かが降って来たとしたら、頭からそれを被る事となって仕舞いますからね。
この世界の都市と言うのは、必ずしも衛生的な空間と言う訳では有りませんから。
日が暮れたと言うのに妙な熱気の籠った、正に熱帯夜と言うべきトリステインの王都を進む事しばし。周囲には、裏通りに相応しい場末感の漂ういかがわしい酒場と、ガリアに存在している公営、半公営のカジノとは違う如何にも賭場と表現した方が良いカジノが店を並べている。
正に、季節が持って居る熱気と、人間が持って居る熱気が混然一体となって、より混沌とした状況を作り上げている。ここはそう言う空間で有り、そして街で有った。
「確か、この辺りの店のはずよね」
幾つかの角を曲がり、通りの名前を確認した後に辺りをキョロキョロと見回すキュルケ。しかし、何の店を探しているのか判らないので俺としてはタバサの隣にぼぉっと突っ立ったまま、キュルケの次の動きを待つしかないのですが。
する事もないので、見るとはなしに、周囲に視線を送る俺。それに、ここは流石にトリステインの王都。夜と成って居ても、まだまだ宵の口。多くの人々が通りを行きかい、アッチの飲み屋、ここのカジノへと姿を消して行く。
確かに、こちらの世界に来てからは、タバサの御供で色々な街に出向きましたが、ここまで庶民の生活に近いトコロまで足を踏み入れたのは初めてですか。
そんな感想を思い浮かべながら、周囲を一渡り見回した後、再び、正面に視線を戻して来たその瞬間、正面に有る店。この辺りに有る飲み屋の中ではまだ小奇麗な部類の店の入り口辺りに、一瞬、ピンク色の何かが見えたような気がしたのですが……。
その瞬間、キュルケから、少し奇妙な気が発せられる。そう例えて言うのなら、目の前でヒラヒラと飛ぶチョウチョを見つけた時の子猫のような。捕食者で有ると同時に、オモチャを見つけた子供のような……。
「見つけた。あの店に入りましょう」
決めた、ではなく、何故か見つけたと言ったキュルケが、俺とタバサの事を顧みる事もなく、真っ直ぐに、そのかなり流行っている雰囲気の店の扉を押し開いたので有った。
そして、その瞬間。俺の心の中に、何か非常に嫌な予感に似た何かが生まれた事は、言うまでも有りませんでした。
☆★☆★☆
「いらっしゃいませ~」
野太い。明らかに男性と思しき声を、お水のおねいさん風にアレンジした口調で客を出迎えるピチピチの革製の胴着を身に付けた……オカ○。
素直に回れ右しようとした俺の腕を、がしっと掴む妙に湿ったゴツイ手。
「ええい、お放しくだされ梶川殿。武士の情けを御存じ有らば、お放し下され、梶川殿」
取り敢えず、松の廊下の浅野内匠頭のマネをして逃げ出そうとする俺。もっとも、史実上の浅野内匠頭が、こんなに冷静な頭で行動していたとは思えないのですが。
しかし、
「あら、こちらお初?」
予想通りのオ○マ口調が後ろから聞こえ、更に俺の腕を掴む手に力が籠められる。
……って、龍種の俺が振りほどく事の出来ない馬鹿力のオカ○って、何者? 矢張り、オ○マは無敵なのか?
「こら、キュルケ! 俺は、○カマ・バーで人生の真実なんぞ、見つけたくはないぞ! こんなトコロで見つかる真実は、もう、どうしようもないぐらいに間違った真実だ!」
かなり大きな声でキュルケに向かってそう言う俺。まして、こんなトコロに足を踏み込むと、色々と失くしては問題の有るモノをなくす可能性も有ります。
表の看板から推測すると、ここは宿屋。一階部分は食堂兼酒場で、二階部分がおそらくは宿屋と成っているのでしょうが、こんなトコロの宿屋などに泊まる事が出来る訳がないでしょうが。
「何を言っているのか良く判らないけど、ここは、女の子が接待をしてくれる酒場で、美味しい食事を提供してくれる事でも有名な店よ」
しかし、頭の煮えた俺と比べると、かなり冷静な声でキュルケがそう答えた。
その言葉に、少し冷静に成って周囲を窺う俺。
確かに店内に漂う香りは、それなりの料理と酒の香。まして、この俺の腕を掴む筋肉質の大男以外、店内を忙しなく動き回っている店員の見た目は間違いなく女性の姿で有った。
もっとも、見た目は女性。中身は男の可能性もゼロではないと思いますが。
「そうよ、貴族のお嬢さま方。ここは、ひと時の夢の時間を演出する妖精たちの住まう場所。魅惑の妖精亭」
魅惑と言う因りは悪夢そのモノの雰囲気で身体をクネクネさせながら、筋肉質の大男がそう言った。尚、その瞬間に、もう一度回れ右をして店外に逃げ出そうとした事は言うまでもない。
但し、ハンマー投げの選手かと言うような力強い腕が、迷い込んだ子羊を逃がす事など無かったのですが……。
「わたしは店長のスカロン。これから、御贔屓にして頂戴ねぇ」
