銀河英雄伝説~その海賊は銀河を駆け抜ける
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第二十五話 戦火の足音
帝国暦 489年 6月12日 オーディン ローエングラム元帥府 エルネスト・メックリンガー
皆が呻き声を上げている会議室に黒姫の笑い声が流れた。嘲笑だろうか、おそらくはそうだろう。我々の愚かさへの嘲笑としか思えない。敵の存在すらも分からずにただ戦っていた。武勲を挙げては喜んでいた。黒姫から見れば愚かとしか言いようがないだろうし滑稽にしか見えまい。実際私自身が滑稽で哀れに思っている。
「なるほど、自治領主は傀儡か……。しかし後ろにいるのが地球だと判断した根拠は?」
フェルナー長官の問いかけに黒姫は少し小首を傾げる姿を見せた。
『一つ、フェザーンの創設者のレオポルド・ラープは地球出身だ、おまけに彼の経歴、財産には不明な所がある。その不明な所は地球教が絡んだところだろう』
「……」
『二つ、地球教徒はここ数年著しく増加しているがフェザーンを拠点として行われている地球巡礼がその理由だ。フェザーンは地球教徒を増やす手伝いをしているよ』
確かに気になる部分だがそれだけなのか? 決定的証拠とは言えないと思うが……。所詮は勘か、そうであってくれれば……。
「それだけか、エーリッヒ」
フェルナー長官の問いかけに黒姫が肩を竦める仕草をした。
『いいや、三つ目が有る。昨年の内乱で確信した』
「内乱? 何かあったか?」
訝しそうな声だ、だが私も同じ思いだ。何か有っただろうか? 気付かずに見逃したか?
『帝国じゃない、同盟だ。内乱が起きた時、最高評議会議長ヨブ・トリューニヒトは間一髪クーデター勢力の手を逃れた。彼を匿ったのが地球教徒だった。余り知られていない事だがね』
会議室がざわめいた、皆表情が強張っている。
『イゼルローン要塞が陥落したためトリューニヒトは政権を投げ出したがそうでなければ今頃は彼の周囲には地球教徒が居ただろう、最も信頼できる味方としてだ。地球教は一国の最高権力者を手中に収めたわけだ。キリスト教によるローマ帝国乗っ取りと同じさ』
「……なんて事だ」
彼方此方でまた呻き声が聞こえた。黒姫がその呻き声を薄い笑みを浮かべながら聞いている。震えが走るほどの恐怖を感じた、彼は私達とは違う何かを見ている……。
『分かっただろう、地球教を甘く見ない事だ。彼らは国を持たない、だが帝国にも同盟にもフェザーンにも地球教徒はいる。そして連中は手段を選ばない、利用できると見れば瀕死の病人でも利用する。家族、婚約者、恋人を持つ人間は要注意だ。弱点だと思われれば容赦なく利用される』
「……グリューネワルト伯爵夫人か」
フェルナー長官の言葉にローエングラム公が愕然とした表情を見せた。“姉上が”と呟く。何か言おうとしたローエングラム公を黒姫の言葉が押し留めた。
『伯爵夫人だけじゃない、ミッターマイヤー、ケンプ、アイゼナッハ、ワーレン提督は家族がいる。そしてシュタインメッツ、ロイエンタール提督は交際している女性が居るはずだ』
「ロイエンタール提督……」
フェルナー長官が呟いた。よくそこまで調べている、そう思うよりもロイエンタール提督も? と思ったのだろう。皆も顔を見合わせ、そしてロイエンタール提督を見ている。ロイエンタール提督は迷惑そうな表情をしていたが黒姫は気にする事も無く言葉を続けた。
『ロイエンタール提督が季節ごとに女を替えている事は私も知っている、地球教も知っているだろう。だがそんな事はどうでもいいんだ。連中にとっては利用できる女が居るか居ないか、ロイエンタール提督にダメージを与えられる女が居るか居ないか、それが大事なんだ』
「……」
フェルナー長官が必ずしも納得していないと見たのだろう、黒姫が表情を厳しくした。
『また同じミスを犯す気か! 連中を甘く見るなと言ったはずだぞ、アントン・フェルナー!』
「いや、そう言うつもりじゃ……」
抗弁しようとしたフェルナー長官を黒姫が首を振って遮った。
『連中には軍事力が無い、彼らの武器は謀略とテロだ。甘く見ていると大勢の人間がテロで死ぬことになるんだ。その程度の事も分からないのか! 私をこれ以上失望させないで欲しいな!』
「分かった、直ぐ周囲を警戒させる」
慌てたようにフェルナー長官が答えた。烈しい口調だった、黒姫は苛立っている。我々の認識が甘いと見ているのだろう。
黒姫が眼を閉じ一つ息を吐いた。自分を落ち着かせようとしたのかもしれない。そんな黒姫を宥めるかのようにフェルナー長官が話題を変えた。
