ソードアート・オンライン 穹色の風
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アインクラッド 前編
希望を繋いだ勝利
「チッ……」
自らの体を四散させたディアベルを見て、マサキは再び舌打ちした。“リーダーの死”という予想だにしなかった事態のために、辺りのプレイヤーたちの顔には一様に困惑と同様が浮かんでいる。それほどまでに、彼らはディアベルを慕い、頼っていたのだ。
しかし、彼はこの世界から消えた。自分がこの作戦にどれだけ影響を与える存在なのかも分からずに。
別にマサキとしては、彼がどこで何をしようと、極端に言えば死のうが生きようがどうでもいい。だが、彼の消滅という事態が自分に何らかの影響を及ぼすのであれば、それは傍迷惑以外の何物でもない。実際に、今この部隊は攻略続行か撤退かの二択を迫られている。もし退場したのがディアベルでなく、ただの一部隊員であれば、ここまでの混乱に陥ることもなかっただろうに。
マサキはまたもや舌を打ちそうになり、首を振った。今考えるべきはそんなことではない。現在最も優先順位が高いのは、戦闘継続か撤退かの決定。そしてその決定を部隊全体で共有することだ。
(だが、これで撤退となれば更なる離脱者が出る。今後のためにもここは戦闘継続したいところではあるが……)
思いながら、マサキはもう一度プレイヤーの顔を眺める。マサキの目が捉えたのは、困惑、動揺、不安、そして恐怖。誰一人として表情に戦意を滲ませている者はいなかった。一抹の期待を胸にキリトを見やるが、彼もまた何かに迷っているのみ。これでは継戦など夢のまた夢だ。何か士気を上げるカンフル剤でもあれば。あるいは、誰か一人でいい、強い戦意を持った者がいれば、この状況も打開できる可能性があるのだが。
(……やはりここは、さっさと撤退した方がよさそうか。となれば、殿は俺たちとB隊辺りが適任か……)
マサキが瞬時に撤退のプランをまとめ、ひとまずキリトに提案しようと彼に目を向ける。しかし、つい先ほどまでそこにあったはずの姿は、いつしか数メートル先まで移動していた。――それどころか、キバオウに対して何やら話しかけているではないか。
マサキがキリトの真意を探ろうと目を凝らすと、キバオウの小さな瞳に、微かな、しかし明らかな敵意がよぎった。そのままキリトは身を翻し、こちらに向かってくる。その表情には、揺るぎない決意の色が浮かんでいた。
(なら、やってやるとしますか)
マサキは彼に同調することを胸の内で決めるが、一応の確認として尋ねた。
「どうするつもりだ?」
「彼の……ディアベルの遺志を継ごうと思う。だから君たちは……」
「“部隊の最後部にて待機し、前線が持たなくなったら迷わず逃げろ”」。その文をキリトが発するよりも早くアスナとトウマが口を開き、キリトの言葉を遮った。
「わたしも行く。パーティーだから」
「俺も……何とかやってみるよ」
ここで、キリトの中性的な顔がマサキの方を向く。マサキは何も言わず、ゆっくりと頷いた。それに対し、キリトは一瞬渋るような表情を見せたが、迷っている時間さえ今はないことに気が付いたのか、無言で体を回転させた。続いてマサキたち三人も体の向きを変え、足先を二十メートルほど先のイルファングへと向ける。そして、四人全員が同じ方向を向いたところで、一斉に走り出した。
(さて、どうしたものか……)
走りながら、マサキは顔をしかめた。その横では、キリトも同じような表情を浮かべている。
彼らの行く先は、攻撃を受けているC隊の怒号や悲鳴、絶叫で既に飽和していて、そこに「後方に退避」の命令が入り込む余地などない。つまり、必然的に彼らが最初に成すべきことは、その余地を作り出すことになる。そしてそのためには、彼らの叫びを打ち消すほどのインパクトを持った言動をする必要があるのだ。キリトのコミュニケーション能力ではあまりに期待薄だし、マサキにも、そこまでのことは咄嗟には思い浮かばない。
