蝶々夫人
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第一幕その七
第一幕その七
「何度も言うぞ。いいな」
「わかりましたよ。それじゃあ」
「うん」
シャープレスは一同に別れを告げてその場を後にする。彼が去ってからも宴は続くのであった。
皆朗らかに酒や祝いの歌を楽しむ。しかしそこに一人の僧侶が飛び込んできたのであった。大柄でかなり逞しい身体をした仏教の僧侶であった。
「仏教のお坊さんか」
「伯父様・・・・・・」
ピンカートンは何だといった感じの顔だったが蝶々さんは違っていた。彼の顔を見て思わず震えだしたのだ。
「盆主さん!?」
「どうしてこちらに!?」
「蝶々よ!!」
その僧侶盆主は蝶々さんに対して問い詰めてきた。顔が真っ赤になっている。
「何故教会になぞ行った!」
「えっ・・・・・・」
蝶々さんはそのことを言われて顔を青くさせてしまった。
「どうしてそれを」
「本当だったか。何故だ」
「何なんだ、このお坊さんは」
ピンカートンは話がわからず五郎に小声で尋ねた。
「いきなり出て来たが」
「まあ困った人でして」
五郎も困った顔でピンカートンに答えるのであった。
「何かあるとすぐに騒ぎ出すんで。今日も呼ばなかったんですが」
「それでも来たんだね」
「そういうことです。困ったことに」
「災厄は向こうから来るものだけれど」
ピンカートンは首を捻ってからまた述べる。
「場が乱れるじゃないか」
「さあ、言うのだ!」
盆主は蒼白になり喋れなくなった蝶々さんを問い詰め続けている。その声はまるで雷の様であり辺りを完全に圧していた。
「教会に行った理由を!それは何だ!」
「それは・・・・・・」
「まさかとは思うが」
「キリスト教に入ったのだろうか」
周りの人々もそう囁く。そうして次第に蝶々さんを冷たい目で見だしていた。
「だとしたらそれこそ」
「とんでもない話だが」
また切支丹という言葉が残っている時代だ。それへの偏見もあったのだ。その偏見が蝶々さんを取り囲んでいく。そして彼女はそれから逃げられない状況だった。
「言えないのか!」
「おい、五郎さん」
ピンカートンはたまりかねて五郎に言う。
「何とかできないのか!?」
「それはその」
小柄で見るからに非力な彼に出来る筈もない。彼も青い顔になっていた。
「できないのか。ならば」
彼は意を決して前に出た。そのうえで盆主に対して懐から銃を抜いた。
「その位にしておくんだ。蝶々さんを悲しませるな」
「くっ、銃か」
「そうさ。言っておくが僕は本気だ」
銃口を盆主に向けながらまた言う。
「さっさと僕の前から消えろ。さもなければ」
「くっ、わかった」
拳銃を突きつけられてはたまらない。彼も退くしかなかった。
「だが蝶々よ」
彼は去り際に言い捨てるのだった。
「もう勘当だ。いいな」
「御前が彼女を勘当しても僕がいる」
これは彼のハッタリだ。しかし蝶々さんはそうは受け取らなかった。彼の心だと受け取ったのだ。これもまた不幸であった。
「わかったら帰れ。いいな」
「ふん、言われなくとも」
「なあ。何かあの人が五月蝿いし」
「そうだよな」
式の参列者達も盆主の言葉に態度を変えていた。それで口々に言いながら次第に消えていくのであった。五郎も逃げてしまっており残っているのは蝶々さんとピンカートン、そして鈴木の三人だけになってしまっていた。蝶々さんはそれを見てあらためて哀しい顔になるのだった。
「誰もいなくなってしまったのね」
「構いはしないさ」
ピンカートンが彼女に応えて言う。項垂れる蝶々さんに対して彼は毅然として顔を上げていた。
「僕がいるから」
「貴方が」
「そう、僕がいる」
顔を上げた蝶々さんにまた告げる。
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