「教えてくれ、卿は何時フェザーンがおかしいと気付いた?」
黒姫がじっとフェルナー長官を見た、そして微かに口元に笑みを浮かべた。嘲笑……。
『生まれたときからだ、そう答えたら信じるか?』
「エーリッヒ……」
黒姫が声を上げて笑い出した。
『冗談だよ、アントン。気付いたのは士官候補生の時だ』
会議室にまた溜息が洩れた、これで何度目か……。ローエングラム公でさえ溜息を吐いている。我々とは余りにも違いすぎる……。
「卿にとっては俺など共に語るに足りぬ存在だろうな。手を組みたいと言っても断られるのは当然か……」
会議室にフェルナー長官の自嘲が響いた。彼だけの思いでは有るまい、この部屋に居る人間は多かれ少なかれ同じような思いを抱いているはずだ。まるで神と技を競うかのような感じがする、どれほど上手くやっても相手は常に軽々とそれを超えて行く……。残るのはまた及ばなかった、所詮は敵わないという徒労感と疲労感だけ……。
『……私と卿では望むものが違った。卿は軍人として出世する事を望んだだろう、だが私はそんな事は考えなかった。この帝国を変えたいと思った。願う物が違えば見る物、見える物、考える事は違ってくる。それだけの事だ、気に病む事は無い』
「……」
淡々とした口調だったがフェルナー長官が苦笑を浮かべた。同情されたと思ったのかもしれない。私自身、苦笑を浮かべざるを得ない。
『だがこれからは別だ。アントン・フェルナー、卿は帝国軍の中枢に居る。もう出世だけを考えれば良い気楽な立場ではいられなくなった。帝国、同盟、フェザーン、地球……、それぞれがどう動くのか、そして宇宙はどう変わるのかを卿は考えなければならない。その中でこれまでは見えなかった物が見えてくる事も有るだろう……』
「そうかな……、そうだといいんだが……」
『自信が無いなら辞めれば良い、私は止めるつもりは無い。これは卿自身の問題だ、私がどうにか出来る問題じゃない』
「そうだな……」
黒姫が大きく息を吐いた、世話が焼ける奴、そう思ったのかもしれない。そしてローエングラム公に視線を向けた。
『元帥閣下』
「何か」
『これを機にフェザーンの自治権を取り上げ帝国の直轄領にするべきかと思います』
会議室に緊張が走った。ローエングラム公が眉を寄せた。そしてフェルナー長官を始め皆が顔を見合わせている。
「なるほど、フェザーンを征服せよ、卿はそう言うのだな」
『はい、二個艦隊も送れば十分に可能でしょう』
「ふむ、キルヒアイス、どう思う」
ローエングラム公がキルヒアイス提督に声をかけた。
「フェザーンを手に入れる事が出来れば反乱軍との戦争で圧倒的な優位に立てます」
「そうだな」
ローエングラム公が今度は我々に視線を向けてきた。どう思うか、意見を述べろ、そういう事だろう。
皆が顔を見合わせた。嫌悪感、侮蔑感を出している人間は居ない。フェザーン征服に反対を表している人間は居ないということだ。ロイエンタール提督が口を開いた。
「異存は有りません、問題は反乱軍がそれを認めるかどうかです……」
「ヤン・ウェンリーが出て来るでしょう」
ロイエンタール提督の言葉にミッターマイヤー提督が続いた。確かに反乱軍にとっては受け入れがたい事態だろう、となればヤン・ウェンリーが出てくる可能性は高い。反乱軍の艦隊戦力は最大二個艦隊、全てを出してくるとは思えんが……。
「兵力が少ないのではないかな、反乱軍を圧倒するのであれば二個艦隊と言わず五個艦隊も動かした方が良い様な気がするが……」
私の意見に何人かが頷いた。皆がヤン・ウェンリーの手強さを理解している。
『その必要は無いでしょう、二個艦隊で十分だと思います』
「過小評価だ、高を括るのは危険だ」
黒姫は笑みを浮かべている。ヤン・ウェンリーを甘く見ているとしか思えない。イゼルローン要塞攻略ではあの男の隙を突いた形になった。しかし今度はそうはいかない。
『こちらの目的はフェザーンを占領する事です。ヤン・ウェンリーに戦術レベルで勝つ必要は有りません。相手が手強ければ動けなくすれば良い。先ず同盟軍に対して今回の一件を通知します、そしてフェザーンの自治権剥奪は帝国内の内政問題である事を強調する』
「意味が有るのか、そんな事が」
反乱軍にとってもフェザーンを取られるのは死活問題のはずだ。そんな事で引き下がるとは思えない。皆も頷いている。
『少なくともレベロ議長にとっては同盟市民に兵を出さない理由として説明しやすいでしょう』
「しかし……」
反論しようとする私を黒姫が手を上げて押し留めた。