マサキは走りながら脳をフル回転させるが、浮かんでこないアイディアにやきもきするばかり。仕方なく、ボスに痛烈な一撃を浴びせることによって間を作ろうと柳葉刀を構える。すると、突如現れた一筋の流星が、その間を運んできた。逆サイド、トウマを挟んで並走するアスナが、今まで顔を覆っていたフーデッドケープを邪魔そうに脱ぎ捨て、その美貌を明らかにしたのだ。
そのあまりの美しさに、混乱の最中にいる者たちでさえ、息を、飛び出しそうだった絶叫を、呑み込んだ。そして生まれた沈黙は次第に広がり、ついには薄闇に包まれたボス部屋の全てを包み込む。
「……キリト、今だ」
「! 分かった!」
部屋全体が静まり返った瞬間、マサキはキリトにささやいた。キリトははっと我を取り戻すと、大きく頷いた後に退避命令を出す。自分よりもキバオウ辺りに顔が知れていて、かつ今後ボスの攻撃から防御をするときに指示を出すことになるであろう彼の方が、命令役に向いているだろうというマサキの判断だったが、これが功を奏したようで、前線のC隊が後方へと走り出し、その中をマサキたち四人が逆流する。イルファングはC隊を追ってくるため、マサキたちとは正対する形になった。
「俺が防御を担当するから、三人で攻撃を頼む!」
なおもボスに向かって足を動かしながら、キリトが短く説明した。残りの三人はそれぞれ頷くと、まず敏捷値に優れたアスナとマサキが、次いでトウマが鮮やかな剣閃を叩きつけ、イルファングの両わき腹を深々と抉る。連動してボスのHPが削られるが、流石に雑魚とは量が違う。削り取れたのは数ドットほどだ。
その予想済みではあったがあまりにも小さいダメージに、マサキは一度顔をしかめるが、すぐに頭を振って邪魔な思考を追い出した。今そんなことを考えている暇はない。
マサキがちらりと後ろを覗くと、今まさに振り下ろされた野太刀を、キリトが弾いているところだった。彼がボスの攻撃を相殺するために放っている一撃は、他プレイヤーのそれよりも明らかに速く、重い。彼が十日間かけて習得したという《ソードスキルのブースト》なるシステム外スキルを最大限利用しているのだろう。その甲斐もあって、彼は何度も襲い来るボスの攻撃を、全て弾き返すことに成功している。
だが、マサキはそこに危機感を覚えた。たった一度のミスも許されないこの状況で、最大のブースト率を維持したまま正確に剣を振るうことは、脳にかなりの負担を掛けるはずだ。集中力はみるみるうちに削がれ、いつ終わるかも分からない攻撃は、彼の精神を着実に蝕んでいく。
これがマサキなら、その超人的な情報処理能力を以って、どれくらいブーストすれば相殺できるのかを正確に割り出し、余裕を持って防御に徹することが出来るだろう。しかし、マサキは《刀》スキルの技を知らない。そして、今のイルファングの攻撃速度では、モーションを見てからでは反応できない。故に、今ボスの攻撃を処理することが出来るのは、βテスト時の膨大な情報を所持しているキリト以外にいないのだ。
四人はゴールの見えない綱渡りを続け――、
ボスの攻撃が十五回目を数えたとき、綱から奈落へと転落した。
キリトがボスの繰り出した《幻月》の軌道を読み違え、下から跳ね上がった野太刀に切り裂かれたのだ。彼のHPゲージは三割以上も削られ、体は数メートル先まで飛ばされる。
そしてここで、マサキとアスナがボスの懐へ飛び込んだ。硬直中を狙った基本的な攻撃。しかし、それが今回は仇となった。
「マサキ、駄目だ!!」
トウマのいつになく緊迫した声に反応して上を見上げた時には、既に野太刀の刃が血色に染まっていた。
――確かあれは、ディアベルをリタイアに追い込んだ三連撃技……!