もう二度と来るか、と心の中で悪態を吐きながらも、腕を掴んだまま放そうとしないスカロンから解放される為には、テーブルに着いて料理を注文するしか方法がないと観念した俺。願わくは、地球世界のぼったくりバーとは違う、一般的な料金設定で有る事と、夏だ祭りだ○ン○ンだ、とか言い出して、オカ○が踊り出すような店でない事を祈りながら、なのですが。
尚、中世ヨーロッパの娯楽と言うと、その手のダンスが一般的だったはずです。まして、ソロモン七十二の魔将の一柱、魔将シトリーの職能はその手のダンスです。それだけで魔界の公爵に任命される程の信仰を集める事が出来るのですから、当時の庶民がどれだけ猥雑で淫靡だったか判ろうと言う物ですよ。実際、娯楽も少なかったですしね。
ただ、故に、ダンス自体が禁止されていた地域だって少なく無かったのですが。敬虔なキリスト教の信者の目からすると、見るに堪えない光景でしたでしょうから。
故に、魔将シトリーはその職能が示す通りの小物で有りながらも、魔界の公爵として聖職者たちから認定されたのですからね。
「女性同伴なので一番良い席を用意して貰えますか、店長」
……と、諦めた者の雰囲気を漂わせながら、そう告げる俺。
もっとも、どんなに高級な店で有っても、現代日本からやって来た、更に、巫蠱の術の修業の為に料理を学んでいた俺の舌を満足させる料理を出す店が、このハルケギニアに有るとも思えないのですが。まして、タバサの方も、元々ガリアの王族。その上、俺がやって来てから彼女が口にする料理は、ほぼ俺が準備している状態。
このハルケギニア世界のレベルで考えると異常に肥えた舌を持つ二人を前にして、中世ヨーロッパレベルの食材と調味料で太刀打ち出来る訳はないのですが。
「ウィ、ムッシュ」
何故か、その部分だけがフランス語の答えを返して来たスカロン店長が、店の奥に向かって一人の店員を呼んだ。
……って言うか、今、スカロン店長はルイズと呼んだような気がするのですが。
その店長の呼ぶ声を聴いて店の奥から、一人の小柄な少女が金属製のお盆を片手に、高い踵の靴を履きながらも危なげない足取りで小走りに近付いて来る。
そして、俺達三人の姿を確認した瞬間、少女は、軽快なその歩みを止めたのですが、しかし、それも一瞬の事。直ぐに諦めたのか、それまでと同じように不器用な彼女にしてはかなり安定した様子で歩み寄り、俺達の目の前に立ったのでした。
その魅惑の妖精亭の店員の少女。ピンク色の特徴的な髪の毛を持ち、銀製の十字架を象ったネックレスを身に付けたバニーちゃん姿のルイズが、顔では笑いながら。しかし、目では、ツッコミを入れたら殺すぞ……と言う言葉を発しながら俺達の前に立っていた。
しかし、何故にバニーちゃん姿なのか理解に苦しみますが。
「と、取り敢えず、席に案内してくれますか、お嬢さ……ま」
そのバニーちゃんなルイズを見つけた瞬間に、ニヤニヤと悪意の有る嗤いを浮かべるキュルケと、完全に我関せずの姿勢を貫くタバサ。そして、何故か、俺を睨み付けるルイズに囲まれて、これ以上、カオスな状況はないだろうと思う俺であった。
いや、俺の背後にはオカ○で筋肉質の店長も居ましたか。
店内は正に盛況と言う雰囲気で、この店自体がかなり流行っている店である事だけは確かで有った。もっとも、綺麗なおねいさん達が、かなりキワドイ衣装で接待をしてくれる類の店で有る事も間違いなさそうなのですが。
少なくとも、タバサを連れて来る店でない事だけは間違い有りません。
例えば、向こうのテーブルではカードに興じている一団が有れば、そっちのテーブルではサイコロを転がしている集団も有る。無暗矢鱈と杯を重ねている連中も。
但し、ラ・ロシェールの街で出入りした酒場で発せられていた女性の嬌声の類や、ガリアの違法カジノで感じた危険な幻覚剤の類を感知する事は無かったので、未だこのレベルなら大丈夫でしょう。
そう言えば、タバサは任務でそんな危険な店に出入りさせられても、眉ひとつ動かさなかったのでしたね。ならば、この程度の店に出入りしたトコロで、動じる訳もないですか。
そんな盛況状態の店内を突っ切る形で店の隅に有る比較的落ち着いた場所に有るテーブルに、俺達三人を案内したピンクのバニーちゃんが、
「それで、注文は何にするのよ」
……と、バニーちゃんには相応しくない、何と表現すべきか。所謂、間違って白い部分の混じったゴーヤを口一杯に頬張って仕舞った直後と言う顔で、そう問い掛けて来る。
しかし、彼女のそのような表情が、キュルケを喜ばせる事に気が付いていないのでしょうかね。
「注文はと問われても、メニューも見せずに注文を問われても、無理でしょうが」
先ずは、かなりテンパっている雰囲気のルイズにそう言ってから、
「取り敢えず、この店のお薦めを適当に見繕って持って来てくれるかな。飲み物は……」