『帝国は同盟に対して地球教の禁教を依頼します、その時昨年の内乱で地球教徒がトリューニヒト前議長を匿った事を指摘すればレベロ議長は震えあがるでしょう。自分の足元に恐ろしい陰謀家達が居る、とね。その状態で艦隊を全てフェザーンに振り向けられると思いますか?』
彼方此方から唸り声が聞こえた。確かに兵を出すのは難しいかもしれない。
『無理ですよ、とてもでは有りませんが兵など出せない。昨年の内乱を嫌でも思い起こさずにはいられないでしょうね』
「……ヤン・ウェンリーだけでも出てくれば厄介な事になるが」
敢えて疑問を提示してみた。黒姫は何処まで考えているのか、それが知りたい……。
『同盟にはイゼルローン要塞もアルテミスの首飾りも有りません。彼らの首都星ハイネセンは丸裸なんです。フェザーンに艦隊を向ければイゼルローン方面から艦隊が押し寄せた時防ぎ切れない。今の同盟に侵攻作戦など無理です、彼らには敵を引き摺り込んでの防衛戦しか手は有りません。フェザーン出兵などやるだけ無駄です』
「……」
『それでも兵を出すと言うのなら帝国の内政問題に介入しようとしていると非難して全面戦争に踏み切ると脅せばよいのです。同盟政府は兵力不足、帝国の内政問題、地球教対策を優先すると同盟市民に説明して帝国との全面戦争を避けるしかない』
皆無言だ、黒姫の頭の中では既にフェザーン征服戦は終わっている……。
「……ここからは競争か」
ローエングラム公が呟いた。競争?
『そうです、帝国がどれだけ早くフェザーンを掌握し同盟領侵攻時の後方基地に出来るか、同盟がどれだけの戦力を整えられるか、それによって同盟の抵抗がどの程度の物になるかが決まります』
なるほど、その競争か。宇宙統一が間近に迫っているというわけだ。皆が顔を見合わせた、静かに興奮を見せている。
「ロイエンタール、ミッターマイヤー、直ちに艦隊を整えフェザーンに向かえ!」
「はっ」
「ワーレン、卿に地球討伐を命じる。地球教徒の巣を叩き潰せ!」
「はっ」
「フェルナー、ボルテックを逮捕しろ!」
「承知しました」
ローエングラム公の声が会議室に響いた……。
帝国暦 489年 6月12日 巡航艦バッカニーア ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ
ローエングラム公との通信が終わったが巡航艦バッカニーアの艦橋は皆沈黙している。まあ無理もないだろう、話の大きさもさることながら黒姫の頭領の凄みをこれでもかと言うほど見せつけられたのだ。私自身、恐ろしさを感じざるを得ない。ただの海賊だとは思っていなかったがここまでとは思わなかった。いやむしろこれ程の人物が何故海賊なのかという思いがある。
「……親っさん、 金髪の奴、面白くなさそうでしたね。親っさんが自由裁量権をくれって言ったら露骨に胡散臭そうな顔をしてましたけど」
そう、確かに面白くなさそうだった。言われた内容の事もあるが、先を越されたという事、千隻の艦艇を動かしたという事も気に入らないらしい。もっと端的に言えば全てが面白くなさそうだった。胡散臭そうな目で見られていたが……。
「キア、ローエングラム公が面白くなさそうなのはいつもの事です。あまり気にする事は有りません」
平然としたものだ。シュナイダーと顔を見合わせ苦笑した。我々だけではない、他にも多くの人間が苦笑している。
「そりゃ、まあ、そうですけど……。親っさん、ルビンスキーの奴を捕まえられますかね?」
黒姫の頭領がチラっとキアを見た。微かに表情に笑みが有る。
「どうでしょう、私達が会いに行くのを待っているほど気の良い人間とは思えませんが……」
また、皆が苦笑した。
「黒姫の頭領、では何故フェザーンに行くのですかな? ローエングラム公はそのために頭領に自由裁量権を与えたと思うのですが」
私が問いかけると黒姫の頭領は微かに小首を傾げた。
「今回フェザーンに行くのはルビンスキーを捕えるのが主目的ではないんです。捕えられれば儲けもの、そんなところですね。他に色々とやらなければならない事があります、間に合えばいいんですが……」
間に合えば? 皆が不思議そうに黒姫の頭領を見ている。
「半月程遅かった……、でも半月前だと暗殺計画の確証が無かった……。あとは地球教とルビンスキーの関係がそれほど親密でないことに期待するしかありません。なかなか上手く行かない……」
黒姫の頭領が溜息を吐くと皆が不安そうな表情を見せた。はて、一体何が間に合わないと言うのだろう……。
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