マサキが記憶領域から眼前の技を引っ張り出したコンマ数秒の間にも、真紅に染まった刃は二人の頭上に向かって落ちていく。マサキは降りかかってくる刃を睨んで舌打ちしつつ、被弾を覚悟した上で柳葉刀を振り上げ、防御に移行しようとする。野太い叫びと共に、二つの刃の間に緑の光をまとった両手斧が打ち込まれたのは、その時だった。
ボス部屋全体が爆発したかのような轟音と閃光が、それぞれマサキの目と耳を直撃し、不快な耳鳴りと眩暈を発生させる。
「くっ…………」
「マサキ! 大丈夫か!?」
「ああ、問題ない」
くぐもった声を上げながら、マサキは駆け寄って来たトウマに左手を振って答え、まだ定まりきっていない焦点を後方に向ける。そこにいたのはチョコレート色の魁偉な容貌と、それに似合った両手斧を握ったB隊リーダー、エギルだった。
彼はキリトに一言言った後にその巨躯を反転させ、ようやく澄んできた視界の中でにやりと笑い、言った。
「あんたらも、防御は俺たちに任せな。壁には壁なりの意地ってもんがあるんでね」
エギルの後ろで、B隊の面々が口々に同意の声を上げる。
「……そいつはありがたい」
マサキは言いながら、他の三人に目を向ける。三人が視線で「大丈夫」と伝えてくるのを確認すると、ノックバックから立ち直り、どこか苛立ったような雄叫びを上げるイルファングに、三度向き直った。
それから数分間、再び綱渡りの状況が始まった。防御を壁役の六人に任せ、マサキたち三人はひたすら攻撃に専念する。真正面と背後にだけは回らず、ボスの硬直を確認すると同時にソードスキルを叩き込む。キリトはエギルたちに次来る攻撃の種類を教え、六人はその通りに盾をかざし、防御に徹する。危うい戦法ながら、ボスのHPは少しずつ、しかし確かに減少を続けた。
しかし、ボスのHPが三割を切った頃、またしてもハプニングがマサキたちを襲った。気の緩みからか、壁役の一人が足をもつれさせ、ボスの背後に向かってよろめいたのだ。近くにいたトウマが咄嗟に手を伸ばして体を引き寄せたが、その時には既にボスが囲まれ状態を認識、天高く舞い上がった。
「クソッ……!」
マサキは毒づきながらも、この状況に対する唯一と言っていい対処法を、咄嗟に思い描いた。それは、トウマが両手剣を使い始める前に、一度だけ使ったことがあるソードスキル。
(あの技なら、確か空中の相手でも攻撃可能だったはず……!)
マサキは、今その対処法が実行可能な唯一の人物に視線を投げた。するとその人物は、未だ全回復に至っていない自らのHPゲージも忘れ、既に飛び出している。
マサキは全速力で走る彼の正面に立ち、両手を体の前で組み、腰を落として構えた。
「キリト、来い!」
キリトはマサキを見つけ、一瞬目を見開いたが、すぐに表情を引き締め、マサキに突進する。マサキは迫り来るキリトの右足が自分の両手の上に乗った瞬間、ステータスの許すありったけの力で、彼を上空へと放り投げた。ソードスキルのシステムアシストもあって砲弾のように射出されたキリトは、一ミリの狂いもなくボスに向かう。マサキの脳が、キリトのスピードからボスとの交錯点を正確に割り出し、彼の質量から手を跳ね上げる強さを調整、理想的な軌道でキリトを射出した結果だった。
「届……けェーーッ!!」
キリトの叫びの後にボスの体を切り裂いた切断音、さらに続いてイルファングのうめきが部屋全体にこだました。数秒後、姿勢を大きく崩したイルファングが背中から床に落下。盛大に手足をばたつかせ、自らが《転倒》状態にあることを見る者に伝える。一足遅れて着地したキリトは地に足をつけるや否や、全プレイヤーに向かって叫んだ。
「全員――全力攻撃! でも、念のため囲むな!!」
その言葉に、今まで防御に徹さざるを得なかったB隊の面々が、その鬱憤を晴らすかのように雄叫びを上げた。マサキたちも頷き、一気にボスへ肉薄。エギルたちと共にソードスキルを叩き込み、HPゲージを削り取っていく。
――いける。このまま、このボスを倒せる。
ボスを取り囲む全てのプレイヤーがそう確信し、一度振り下ろした武器を追撃のために振りかぶる。そして、その武器を淡い光が包もうとした、その時だった。
爛々と光るその赤い瞳が怒りに包まれたように輝き、今までただ四肢をばたつかせるだけだったイルファングが、突如立ち上がった。その動作が余りにも突然だったため、キリトの判断も一瞬だけ遅れてしまう。そしてその一瞬に、イルファングは反撃のソードスキルを放った。