俺はそう言ってから、キュルケを見つめる。俺に酒精は問題が有ります。ついでに、タバサにも俺がこっちの世界に来てからはアルコールを食事の際に提供した事は有りません。
しかし、それは俺とタバサの間だけの取り決め。キュルケに関してはその範疇には入って居ません。
「先ずはビール。ソーセージをボイルした物も準備して頂戴。それと、有るのならザワークラウト」
飲み屋にやって来て、先ずはビールって、貴女、日本のサラリーマンですかね。……と思わず問い返しそうに成る台詞を口にするキュルケ。
もっとも、ゲルマニアはドイツ。それで、ドイツとビール、それにソーセージは切っても切れない関係に有りましたか。
それに最後のザワークラウトと言う単語は、ドイツのキャベツを使った漬物の事で、酸っぱい食べ物らしいです。俺は食べた事はないのですが。
……別にキャベツが嫌いな訳でも無ければ、酸っぱい食べ物が苦手な訳でも有りませんよ。ただ、今までは食べる機会に恵まれなかっただけですから。
梅干しは、マジに苦手ですが……。
ただ……。ソーセージで食中毒などは御免ですよ。この時代。中世ヨーロッパではボツリヌス菌などが発見されて居ませんから、その病の原理が判らずに、結構、ソーセージやハムから感染する食中毒は有ったように記憶しています。
ちゃんと加熱してくれていたら問題はないのですが。
いや、そう言えば……。
「なぁ、ルイズ。ブーダン・ノワールは準備出来るか?」
少しタバサの方に視線を向けた後、似合いもしないバニーちゃん姿のルイズに対してそう問い掛ける俺。
そう。日本人には馴染みが薄い食材ですが、ここが地球世界の中世ヨーロッパに近い世界ならば、血を使用した料理は存在したはずです。但し、当然、豚の血などを使用する料理で、人間の血を使用する訳ではないのですが。
「妙な物を頼むわね。でも、残念だけど、今日は置いていないわ」
ルイズがそう答える。尚、最初の時のテンパった雰囲気は大分和らいで来たようには思いますね。
そして、彼女の答えに因って、このハルケギニア世界にもブーダン・ノワールと言う家畜の血を材料とした食物は存在している事が確認出来ました。
もっとも、材料が材料ですから鮮度が命。家畜を屠殺したその日に村中で作るなどと言うタイプの食物だったと思いますから、流通が発達していないこの世界では、流行っている店でも置いて有る事は稀と言う事なのでしょう。
「それで、飲み物は何にするの」
そして、一番厄介な問いを投げ掛けて来るルイズ。この世界では、水よりもワインの方が飲料水としては一般的な世界ですから……。
「俺とタバサに関しては、食事中の酒精は避けたいんやけど、何か置いて有るかな」
いや、むしろ俺に関しては、食事中以外の時も酒精は勘弁して貰いたいのですが。ただ、タバサに関しては、彼女がアルコールで酔っぱらったシーンを見た事がないので、どうなるのか多少の興味は有るのですけど……。
まさか、絡み酒、などと言う事はないと思いますから……。
「何を言っているのよ。ここは酒場。お酒以外に料理も出しているけど、基本的にはアルコールを摂取する所。それ以外の飲み物は用意していないわ」
至極真っ当な台詞を口にするルイズ。但し、その格好が非常に残念な体型のバニーちゃんでは、些か、説得力に欠けるのですが。
それでも、仕方がないですかね。
「それならば、飲み物に関しては自前で何とかするしかないのかな」
俺の式神使いの能力を使用したら、アルコール以外の飲み物を準備する事など何とでもなるからね。ルイズにはそう答えて置く俺。
そう。ハルファスを人間体で現界させたら済むだけですから。それに一応、ソロモン七十二の魔将ですから、彼女も人間体で現界する事は可能です。まして、彼女を現界させて置けば、もしもの際にも護衛役にも成りますから。
もっとも、今の俺と、タバサを害するには、かなりの神格を持った邪神や悪魔が顕現する必要が有るので、早々、危険な事もないとは思うのですが。
「そうしたら、注文はビールとソーセージ。それに、料理はわたしのお薦めで構わないのね」
後書き
それでは、次回タイトルは『ハルケギニアの夏休み・宴の夜』です。
悪夢、サバトの夜、と言う程の酷い内容には成りません。私の話のメインはタバサですから。
追記。
『ヴァレンタインより一週間』の方は、涼宮ハルヒの人気が絶頂の頃は書く事が出来なかった内容に成る、と言いましたが……。
それならば、こちらはどうなるのでしょうか。
ゼロの使い魔は、原作の方は未だですが、アニメの方は大団円を迎えて居ります。
もっとも、伏線を全部無視して、最後は無理矢理の感は有りましたが。
おっと、イカン。妙なトコロで毒を吐くトコロでした。
それで、私の物語は『神話』を元にして有ります。
ならば……。
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