刀スキル水平範囲技、《空斬》。前もってボスを囲むことは避けていたため、《旋車》が発動して全員が被弾、という最悪の事態は免れたが、それでもパーティーの大多数が被弾、後退を余儀なくされた。
「くそっ……!」
ぐるる、と獰猛な笑みを浮かべるイルファングに向かって吐いたキリトの声を聞きながら、マサキはボスの頭上、赤く輝くHPバーへと視線を投げた。残りは僅かに五%ほどで、マサキたち四人で攻撃すれば、一度で撃破出来るだろう。
(今の俺のHPなら、処理を間違えなければ一度や二度斬られたくらいでゼロになりはしない。……なら、これからのためにも一度試しておくか)
マサキは脳内で決定を下すと、キリトに近寄って言った。
「俺が斬り込むから、三人で続いて攻撃を頼む」
「そんな、最初が一番被弾しやすいんだぞ!?そこは俺が……」
マサキはその言葉に首を横に振り、冷静に続ける。
「いや、俺にやらせてほしい。少し、試しておきたいことがあるんだ。大丈夫、皆に迷惑はかけない」
「…………分かった」
「なら」
ここで、今まで静観していたトウマが口を開いた。その顔にはかなりの不安と恐怖が滲んでいるが、同時に、それよりも強い意思の色が浮かんでいた。
トウマは一呼吸置いて、少しだけ震えた声で話し出す。
「……俺も、マサキと一緒に行かせてくれ」
「……いいだろう。何かあった時にはカバーを頼む 」
「分かった」
トウマは頷くと、その体をイルファングへとゆっくり回転させる。唇は震え、体の動きは硬く、不自然だ。
だが、マサキにはなぜそんなになるのか分からなかった。緊張や恐怖によるものであるのは間違いないだろうが、今までの戦闘中、ここまで彼が恐怖に呑まれたことはない。むしろ、そんなものは微塵も感じさせない、熟練した戦いぶりだったのだ。
しかし、そのことを問いただしている時間はなかった。正面のイルファングは怒りの雄叫びを上げ、今にもプレイヤーに襲い掛かろうとしている。マサキは無駄な思考を脳内から追い出すと、改めてボスを一瞥し、走り出した。
一気にステータスの許す最高速度まで達したマサキは、視線の先のイルファングに、自らが持つ集中力の全てを向けた。視界が狭まり、時間の流れが緩みだす。が、それにもマサキは気付かない。それほど、彼はボスの一挙手一投足に集中しているのだ。
やがてボスが迎撃のソードスキルを発動させるべく、野太刀を振りかぶる。そしてそれを確認した瞬間、マサキの脳がさらに回転速度を引き上げた。
視覚よりデータとして得られたイルファングの筋肉の収縮具合が、マサキの脳内でいくつもの方程式に置き換わり、それらの全てに一瞬で解が与えられていく。与えられた解は再び筋肉の形に組み合わさり、イルファングの数瞬後の腕の位置を導き出した。
これが、先ほどマサキが言った“試してみたいこと”。即ち、人体工学に基づき、筋肉の収縮具合から敵の繰り出す技を予測する、というものだった。
マサキは導かれたボスの攻撃予測に従い、手にしている柳葉刀を頭の上で地面と水平に構えた。数瞬後、その予測と寸分違わぬ位置を野太刀が通過し、マサキが構えた柳葉刀と激突した。だが、マサキは柳葉刀を握る右手に、力を込めていなかった。ボスの野太刀に差し込まれる形で、みるみる剣の位置が下がっていく。
だが、これもマサキの狙い通りだった。二つの刀が自らの額に当たる寸前、マサキは限界まで振り絞った力で自分の剣を押し上げる。筋力値はボスのほうが高いため、さらに強い力で刀が押し込まれるが、マサキは体を右にずらすと、生まれた反動を利用して身を捻りつつ飛び上がった。そのまま振り下ろされた刀に右手を突き、さらに空中で一回転してボスの上腕へ着地。硬直で動けないボスの体を駆け抜け、最大限に威力をブーストした《リーバー》で眼帯に覆われた右目を貫いた。イルファングのHPがさらに数ドット削れるが、それだけでは終わらない。一瞬遅れてトウマが、さらに続いてアスナがイルファングの両脇腹を抉り、止めとばかりにキリトが片手直剣で右肩口を切り裂く。
着地したマサキが聞いたのは、数秒前までイルファングだった青いガラス片が一気に四散した、破砕音だった。
後書き
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